第一章
第一節
第4話 器用な師匠と不器用な私
風が草原の緑を揺らしながら青臭い香りと共に通り過ぎていく。見晴らしのいいその場所は、遠くに見える山の稜線を端から端まで一望できる。そして、そこからうんと高い位置に気持ちのいい陽気を演出するお日様が昇っている。
師匠の後を少し後ろから追う様に歩いている私は彼女の風に靡く金の長髪に鼻をくすぐられ、くしゃみをする。すると、師匠が驚いて振り向き、私はすいませんと一言謝るとまた一緒に先へと進んでいく。
雲一つない青空の下の見渡す限りの平原。その中を行く師匠の後ろ姿は実に映えていたのでそれを眺めながら歩くのも悪くなかった。だけど、こうして一緒に横に並んで歩くのも悪くない。私よりも少し背の高い師匠を時折見上げながら他愛のない話をしていく。そして、たまに師匠は私の頭に手を置いて撫でてきた。青空色の髪を手ですいてははらりと落としていく。なんだかくすぐったい。中身は30のおっさんだというのに何故か心は安心感を覚えていて、私は心内で「何してんだ自分」と困惑しながら呆れていた。
そうして、師匠のその動作が気になって顔を仰ぎ見た。
「師匠?あの、どうしたんですか?」
ひどく懐かしむ様な、それでいて寂しそうな眼差しがそこにあった。私は一体どうしたのかと心配になってそう聞いた。
すると師匠は、私の髪からパッと手を離してなんでもないという様に手を振った。
「あまりにも綺麗じゃったから、ついな」
「変な師匠。いつも私にべたべたとちょっかい出してくるじゃないですか」
「おい、その言い方だと我が変態みたいではないか!」
「え、違うんですか?てっきり、幼女好きなのかと」
「ようし。そこに直れ、キリア。とっておきの仕置きをしてやる」
「いやです!いいです!断ります!」
私は一気に師匠から離れて断固拒否宣言をした。しかし、既に師匠の周りには火できた球体が具現化し空中待機させてあった。
「師匠の言うことは絶対じゃ。そうじゃろう?」
「まままままってください!せめて、私が魔法を構築するまでっ!20秒……いえ、10秒待ってくだーーー」
「問答無用じゃ!たわけっ!」
そうして私が対抗しようとして魔法を構築する前に師匠の作った火球が飛んできた。
「師匠!?正気ですか!?ここら一帯が燃えてしまいますよ!?」
「そんなヘマはせんっ!さあ、貴様も早く魔法を使わんと丸焦げになってしまうぞ!」
「なんで草が焼けなくて私だけ、ってきゃあ!」
私は飛んできた火球を身を翻して間一髪で躱した。無理だ、こんなことしてたら魔法なんて使えやしない。
いきなりこんなことをしだす師匠を恨めしく睨むと、師匠は口を両手で押さえて「はわわわ」みたいな状態になっていた。
え、なんですかそれ。
「きゃあ、じゃ。今、きゃあと言ったぞあやつ!何故中身が30のおっさんなんじゃ、もったいない!」
「師匠それ以上言ったら私でも怒りますからね!あと、泣きますよ!」
「なるほど。よし、では怒り泣く顔も見せよ!」
「なぜですか、師匠!?」
何発も何発も際どいところを狙って放たれる火球をなんと躱していく。私はぜえぜえ息をしながら必死で次々に避けていった。
既に単なる冗談とかじゃれあいの類ではなく、完璧に師匠の悪ふざけになっていた。相変わらず私は魔法を構築できず、体力の続く限り逃げ惑っていた。このままじゃ本当に直撃を喰らってしまう。
こうなったらもう、やるべき事は一つである。
私は一気に二つ飛んできた火球を横っ飛びダイブしながら交わすと勢いを殺さず立ち上がり、そして。
「あ?あっ!?おい!キリアッ!!どこへ行く気じゃ!!?」
「どこって、どっかですよーーーー!!!」
私は師匠に背を向けて残る体力を全て使ってその場から逃げ出した。
「待て!待たんか、キリア〜〜〜〜ァ!」
「無理ですぅうううーーー!」
私は師匠の制止も聞かず、草原を駆けていった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
師匠は本当に凄い人だ。
それはあの時、魔物に襲われた私を窮地から救ってくれたことからも分かるが、それだけでは決してない。あらゆる魔法をまるで自分の手足を動かすように自然と使いこなし、その知識も膨大で何でも知っている。当然、私にはまだ見せていない魔法や教えていない事も山のようにある。そして、それを抜きにしても武術に精通し、体術だけでなく武器を使った戦いもでき、とても強い。腕っぷしだけで魔物を倒してしまったことも頷けた。
そんな彼女はいったい何者なのか、と師匠と会ったばかりの頃に私は聞いたことがあった。
「じゃから言うたであろう。【ロエノシタン】の化身じゃて」
「ろえの、…………。なんですか、その化身っていうのは?てっきり師匠もエルフなのかと」
私は師匠の尖った耳を見てそう言った。
「【ロエノシタン】じゃ。諦めるでないわ。魔法には四大元素というものがあってな。その一つが【ロエノシタン】じゃ」
「ん?」
私がはて?と首を傾げると、師匠は丁寧に教えてくれた。
魔法四大元素とはーーー。
重力……【エヌバロスト】
光……【シンロカンター】
熱量……【ロエノシタン】
振動……【ラナディエンス】
以上の四つを基本とした属性に分類・区分けされた総称のことで、全ての魔法はこのどれかから必ず成り立っているらしい。
師匠は熱量を基軸に置いた魔法の使い手であり、魔法という法則を司る精霊のような存在なのだとか。
本人は人間以上神以下の存在で精霊などとは全くの別物だと言っていたが、私の理解しやすい範囲に内容を落としてくれた。
「私の目には普通の人間にしか見えませんが」
説明を受けた後、私はそんな感想を述べた。
二階建ての屋敷に住んで、自分と同じように話して、笑って、ご飯を食べて、寝て……。そんな彼女はどうしたって人以外には見えやしなかった。
「くふっ。そう言ってくれると我も嬉しいわ」
師匠の屈託の無い笑みは今でも印象的だった。まさに優しさを絵に描いたようなそんな表情だった。
だったのに。
「も、もお、なんで、あの人は、ああも破天荒な……」
背の高い叢に入り込んだ私は未だ追いかけてくる師匠から逃げている最中だった。師匠が身体強化の魔法も何も使ってこないところを見るあたり、今は本当にじゃれあい気分で追ってきているだけなのだろう。もし魔法を使われたら私は一瞬にして捕まっていたはずだ。
私は前屈みにしゃがみ込んで何とか息を整えていく。走ってみて改めて思ったが、この体は驚くほど体力がない。牢屋に捕えられていたことと、師匠の家に引き篭もっていたことが最大の原因と言えた。
「師匠みたいに、私も、何も無しに魔法が使えれば……」
正直なところ別に今すぐ師匠のところへ戻っていっても本当は構わなかった。どうせ一緒に行く二人旅。どうせすぐにさっきみたいに隣り合ってまた歩き始める。
けれど、やっぱり悔しいな。
そう思ってしまっていた。
師匠は魔法の詠唱も、陣の媒介も、道具も一切必要としないで魔法を行使できる。それも一瞬にして構築してしまう。
対して、私は魔法を唱えても大半が発動せず、上手くいったとしても酷く時間が掛かり、その威力や効力も使い物にならない。
今は見晴らしのいい草原を歩いているから魔物が来てもすぐに逃げることができる。だけど、もし視界の悪い場所で遭遇してしまったら。
「私は、なにもできない」
こうして外に出ているのも師匠が近くにいるという安心感があるからだ。一人で外には出られなかった。あの時の、死に直面した恐怖は簡単には忘れられない。
だけど。
もし魔法が上手く使えたら。
そしたら、私はもう少し……。
「はあ……。何を勝手に落ち込んでいるんですかね、私は」
下を向いていた私は顔を上げた。
そろそろかくれんぼもやめますか。そう思って自分を呼ぶ声のする方へ向きながら立ち上がる。
師匠は案外遠いところにいた。
私が小さいからか、本当に師匠は私を見失ってしまっているようだった。
仕方ない。
「師匠〜〜!ここで〜〜す!ししょ〜〜」
『危ない、逃げて!!』
突然、女性の声が聞こえて私は後ろを振り返った。しかし、誰もいない。
「今、確かに聞こえたはず……ん?」
辺りを見回していた私はそこで足元に何かが絡む感触を覚えて左足を引いた。
「ッ!!?」
その瞬間、絡み付いた何かが左足をとても強い力で引っ張り、私は碌に抵抗もできず叢の奥へと引き摺られていってしまうのだった。
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