第1話 遠野くんはこうして惚れた

好きとはいえ、僕が日常的にあの人と話す機会があるかというと、そうじゃない。

高嶺の花、雰囲気は少し違う気もするけど、そう表すのがきっと一番適しているだろう。

これはかなり一方的な恋のはず。


そもそも、僕が彼女を好きになったきっかけは、去年、僕が大怪我をしたことだ。


去年、僕がまだ高校一年生だった頃の、あの日に起こった出来事は、きっと忘れることができないだろう。


うちの学校の体育は2クラス合同の男女別で行われる。

そのとき、僕は2組で近藤さんは1組。

ある日、体育が男女混合のクラス対抗ドッヂボールになったんだ。

確か、僕はその日まで、近藤玲音という人物の存在を知らなかったっけ。





「おらおらァッ! 全員まとめてかかってこいよ!」


僕はそのとき、近藤さんがとても怖い人だと思っていた。

だって、ねぇ。

うちのクラスの半数以上が、ギャルっぽくって声の大きい女の子の餌食になっちゃったんだもん。


気付いたら、僕のクラスの人たちは、全員外野になっていた。

最悪の事態だ。僕だけが、コートの中に残されてしまった。


え? どうするの? どうしたらいいの?

僕は投げることも取ることもできないから、避けることしかできないよ?


僕は避けた。10分以上避け続けた。


「七星何やってんだよ!」

「取れよ!」

「遠野くん、頑張って!」


そんな罵声と応援の声が、体育館中に飛び交っている。


「おい、お前ェッ……」


避けるのに必死だった僕は、相手が疲弊しきっていることに気付いていなかった。

肩で息をしながら語りかけてきた彼女に、僕は無言で体を震わせた。


「アタシのボール……取ることも当たることもせず避け続けたのは……今まででアンタだけだぜ……」

「は、はぁ……?」

「それに、他の外野たちのボールまで避けやがって……」

「ご、ごめんなさ……い……えっと、そそそそそ、その」


かなりイライラしている様子だ。

怖い。すごく怖い。

何を言われるのか、どんなボールが飛んでくるのか、僕は恐怖に身を縮めるしかなかった。


その次の瞬間だった。


「アタシはもう疲れたからやめる!」


近藤さんは、ボールを持ったまま、いきなり座り込んだのだ。


「…………え?」


「多分もう勝てるだろうし! 残りは外野、お前ら頑張れよ!」


近藤さんは、座ったまま、持っていたボールを遠くにいる味方の外野に放り投げた。


「い、いいんですか? 当てなくて……」


「え? 別にいいんだよ、勝てれば、な」


めちゃくちゃな人だ、と思いながら僕はボールが飛んでいった方向を振り返った。


そう。このとき。この一瞬が、忘れられないんだ。


「遠野!」


僕の顔面に、外野の野球少年が放った豪速球が、クリーンヒットしたのだ。


僕は床に倒れ込み、意識を失った。



僕の意識が三途の川を渡らずに帰ってきたとき、僕は激しく動揺した。


形が変わっているんじゃないかと心配になるくらい、顔の右側が痛い。


けれど、そんなことは大した問題ではないのだ。


僕のことを、誰かが背負っているのだ。

髪色はオレンジ。所々に黄色のメッシュが入っている。

僕の足を支えている腕は、華奢に見えるけれど少し筋肉質で、よく見ると小さな傷のようなものがあることがわかる。


「…………え⁉︎」


軽く声を上げただけで頬に激痛が走る。

口が上手く開けない


「おぉ、起きたか、さっきはごめんな、もうすぐで保健室着くからちょっと待ってくれよ」


衝撃。最強だった女の子に背負われている。

けれど、さっきまであんなに怖かったのに、今じゃあびっくりするぐらい頼もしく見える。


運んでいただいてるんだから、お礼は言わなくては。

顔は痛いけど、きっと少しぐらいなら大丈夫。


「えっ……っと……ありが……」

「お礼は言うな。空気読めないやつにパスしちまったアタシの責任だ。それに……今、口、開けづらいんじゃないか? 頬骨折れてるかもしれないから黙ってろ。痛いだろ?」

「…………!」


少し申し訳なさそうな声で言いながら、彼女は保健室のドアを開けた。


「先生〜、いるか〜?」


大きな声が響いたが、返事は返ってこない。

先生は不在のようだ。


「ったく……サボりたいときにはいるくせに、緊急事態の時にはいねぇのかよ……」


ぶつぶつ言いながら、彼女は僕のことを診察台の上に座らせた。


「ん〜と……処置の仕方は確か……」


彼女は、そう言いながら保健室の冷蔵庫を勝手に開け、柔らかいタイプの保冷剤を取り出し、僕に向かって『ほれ』と先ほどとは違った軽い力でそれを投げてくれた。


「当たったとこ、冷やしとけ」


保健室の棚を漁りながらだったから、こちらの方を向いてはくれなかったけど、さっきよりも優しい声に感じる。


「包帯どこだ……?」


保健室の棚を漁りながら、彼女はつぶやく。


「ごめんな、包帯、見つからねぇわ。冷やしておけば多分先生が来るまでは持ち堪えられるだろ」


彼女は包帯を探すことを諦め、僕の横に座った。


「保健室に先生が来たら、アタシが事情を説明する。口、開けたら痛いだろ?」


僕は彼女の質問にうんうんと頷いた。


「よし、じゃあ……そうだな……あ、まだ名前、言ってなかったよな」


彼女はそう言いながら、自分の体育着の胸元についている名前のワッペンを指差した。


「近藤玲音。アタシの名前」


返事ができないから、僕はまた頷く。


「んーと、そうだな。部活は野球部。一応プロ目指してる」


女の子なのにすごいねと、僕は言いたかったけれど、生憎口は動かない。

びっくりしたような表情を、目だけでするしかなかった。


「知ってるか? ルール上、プロ野球のチームに女がいたってなんの問題もないんだ。実力があれば入団できるんだぜ? だからアタシは、あの輪の中に入って、世界を見るんだ! でっかいドームで試合ができたら、絶っっっっ対、楽しいに決まってるだろ?」


『すごいね』ということができないから、僕は拍手をした。


それをみた近藤さんは、何か思い当たったように、また保健室の棚を漁り出した。


「アンタのことも、教えてくれよ。確か……遠野七星、だったか?」


彼女はそう言いながら、僕にペンとホワイトボードを渡してくれた。


『はい、遠野七星です

 美術部です

 普段は図書室で読書してます

 なんて呼べばいいですか?』


僕はそう書いて、近藤さんに見せた。


「おぉ、美術部か! 図書室で読書とか大人だなぁ! アタシのことは苗字でも下の名前でも、好きに呼んでくれて構わねぇよ。普段いろんな呼ばれ方するから」


僕は『じゃあ、近藤さんって呼びますね』と書いて、彼女に見せる。


「おう! あ、あと、敬語はいらないからな? アタシたち同学年で、もう友達なんだし」


笑いかけてくれた近藤さんの笑顔が、僕にはとても眩しかった。


僕は『ありがとう!』と書いて、近藤さんに見せた。

そしてそれを消して『先生なかなか来ないね……』と書いた。


僕が忘れられないのは、この時の近藤さんの言葉だ。



「安心しろ。七星が安心できるまで、そばにいてやるよ。もし保健室の先生がいないんなら、アタシがおぶって病院まで連れて行ってやる!」




結局僕は頬骨を骨折しており、手術が必要になった。

どんな豪速球だよ。本当に。


今でも僕の顔の右側には手術をした痕が残っている。


それで、この騒動があった次の年である今年、僕たちは同じクラスになった。


そのときの近藤さんの表情も、僕は忘れられない。


「お前……男…………だったのか……」


僕は割と、というか、かなりショックだった。




けど、今となってはそんなのはいい思い出。

僕がとてもかっこいい少女、近藤玲音と出会うことができたのは、そして、あの日いい時間を過ごすことができたのは、女の子だと思われていたから。

結果が良ければ全てよし!


まぁ、今でも、自分から話しかけることはできないんだけどね。

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