第9話 神狼

「……日が落ちてきたな」

「ご飯ですか!?」

「……その前に焚き火の準備をするぞ。生木でいいから集めて来い」

「なまき……?」

「なんでもいいから木の枝を集めて来い。俺は少し離れるが、お前はここが見える距離までしか行くなよ」

「はい!」

「いい返事だ」


 そう言うと、バンダは川辺から離れて森の方へ向かっていった。

 ニコは言われた通りに川辺に落ちている木の枝をせっせと集めてテントの近くに積んで行った。

 バンダが戻って来たのは30分程経った頃だ。

 両手に太い木の枝を大量に抱えて帰って来た。


「うし、こんだけありゃ少なくとも明日までは持つだろ」

「このくらいで良かったですか?」

「充分だ、ありがとよ」

「はい!」

「んじゃ早速火をつけるか。その辺の石退かして丸く置いていってくれ」


 ニコは言われた通りに働いた。

 バンダはそこに折り畳み式のスコップで半円状に穴を掘り、細かい枝を投げ入れた。


「本来なら木材ってのは水分を多く含むから焚き火には向かねえ。だが技術の発展ってのはすげえもんで、これは高火力で10時間も燃え続けるマッチだ。これがありゃ生木だろうが炭だろうが火を起こせる」

「へぇー」

「これにはエリアJの素材が使われてるからたけえんだよな。街の外でよく活動する俺には必需品だからよ、これに金食われんだ」

「なるほどー」

「……最近、金食い虫が増えたがな」

「そうですねー」

「お前腹減って話聴いてないだろ」

「はい……え?」

「……はぁ」


 ため息を吐きながらバンダはマッチを擦って火を付け、細かい枝の中に投げ込んだ。

 少ししたら火が移り、パチパチという音と共に白い煙を吐き出しはじめる。

 徐々に太い枝を入れていき、火が安定したのを確認してから背嚢からいくつかの食料を取り出し始めた。


「太い枝も、エリアJ特有の長く燃えてくれる木だ。しばらくほっといても消えはしねえ」

「ごはんですね!」

「……お前よお、これから先お前に火起こし任せたりするかもしれねえんだからちゃんと見とけよな」

「大丈夫です、多分!」

「俺の目を見て言いやがれ」

「いいからご飯にしましょうよ」


 バンダが手際良く箱を開封していく。

 取り出されたのは、プロテインバーのような形の個包装されたもの。

 ニコが少なくないか? と言いたげな表情で1本受け取り、放送を開ける。

 予想通りに茶色い粘土のような見た目のバーが中から現れた。


「……なんですかこれ」

「携帯食だ。栄養たっぷり、それ1本で2日分の栄養を補給できる。不味いぞ」

「えぇ……」

「炙ったらなぜか多少マシになるから、軽く炙って食え。やけどするなよ」

「栄養あっても量が全く足りませんよ!」

「大丈夫だ、満腹中枢を誤魔化してくれるから奇妙な満腹感を感じるはずだ」

「そんなのヤダーっ!」

「文句言うな!」


 ぶうぶうと文句を垂れるニコを無視して、バンダは携帯食にかじりついた。

 1口かじって少し噛み、水で流し込む。それを3回程繰り返してさっさと食べ切ってしまった。

 ニコは少しだけかじった後、凄まじい顔をしながら炙っていた。

 余程不味いらしい。


「……別に意地悪してんじゃねえんだ。野生生物狩って飯にしてもいいんだが、大抵不味い上に栄養価もそんなに高くないからな。それに……」

「それに?」

「……森に違和感を感じる。出歩くとかなり危険だ。恐らくだが……近くに『王』が来てるな」

「王?」


 タバコに火を付け、話を続ける。

 周囲は既にかなり暗くなっていた。


「大エリアには王と呼ばれる化け物がいる。種族を指すこともあるし、個体を指すこともある。王がいない、もしくは決められてないエリアもあるがな」

「えーっと、じゃあ……カントウエリアの王が近くにいるかもしれないって事ですか?」

「そうだ。カントウエリアの王は……ッ!?」


 椅子を弾き飛ばしながら、バンダが急に立ち上がった。

 ほぼ同時にニコが辺りを見渡し始めた。

 2人とも感じ取ったのだ。

 明らかに空気が変わった。

 微かに、重い足音のようなものが聴こえる。


「……おいおいおい、こっち来てやがる!」

「く、空気が重いです……!」

「絶対に手を出すなよ」


 真剣な顔でそう言ったバンダに、ニコはぶんぶんと首を縦に振った。

 ピリピリとした威圧感が2人の身体中を叩いている。

 闇の先、すぐ近くまでそれが近付いているのを感じ取る事が出来た。

 そして闇から姿を表したのは、体長5mはある巨大な狼だった。

 片耳はちぎれ、口元も裂けている。古傷が多く、歴戦の雰囲気を醸し出している。

 一目見るだけで、その圧倒的な力を思い知る事が出来るだろう。


「……王よ、俺たちはここに数日滞在したいだけだ。頼む。森を荒らしたりしねえし、あんたに危害も加えないと誓う」

「グルル……」

「争う気は無い」

「グル……」


 王はフンフンと何度か鼻を鳴らし、匂いを嗅ぐような動作を見せた。

 バンダを一瞥し、ニコを少しの間じっと見つめていた。

 そして、ゆっくりと後ろを向き、また闇の中へと消えていった。

 しばらく2人は立ったまま王が消えた先を見つめていた。

 ひりついた空気が消え、ようやく2人は腰を下ろす。


「……ふう…………」

「……な、なんですかアレ……」

「『神狼』と呼ばれる個体だ。とてつもなく知能が高い事で知られてる。当然、戦闘力もな。機嫌が良かったみたいで助かった……」


 タバコを吸おうとして、いつの間にか燃え尽きていた事に気が付いて仕方なく新しい1本に火を付けた。

 ニコは未だに衝撃の中なのか、微かに震えながら闇を見続けている。

 バンダも、背中が汗でじっとりと濡れている事に気が付いた。

 2人は、王と戦わずに済んだ幸運を噛み締めていた。

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