第3話 ウワサバナシ 1
「今日はマイナス10度まで寒くなるってよ。半袖なんか着てるけど、寒くないのかよ?」
「何いってんだよ。寒いとか暑いとかじゃなくて、長袖着てたら動きにくいだろうが」
「遥の脳筋っぷりは十分理解してるつもりだったんだけど、ここまで悪化してるとは思わなかったよ」
今日は真冬というのに体育の授業がある。真冬の体育には、学生を苦しませる要素が盛りだくさんであり、いつも体育を楽しみにしている生徒だって嫌々体育着に着替えている。
そもそも僕たちが通っているこの双葉高校は、そこそこ学力が高い進学校として地域に馴染んでいるのに、教員陣がこぞって「文武両道だ」とか「勉強するなら運動もできて当然だ」とか。しまいには「すべての部活がインターハイに出場しよう」なんて言い出す始末だ。
別にそのように言うのは悪くないのだが、学校自体が古すぎて運動しようなんて段階ではない。体育館はバスケコートが2面だけ、グラウンドにはサッカーコートが半面、校舎には老朽化によりヒビが入り、年中雨漏り。運動に集中しようにも、これではそれどころではない。
ただ、そんなことを一切気にしないのが隣を歩くこいつだ。
「アキはコート着たままするのかよ」
「僕はまだ人間してるから。寒さを感じない未確認生命体ではないんだよ」
「そんな生命体いないだろ」
お前のことだよ。
「第一、遥がやる気ありすぎるんだよ。今日は確かドッチボールをするだけ。特に特別なことないじゃないか」
「わかってねェな。運動なんて本質さえ掴んでしまえばこっちのもんよ」
「運動の本質とか、一生かけてもわからなそうだわ」
「ははは、俺もわかんねぇかも」
そんな話をしていたらキーンコーンカーンコーンと授業開始の音が聞こえた。
体育館はやはりというべきか、しっかり寒かった。ジェットヒーターなどないものだから、もはや屋外といえる。そんな寒さもお構いなしに授業は始まった。
さっそく準備体操を終えたあと、ドッチボールが始まった。20人対20人の対決。人数がそれなりに多いので、どうせ自分にはボールが回ってこないと思っていた。が、それどころではなかった。
「っおりゃああ!!」
バゴーーーン!
ボールが意味のわからない回転をかけながら足にぶつかった音だった。
クラス一同、ただ口を開けて硬直していた。僕もそのうちの一人だ。なんだよ、あのボール。ボールがぶれて見えたぞ。軌道が読めない上に早い。あんなの誰も取れないやつだ。
ボールは跳ね返って、さっき投げた人のもとに。
「もう、いっちょ!」
バゴーーーーーーン!!
さっきより早くなっていた。ただ、今回は床にあたっていた。当たった床にはボールが擦れた跡が残っている。
こんなボールを投げれる人はこのクラスに、この学校に一人しかいない。
そう、成瀬遥。
しかも遥は相手チーム。......終わった。
神様、どうかこの僕をお守りください。これからはちゃんとバスの座席をご高齢の方に譲りますし、外国人に道案内だってするし、みんなが嫌がる雑巾がけだってします。だからどうか......
「なにぼーっとしてんだよっ......!」
遥は僕めがけてボールを投げてきた。僕の祈りは神様に届かなかったようです。
ボールが一直線に飛んでくる。なぜかこのボールは遅く見える。もしかしてこれが死に際にみるスローモーションなのか。
まぁたかがドッチボール。当たり当てられのゲーム。別に当たってもいいじゃないか。変に頑張って怪我するほうがよっぽど嫌だ。ならこのまま素直に当たるのがいい。
『咲ね、仁君がスポーツしてるとこ見るの好きだよ。だって、すごく頑張ってるでしょ?かっこいいじゃん』
ふと頭をよぎった。いつの言葉だっけ。よく覚えてないけど、こう言われたのは覚えてる。
そういえば君とは同じクラスだ。君のこと考えてなかった。
見られてるのかな。見てるわけ無いか。でも、もし見られてるなら。
かっこ悪いとこは見られたくない。主人公を演じたがる僕はいつもかがやいていたい。
『仁君の頑張ってるとこ、もっと見たい』
また頭をよぎる。よく覚えてないのに、君がこういったのは鮮明に覚えている。いつのことだっけ。思い出せないや。
でも、ボールを取らなきゃいけない、と君の言葉が僕を駆り立てた。
「んんっ......!!」
いつの間にか、手が捕球する準備ができており、ボールが飛び込んできた。
重い。重すぎる。とてつもないスピードと回転から尋常ではないほどの力が押し寄せてくる。
耐えろ、耐えるんだ。自己満なのは間違いない。だからこそ耐えるんだ。
「あっ」
ボールが手から打ち上げられた。打ち上がったボールは方向を後ろに変えた。
まずい。バウンドする前に取らないと。ただそこには誰もいない。20人グループなのに誰もいない。ならば自分で取りに行かないと。すぐさま足をひねり、方向転換。思いっきり踏み込んでボールの落下点に飛び込んだ。手を伸ばして、とにかく伸ばしてボールに追いつくように。
間に合ってくれ。ただそう思った。
ボールは空中で手に乗った。
「よしっ」
これは間に合った。
そう確信した直後、目の前が急に真っ白になった。頭から床に突っ込んだのだ。もちろんボールも手から落ちた。
え、なんで。今のはキャッチできたはず。
ボールを取れなかったことを僕は納得できなかった。でも実際に僕の手には何ものっていない。それだけは確かな事実である。何度か両手を見ることでなんとか事実を受け止められた。
外野に行こうとしたとき、遥かに止められた。
「おっ、おい!アキ、血ぃでてんぞ。痛くねェか?」
「え?血?」
「鼻だ、鼻。左からポタポタ出てるんだよ」
おもむろに手で拭ってみると、手の甲に赤黒い血がのっぺりと伸びていた。鼻血なんて久しぶりにしたものだから、全然わからなかった。よく見ると僕の体育着に3滴ほどたれていて、僕自身が鼻から血を出しているのだと実感した。
「大丈夫だよ、これくらい。ティッシュでも詰めときゃ、血くらい止まるから」
「ならいいんだけどよぉ、一応保健室とか行かなくて大丈夫か?」
「だから大丈夫だって。外野で次は僕が当ててやるからな」
「へへっ。全部取ってやんよ」
ポケットからティッシュを取り出し、鼻に入るサイズにちぎりながら僕はそう答えた。外野に向かうとき、クラスメイトからの視線を感じ、そそくさと外野に向かった。
僕が外野に出ると何事もなかったかのようにドッチボールは再開する。
なんか悔しかった。でも満足感もあった。
ただ僕は今、ドッチボールに熱中している。最近は君のことがいつも頭のどこかにいて、深刻に考える僕がいた。でも、さっきは違かった。ふと思い出しはしたけど、異質なものとして捉える感情は一切沸かなかった。
僕は君を忘れようとしているのだろう。人生の半分以上を共にした君を。忘れないと前を向いて、胸を張って歩けない気がする。
でも君を忘れられそうにない。だってこの瞬間さえも、また君の残滓を追いかけて、縛り付けられているのだから。
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