第27話

 真方のおつかいを済ませてコンビニを出た時、携帯が鳴る。伯父だった。仕事中のはずだが、何かあったのだろうか。

「もしもし、何かあった?」

 答えながら、車のドアを開ける。もしかしたら、このまま町まで戻らなければならないかもしれない。

「いや、そうじゃないんだ。ただ、ちょっと思い出したことがあってな。もしかしたらお前の仕事に関わることじゃないかと思って、電話したんだ」

 以前より心なしか穏やかに聞こえる伯父の声に、安堵する。もちろんまだ何も解決してはいないが、全てを打ち明け心が定まったことで楽になったのだろう。手嶋に改めて詫び、退職金による返済をする予定を伝えたらしい。

「そうなんだ、何?」

 カートンを助手席へ置いて尋ねると、うん、と伯父は短く答えた。

「少し前に、新田のことを聞いただろう」

 突然口にされた名前に驚く。

「うん、聞いたけど」

「あいつに特別な力はない。普通の人間だ」

 突然の断定に、え、と短く声が漏れる。能力者じゃないのか。でもそれを、伯父がどうして。

「そうなの? でも、どうして」

「一番、仲が良かったんだ。中学や高校でも、大学で離れても、こっちに戻ってきたあともな。……新田は、お母さんが結婚する前に付き合っていた人だ」

 初めて知る事実に、固まった。

――ま、ほどほどにしといてやれよ。オヤジには毒がきついからな。

 あれは、そういう意味だったのか。それなら、私の卑下を窘めた新田の言動にも納得がいく。

「新田さんが能力者じゃないっていうのは、確実なの?」

「ああ、麻子が言ってたから確かだ。私は分からなかったが、麻子には多少お前のような力があったからな」

 じゃあ、と返して長い息を吐く。お母さんにも、か。母について考えるのは、まだ慣れていない。それでも、初めて知る共通点には少しだけ胸が救われた。

「少しくらい、役に立てたか」

「少しじゃないよ、ものすごく助かった。ありがとう」

「新田は少し頑固で融通の利かないところはあったが、情に厚くて誠実だった。もちろん、会わない内に変わっているかもしれないが」

「いや、多分今も変わってないよ」

 今の姿にもそのまま当てはまる描写に小さく笑う。新田は、今も母のことを大事に思ってくれているのだろう。

「ありがとう、仕事中にごめんね」

「いや。じゃあな」

 伯父は答えて、通話を終える。温もった携帯をポケットへ戻し、まだ落ち着かない胸に深呼吸をした。

 新田は母のかつての恋人で、母を大事に思うからこそ生まれ育ちを卑下した私の言葉を窘めた。能力者で、似たような生まれ育ちを卑下されて怒ったからではない。

 今日の妨害を考えても、あのメモリの中に答えがあると思って間違いはないだろう。急いで確かめなくては。

 新田が消えた今、残るのは真方だけだ。でも鬼の血を引く真方は、神を使役できないはずだ。何かまだ、足りないピースがある。まあ、それを見つけるにはちょうどいいかもしれない。帰ったら、真方との話が待っていた。


 真方はカートンを受け取りながら、遅かったな、と零す。気怠げで横柄なのはいつもどおり、特に変わった様子はなかった。

「すみません。予定より長引いてしまって」

「逢い引きか」

 相変わらずの下世話な内容に苦笑する。セクハラなんて今更だ。

「就業時間中にそんなことができる度胸ありませんよ。それで、出掛ける前の話ですけど」

「忘れろ。ちょっとイラついてただけだ」

 真方はカートンのフィルムを剥がして丸める。

「それならいいですけど。あの、そんな避けてるように見えました?」

「さあな」

 私を見ないままごみ箱へ放り投げた時、電話が鳴った。いつものように舌打ちして応え、怠そうに受話器を置いて腰を上げる。新田だったのだろう。

「新規案件ですか」

「らしいな」

 未だ内勤の指示が外れない私は関われない。でも一刻も早くメモリの中身を確かめなければならない今日は、真方の外勤がありがたい。

「今お前、ほっとしたろ」

「八つ当たりしてないで、早く行ってください」

 鋭い指摘を流して、上へ向かう背中を見送る。気配が完全に消えるのを待って、メモリを取り出す。パソコンに差し込み、広規が集めてくれた情報のファイルを開いた。

 中には依頼した米村の研究についての情報と、簡単な経歴が入っていた。

「緑化研究所?」

 見覚えのある名前に、思わず呟く。米村はバイオ工学で微生物の研究をしていたようだから、農学部との関係も深かったのかもしれない。共同研究も行っているし、数ヶ月だが緑化研究所にも在籍している。その際に師事したのは白浜しらはま、か。一瞬期待してしまったが、知らない名字だ。

 前に乗り出していた体を戻し、眉間を揉む。ざっと見たところ何も手がかりになるようなものは見つけられないが、それでも。

――これ以上、手を出すな。

 これまで動きのなかった黒幕が動き出したのなら、必ずこのどこかに手がかりがある。

「何が足りないんだろう」

 ドラマはともかく、現実にはそう簡単にひらめきが舞い降りたり、何かを見抜いたりはしないものだ。

 傍らで揺れた携帯がメッセージの着信を告げる。

 『今日、会えないかな。真方さんのことで話しておきたいことがある。』

 送り主は久し振りの拓磨だった。距離を置かれた理由は、もちろん分かっている。それはともかく、現時点で確認できている能力者は真方だけ。その真方についての話なら、直接は関係なくても聞いておくべきだろう。

 鬼の血と、神の血。真方は、私の苦しみを理解できると言った。私も、と言いたいところだが自信はない。私はまだ、鬼の血がもたらす苦しみを知らない。ビジネス契約の関係で、そこへ踏み込んでも許されるのか。

 真方を早いうちに殺せと言ったのは白蛇山の神のみ、巌岳の神や父は言わなかった。神の中でも、鬼の血に対する考え方は違うのかもしれない。白蛇山の神は、これまで会った神の中で一番人に近かった。人間的な愛を求め、嫉妬し、試した。その私達に近い視点から見れば、真方は人の世や命を脅かす悪しき存在なのだろう。

 一方で神の理から見れば、真方の鬼の力が覚醒して人の子が殺戮されても、それは単なる淘汰や人口調整の類になるのかもしれない。真方一人が暴れて殺したところで、これまで戦争で喪われた命には及ばない。戦争を止めなかった神が、真方を止めるわけがない。

――お前なら、我らに救えぬものも救えるであろう。

 与えられたばかりの言葉が、身に堪える。でもそれは、不公平な救いだ。

 『会えます。場所はまた連絡してください。』

 返信を終え、携帯を置く。不公平と言われても、真方は守りたかった。


 しばらくして真方が持ち帰ってきた案件は、これまでとは少し毛色の違うものだった。

「あいつら、全部ここに丸投げすりゃいいと思ってんじゃねえか」

「でも、気になりますよね。神隠しなんて」

 うんざりした様子の真方を眺めながら、テーブルに置かれた依頼書を手に取る。

 事件が起きた場所は、市内の繁華街にほど近い地区にある市街地山林だ。確かに一箇所、開発されずに残っている不自然な山林がある。今は土砂崩れ防止の擁壁に囲われていたはずだ。

 所有者だった父親が亡くなり息子が継ぐことになったものの、市内でも坪単価が一、二位を争うお高い地区だ。宅地への転用は可能だろうから、相続税評価額の低い純山林にはなり得ない。相続税は相続開始から十ヶ月以内に現金一括納付が原則だ。準備できないと踏んで、売却に出たらしい。

 ただこれまで手放さなかった理由は、「神隠し」だ。昔は、入ったものが神隠しに遭う森として知られていたらしい。殺害や誘拐を疑われ心を痛めた先祖が誰も入れないように囲いを作って以来、封鎖されていた場所だった。

 消えた一人目は、売却を持ち掛けられた不動産会社の社員だ。「拝見します」と入ったきり、出てこなかった。二人目は連絡を受けて現れた警察官で、こちらも中へ入ったきり消えてしまった。三人目は数名送り込んだ警察官の一人で、振り向いたら消えていたらしい。

 さすがに次は躊躇した警察が適した調査員を探した結果、うちに白羽の矢が立ったというわけだ。つまり今回の依頼主は警察だが、「内密に」との条件付きらしい。

「引き受けてやるから、死ぬまで免許更新しなくてすむようにしてくれねえかな」

「そんな特典があるなら私がします。それはともかく、『神隠し』って言っても神以外の可能性もありますよね。あれ、攫われたあとってどうなるんですか?」

「攫った奴によるだろ。お前の母親は今、どうなってんだ」

 真方は煙草に火をつけて、逆に尋ねる。確かに、母は合意で神隠しに遭った身だ。

「向こうで仲睦まじくしてるみたいですけど、父のように私と話すことはできませんでした。母は完全に人間ですからね。父は千年掛けて神になったらしいですから、母も千年後に神となるために神性を磨いているんじゃないでしょうか」

「相変わらず気の長え連中だな」

 薄くたなびく煙を揺らしながら、真方は笑う。

「でもそうやって考えると、彼らがどうして人の一つ一つの命や出来事にあまり拘らないのか、分かる気がしますよね。山なんてそれこそ人より遥か昔から存在して人の歴史や栄枯盛衰を見てきた存在ですから、その長さに比べたら今生きている私達の一大事なんて芥子粒程度にしか思えないんでしょう。人のために神が存在すると思うな、と仰るのは分かる気がします」

「あいつら、基本的に人間そのものに興味がねえんだよ。神の理ってのはこの世もあの世も全部ひっくるめた時の運行を妨げないための何か、だろ。その流れが途切れさえしなきゃ、ほかはどうでもいいんだよ。人間なんて『増え過ぎたら減らす』程度の関心しかねえ。人間が想像するような慈愛に満ちた神なんぞ、一握りの変わりもんだ」

「神様にもほんと、いろいろな方がいらっしゃいますもんね」

 苦笑交じりに返し、依頼書を置く。依頼は『行方不明者の救出と事実の解明』とある。山の怪や主であれば真方でも全く問題はないだろうが、神なら難しいかもしれない。

「ひとまず現場で調査して、神が関わっているようなら教えてください。内勤辞令より人命救助が優先です」

「ま、生きてるかどうかが問題だけどな」

 不穏な言葉を吐いて、真方は依頼書を手に腰を上げる。

「今日、久し振りに飲み行くか」

「すみません。今日は予定が」

 ドアへ向かいながら、ちらりと振り向いた。行く気はあるのに、タイミングが悪い。昨日や明日なら空いていたのに。

「拓磨か」

「はい、そうです。でも明日なら」

「無理すんな、こっちはビジネス彼氏だ」

 提案を遮るように拒絶して、真方は重いドアをくぐる。呼んだ声はもう、届けられなかった。

 「こっち」も「そっち」も、あるわけがない。どっちもないのだ。そんなことくらいとっくに知っているくせに。

 ……まさか、そんなことはないだろう。そんなことはない、はずだ。

 突然熱くなっていく頬を押さえ、長い息を吐く。ビジネスだ、ビジネス。それ以上のものなんて、何も。そもそも私の憧れの人は副住職であって、真方ではない。

 おんなじ人だけど。

 落ち着かない胸に、顔を覆う。頬はごまかせないほど、熱く火照っていた。

「どうしよう、これ」

 自分では処理できない感覚を持て余して、天を仰いだ。

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