山神さまの一粒種 ―林業公社機備課の事件簿―

魚崎 依知子

三月:内偵、ですか

第1話

「内偵、ですか」

 控えめに尋ねた私に、部長はデスクの上で野太い指をゆったりと組み直す。

「君も、一昨年市役所で起きた収賄の件については耳にしてるだろう」

「はい。確か、市役所側は容疑者死亡で書類送検と」

 一昨年起きた市役所林務課での贈収賄事件は、まだ記憶に新しい。

 新規に立ち上げた木質バイオマス燃料事業で、職員が贈賄業者を下請けに入れるよう元請け側の業者に口利きをしていた事件だ。係長が不審な点に気づき話を聞いた日の夜、職員は死亡した。うちの課には少なからず職員を知っている者もいたから、その死に方がどうやら普通ではなかったらしい、と噂になっていた。

「しばらく、良くない噂が流れていましたが」

 遠回しに窺う私を、部長は何かを探るように眺める。定年は来年だったか、部長になるくらいだからやり手なのは間違いない。

 よく日に焼けた肌は健康そうで、いやらしく脂ぎった感じはない。大作りの宿命か皺は多いが、目尻に比べて眉間はなだらかだ。白髪の多い髪を丁寧に後ろへ撫でつけ、大きな耳をすっきりと出している。質の良さそうなチャコールグレーのスーツは襟もふっくらと、年相応に肉のついた体を過分なく包んでいた。

「でも私の派遣先は、林業公社ですよね?」

 人事異動の内示が出たのは先月だ。入庁して四年目だから異動は予想していたし、県職員が外郭団体へ派遣されるのも珍しいことではない。ただ農林水産部長が面識のない林業課の一主事を呼び出して内偵を言い渡すのは多分、よくあることではないだろう。

 部長は頷き、少し間を置いた。

「彼の表向きの死因は自殺になってる。でも実際は、とても自殺とは思えない死に方だったそうだ。つまりは他殺だが、人間には不可能な殺害方法だと聞いてる」

 ああ、そういうことか。

 察して溜め息をついた私に、部長は穏やかな笑みを浮かべた。

「贈賄業者が職員に渡した二百万円のうち、捜査で把握できた金額は五十万だけだ。残り百五十万の行方が分からない。まあ百五十万を掴んだ黒幕が職員を殺した、と考えるのが自然だろう。ただその情報があるはずの職員の携帯やパソコンは、警察が修復できないレベルで破壊されていてね。捜査は早々に打ち切りとなった。いわゆるお蔵入りってやつだ」

「林業公社に籍を置きつつ林務課とやりとりして黒幕を見つけ出せ、ということですか?」

 県庁林業課と市役所林務課、林業公社は林業繋がりで一緒に仕事をすることもある。市役所に籍を置いて探るよりはバレにくくはあるだろう。しかしそれなら、県庁でも変わらない。わざわざここから動く必要があるのだろうか。

「君が今回派遣される林業公社機備課には、職員が一人しかいない」

 部長は答えず、機備課の人員へと話を向けた。

「え?」

「『機備』は機械備品の略じゃなくて本当は幽霊や妖怪の『鬼魅』、と言っても君なら分かるかな」

「分かりますが、私はそれほど詳しいわけではありません」

 苦笑で答えると、部長は頷く。私は幽霊や妖怪を退治するような生き方をしてきたわけではない。そもそも、姿を見たことすらないのだ。

「機備課の仕事は、山林で行われる業務の遂行を妨げる超常現象の解決だ。今は、職員兼課長の真方まがたやまとが一人で業務にあたってる。彼は非常に優秀な反面、問題の多い人物でね。この前は不法投棄の業者を山の怪を呼び出す餌にしたらしい。事件は無事解決したが、業者は精神に異常をきたして精神科病棟に入院中だ。もう出てこられないだろう。彼なら、人外の力で職員を殺すことも機器を粉々に壊すことも可能なはずだ」

 部長は手元のファイルを私に差し向ける。頭を下げて受け取り、早速開いた。一ページ目には、A4用紙に『真方 倭』の情報が箇条書きにされている。

「そしてその機備課を設立し彼をスカウト採用したのが、専務理事の新田にっただ。新田は元市役所職員でね。殺された職員とは財務課で上司と部下の関係だったことがある。公社へ移って以降は、職員が林務課へ異動してからやりとりが復活したようだ。職員が収賄に手を染めた理由は麻雀での借金だが、新田とも卓を囲んでいた。新田自身は金を貸していないと話していたらしいが、考えにくい話だ」

 頷きながらめくった二ページ目には、同じく箇条書きで新田の情報があった。

「もし真方が鬼魅の類を利用して職員を殺したのなら、その指示ができるのはおそらく新田しかいない。ただこれだけ疑わしいカードが揃っていても、人ならざる力では犯罪の証明も逮捕も不可能だ」

 部長は眉をひそめ、悔しげに息を吐く。

 収賄を計画した新田が自分に捜査の手が伸びるのを恐れ、真方に指示して職員を殺害させた。

 確かに筋書きに不自然さはない。異常な死に方から疑われたところで、呪殺と同じで不能犯だ。現代の司法では裁かれない。真方が殺したとして本人の力か、何らかの霊体を使役しているか。

「とはいえ事件を未解決のまま風化させるのは私はもちろん、知事も望んでいない。君にまつわる噂が事実かどうかは私の知るところではないが、稲羽いなば氏一族は古来から氷雪山ひょうせつざんの守として不思議な力を持つと聞いている。真実を明らかにするために、どうかその力を貸して欲しい」

 神妙な表情で我が県の最高権力を持ち出した部長に、思わず居住まいを正す。要は知事も知っている、と言いたいのだろう。報告に基づき、内密に裁くつもりなのかもしれない。

 うちの知事は切れ者として有名で、革新的な施策を次々と打ち出し県民にも広く慕われている。もっともその施策を形にするのは下で働く私達職員だから、要求のきつさに涙目になっている課も少なくない。頭が良すぎて何言ってるか全然分からない、と財政課の同期が泣きそうになっていた。

 まだ内示だから辞退もできるだろうが、入庁四年目で知事に目をつけられるのはさすがに困る。ひっそりと目立たず定年まで勤め上げるのが目標だ。

「承知しました。ただ私の力はおそらくその真方さんのものとは質が違いますので、期待はなさらないでください」

 私に人を殺すような特殊能力はないし、霊を使役する力もない。ただ山の神の娘として、ほんの少し山の力を借りられるだけだ。

「私には、あとで渡す連絡先に個人のメールでこまめに報告して欲しい。四月からよろしく頼むよ」

 革張りの一人掛けにゆったりと凭れ、部長は私を見上げる。これで、辞令は確実だろう。腹を括らなければ。深々と頭を下げると、束ねただけの髪が零れて揺れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る