66.ミセルの猛攻

 ミセルは怖かった。

 夜ひとりでベッドに入る際、いつも思い出してしまう光景がある。



『ミセル様ぁ、早く治療を!!』

『なんで治療しねえんだ!? ニセ聖女か!!??』


『聖女就任式』で犯した失態。

 大怪我を負って息絶えそうな兄エルグ。治したくても輝石が尽き、自分では手の施しようがない。そんな彼女に周りからは急がせる声、聖女を疑う声が飛び交う。



『やめて、やめて、やめてえええ!!!!』


 ミセルは両手で耳を防ぐ。

 でも分かっている。耳を防いだところで頭に響く観衆の罵詈雑言。

 体が震えた。このまま消えてなくなりたかった。




 そんな時、彼だけが膝をついて自分に話し掛けてくれた。


『これ使いな、嬢ちゃん』



 その後のことはよく覚えていない。

 必死に兄を治療し、たくさん泣いた。


 怖かった。

 だからその怖かった分だけ、その銀髪の男が自分の中で大きくなっていった。

 あれからその想いをひた隠し過ごして来たミセル。でも意外な人物からその戒めが解かれることとなる。



『ロレロレを攻略せよ』


 絶対的な父ガーヴェルからの指令。ミセルの女心に火がついた。





「ロレ様~、お勤めご苦労様ですぅ~!!」


 ミセルはアンナの部屋の前でじっと護衛を続けるロレンツの所に行っては大きな声で話し掛けた。

 まるでキャロルが乗り移ったかのような甘い声。ロレンツは腕組みしたままそれに応えないようにしていたが、ミセルは毎日何回も飽きずにやって来た。




「ロレ様~、ミセルがお夕食作って参りましたの。食べて頂けませんか??」


 そのうちミセルは、仕事を終え部屋に戻って来たロレンツを尋ねるようになってきた。手には食事やお菓子、国外のお土産など持ってやって来る。



「あー、ミセルお姉ちゃんだ!!」


「あら、イコちゃん。今日も可愛いですわね」


 いつしかイコとも仲良くなり、笑顔で言葉を交わす。イコが食べたいというので品物は有り難く受け取ったが、これまでの経緯を考え彼女を一度も部屋に上げることはしなかった。それでもミセルはいつも笑顔で受け取ってくれたお礼を言って帰って行く。




 そんなある日。いつも通り部屋の前で護衛をしていたロレンツが、あることを思い出して中にいるアンナに話し掛ける。


「なあ、嬢ちゃん。ちょっと聞いてくれ」


「……」



 無言。いつも通りだ。ロレンツが言う。



「赤髪の嬢ちゃんにな、時間がある時だけでいいから『護衛職』やってくれって頼まれたんだ。どうしたらいい?」



 中でそれを聞いていたアンナの顔が真っ白になる。隣にいたリリーは目を閉じて首を左右に振る。アンナは机にあった置物をドアに投げつけて怒鳴った。


 ドン!!!


「知らないわよ!! 好きにすれば!! 馬鹿、最低っ!!!!」


 戦うことは天下一品のロレンツだが、それ以外のことは救いようのないぐらい鈍い男である。空気を読むとか、その場の状況を判断する事が大の苦手であった。



「お、おい、嬢ちゃん……」


 ロレンツはロレンツでここまでアンナに避けられている状況に困惑していた。もう長い間この目の前の部屋に入っていない。

 困り果てるロレンツ。少しだけ彼女の部屋で飲むコーヒーが恋しくなった。






「ううっ、ううっ、うえ~ん……」


 アンナは部屋のベッドに駆け込むと声を殺して泣き始めた。


「アンナ様……」


 リリーが立ち上がりアンナの元へと近寄る。アンナが涙声で言う。



「ねえ、どうして? どうしてあいつは私を、ううっ……、私を捨てようとしてるの??」


「アンナ様……」


 目を真っ赤にして尋ねるアンナにリリーが答える。



「そう言うつもりで言ったのではないかとは思います」


「違うの? じゃあどういうつもり?」


 リリーが難しい顔をして答える。



「確証はありませんが、これはジャスター家の策略かと。アンナ様とあいつを引き離しにかかっています。現にこの間来たエルグ様の様子もおかしかったし」


 リリーは少し前にアンナに手を差し出そうとしていたエルグの顔を思い出す。アンナが泣きそうな顔で言う。


「でも、でもあいつはミセルを助けたり、今だって仲良くしてるじゃん……」


「それは……」


 鈍感なロレンツ。きっと女が近付いて来ても気にしないのだろうと思う。


「彼は誰でも助けちゃうんじゃないですか。男でも女でも……」


「うわーん!!!」


 アンナの頭の中に言い寄られれば手を差し出すロレンツの姿が思い浮かぶ。



「だから私はもう用済みなんだよね、ミセルの『護衛職』になりたいから部屋に入ろうとしないんだよね、うわーん!!!」


「ア、アンナ様……」


 リリーは頭を抱える。

 アンナにも無論非はある。と言うかこの状況はアンナが招いた結果でもある。


(でも、そんなこと言ったら立ち直れないんだろうな……)


 リリーはベッドの上で嗚咽するアンナを見て思った。






 カチャ……


 ロレンツが部屋の前で護衛をしているとそのドアがゆっくり開かれた。


「青髪の嬢ちゃん……」


 出て来たのは青髪のツインテールのリリー。

 ゆっくりドアを閉めるとロレンツの隣に立って言った。



「あなた、本当に馬鹿よね」


 自分の子供の様な年齢。いきなり馬鹿呼ばわりされるのも慣れたのだが、今の状況を思うと何も言えなくなる。リリーが言う。



「あなたもちょっとはアンナ様のことを考えなさいよ」



「考えてる」


 ロレンツが静かに答える。


「本当に?」


「ああ、どうやって護衛しようかちゃんと考えている」



「はあ……」


 リリーが頭を抱えて溜息をつく。



「もっとアンナ様個人のことを思ってください」


「考えていると言ったはずだぞ」


 リリーはどうしてこんな朴念仁にアンナは想いを寄せるのかと頭が痛くなる。



「女性としてもっと考えてあげてください」


 リリーはこんな武骨な男に『大好きなアンナ様』が奪われるのは嫌だった。それでも、それ以上に元気のない辛そうなアンナと一緒に居るのはもっと嫌だった。



「女性として? 一体何を言っている」


「あれだけ綺麗で魅力的な女性です。一緒に居て何も感じないんですか?」


「……」


 感じない、と言えば嘘になる。

 初めて会った時のアンナの美しさに驚いたことをはっきり覚えている。

 だが自分は『護衛職』。彼女を守るのが仕事。私情は持ち込まないよう努めている。それに……



「そうならないよう努力している。呪いもあるからな……」



(あっ)


 忘れていた。

 ロレンツがミンファから受け継いだ『誰かを愛すると死ぬ呪い』。ロレンツがアンナを愛することは死につながる。本当になぜそんな呪いを引き取ったのか。しかも敵の。リリーには理解できない。



「あなたはやっぱり馬鹿だわ」


「おいおい、なんだよそりゃ……」


 ロレンツはため息をつきながら部屋に戻るリリーを見て言った。






 ミセルの猛攻はまだ続く。


「リリー、行くわよ」


 公務で外出した時。侍女リリーを引き連れ、『護衛職』のロレンツもその後ろについて歩く。美しいアンナ。そして背が高く体の大きいロレンツが続く。場内を歩いているだけでとても目立つ。



「まあ、マサルトのスパイって噂の『護衛職』様が歩いているぞ」

「英雄だと思っていたのにスパイだったとはねえ」


 ネガーベルの英雄として一時期人気を博していたロレンツは、ガーヴェルの策略によってその名声は地に落ちていた。



「ロレ様ぁ~!!」


 もうひとり。名声を落とした人物、赤髪のその令嬢はロレンツに笑顔で近付いて来た。



「ロレ様、どちらへお越しでしょうか?」


「公務だ」



「今日もとっても素敵でございます」


「……」


 ミセルはまるで鳥籠から放たれた小鳥のように自由に振舞った。

 一部からは『ニセ聖女』との噂も立ち始める中、彼女がこれほど明るくなれたのはやはり目の前の銀髪の男のお陰であった。アンナがむっとして言う。



「ちょっとミセル!! 何しに来たのよ!!」


 ミセルがアンナに気付いて答える。



「私はロレ様にお会いに来ただけですわ。お構いなく」



(むかっ!!!)


 苛つくアンナ。

 更にそれをじっと見つめるだけで何も言わないロレンツを見て更に苛つく。



「もう、行くわよ!!」


 アンナはそう言うとずかずかと歩いて行く。

 軽く手を上げ振るミセルを見ながらリリーが思う。



(ミセル様、変わられた……)


 それは同性だから分かる女の直感。

 それはようやく自分に素直になれたミセルが、ロレンツにだけ見せる無垢な笑顔であった。

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