67.挑発と苛立ち
その男、マサルト軍服を着た中年の男であるゴードン歩兵隊長は、肩で風を切りながらネガーベル城内をひとり闊歩していた。
同盟国となったマサルト。
しかし少し前まで敵国だった軍服の人間がネガーベル城内を歩く姿を、誰しも驚き皆立ち止まって見つめる。
貴族達の注目を集めながらゴードンは、王城最上階にある聖騎士団長の部屋のドアをノックした。
コンコン
「どちら様でしょうか」
エルグの付き人である女の声が響く。
「マサルトのゴードンだ。エルグ殿に会いに来た」
「どうぞ」
そう言ってゆっくりとドアが開かれる。
付き人の女性は部屋に入って来たゴードンに深々と頭を下げる。ゴードンはその女性を舐め回すように見てからソファーに座るエルグの元へと歩み寄る。
「これはゴードン殿。遠路お越しくださって感謝します」
エルグが立ち上がってゴードンに手を差し出す。ゴードンはその手をしっかり握り返して答えた。
「エルグ殿のお頼みとあらばこのゴードン、どこまでも馳せ参じますぞ」
エルグとゴードンは笑顔のままソファーに座る。
それと同時に付き人の女が年代物のワインとグラスを持って現れる。エルグが言う。
「ゴードン殿、赤ワインでよろしかったでしょうか」
「赤でも白でも何でも頂きますぞ。がはははっ!!!」
ゴードンは唾を飛ばしながら下品な笑いをする。付き人が上品な手つきでふたりにワインを注いでいく。
「まずは我々の未来に乾杯と行きましょうか」
「よいですな。では、乾杯っ!!!」
ふたりはグラスを交わしてワインを口にする。
「ぎゃはははっ!! ネガーベルは何を食べても美味しいですな!!!」
ゴードンは年代物のワインを数杯飲み干し、顔を赤くして上機嫌で言う。エルグが答える。
「恐縮です。ネガベル豚も美味ですよ」
「ああ、もう食べましたよ!! 本場はやはり美味い!!! ネガーベルの女も美女揃い。素晴らしいですな。ぎゃはははっ!!!」
エルグはいつまでこの下品な男と同じ時間を共有しなければならないのかと辟易した。そして頃合いを見て本題に入る。
「それでゴードン殿。例のモノはお持ち頂けたでしょうか」
ワイングラスを持っていたゴードンの手が止まる。そして答える。
「当然ですよ、エルグ殿。さ、ここにありますぞ」
そう言って自分のカバンの中から数枚の書類を取り出してエルグに渡す。それを黙って眺めるエルグ。ゴードンと違いワインはほとんど飲んでいない。書類の隅々までチェックし、笑顔でゴードンに言った。
「素晴らしいです、ゴードン殿。さすができるお方は違う」
ゴードンが照れながら答える。
「いやいや。エルグ殿が蛮族を退けてくれたお陰ですわ!! あれ以来国王も私のことをすっかり信用してくれましてな。そのような偽造、いくつでも作れますぞ!!」
一瞬エルグの顔が厳しくなる。
しかしすぐにいつも笑顔に戻って答える。
「大変感謝しております、ゴードン殿。さ、もう一杯」
そう言ってエルグが更に酒を勧める。ゴードンは上機嫌でそれに答える。
「いやいや、これは嬉しいですな。ぎゃはははっ!!!」
ゴードンはグラス一杯に注がれた高級酒を満足そうに飲み干す。
エルグはそれを称えながら『マサルト国印』が押されたその書状を見て不気味な笑みを浮かべた。
「ひっく~、いや~、酔ったなあ~。エルグ殿のワインは酔いが早くて困るぅ~」
完全に酩酊状態となったゴードンが、宿泊する来賓室へ向かって城内を千鳥足で歩く。長い廊下。マサルトの軍服を着た酔っ払いが、ネガーベルの美しい貴族令嬢とすれ違う度に近くまで近寄ってジロジロと見つめる。
「うひゃ~、ネガーベルの
そんな失礼なことをつぶやきながら歩いていると、前からそれら令嬢を圧倒的に凌駕する美しい金髪の女性が歩いて来た。ゴードンがすぐに反応する。
「ありゃ!? あれまた物凄い美人で……、ん??」
酩酊したゴードン。
しかしその金髪の美女を見てすぐに思い出す。
「こ、これは姫様っ!!!」
その女性はネガーベルの姫であるアンナ。美しい金髪に姫専用の煌びやかなドレスが他者を圧倒している。ゴードンは先日の失態を思い出し、数歩下がって深々と頭を下げる。
「ひ、姫様!! ご機嫌麗しゅう、ううっ……」
そう言いながらも酔いが回って来てろれつが上手く回らない。アンナはちらりとその下品な男を見てから氷のような表情で無視して歩き出す。
(くそっ、この女!! 見てやがれ、すぐにぎゃふんと言わせてやる~!!)
自分に大恥をかかせた目の前の女。
聖騎士団長エルグと言う同志を得たゴードンは、たとえ相手が姫であろうと気持ちが大きくなっていた。そしてその後ろに続く大きな銀髪の男を見て更に怒りが増す。
「お前は、ロレンツ!!!」
ロレンツもゴードンを一瞥してから無視して通り過ぎようとする。
「待て、待て、俺だ、ゴードンだ!!」
「……用はない」
そう言うとロレンツはアンナの後ろに続いて振り返ることなく歩いて行く。ゴードンが酔いと怒りで顔を真っ赤にして思う。
(くそっ、くそっ、くそっ!!! 今に覚えていやがれ!! 俺が、このゴードン様が、お前らを討つ!!!!)
ゴードンは全く相手にされないアンナやロレンツの背中を睨みつけながら心の中で叫んだ。
「アンナ様っ!!」
アンナ達が中庭が見える廊下に差し掛かった時、後方から呼び止める声が響いた。
今日はよく呼び止められる、そんな風にロレンツが思っていると、その声の主は赤いサラサラの髪を風になびかせながらアンナの前へとやって来た。
「エルグ……」
ネガーベル聖騎士団長エルグ。
キャスタール家とは敵対関係にあるジャスター家の御曹司だが、先日自分に対して『護衛職』になりたいと言って来た男。一緒に居たリリーの目がきつくなる。エルグが言う。
「アンナ様、お会いできて嬉しいです。それで先日の『私がアンナ様の護衛職になる』件についてお返事はまだ貰っていませんが、どうでしょうか?」
エルグは後ろに立つ銀髪の男をちらりと見つめる。
無表情。そこからは何も読み取れない。アンナが困った顔をして答える。
「ええっと、それは、あの……」
アンナは無論そんな申し出を受けるつもりはなかった。
だからもう一度ちらりと後ろを振り向いて、その男の顔を見た。
無言。そして無反応。
アンナが苛立つ。
(どうしてそこで何も言ってくれないのよ!!! あなたは私の『護衛職』でしょ!? 私の前に出てひと言『俺の女だ。手を出すな!!』って言ってくれればそれで済むのに!!)
アンナは依然として何も言わずに後ろで立つだけの無反応な男を横目で見てイライラが増す。だから言ってしまった。心にも思っていないことを。
「考えておくわ、エルグ。時間をちょうだい」
エルグが優しげな笑みを浮かべて頭を下げる。
「有難きお言葉。姫様を守れるよう、全力を尽くすまで」
エルグはそう言うとギッとロレンツを睨んでからその場を去った。すぐにリリーが言う。
「何を考えているんですか!! あのような男にアンナ様の護衛なんて……」
「うるさいっ!!」
アンナが大きな声でリリーに言った。
「知らない!!」
アンナはそう言うとひとりガツガツと歩いて行く。
「アンナ、様……」
怒鳴られたリリーも驚きながらロレンツと共にその後に続く。
(分かってるわよ、分かってる。分かってるわよ!!!)
相手は策士であるジャスター家のエルグ。
『護衛職』になりたいという裏には必ず何か思惑がある。
(だけど、だけど、どうしてあなたは何も言ってくれないのよ!!!)
アンナはただ黙ってそこに立つだけで何も言わない銀髪の男を思い出して、自然と涙が溢れて来た。
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