65.『護衛職』就任願い

 ネガーベル聖騎士団長エルグは許せなかった。

 国内最強と称えられた自分を凌駕するその男が。【赤き悪魔】に震えた自分よりはるかに強いその男が。何より正面向って身動きひとつできずにを斬られたことが。


(父上やミセルはあの男を取り込みたいと考えているようだが、それは危険すぎる。それ程の男……)



 エルグは息を整えてからその綺麗に装飾が施された王家の部屋のドアを叩いた。


 コンコン……


 中からの問いかけに答える。


「僕です、エルグです。アンナ様をお助けする為に参りました」



 ガチャ


 ゆっくりとドアが開かれ、中から不安そうな顔をしたアンナが顔を出す。



「私を、助けてくれるの……?」


 エルグが笑顔になって言う。



「はい、その為にここへ来ました。中に入っても宜しいでしょうか」


「え、ええ。どうぞ」


 アンナはリリーの顔を見てからエルグを中に招き入れる。エルグは軽く会釈をしてから部屋に入り、中央のソファーに腰かけた。

 リリーが紅茶を用意しエルグに差し出す。その正面に座ったアンナがすぐに尋ねた。



「それで、私を助けてくれるとは一体どういうことなの?」


 エルグは紅茶の香りを楽しんだ後優しく答える。



「その言葉の通りです。まずは捕えられているアンナ様の『護衛職』を解放しましょう」


 驚くアンナが尋ねる。


「そんなことができるの?」


 拘束状を持って連れて行かれたロレンツ。力づくで出すことは難しい。エルグが言う。



「マサルトのスパイだという証人なんですが……、実は父が何度も連絡を取っても『今は証言をしたくない』と言っており、これ以上ロレロレ殿を拘留しておくのは難しい状況なんです」


「そう、でしたか……」


 少し安堵するアンナ。それを見たエルグが少し困った顔で言う。



「ただ、別の少々困ったこともございまして……」


「別の困ったこと?」


 アンナが聞き返す。エルグが答える。



「ええ、妹のミセルの話なんですが、ロレロレ殿があまりアンナ様の『護衛職』を続けたくないと言っているようで……」



(え!?)


 思っても見なかった話。一気にアンナが動揺する。



「そ、そんなこと聞いたことないわ……」


 声を震わせながらアンナが言う。



「まあ、それはご本人には直接言わないでしょう。だが時々ミセルのところにやって来てそんな話をしているそうです。最近は特に冷遇されているとかで……」



(そ、それは……)


 確かに最近ロレンツに対して周囲から見れば『意味不明の嫉妬』によって冷遇している。ロレンツが気分を悪くするのもそれは当然である。アンナが青い顔をして言う。



「そんなこと……」


 ロレンツが自分を見捨てる。

 今まで考えても見なかった事態を想像し心が床に落ちるような不安を覚える。エルグがアンナの顔を見つめて言う。



「アンナ様。ひとつ私から提案がございます」


「提案……?」


 少し離れた場所でそれを聞いていたリリーがエルグを睨むように見つめる。



「私をあなたの『護衛職』にして頂けませんか」



「え?」


 アンナは驚いた。

 ある意味ロレンツ拘束よりも驚いたかもしれない。軍のトップである聖騎士団長エルグは、基本その重責により『護衛職』を求められても拒否する事が許されている。

 今、そのエルグ自身が『護衛職』に就きたいと言っているのだ。



「だってあなたは聖騎士団長で……」


 エルグが前に乗り出して言う。


「ロレロレ殿は元マサルトの人間。しかも今我が妹になびいています。私は聖騎士団長、姫をお守りするのが本来の仕事。それに従ったまでです」


「エルグ……」


 ジャスター家は敵であった。そう思っている。

 だが、ロレンツ離反の可能性を初めて聞かされたアンナの心には、それに対して自信をもって応えることなどできなかった。

 リリーだけがそんなエルグを睨むように見つめていた。






「ミセルが、ロレロレ様をお助けに参りました」


 翌朝、暗い拘留所に現れたミセルがロレンツに言った。



「助ける? 嬢ちゃんが?」


 ジャスター家はいわば自分をここに連れてきた人間。それが助けるなど笑い話にもならない。ミセルが鉄格子に近寄り寂しそうな声で言う。



「はい。父は一体何を考えているのか知りませんが、私はロレロレ様を信じております。先ほどの無礼な振る舞い、私も父には逆らえず……」


 ミセルが下を向き悲しそうな顔をする。ロレンツが尋ねる。



「で、嬢ちゃんが俺をここから出してくれるのか?」


 ミセルが笑顔になり顔を上げて答える。



「はい。ほぼ話はつけてあります!! ただ、ひとつだけお願いがございます」


「お願い? なんだ?」


 ロレンツが低い声で尋ねる。ミセルが答える。



「私の『護衛職』になって頂けませんか」



 しばらくの沈黙。

 ロレンツがミセルに答える。



「そりゃできねえ。俺は姫さんの『護衛職』だ。それ以外やるつもりはねえ」


 それを聞き悲しそうな顔をするミセル。だがこの程度は彼女にとって想定内である。



「分かっております。だからアンナ様の『護衛職』を辞めて欲しいとは言いません。時々、本当に休みの日に時々、わたくしの外出等に付き合って頂ければ十分でございます」


 ロレンツがミセルを見つめる。その目は冗談を言っているような目ではない真剣な目。



「俺がここで首を縦に振らなきゃ出してくれないのか?」


 ミセルは黙ったままロレンツを見つめる。言葉には出さないがそうだと言っている顔である。ロレンツが言う。



「一度うちの嬢ちゃんに相談させてくれ。確約はできない。それでいいか?」


 ミセルは笑顔になって答える。



「結構ですわ。では開けますね」


 そう言いながらミセルは手にしていた鍵で鉄格子のドアを開ける。

 彼女としてもここで『護衛職』になって貰えるとは思っていなかった。ただ断られることが無ければそれで良しとしていた。



「幾多のご無礼、大変失礼致しました。


 そう言ってミセルは留置所から出て来たロレンツの腕に自分の腕を絡める。ミセルの大きな胸が太いロレンツの腕に当たる。


「おい、嬢ちゃん……」


 何かを言おうとしたロレンツを無視してミセルが強引にその腕を引っ張り歩き出す。



「さあ、参りましょう。お茶を用意してありますわ!!」


 ロレンツは一日ぶりに浴びる太陽の光を眩しいと思いながら階段を上がった。






「なあ、いい加減離れてくれねえか」


 ミセルの部屋でコーヒーを飲んだ後、ロレンツは護衛の為アンナの部屋に向かっていたのだが、当然の如くミセルが腕を絡めながら一緒について来る。



「お気になさらなくても結構ですわ、ロレ様!!」


 真っ赤なドレス。

 それだけでも目立つのに、ジャスター家のミセルが男と腕を組んで歩いている光景はすれ違う貴族達を立ち止まらせ驚かせた。



(やれやれ……)


 ロレンツは腕を強く振ろうとするが、動かそうとするとミセルの胸が当たり結局そのままになってしまう。



 コンコン


 アンナの部屋に辿り着いたロレンツがドアをノックする。そして言う。



「おい、嬢ちゃん。俺だ。開けてくれ」


 大きなロレンツの声。隣にいるミセルも黙ってドアを見つめる。



 ガチャ


 ゆっくりと開かれるドア。

 そして顔を出したアンナは、その銀髪の男の隣で腕を組んでいるミセルの姿を見て発狂しそうになる。



「な、なに!? 一体、なによ、それ!!!」


 エルグから聞かされていた『ロレンツ離反』。それが今目の前で現在進行形で起きている。ロレンツが言う。



「ああ、嬢ちゃん、違うんだ。赤髪の嬢ちゃんが俺を助けてくれて……」



 バン!!


 アンナはそんな話を聞く前にドアを思い切り閉めた。そしてドアを背にしたまま大声で怒鳴る。



「帰って!! あなたなんて顔も見たくない!!!」



「お、おい、嬢ちゃん……」


 ロレンツはようやく今、ミセルと一緒にここに来てしまったことが間違いであったことに気が付いた。頭を掻きながらミセルに言う。



「そろそろ帰ってくれねえか。俺はここで護衛を続ける」


「私も一緒に居てはいけませんか……」


 ミセルが上目遣いでロレンツに言う。ロレンツが静かだが強い口調で言う。



「帰りな。これは遊びじゃねえ」


(!!)


 ミセルは決して触れてはいけない禁忌に触れてしまった気がした。



「申し訳ございません、ロレ様。お仕事の邪魔をしてしましまして」


 ミセルはすっとロレンツから離れると深々と頭を下げた。そして言う。



「ではまた、お会いしましょう」


 そう言って小さく手を振りながら去って行った。



「ふー」


 ロレンツは壁にもたれ掛かりながら、やはり自分は女と言う生き物がつくづく苦手なんだなと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る