第五章「聖女と神騎士」

63.素直になれないお姫様

『英雄色を好む』


 まだアンナがロレンツに出会う前、公務室で侍女のリリーから聞いた言葉である。アンナがリリーの報告を聞いて答える。



「そう。お父様の手掛かりはなしですか……」


『氷姫』と呼ばれていたアンナ姫。

 それに似合う冷たい表情のままリリーに答えた。父親が突如行方不明になって数か月、アンナはもちろん軍の協力も得て捜索したが一向に見つからない。アンナは抱いてはいけない『諦め』という感情を必死に心の奥に押し込んでいた。



「カイトは? カイトはまだ病気なの……?」


 その父親が決めた婚約者。

 キャスタール家を支える有力貴族であり、武芸の嗜みもあることから『護衛職』の地位を与えられた男。『剣遊会』の出場が決まっていたのだがここ最近ずっと病気のため顔をすら見ていない。



(またジャスター家、なのかな……)


 アンナは最近露骨に嫌がらせをしてくるようになったジャスター家のことを思った。昵懇にしていた貴族達。それが今や引き行く波のように次々と離れて行き、気が付けば周りには誰もいなくなっていた。アンナが言う。



「『剣遊会』に出てくれる人はいないかしら。ひとりでみんな倒しちゃうような人。颯爽と現れて私達を助けてくれるような人……」


「アンナ様……」


 リリーは珍しく感情がこもったアンナの言葉にやや驚く。



「そしてこの暗いもやがかかったようなネガーベルをね、ぱあっと明るくしてくれて、国に安寧をもたらしてくれるような人……」



 リリーが答える。


「そんな人、いるとは思えません。でも、もしいるとするなら……」


 アンナがリリーの顔を見つめる。リリーが言う。



「その方は『神騎士しんきし』と呼ばれる英雄様ではないでしょうか」



『神騎士』

 神に選ばれし騎士で、聖女の危機に現れて救うとされる英雄。だが聖女だった母親の時代でも現れなかった幻の人物であり、それは伝説上のおとぎ話とされている。リリーが言う。



「でももしそのような方が現れたら、とてもおモテになるんでしょうね」


「モテる? どうして?」


 その意味が分からないアンナが尋ねる。



「どうしてって、そのような魅力的な方、国中の女性が放っておくと思われますか。『英雄色を好む』とも言いますし、魅力的な女性が自然と集まると思いますよ」


 子供ながら頭脳明晰なリリー。

 過去に読んだ伝記や歴史書、古代の文献から『神騎士』の存在についてもよく知っており、きちんとその頭に記憶されている。



(『聖女』に無縁の私には関係のない話か……)


 ほぼ次期聖女がミセルに決まっていたこの時期。孤独なアンナにはそんな話は全く自分には関係ないものだと、また氷のような表情に戻ってぼんやり思った。






 コンコンコン


「おい、いるかーー?? 俺はここにいる。何かあれば呼んでくれ」


 ここ数日の朝の風景である。

 毎朝アンナの部屋の前にやって来た『護衛職』のロレンツがそのドアを叩き、中の住人に語り掛ける。あの日以来ずっと部屋に入れて貰えないロレンツは、こうして護衛の時間は部屋の前でひとり立ち続けている。



「聞いた? 姫様の『護衛職』の男ってマサルトのスパイだったんだって!!」


 そんな噂はアンナや当事者のロレンツが思うよりもずっと早く城内に広がって行った。

 ジャスター卿ことガーヴェルの虚偽の流布。アンナ襲撃時に『護衛職』の責務を果たせなかったロレンツの失態。毎朝部屋に入れて貰えずひとり外に立つロレンツ。

 様々な策略や偶然が重なり、【赤き悪魔】からネガーベルを救った男の評判は地に落ちつつあった。



(アンナ様……)


 リリーは再び『氷姫』のように冷たく感情を持たなくなってしまった主を見て悲しみを覚えた。

 そんな中、ジャスター家主催の『昼食会』がたくさんの貴族を招待して開かれた。






「よお、嬢ちゃん。久しぶりだな」


 ジャスター家主催の昼食会の日。

 随分久しぶりにアンナに会ったロレンツが声をかけた。



「……」


 部屋から出て来たアンナは深く帽子を被り、ロレンツに目を合わせないようにしてリリーを従えて歩き出す。アンナがリリーに言う。



「行くわよ」


 リリーがそれに返事をして後に続く。



(やれやれ……)


 ロレンツは未だに怒りの収まらない金色の長髪の姫様にため息をつきながらその後に続いた。アンナが思う。



(なんで、なんでよ!! 私のこと『綺麗』とか『愛してる』とか、『ひとつになろう』とか言っていたくせに、他の女ばかりにへらへらして!!!)


 アンナは帽子に顔を半分隠しながら後ろに続く武骨な男に苛立つ。



(どうしてひと言『好きだ。愛してる。お前を離さない!!』と言えないのかしら!? そうすればすぐに許してあげるのに!!!)


 実は久し振りに彼の顔を見て興奮に包まれていたのだが、数日ロレンツに会えなかったアンナはその鬱憤も同じぐらい溜まっていた。そしてやはり何も話そうとしないロレンツを後ろに感じ苛立つ。



(あー、もう!! 後ろからがばっと抱きしめて『もう二度と離さない!』とか言えばすぐに……)



「なあ、嬢ちゃん」



(ひゃっ!?)


 妄想にどっぷり浸かっていたアンナは、突然名前を呼ばれたその男の声に驚く。アンナが背を向けたまま立ち止まる。ロレンツが言う。



「この間はすまなかった」



(え!?)


 ロレンツから出た謝罪の言葉。

 アンナが驚いて振り向こうとした時、ロレンツが続けて言った。



「嬢ちゃんを危険な目に遭わせちまった。『護衛職』として謝りたい」



(あ、そっちか……)


 アンナは振り向こうとしていた顔をそのまま再び前へ向ける。そっちじゃなかった。謝って欲しいのは『ロレンツの浮気』についてだった。それを聞いていたリリーがアンナに言う。



「アンナ様。それはアンナ様に非があります!」


「おい……」


 ロレンツが驚く。リリーがアンナに言う。



「あの日、あの時間は外出禁止の時間です。『護衛職』がいる時間なら彼の責任ですが、それ以外の時間に外に出てしまっては護衛もできません。私もそれについてはご注意申し上げたはずです。ですよね、アンナ様?」



「え、ええ。そうね……」


 アンナはその件についてはまったくロレンツを責めるつもりはなかった。ただただ『ロレンツの浮気』に怒っていた。リリーが言う。



「それを守れと言うのならばアンナ様は『護衛職』と寝食を共にしなければなりません。でもそんなことは……」



 ――えっ、寝食を共にする!?


 リリーがアンナに説教をする中、アンナはアンナでロレンツと一緒の部屋で暮らす妄想を始める。



『さあ、おいで。嬢ちゃん』


 ベッドの上で半裸になったロレンツが、ドアの入り口で下着姿のまま恥ずかしがるアンナに声をかける。見つめるロレンツ。アンナは顔を上げてゆっくりと近付く。



 かあああ……


「そんな、どうしよう……、でもあなたがどうしてもって言うのならば……」


 真っ赤な顔になったアンナが両手で顔を抑えながら小さくつぶやく。



「嬢ちゃん……?」


 おかしな反応に戸惑うロレンツ。

 アンナが何か言おうとした時、リリーが中庭の方を指差して言う。



「さあ、もうすぐ着きますよ。早く行きましょう」


「え、ええ……」


 急に現実に戻されたアンナがちょっとむっとして歩き出す。





「わあ、すごい料理……」


 中庭に設けられた特設の昼食会場。

 庭園に咲く花を横に多数の机の並べられた豪華な料理の数々。ネガーベルの名物から国外の見たこともない料理まで、その種類は数え切れないほど。机に置かれたワインもひと目で分かる年代物ばかり。

 そしてすべての有力貴族が皆参加しているのではないかというほどの人の多さ。広い中庭に並べられたテーブルやイスに座ってその宴の開始を待っている。



「これはこれはロレロレ様ぁ。ようこそいらっしゃいました」


 そこへこの昼食会の主催者のひとり、ミセル・ジャスターが現れた。

 いつも通り赤のドレスだが、今日は体のラインがはっきりと分かるタイトなもの。そのくせ胸元はしっかりと大きく開いており、すれ違う若い男の貴族達の視線をひとり集める。アンナがミセルの前に出て言う。



「この男は付き添い。隅で立っていて貰うわ」


 アンナがむっとした顔でミセルを睨む。



「まあ、それは可愛そうに。ロレロレ様、私と一緒にあちらで座りませんか?」


 ミセルはそう言って会場の前方にある主催者テーブルを指差す。ロレンツがちょっと首を振って答える。



「いや、遠慮する。俺の仕事は嬢ちゃんの護衛。ここで大丈夫だ」


 アンナは『浮気者のロレンツ』が、ふらっとそちらへ行ってしまうのではないかと思っていたので少し安心した。ミセルが悲しそうな顔で言う。



「まあ、それは残念でございます。ロレロレ様、お会いしましょう」


 ミセルはウィンクし、そう甘い声で言いながら小さく手を振って去って行った。



(むかっ、むかっむかっむかっ!!!!)


 アンナはミセルのそのすべての態度に苛立ちの炎に包まれる。

 無表情で護衛を続けるロレンツ。だがしかし、この後彼はネガーベルに来て以来最も大きな窮地に追い込まれることとなる。

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