62.アンナの嫉妬と黒の始動

(本当に許せないわ!! 絶対に許せない!!!)


 アンナはその夜、ひとり部屋に戻って来て怒りの炎に包まれていた。



(女なら誰でもいいって訳!? もうちょっと紳士だと思っていたけど、何あのだらしない顔!!!)


 アンナはメイド服姿のミンファを鼻の下を伸ばして見つめるロレンツの顔を思い出す。その他にも深夜にミセルを部屋に呼んだり、キャロルとベッドの上で剣を交えたりと女たらしにも程がある。



(私のこと『可愛い』とか『綺麗』とか、『ひとつになろう』とか言って置いて、何なのよ!!! 一体!!!)


 収まらない怒りを酒で紛らわそうとしたアンナが酒棚の瓶が空になっていることに気付く。最近酒量が増えており買って置いた酒が底をついていた。



(もう!! お酒もないの!? 仕方ない、こんな時間お店はやっていないから明日買いに行くか……)


 アンナは渋々怒りの炎を抑えながら眠りについた。






 コンコン……


「嬢ちゃん、俺だ。開けるぞ」



 翌朝。そう言ってアンナの部屋のドアノブに手をやったロレンツが、鍵が掛かっていることに気付いた。ガチャガチャとノブを回す。


「おい、嬢ちゃん。開けてくれ」


 昨晩ミンファのメイド服姿を見られ激怒したまま別れたアンナ。ロレンツ的には何も悪いことはしていないし、逆にそんな自分を『変態』だとか『ロリコン』だとか罵ってひとり怒っているアンナの方こそ理解できない。



 ガンガンガン!!


「おい、俺だ!! ロレンツだ、開けてくれ!!!」



「今日、アンナ様はあなたにお会いしたくないと仰っています」



 ようやく反応があったドア越しの言葉。それは侍女のリリーの声であった。ロレンツが尋ねる。


「俺に会いたくない? どうしたんだ??」


 少し間を置いてリリーが答える。



「自分の胸に手を当てて考えて下さい。お話は以上です。アンナ様は公務が忙しいのでお引き取り下さい」



「おい……」


 ロレンツはドアの前でそのまま立ち尽くした。



(やれやれ……)


 ロレンツはそのままドアの横の壁に、腕を組んだままもたれ掛かった。






(アンナ様……)


 リリーは机でひとり書類の山と戦うアンナを心配そうに見つめた。

 明らかに寝不足の顔。ロレンツが『浮気をした』とのことで今日の護衛は断るように命じられたが、『護衛職』なしでは外出もできない。



(それにって言葉は既婚者や婚約者、交際相手に対して使うもので、彼はそのどれにも当たらないんだけどな……)


 冷静で頭脳明晰なリリーは幼いながらもアンナのその矛盾に気付いていた。ただ同時に思う。


 ――アンナ様の中で彼は、それに当たる人なんだ。



 既婚者や婚約者、交際相手と同等。

 それはもうただの護衛ではなく特別な存在。


(だから怒ってる。夜も眠れないぐらいにすごく怒ってるんだ……)


 リリーにはアンナを始め、キャロルやミンファと言う女、そして最近はミセルまでロレンツの気を引こうと接近してくる状況が良く理解できなかった。



(あんなおっさん、一体どこがいいのかしら……??)


 リリーにはやはり分からない。



「リリー!!」


「はい、アンナ様!!」


 名前を呼ばれたリリーが慌ててアンナの元へと向かう。アンナはぶすっとした表情でリリーに書類の束を渡して言う。



「これ、大臣の所へ届けてくれる?」


「はい、かしこまりました」


 リリーはアンナの書類を受け取るとそのままドアの方へと駆け出した。



(あいつがいないと清々するんだけど、アンナ様の機嫌が悪くなるのも困ったものだわ……)


 朝からずっとむっとしたまま仕事をするアンナに、リリーは正直疲れてしまっていた。そしてドアを開けて思わず声を上げた。



「きゃっ!!」


 すぐに手で口を押さえる。



「どうしたのー? リリー??」


「な、何でもありません。行って来ます!!!」


 そう言うとリリーはすぐに部屋を出てドアを閉める。そしてドアの横で石像のようになって腕を組むロレンツに小声で言う。



「ど、どうしてあなたがここにいるんですか!? 帰ってって言ったでしょ!!」


 腕組みをしたままロレンツが答える。



「俺は嬢ちゃんの『護衛職』だ。帰れと言われて『はいそうですか』とは行かない」


「じゃ、じゃあ、あのままずっと朝からここにいたの?」


「ああ」


 既にお昼近くになっている。ずっと何もせず部屋の前にいたのかと驚く。ロレンツが言う。



「ここは俺が見張って置く。お遣いでも何でも行って来な」


「あ、ありがとう。お願いするわ」


 リリーはそう言うと書類を持って歩き出した。

 安心感。やはりロレンツが近くに居てくれると心のどこかでほっとできる自分に気付くリリー。拉致の時のみならず、何度も救ってくれた男。リリーの中でもその存在感は確実に強くなっていた。



 その後お昼も部屋で済ませたアンナ。

 夕方になり先にリリーが部屋へと帰って行く。ロレンツも暗くなるまでドアの前に居たがもう外出することはないと判断し、自分の部屋に戻ることにした。



「……馬鹿」


 アンナは机に頭を乗せながらロレンツがいるというドアを見つめて小さく言った。

 リリーから彼がずっとドアの横にいると聞いたアンナ。また声を掛けてくれて、ちゃんと謝ってくれればすぐに許そうと思っていた。



「負い目があるから、私に声が掛けられないのかな……」


『自分だけの味方』だと思っていたロレンツ。

 そんな彼が少しだけ手の届かないところへ行ってしまった気がした。



「……飲もうかな」


 そう言ってアンナはひとり酒棚へと歩み寄るが、酒が切れていることを思い出す。



(仕方ない、買いに行こ……)


 アンナは上着を羽織るとゆっくりとドアを開ける。



(やっぱりいないか……)


 当然ロレンツはもういない。

 アンナはお店が閉まる前に酒を買おうと思いひとり急ぎ足で城内の売店へと向かった。




(どうしてあいつはドアの前に居ながら何も声かけてくれないの!? 『俺が悪かった。愛してる。許してくれ』とか言えば考えてやらない訳でもないのに!!)


 アンナは城内の人気の少ない長い廊下を歩いていた。

 ロレンツのことで頭が一杯になり周りに集中できない。『向こうから謝るまで絶対に許さない』そんな興奮状態だった彼女は、その後ろから近づく影に全く気付くことができなかった。




「……動くな」


「!!」


 突然後ろから喉元に突きつけられる短剣。

 アンナは一気に全身の力が抜けて行く。



(なに、なに!? これって……)


 ロレンツがいない。

『護衛職』の護衛時間外に勝手に部屋の外へ出てしまったことを後悔する。男が言う。



「動いたら首を落とす」


(どうしよう、殺される……)


 アンナの体から汗が流れ出る。

 心からその銀髪の男の助けを求めたアンナの耳に、その声が響く。



「アンナ様!!!」



(え!?)


 誰も居なかった廊下の先に現れたのは、真っ赤なサラサラの髪をなびかせた聖騎士団長エルグ。既に剣を抜いてこちらに向けて構えている。エルグが叫ぶ。



「何奴っ!!! 姫を放せ!!!」


「ふざけるな!! この女は俺が頂く!!!」


 アンナは動転する頭でその男の声を思い出した。



(この男、確か以前私を殺そうとした……、そうヴァンとか言う男……)


 暗殺を試みたがロレンツによって防がれた男。アンナが思い出す。




「はっ!!!」


 そんな風に考えているとエルグが気合と共に一気に間合いを詰めた。



 カン!!


 そして響く剣が交わる高い音。



「ぐわっ!!」


 アンナが気が付くと、暗殺者ヴァンはエルグの一撃を受け手を斬られ後方へと吹き飛ばされている。ヴァンが手から血を流しながら叫ぶ。



「くそっ!! 覚えていやがれ!!!」


 そう言って廊下を走って逃げ出した。エルグが叫ぶ。



「待てっ!!! 逃げるな!!!!」


 しかしヴァンは廊下にあった窓を大きな音を立てて割り逃亡した。



「なんだ、なんだ!?」

「どうしたっていうの!!??」


 エルグとヴァンの戦い。

 夜の静かな城内に響き、人気の少なかった廊下にもいつの間にか大勢の貴族のやじ馬が集まって来ている。エルグがアンナに言う。



「アンナ様、お怪我は?」


「え、ええ。大丈夫。ありがとう……」


 アンナは大変なことになったと頭が混乱する。エルグがアンナにで尋ねる。



「『護衛職』のロレロレはどこですか?? なぜこんな危険な目に遭っているのに彼が居ないのですか!!??」


 それは今は護衛時間外。この時間に外に出た自分が悪い。ただ周りのやじ馬達はそんな優しい目で見てはくれなかった。



「『護衛職』失格じゃねえか!!!」

「姫様を危険に遭わせて!! エルグ様が居なかったらどうなっていたことか!!」



(違うの、違うの!! 私が悪くって……)


 頭が混乱し、錯乱し始めたアンナは上手く声が出ない。



 そして耳を疑う言葉が彼女の耳に入った。



「やっぱりあいつはマサルトのだったんだな!!!」


 アンナの目の前が真っ暗になる。

 その不安な心を何か黒い大きなものが潰そうとしていた。



 そしてこの数日後、ネガーベルに戦慄が走る事となる。

『ミスガリア討伐部隊の全滅』、そして『ミスガリア王国壊滅』。それが巨大な一頭の黒い竜によって起こされたという報告によって。

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