第三章「聖女就任式」

31.迫る危機

「え? 部下の命日だからマサルトに一度帰りたいですって?」


 アンナの私室、そこでロレンツの話を聞いた彼女がびっくりして聞き返した。隣に座る侍女のリリーも不服そうな顔をする。ロレンツが続ける。



「ああ、そうだ。俺のせいで死なせてしまった部下達の命日でな。墓参りに行きたい。すまねえが、『ルルカカ』によって冒険者を辞める手続きもしなきゃなんねんで少しばかり休みが欲しい」


「うーん……」


 言いたいことは分かる。アンナが考え込む。



「そんな馬鹿なこと許しません!」


 侍女のリリーが大きな声で言った。


「ああ、分かってる。できるだけ早く帰って来るつもりだ」


「そもそもようやく貴族の一員になったと思ったら、何ですか? すぐに休ませろって!!」


 リリーはそのすべてが不満だった。

 勝手にロレンツが貴族になったこと、休むこと。アンナが『護衛職』以上の想いを彼に持っていること。リリーが続ける。


「来月にはアンナ様の『聖女任命審議会』が開かれるんですよ! 大事な時期なんです。『護衛職』のあなたが居なくなるなんて……」



アンナが言う。


「リリー、仕方ないでしょ。人にはそれぞれ大切なことがあるんだから」


「アンナ様……」


 リリーはやはり自分の意見は通らないのだと思った。アンナが言う。



「いいわ。許可します。でも条件あるの」


「条件?」


 ロレンツが聞き返す。



「ええ、私も連れてって」



「はあ?」


 無論これにはリリーが猛反対。

 大切な公務があることや姫と言う立場、危険が伴う国外訪問など長々と説教じみた話をし、結局アンナが折れ渋々それに従うこととなった。

 ロレンツは留守中はイコを彼女に預かってもらうことをお願いし、久しぶりに生まれ故郷であるマサルトへと向かった。






(まさかこの俺が貴族となってお前らの前に戻って来るとはな。しかも敵国の……)


 ロレンツはマサルト国軍小隊長時代に、ゴードン歩兵団長の策略によって死なせてしまった部下の墓に向かって祈りを捧げた。あの戦いで自分も軍を追われその結果、何の因縁か今は敵国の貴族となっている。



(人生ってのは分からないもんだ……)


 自身が嵌められ、大切な部下を失ったあの戦い。

 だがあの戦いがあってイコに出会うことができ、更にはアンナを守るという新たな生きる目的を得ることができた。

 あのままマサルト軍にいたら、ある意味自分はもっと腐っていただろう。ゴードンを許すことは決してできないが、不思議な巡り合わせにロレンツも複雑な気持ちになる。



「ロレンツ」


 そんな彼に背後から男の声が響いた。ロレンツが振り返る。そして全身の力が抜けて行った。



「ゴードン歩兵団長……」


 自分を死地へと追いやった張本人。

 そのゴードン歩兵団長が青白い顔をして立っていた。




 その数日前。

 ゴードン歩兵団長は上官でありマサルト軍総責任者のゲルガー軍団長と共に、再び国王に呼び出されていた。理由は前回同様、いや前回よりさらに悪化した蛮族との戦についてである。国王が言う。



「お前達は無能なのか?」


「……申し訳ございません」


 国境付近で始まった蛮族の侵攻。

 今やそれは地方都市を飲み込み、マサルト国内に彼らの勢力圏ができつつある状況となっていた。

 マサルト地方官の愚政もあり、自ら蛮族に味方する国民も出始めている。国の根幹を揺るがす事態が小国マサルトで進行していた。国王が尋ねる。



「軍の被害状況は?」


「歩兵団の半数以上が壊滅、騎兵団、魔導部隊も各地で敗戦を続けております……」


 ゲルガー軍団長が脂汗を流しながら報告する。国王が尋ねる。



「お前達に聞きたい。どうすればこの状況を打破できる?」


 無言になるゴードン歩兵団長。それに対してゲルガー軍団長は顔を上げて進言した。



「愚考ならが申し上げます。以前我が軍には『ロレンツ小隊長』と呼ばれる軍人がおりました」


「ロレンツ?」


 初めて聞く名前に国王が繰り返す。ゲルガーが続ける。



「はい、恐ろしく強い男でたったひとりで戦局を変えられるほどの人物です」


「そんな人物が……、今はおらぬのか?」


「はい。残念ながら彼は軍規違反を犯し、その結果敵に襲撃され民間人や仲間を多く失いました。軍裁判にて国外追放されております」



「うむ……」


 聞いたことのない話。国王が黙って唸る。ゲルガーが言う。



「そこで王にお願いがございます」


「なんじゃ?」



「はい。そのロレンツに対し恩赦を与えて頂きたく存じます。かの程の逸材。今、我がマサルトには彼が必要に思います」


「なるほど……」


 国王は頷いて言う。


「よかろう。ロレンツと言う者に恩赦を与える。すぐに連れて参れ。そしてマサルト軍の職を与え蛮族を討ち滅ぼすよう命じよ!!」


「御意!!!」


 ゲルガーは深く頭を下げて王の前から退出した。




「ゴードン、それでまだ見つからぬのか。ロレンツは?」


「あ、はい。申し訳ございません……」


 ゴードンは混乱していた。

 自分が策略に嵌め、追いやったロレンツ。その人物を国王や上官であるゲルガーは求め、こともあろうに自分より上位に当たる『副団長』の地位を与えるとは。



(ロレンツが、お、俺の上官になるだと……!?)


 ゴードンは体が震えた。

 そんなことは認めたくない。ただこのままではロレンツを見つけ出せない自分が処分されることは間違いない。背に腹は代えられない。ゴードンが言う。



「数日お時間をください。当てがあります」


「本当か? 国王もお待ちだ。必ず連れて来い!」


「はっ!!」


 ゴードンは悔しさで体を震わせながら深く頭を下げて答えた。





「ゴードン歩兵団長……」


 部下の墓標の前。

 最も見たくない人物の登場にロレンツは心の中に燻っていた怒りが目を覚ます。ゴードンが言う。



「ロレンツ、元気そうじゃねえか……」


 ロレンツが怒りを抑えて答える。


「何用でしょうか?」


「野暮なことを聞くなよ。部下達の墓参りだろ」


 一度もそんなことしたことないくせに、そう思いながらロレンツがゴードンを睨む。ゴードンが言う。



「ロレンツ、国王からの辞令だ。お前をマサルト国軍への再入隊を命じる」



「……」


 ロレンツはそれを驚くほど冷静に聞いていた。

 自分を追いやったマサルト軍。生きるために強くなろうと頑張った軍での時間。懐かしき思い出ではあるが、今は未練はない。



「そいつは驚きやしたが、戻る気はございやせん」


 ロレンツは躊躇うことなく言い放った。

 現在自分はそのマサルトの敵に当たるネガーベルの貴族。マサルト軍復帰など事実上不可能である。ゴードンが顔を赤くして言う。



「何が不満なんだ? 国王もお前の罪を恩赦すると仰っている!! マサルトの為に命を捧げよ!!」


『命』という言葉を聞いて一瞬ロレンツの怒りが大きくなった。後ろに眠る部下達の『命』を簡単に弄んだ張本人が軽々しく口にする言葉ではない。ロレンツはふぅと息を吐いてから答える。



「自分にはもう別の道がございます。では……」


 そう言ってゴードンの前から立ち去ろうとするロレンツ。焦ったゴードンがその背中に向かって叫ぶ。



「い、いいのか!? またお前の仲間や部下が死ぬんだぞ!!!」



(!!)


 ゴードンに背を向けたまま立ち止まるロレンツ。ゴードンが続ける。


「蛮族の襲撃で毎日軍人が死んでいる!! お前の仲間や元部下もどんどん死ぬんだぞ!!」


 叫ぶように話すゴードンを無視してロレンツはその場を立ち去った。

 しかしもう未練はないと決めていたロレンツの心に、その言葉は小さな楔となって打ち込まれた。






 ネガーベル王国の北、高山に囲まれたミスガリア王国。

 その王都の郊外で真っ赤な魔導衣を着た術者達が円を書くようにして立ち、三日三晩国王の命に従い詠唱を続けていた。



「我らが求めし赤き王よ。この地肉を食らい今その姿を見せん。その名は……」


 術者の前に現れた円形の巨大な魔法陣が回転し、発光し始める。



「その名は、『レッドドラゴン』!!!」



「ギャグガアアアアアアア!!!!!」


 魔法陣から現れる巨大な赤き悪魔。

 深き山中に響き渡る怪物の雄叫び。

 術者達が必死に詠唱を続ける。



「討つべき敵はネガーベルの聖騎士団長エルグ・ジャスター。ネガーベルのエルグ・ジャスター……」


 魔法陣に縛られ身動きが取れないレッドドラゴンに術者達の詠唱が降り注ぐ。



 バリン!!!


 そしてその戒めが解かれた。



「ギャグガアアアアアアア!!!!!!!!」


 自由の身となったレッドドラゴンは、周りにいた術者達を次々とその鋭利な爪で切り裂き、真っ赤な口から吐かれる業火で焼き尽くした。そして再び雄叫びを上げると、まっすぐ南にあるネガーベルへと飛び立つ。



 アンナやリリー、イコにミセル。

 強国で負け知らずのネガーベル王国。絶対的安全が約束されたその地に、今、【赤き悪魔】が迫ろうとしていた。

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