32.赤き悪魔
マサルト王国で元部下や同僚達の墓参りを終えたロレンツは、翌朝中立都市『ルルカカ』に向かい、夕刻過ぎ冒険者登録をしていたギルドを訪れた。
殺伐としたギルド。酒に酔った者や、体に大きな傷がある男が闊歩するなど依然雰囲気は悪い。少し前までその中のひとりだったロレンツは、今や全く違う立場になった自分に苦笑しながら登録の抹消手続きを行った。
「久しぶりに寄るか」
ロレンツはアンナと出会うことになった覆面バーに足を運んだ。
店内に入った瞬間むわっとした空気が体を包む。久しぶりのロレンツを見たマスターが軽く世間話をしながら笑顔で迎えてくれた。
(嬢ちゃんは元気でやってるかな)
酔って自分に助けを求めてきたアンナ。
今思えば彼女と会ったことは偶然ではなく、必然じゃなかったのかとすら思える。
(俺は一度死んだ人間。それ以上のこと考えるのは、まあ、よしておこう……)
ロレンツはグラスを手にしながら、久しぶりのひとりの酒を楽しんだ。
同日。
ネガーベル王国にとってこの日は、決して忘れられない日となった。
「お兄様、おかえりなさいませ!!!」
「やあ、ミセル。今帰ったよ」
ミスガリア王国から帰還した聖騎士団長エルグが、笑顔で迎えた妹ミセルに答えた。
お供をつけず単騎交渉へ向かったエルグ。それは自分の強さと自信の証であったが、妹であるミセルはやはり兄が心配でならなかった。ミセルが目を赤くして言う。
「ご無事で良かったです。お兄様……」
エルグが笑いながらその真っ赤な髪をしたミセルの頭を撫でる。
「心配ないと言ったろ? さ、これが例のものだ」
そう言ってエルグは懐から装飾の入った美しい小袋を取り出して見せる。中には数個の石。無論それはミスガリアから無償譲渡させた輝石である。ミセルが言う。
「まあ、さすがはお兄様!! でも大変な交渉ではなかったのですか?」
「大したことはない。我らネガーベルの力をもってすれば造作もないことよ」
自信に満ち溢れたエルグの顔。ミセルはそれを見て安心する。
「それでは帰還祝いのお食事会を開きましょう。夕食はミセルとお父様と一緒ですわよ」
「ああ、それはいい。楽しみにしてるよ」
エルグは笑顔で妹に答えた。
「ただいまー、アンナお姉ちゃん!!」
朝、貴族学校に行ったイコがお昼過ぎ、アンナの部屋へと戻って来た。ロレンツが不在の間、彼女の好意でアンナの部屋で一緒に寝泊まりしている。
「おかえり、イコちゃん。お菓子作ったの、一緒に食べよ!」
テーブルの上には香ばしい香りを放つクッキーが置かれている。イコが嬉しそうな顔で言う。
「うわー、お姉ちゃん、すごい!! 美味しそう!!」
男手ひとつで育てられたと言っていいイコ。姉のようなアンナのすることすべてが新鮮だった。一緒に座っているリリーも青いツインテールを揺らしながら言う。
「アンナ様はこんな特技もあったんですね。驚きです」
料理をしていた事はリリーにも内緒であった。
父親が行方不明になったこと、そしてロレンツ達に料理を褒められたことが自信となりようやく他人に対して振舞うこともできるようになった。アンナが嬉しそうに言う。
「私だって料理ぐらいできるわよ。将来は愛する人の為に美味しい物をたくさん作ってあげたいし……」
少し斜め上を見ながら乙女のような顔でそう口にするアンナ。それをイコが放ったひと言が場の空気を変えた。
「それって、パパのこと?」
「え?」
固まる空気。
無言。静寂。緊張。警戒。
様々な思惑と感情が交じり合い、三者の間を通り抜ける。アンナが引きつった顔で言う。
「そ、そんな訳ないでしょ!? イコちゃん、そ、それは違うよ……!!」
リリーも同調して言う。
「そうですよ!! それだけは絶対に違います!! って言うか許しません!!!!」
ふたりから思わぬ拒否を食らったイコが悲しそうな顔でつぶやく。
「そうなの……? 悲しいな……、パパも絶対喜ぶと思うのに……」
(な、なんですって!? 私がお嫁さんになったらロレンツが喜ぶ!?)
アンナは更に顔を引きつらせて作った笑顔でイコに語り掛ける。
「ね、ねえ、イコちゃん。そのお話もうちょっと詳しく聞かせてくれないかな~、お菓子一杯食べていいから~」
お菓子と引き換えに、イコはこの後しばらくロレンツのことについて質問攻めにあうこととなった。
「それで計画は順調なのか?」
ネガーベル王城、窓からの景色が良いとある一室でミセルとエルグの父親であるガーヴェル・ジャスターがふたりに尋ねた。
よく日に焼けた褐色の肌にオールバックの白髪。目つきはその年齢を感じさせないほど鋭い。エルグが答える。
「順調です、父上。キャスタール家を支持する貴族もほぼいなくなり孤立化が進んでおります」
ガーヴェルがワイングラスを片手に言う。
「では、あとは来月の『聖女任命審議会』でミセルが任命されれば、いよいよ我がジャスター家の時代が来ると言うことだな」
「はい、お父様。もう間もなくと言ったところですわ」
ミセルもエルグの帰還を祝った豪勢な料理に舌包みを打ちながら答える。
『聖女任命審議会』、それは聖女になる可能性のある女性を選出し、国として任命する儀式。間もなくその開催が迫っていた。エルグがナイフとフォークを置いて言う。
「ただ少し厄介なこともありまして……」
「厄介?」
ガーヴェルが聞き返す。
「ええ、姫様の『護衛職』にロレロレと言う男が就いたのですが、これが中々の強者でキャロルが『剣遊会』で敗北しました」
「ああ、知っておる。私も見ていた。全く知らぬ者だが、どこの人間だ?」
ワインをひとくち口に含んでガーヴェルが尋ねる。エルグが答える。
「それがこれまで不明だったのですが先程分かりまして、マサルトの出身だったようです」
「マサルト?」
その意外な名称にミセルが驚く。ガーヴェルが言う。
「敵国じゃないか。ならばスパイ容疑か何かで拘束でも……」
「それは難しいかと思います。お父様」
そう言ったミセルにガーヴェルが尋ねる。
「なぜだ?」
「はい。先日ロレロレはアンナ様より爵位を与えられまして、その、ネガーベルの貴族となりました」
「そうか……」
出身がどこであれ正式なネガーベルの貴族となった以上、確たる証拠がなければ拘束は難しい。ガーヴェルが言う。
「まあ、慌てることはない。そのうちに何か既成事実でもでっち上げて捕えればよい。それよりまずはミセルの聖女就任への準備を怠らぬように」
エルグが答える。
「はい、もちろんです。ミスガリアからも無事に輝石を入手できましたので、今度蛮族との戦いで傷ついた指揮官を派手に回復するイベントでも行おうかと」
「うむ。そこらは任せる。頼むぞ、ミセル」
ガーヴェルは手にしたワイングラスをミセルに向けて言う。ミセルが答える。
「尽力致しますわ」
そう言って父親に向かって微笑んだミセルの目に、窓の外に見える赤い何かが映る。
「あれ……、あれは何かしら?」
それは鳥にしては大き過ぎる真っ赤な何か。エルグが立ち上がって窓に寄りしばらく眺めて言う。
「な、なんだ、あれは……!?」
見たこともない生物。大きな翼を広げて一直線にこちらに向かって来る。エルグが叫ぶ。
「父上、ミセル、すぐに避難を!! キャロル、キャロルっ!!!!」
エルグの声と同時にドアが開かれミセルの『護衛職』であるピンク色の髪をしたキャロルがすぐに現れる。エルグが言う。
「構えよ!! 何か来る!!!!」
エルグはキャロルから自分の剣を受け取ると、彼女と一緒に戦闘態勢に入る。
「ギャグガアアアアアアア!!!!!」
ドオオオオオン!!!!
「ぐわあああああ!!!!!」
その赤き悪魔、レッドドラゴンは一直線にネガーベル王城に突撃し、エルグがいた高層階へ体当たりをして破壊。
屋根を吹き飛ばされて空がのぞいた広い部屋に残ったエルグとキャロルは、その【赤い悪魔】を見て愕然とした。
「な、なんだ、あれは……」
悠然と空を舞い、真っ赤な鋼のような体に禍々しいほどの大きな翼。人の何倍もあるかのようなその大きな怪物にエルグは言葉を失った。キャロルが言う。
「エ、エルグ様~、あれは何ですのぉ~??」
エルグは剣を構えたまま答える。
「分からぬ。もしかしたらあれは魔物かもしれぬ……」
古の時代に滅んだという魔物。
現代には居るはずのない生物だが、目の前を飛行する見たこともない生き物に当てはまる名称はそれ以外ない。エルグが叫ぶ。
「来るぞっ!!!」
レッドドラゴンは空を旋回して、一直線にエルグに向かって突撃する。
「ギャグガアアアアアアア!!!!」
ガン!!!!
「ぐっ!!!」
ネガーベル軍最強である聖騎士団団長エルグが、その見たこともない魔物の鋭い爪の攻撃を剣で受け止める。
「ぐぐぐっ……、ぐわあああ!!!」
少しだけ耐えたエルグ。
しかしあまりにも強すぎるその攻撃に体ごと後方へ吹き飛ばされる。
「エルグ様ぁ!!!!」
すかさずキャロルが飛び掛かり、持っていたレイピアで鋭い突きを打ち込む。
「はああああっ!!!!」
ズズズズズッ!!
「えっ!?」
受け付けない。
キャロルの得意の突きも、レッドドラゴンの分厚い皮膚によってほとんどダメージを与えることができない。
「ギャグガアアアアアアア!!!!」
レッドドラゴンが雄叫びを上げる。
王城、そして王城周囲では突然現れた謎の生物の襲来に恐怖し、既に大混乱となっていた。キャロルが叫ぶ。
「エルグ様ぁ、危ないっ!!!」
「!?」
吹き飛ばされたエルグがよろよろと立ち上がると、目の前にはレッドドラゴンの大木のような太い尻尾が迫っていた。
ドオオオオオン!!!!
「ぐがあああああ!!!!」
尻尾の直撃を受けたエルグ。
そのまま後ろの壁に挟まれるような形となり、鈍い音と共に口から大量の出血をする。
「エルグ様ぁ!!!!」
そして同時にレッドドラゴンの口がエルグに向かって開かれ、赤く染まり始める。キャロルは全力でその赤き悪魔に向かって突進した。
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