30.騎士ロレンツ誕生

「あら、これはアンナ様。お久しゅうございます」


 お茶会が開かれる王城中庭にある花の庭園。

 季節の花々が咲き誇る美しいこの花の園は、国外の来賓を招いてもてなすこともある場所である。

 そこで年に数回行われるお茶会。皆、花々に負けぬ美しいドレスを着て優雅なお茶の時間を過ごす。



「ミセル……」


 真っ赤なドレス。胸元を強調した深紅のドレスが、赤い美しい髪に良く似合う。声を掛けられたアンナが冷たい表情となる。

 ミセルの後ろにいた彼女の『護衛職』キャロルがロレンツに気付いて声を掛けた。



「やっほ~!! ロレロレもお茶に来たの~??」


 ピンク色の髪を揺らしながらキャロルが尋ねる。ロレンツがぶっきらぼうに言う。



「違う。嬢ちゃんの護衛だ」


 余りにも当たり前のセリフ。キャロルがロレンツに近付いて言う。



「キャロルも~、ロレロレに守って欲しなあ~」


 そう言ってロレンツに寄り添う。


「なに言ってんだ。お前は十分強いだろ?」


 キャロルが首を振って言う。



「そんなことないよ~。だから~、ベッドの上でキャロキャロを〜、ロレロレの剣で……」


「やめんか!! キャロルっ!!!」


「きゃっ!!」


 アンナの怒声が響く。

 周りに集まっていた令嬢達がその声に驚いて振り向く。ミセルが言う。



「まあ、これは何てはしたないことでしょう。一国の姫ともあろうお方が……」


「あなたには関係のないことだわ」


 険悪な雰囲気。

 それを壊すようにひとりの男の声が響いた。



「ミセル様ああ!!」


 皆が振り返ると、そこにはくせっ毛を揺らしながらアンナの元婚約者のカイトが笑顔で歩いて来た。



(カイト……)


 突然婚約破棄をした男。アンナは正直顔も見たくないと思った。カイトはアンナをちらりと見てからミセルに言った。



「ああ、ミセル様。なんてお美しい!! 僕は感激しています!!!」


 ミセルはロレンツと一緒の場でそのような事を言われるのに虫唾が走った。小声で言う。



「……どうでもいいわ」


 その声が聞こえないカイトが続ける。


「さあ、ミセル様。僕と一緒にお茶会へ……」



「行けないわ」



「え?」


 予想外の言葉にカイトが固まる。ミセルが言う。



「本当は今日、お兄様と来る予定だったの。ですからあなたとは行けないわ。それともあなたがお兄様より素敵な男性とでも仰るのかしら?」



「ミ、ミセル様……」


 自信に溢れていたカイトの表情が崩れていく。ミセルの強い視線が『あなたは用済み』と言った意味を持ってカイトに突き刺さる。カイトが震えた声で言う。



「ぼ、僕とお茶会の約束をして……」


「何度言ったらお分かりなの? 勝手に勘違いしないで頂けます?」



 とどめを刺す言葉だった。

 ミセルにすべてを捧げるためにアンナを振り、盗人のようなことまでしてきた。それがすべて崩れ去ろうとしている。カイトが言う。



「ミ、ミセル様、僕は……」


「お相手がいないならお帰りあそばせ。カイト様」


 それを聞いたカイトががっくり肩を落とす。そして目に入るアンナの姿。すぐに彼女の傍へ駆け寄り憐れんだ顔で言う。



「ア、アンナ!! この間の言葉は嘘だ。僕は君のことが……」



「バッカじゃないの!!!!!」



「ひぃ!?」


 アンナは怒りの表情で節操のないカイトを睨みつけ、そして大きな声で言った。



「馬鹿なの、あなた!? 死んで、今すぐ死んでっ!!!」



「ア、アンナぁ……」


 泣きそうな顔のカイト。それを無視してアンナはロレンツと腕を組み強引に歩き出す。



「行くわよ!!」


「あ、ああ……」


 ロレンツは白目をむいて崩れ落ちるカイトを見ながら、アンナに引っ張られてお茶会へ向かった。






 ネガーベル王国の北にあるミスガリア王国。

 輝石発掘の報を受けてやって来たミセルの兄エルグは、威圧的な交渉でその貴重な石を無償で手に入れた。

 小袋に入った輝く輝石を見つめながらエルグがミスガリア王に言う。



「素晴らしい石です。この輝く石のように、これからも両国の未来が光り輝くことを願っております」


「……」


 ミスガリア王は難しい顔をしたまま無言でそれに応える。脅迫まがいの交渉で強奪されたような輝石。小国とは言え一国の王が受けた屈辱は大きなものであった。エルグが言う。



「もし蛮族が出て困っている様であれば、我々が討伐に協力しましょう。ネガーベル軍は強大ですからな。はははっ」


「うぬぬぬっ……」


 まるで『ミスガリアは蛮族にも勝てぬ弱小国』と言っているようなもの。無礼に無礼を重ねエルグが軽く会釈をして立ち去って行った。




「国王!!」


 エルグが立ち去ってしばらくして、ひとりの男が国王の前に出て片膝をついて頭を下げた。



「ローゼル将軍……」


 それは先程エルグの挑発に乗り無暗に斬りかかってしまい、輝石譲渡の原因を作ったミスガリア国軍の将軍。ひげを生やした生真面目な性格だが、その愛国心ゆえカッとなることが多い。ローゼルが頭を上げて言う。



「この責はそれがしにございます。自害してお詫びしたいところでございますが、奴に一太刀加えるまでは死んでも死に切れませぬ」


 周りにいた大臣や軍幹部らも黙ってそれを聞く。ローゼルは着ていた軍服を脱ぎ、涙を流して言う。



「ここについた奴の足跡。我が軍を、我が国を愚弄するその悪態。それがしには決して受け入れることなどできませぬ!!!」


 ミスガリア軍服に刻まれた国旗の上に、エルグが踏みつけた足の跡がはっきりと付いている。重い空気。周りの人物達も悔しさで首を振る。ローゼルが言う。



「この時を持って将軍の職を返上致します。これよりそれがしはいちミスガリア国民。軍とは関係なしにそれがしが思うことを致そうと思います」



「将軍、それは……」


 国王はその意味を理解していたから沈痛な面持ちとなる。ローゼルは腰につけた国王より渡された剣を床に置き、頭を下げて言う。



「長きに渡りそれがしは幸せでございました。ありがとうございます。では失礼!!」


 そう言うとローゼルは屈辱の軍服を持ってその場を退出した。



「将軍……」


 国王の目が赤くなる。そしてそのまま列にいた魔導隊の総指揮官に言う。



「今すぐの儀式を行え。目標は、ネガーベルだ!!!」


「!!」


 一同に緊張が走る。

 魔導隊総司令官が震えた声で尋ねる。


「こ、国王、それはつまり……」


 国王が答える。


「我が臆病であった。間違っておった。使える物は何だって使う。ネガーベルにミスガリアの恐ろしさを見せつけてくれるわ!!!」


 国王の決断。

 それはひとつ間違えば国が亡ぶ以上の大きな決断であった。






「ちょっと、ちょっとお待ちになって!! アンナ様っ!!!」


 よりを戻そうとしたカイトを振り、ロレンツの腕を掴んでお茶会に行こうとしたアンナにミセルが追いかけて来て言う。



「なんですの、ミセル?」


 依然機嫌が悪いアンナがミセルを睨みつけるようにして言う。ミセルが少し乱れた髪を手で整えながら言う。



「このままではお茶会にご参加できませんわ!」


「え? どうしてです?」


 アンナが不満そうに言う。ミセルが笑みを含んだ顔になって答える。



「どうしてって、このお茶会。貴族による貴族の為のお茶会ですわよ。そんなこともご存じないのでしょうか?」



「あっ」


 忘れていた。

 このお茶会は貴族限定である。平民であるロレンツはその身分ゆえ入ることができない。アンナが言う。



「で、でも彼は私の『護衛職』、同伴ぐらいなら……」


「貴族以外は同伴もできませんわ。そもそもこのお茶会に武器を持って参加することなどもってのほか。な場所なんですわよ」


 勝ち誇ったかのようなミセルの顔。対照的に苦虫を嚙み潰したような顔になるアンナ。ミセルの後ろにいたキャロルがロレンツの前に来て言う。



「ねえ~、ロレロレ~。だったらさぁ、キャロルとなろうよ。そうすればロレロレも貴族になってぇ~、夜も稽古に……」



「「やめなさいっ!!!」」


 アンナとミセルが同時に声を出す。

 声が合い、思わず見つめあうふたり。



「気が合うようですね」


「って言うかしっかり管理しておきなさい。そっちの『護衛職』」


 アンナはふらふらと揺れるようにロレンツの周りに立つキャロルを見て言う。ミセルが苦笑して答える。



「そ、そうですわね。それについては同意しましょう」



 そのやり取りを黙って見ていたロレンツがアンナに言う。



「なあ、嬢ちゃん」


 アンナがロレンツの方を振り返って言う。


「なに? そもそもねえ、あなたが悪いのよ! 爵位も受けず護衛をして、みんなに迷惑を掛け、あー、それから他にもいっぱい……」



「受けることにした」



「いや、だからあなたが受けないって言うから事態が大変なことに……、え?」


 アンナがロレンツを凝視する。そして小さな声で聞き返す。



「今、『受ける』って言った?」



「ああ」


 少しの沈黙。

 驚くアンナと、それを聞いていたミセル。ロレンツが言う。



「爵位を受けよう。それで問題ないんだろ?」


「で、でも、爵位を受けるってことはあなたの嫌いな『貴族』になるんだよ?」


 アンナが驚いた顔で言う。



「ああ、分かってる。一番低いのでいい」


「ど、どうして急に……?」


 やはり突然のロレンツの心変わりに納得がいかないアンナが聞き返す。ロレンツは王都学校で平民と言うだけで級友と上手くやれないでいたイコを思い出して言う。



「イコの為だ。あと……」



(イコちゃん? どうしてイコちゃんが……??)


 意味が分からないアンナ。

 そしてその後の言葉を聞いて、体が痺れた。



「あと、お前を守るためだ」



(!!)


 アンナは全身の力が抜けて行くのを感じた。

 知ってか知らぬか時々真顔で吐く痺れるような科白セリフ。武骨で朴念仁のロレンツが、稀に見せるそのような優しさはずっと一緒にいるアンナの心をがっちりと掴むには十分であった。アンナが目を赤くして言う。



「うん、分かったわ。いいよ、あなたに爵位を授けるわ」


 アンナはロレンツの前に立って言う。ロレンツはそれを片膝をついて聞く。



「ネガーベル国王代理であるアンナの名において命じます。今日ここに、あなたを士爵ししゃくである騎士ナイトに命じます。我の為、ネガーベルの為に命を懸けて戦うことをここに誓いなさい」


 ロレンツが答える。


「謹んで拝命致す」




「ふん!!」


 それを見ていたミセルが不満そうに顔を背ける。キャロルは新たな貴族の誕生に目を輝かせて見つめる。

騎士ナイト』の称号。貴族の中でも最下位の爵位ではあるが、それは煩わしい貴族社会に極力関わらないでいられるアンナなりの配慮であった。立ち上がったロレンツにアンナが言う。



「これであなたも正式な『護衛職』よ。ありがとう……」


 仮であった『護衛職』が貴族となったことで正式に就任できる。これでどこへでも胸を張って連れて行ける。アンナの目から涙が流れた。



「ああ、これからよろしくな。嬢ちゃん」


 そう言ってロレンツは涙を流すアンナの頭をその大きな手で撫でる。



「うん……」


 アンナは嬉しさと安心感からまたぼろぼろと涙を流した。

 ここにネガーベル王国の新たな貴族であり、姫の『護衛職』である【騎士ロレンツ】が誕生した。

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