26.ミンファの決意

 ネガーベル王国の地方領主であるミンファの父、リービス卿は中央進出の野望が強かった。


『辺境領主』を絵に描いたようなリービス家。そこからの脱却を目論むリービス卿は、昔から交流のあったジャスター家との繋がりを強化していく。

 ジャスター家が言う無理難題にも笑顔で答え、ようやく中央での居場所ができたリービス卿。そんな彼の屋敷をジャスター家の御曹司であるエルグが『とある相談』を持ち掛ける為に訪れた。



「アンナ姫の『護衛職』を味方につけたい。ミンファ殿にご協力頂けないだろうか」


 それはミンファをとしてその男に接近させるという意味。ひとり娘を愛していたリービス卿だが、エルグ直々の頼みとあっては簡単に断ることなどできない。


「かしこまりました、エルグ様。微力ではございますがこのリービス、尽力致します」


 エルグは満足そうな顔をしてリービスに言う。



「ご協力感謝する。ならばミンファ殿にはこれをつけて貰う」


 エルグはそう言うと懐からひとつの首飾りを取り出した。リービス卿がそれを見ながら尋ねる。



「それは何でしょうか?」


 エルグは頷いて答える。



「これは『誓いの首飾り』。万が一、彼女が逆に落とされこちらの計画を話されてしまっては大変困ります。そこでこの首飾りをつけて貰います」


「それをつけると、一体……」


 リービス卿が真面目な顔になって尋ねる。エルグは微笑みながら答えた。



「いや、大したことありませんよ。これをつければ『誰も愛せなくなる』んです。誰かを愛せば死に至る呪いが発動します」



「!!」


 リービス卿は言葉を失った。

 中央進出の為とはいえ、愛する娘を人質に取られるようなやり方に心が震えた。サラサラの赤髪をかき上げながら微笑むエルグ。卿にはそんな目の前の男が『赤い悪魔』に見えた。リービス卿が尋ねる。



「では、では娘は生涯誰も愛する事ができなくなるのでしょうか……?」


 エルグが笑って答える。


「まさか、そんなご心配はありません。しっかりと仕事の役目を果たし、無事『護衛職』を我らの味方に付ければその時点で呪いは解きましょう。むろん、彼女が望むならばその後は彼と交際されても差し支えありません」


「……」


 重い決断をしなければならない。

 リービス卿は頭を抱えた。中央進出は果たしたい。将来聖女を輩出するだろうジャスター家との関係は良好でいたい。しかし娘のことを想うと父として簡単には返事ができなかった。

 そんな空気をそこに現れたひとりの女性が変えた。



「お父様、私は構いません」



「ミンファ……」


 銀色の長髪が美しいリービス卿のひとり娘、ミンファ・リービスが部屋の隅で立って言った。



「ごめんなさい。聞くつもりはなかったのですが、お茶をお持ちしたら偶然お耳に入ってしまい……」


 手にしたトレーには紅茶のセット。エルグは立ち上がってミンファに言う。



「これはミンファ殿。また一段とお美しくなられましたな」


「……ありがとうございます」


 リービス卿が娘に言う。



「こちらに来なさい。ミンファ」


「はい」


 トレーを手にしたままミンファが会釈をしてふたりの前に行き、紅茶を置いてから腰掛ける。リービス卿が言う。



「本当に良いのか、このような……」


『恐ろしいこと』と言いかけて言葉を飲み込むリービス卿。ミンファは笑顔で父に答えた。



「はい。問題ございません」


 エルグがミンファに言う。



「『護衛職』はロレロレと言う男だ。是非彼を落とし、我らの味方につけて欲しい」


「かしこまりました」


 ミンファもそれに笑顔で答える。



「じゃあ、心苦しいがこれを……」


 エルグはそう言うと手にしていた首飾りをミンファに掛ける。真珠のような綺麗な玉の付いた首飾り。その見た目の美しさとは対照的に恐ろしい呪いが掛けられている。エルグが言う。



「大丈夫だとは思いますが、これであなたは一時誰も愛せなくなります。辛い所業ですが目的を果せばすぐにでもこれまで通りとなります。そしてお父上の願いもきっと叶えられるでしょう」


 その言葉を聞きリービス卿の顔が一瞬ほころぶ。対照的にミンファは厳しい表情でそれに頷いて応える。



「頑張ります……」


 そう答えたミンファだが、不安はあった。

 地方領主であるリービス家に生まれ、大切に育てられたミンファ。女子学校に通い、ほとんど男友達とも交流がなかった彼女は『男性を口説く』と言った未知の試練にこれから向かい合わなければならない。


 恐怖と不安。

 王家の『護衛職』などと言う屈強な男にどう接すれば良いのか。その美貌で幼き頃から周囲で評判だったミンファ。これまでにもそれなりの男に言い寄られたことはあるが、ほとんど相手にすることはなかった。依頼は受けたが自信がある訳ではない。この日より彼女の苦悩の時間が始まった。






「ねえ、ちゃんと聞いてるの??」


「ん? ああ……」


 よく晴れた休日の午後。

 アンナはロレンツを連れて王都で買い物を楽しんでいた。

 王族であるアンナがこうして街を歩けるのも『護衛職』であるロレンツが供をしているお陰。聖騎士団副団長のキャロルを始め上級貴族に仕える『護衛職』と言う存在はそれ程大きな意味を持ち、一緒に居るだけで身の安全が確約される。アンナがむっとした顔で言う。



「じゃあ、なんて言ったか言ってごらんなさいよ!」


 ロレンツが面倒臭そうな顔で答える。



「ああ、何だ……、『護衛職』だろ……?」


 アンナが頷いて言う。



「そう、『護衛職』。あなたまだ正式に任命されていないのは知ってるよね?」


「ああ……」


 アンナのすぐ後ろを歩きながらロレンツが答える。



「前にも言ったけど爵位が無きゃなれないの。正式に!!」


 最上級である王家の『護衛職』。

 下級貴族なら話は別だが、王家を守る者が『平民』では周りが許さない。ロレンツが溜息をつきながら答える。



「はぁ……、だから俺は貴族ってのが大嫌いなんだ。そんなもん必要ねえだろ? こうして一緒に居れれば」


 と言う言葉に一瞬どきっとするアンナだったが、冷静に考えれば『嫌い』と言うだけで受け入れようとしない後ろの男に腹が立つ。


「我がまま言ってないで受けなさいよ!!」



(やれやれ……)


 ロレンツは心の中で深く溜息をついた。





 そんなふたりをその銀髪の美女と数名の男達が見つめる。


「準備はいいかしら?」


「へい」


 銀髪の美女はそうガラの悪い男達に確認すると、少し小走りになってロレンツの方へと向かう。



「た、助けてくださいっ!!!!」


 美女はそう周りに聞こえるような声で叫びながらロレンツとアンナの近くまでやって来た。驚いたアンナがロレンツに言う。



「え、え!? 何かしら!?」


 そんなふたりを見て銀髪の美女がロレンツの前まで来て言う。



「た、助けてください!!!」


 美女は憚ることなくロレンツの腕にしがみ付きその後ろへ隠れる。周りから集まる視線。歩いていた人達も立ち止まってその様子を見つめる。



「おい、てめえ。邪魔すんじゃねえぞ!!!」


 少し遅れてやってきた男達がロレンツの前に集まる。男が言う。



「その女を渡しな。黙って渡せば……、!!」


 そこまで言った男の顔が青ざめる。隣にいた男が言う。



「あ、兄貴ィ、あいつもしかして……」


 ふたりがロレンツの顔を指差して震えた声で言う。



「ひ、姫様の『護衛職』の……、ッ!!!!」


 そこにいた男達全員が後ずさりしながら言う。



「す、すいやせん。旦那。俺たちゃ、これで……」


 そう言うと男達は一斉に走って逃げて行った。その光景を呆然と見ていたロレンツとアンナ。アンナが言う。



「なんなの、あれ?」


「さあな。で、後ろの嬢ちゃん。もう大丈夫だぞ」


 そう言われて怯えた顔で周りを見回す銀髪の美女。男達がいないのを確認すると安心した顔でロレンツの前に出て行った。



「あ、ありがとうございます! 助けて頂いて」


 それまで周りで見ていた人達も、大きな揉め事なく終わったのを見てまた歩き出す。ロレンツが答える。



「いや、俺は何もしていないが」


 銀髪の女が首を振って答える。


「そんなことありません!! あなたのお陰で私は助かりました。なにかお礼を……」


 それを聞いていたアンナがむっとして言う。



「ちょっとあなた、もういいわよ。無事だったら、さあ行きなさい」


 女はそんなアンナの声を無視するようにロレンツの手を握って言う。



「私はミンファと言います。是非今度お礼をさせてください。ロレロレ様!!」


 美しい銀髪を揺らし、大きな胸が強調されたタイトな衣装を着たミンファがじっとロレンツを見つめる。それを見たアンナの怒りは一瞬で爆発寸前まで大きくなった。

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