19.ミセルの新たな計略
「如何なる時もあなたに仕え、あなたを愛し、最悪なる厄災が世を包み来ようとも我は祈り、国と、民の安寧の為祈り続けます。私の祈りが届くことをここに願わん……」
アンナは王城内にある通称『女神の部屋』と呼ばれる一室で、国の安寧と平和の象徴となっている大きな女神像に膝をついて祈っていた。音も無い静かな部屋。窓にあるステンドグラスから柔らかな明かりがこぼれる。
「ふう……」
アンナは祈りを終えると立ち上がり息を吐いた。
幼き頃から続けている女神への祈り。聖女になる為の修練のひとつではあるが、父である国王がいた時は毎日長時間祈りを強制された。
今はその父に代わり一部国政を担っている為ここへ来る時間も減ったが、依然として聖女になる兆しすら見えない。
「やっぱりお酒飲んでベロベロになっちゃうのがいけないのかしら……」
先日もロレンツを無理やり付き合わせて、気がつけば朝、ひとりベッドの上で寝かされていた。
全く記憶がないのだが髪についた嘔吐物を見るにまた戻したらしい。ロレンツに聞くも『気にする事じゃねえ』と余計に気になる返事しかしないし、そろそろ真面目に禁酒を考えた方がいいかと思っている。
『
アンナは自分の手を広げ、最も初歩的な治療魔法を唱える。
「……」
何も起こらない。
治療魔法自体非常に稀有な能力であり、使えるだけで『聖女候補』として扱われるほど。ミセルはその上位魔法である『
(私には無理よね。悔しいけどミセルが聖女になるのならそれは認めよう。それでみんなの安寧が約束されるなら私はそれでいい……)
自分に才能がないことは分かっている。
だからアンナのお祈りもいつしか聖女の修練ではなく、一国民として国の安寧を願うものとなっていた。
「お紅茶でよろしいかしら、カイト様」
ネガーベル王城内にあるミセルの私室。
細かな装飾が施された内装に、価格がつけられないような高価な家具が幾つも置かれた特別な部屋。訪れていたカイトが緊張しながら答える。
「ええ、構いません」
カイトは部屋に置かれたソファーに座って答える。
カチャカチャとカップに紅茶が淹れられる音を聞きながらカイトが思う。
(いい香りだ。ミセル様のお部屋……)
何のお香だろうか、そんなことを考えているとティーカップをトレイに乗せたミセルがやって来て正面のソファーに座った。
「どうぞ、お召し上がりください」
上品な手つき。優雅の中にも女性らしい可愛らしさを感じる所作。いつもとは少し違った落ち着いた赤のルームドレスを着たミセルがとても美しい。
「いただきます」
カイトはそう言って高級なティーカップに口をつける。
「美味しい……」
そう口にしたカイトにアンナが口に手を当てて嬉しそうに答える。
「それは良かったです。ミスガリア地方の最高級茶葉ですのよ」
紅茶の一大産地。その中でも最高級の品である。カイトが頷いて言う。
「こんな素晴らしい品に、僕のお知らせが釣り合うかどうかは分かりませんが……」
ミセルもティーカップを手にしてその言葉を聞く。
「アンナとの婚約を破棄しました」
「え?」
ミセルは心底驚くようなふりをした。カイトが言う。
「元々この婚約は、今行方知らずになっている国王と父が決めたもの。そこに僕の意志はありませんでした。だから僕は自分の心に従ったんです」
「そうでしたか……」
ミセルは下を向き悲しむ乙女のふりをして言う。
「同じ女性としてカイト様のような素晴らしいお方とそのような事になってしまうとは、心が痛みます……」
(なんて優しい人なんだ……)
カイトは目の前で他人の不幸にもこのように心から悲しむ表情をするミセルにどんどんと惹かれていくのを感じる。カイトは懐からある物を取り出し、ミセルに渡す。
「あとミセル様、これを」
「まあ」
それは貴族の手紙で使われる封蝋印を押すためのハンドル。その紋章は王家キャスタール家のもの。ミセルはその本物の印を見つめながら言う。
「ありがとうございます、カイト様。国王が不在になってから我がジャスター家が国政を多く担っておりますが、大事な公文書に中々アンナ様が印をしてくれず……、困っているのを助けて頂きありがとうございます」
ミセルが頭を下げる。
(うっ)
そしてミセルの大きく胸の開いたドレス。頭を下げるミセルのふくよかな胸の谷間がはっきりと見える。カイトが顔を赤くして答える。
「い、いえ、大したことはないです。アンナはどうしようもない奴です。聖女になれないからと言って
ミセルは顔を上げ首を振って言う。
「いいえ、アンナ様も必死に修練を続けて国の安寧を願っております。本来ならもっと私がお助けしなければならないところを、自分が情けなく思います」
カイトはそんなミセルの手を握って言う。
「そんなことはない!! ミセル様は最も聖女に近いお方。十分頑張っておられます!!」
(キモっ!!!)
突然手を握られたミセルが心の中で声を上げる。凋落貴族がジャスター家令嬢の手に触れることなどもってのほか。ミセルはふつふつと沸く嫌悪感を抑えつつ笑顔で言う。
「ありがとうございます。皆さんがそう言って頂けるのを私も重々承知しております。でも、その重責で押し潰されそうなんです……」
そう言いながらさり気なく手を振りほどき、その手を顔に当てる。それを見たカイトが思う。
(なんて健気な!! 僕が守ってあげなければ誰が彼女を守るっ!!!)
カイトは再びミセルの手を握り、大きな声で言う。
「僕が、僕がミセル様をお支え致します!!! 不肖カイト、如何なる時もミセル様のお傍にお仕え致します!!!」
(キモいわ!!! ツバが顔に飛んで来るし!!!!)
顔の近くで大声で言うカイトにミセルはうんざりしながら、それでも笑顔で答える。
「ありがとうございます。ミセルは幸せ者でございます」
嫌だと思いながらもミセルは握られた手を強く握り返し、健気に頑張る乙女を演じ続けた。
「あー、気持ち悪い……」
何を勘違いしたのか、だらだらと話を続けたカイトが帰った後、ミセルはじっくりとお風呂に入り体の隅々まで丁寧に洗った。しっとりと濡れた美しい赤髪をタオルで拭きながら言う。
「お部屋の消毒もしなきゃいけないわね……」
お気に入りの赤のルームドレスに着替え、カイトが座ったあたりを中心に消毒液を散布する。今あのくせっ毛の顔を思い出しても鳥肌が立つ。
「命令とは言え、姫はよくあのような人物と婚約を受けたわね。ある意味凄い事だわ」
自分は絶対に無理と思いながらミセルは、机の上に置かれた王家の封蠟印が刻まれたハンドルを見つめる。
「馬鹿だけど使える価値はまだあるわね。それにしてもどうして貴族の男と言うのはあのような女々しい方ばかりなのでしょう。お兄様のようなお強い方とか、後は……」
ミセルの脳裏に『剣遊会』で副団長キャロル相手に仁王立ちするロレンツの後姿が思い出される。驚くミセルが思う。
(え、私、一体何を考えて……!? そんな馬鹿なことがあるはずございませんわ!!)
そして直ぐにそのあり得ない妄想をかき消す。
「さて……」
ミセルは小さく息を吐くとまだしっとりと濡れている髪をかき上げ、蝋を溶かし予め用意しておいた封書に封蠟する。そしてその手紙の宛名『リリー・ティファール』を見つめながら思う。
(さ~て、無能姫さん。これからじっくりと私がお料理して差し上げますわよ)
ミセルは乾いた封蝋印を優しく撫でながら静かに笑った。
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