雨に打たれる母子

敬二郎といとはそれぞれが庄屋の親族でありながらも、一農家として慎ましく生活を始めた。

家と言うより小屋のような小さな家は二人の生活にはちょうどよかった。

敬二郎は近所の人々に情報を貰い、人脈を使い米作りや野菜作りに明け暮れた。

いとも隣と村出身とはいえよそ者である。

周りの村人と打ち解けるために、挨拶周りをしていた。


しかし、今年は不作だった。日照りが続いたと思えば、長雨が続く、これが繰り返された。

敬二郎の仕事はほとんど進まず。近所の長雨で破損した民家の補修工事などを手伝ったりした。

雨の中、ずぶ濡れで帰ってくる敬二郎に手ぬぐいをわたし、髪を拭くのはいとの役目だった。


長雨が7日間続いて、夜が明けた。

雨は降り止まないが、外が騒がしかった。

おそらく、林蔵の家に人が集まっているのだろう。

敬二郎といとはボロボロの傘をさすと二人で中に入り、林蔵の家を目指した。

いとは自分の肩が濡れることもいとわないが、敬二郎はいとを濡らすまいと傘をいとの方に傾ける。

そんな小さな小競り合いがいとには微笑ましかった。


林蔵の家の前では、村の外れに住む母子が雨に濡れて座りこんでいた。

それを取り囲むように村人が10人ほどいる。よく見ると、組頭の与一郎と嘉兵衛も腕を組んで母子を睨みつけている。

母親は頭を下げ続け、隣では10歳にも満たない男児が母の横に座り込んでいた。

敬二郎には見覚えがあった。竹吉が巻き込また雪崩に巻き込まれ助けられなかった男の嫁と息子である。

「何があったのです」

見渡すと肝心の林蔵がいない。

真っ先に敬二郎に気づいたのは与一郎だった。

「敬二郎か、この母子は年貢を納めていねぇ。父親が死んでから猶予を与えたが、期限切れだ。今、林蔵に謝りに来たらしいが、林蔵は紀一さんに意見を仰ぎに清山家に向かったよ」

どうりで林蔵がいない訳だ。しかし、敬二郎にはそれよりも心配な事があった。

「状況は分かりました。しかし、なぜ誰も雨風の防げる所に入れてあげぬのですか」

いとははっとした。年貢を収めていないだけで重罪である。しかし、そんな母子に対しても敬二郎は優しさを持っていた。

「確かにそうだな。誰か、家に入れてやれ」

与一郎が呼びかけるが村人は応じない。

村の規律を乱した者を家に上げたく無いのだ。

「いいです。林蔵さんが到着するまで、僕の家で待たせます」

そう言うと、敬二郎は頭に巻いていた手ぬぐいをとった。

「いと。すまないが、この手ぬぐいで雨を凌いでくれ」

そう言うと、傘を母子の上にさし。立ち上がらせると、家に招き入れた。


「ありがとうございます。敬二郎さん」

震える声で母親が言う。子供の方も小さく頭を下げている。

「いえいえ、確かに年貢を納めない事に対して村方三役は厳しいですが、雨の中いる必要はありません」

敬二郎はびしょ濡れの頭を犬のように振りながら言った。

「とりあえず、暖かいお茶でもどうぞ」

いとがお茶を運んできた。

母親は事のいきさつを話し始めた。

「旦那が雪崩で亡くなってから、近所の方と協力しながら田んぼを作っていました。しかし、今年の長雨と日照りの連続で思うようにいかず、私の親戚に林業をしている者がおりましたので、その方に木材として年貢を立て替えて貰う予定でした。しかし、木材が届かず少し待ってもらうために林蔵さんにお願いに行っておりました」

敬二郎はその母親の奮闘に心が張り裂けんばかりだった。

慣れない農作業をして、親戚に年貢の立て替えまで依頼したのだ。

しかし、今日の様な自体になってしまった。

「それは大変でしたね。とにかく、飯でも食べてください」

「敬二郎さん。今日の分はもうありませんが」

いとが耳元で囁いた。

「いいや。僕が明日食べなければいい話だ。野草でも摘んで食べてもいい。とにかく、二人にご飯を出しておくれ」

敬二郎はいとにそう言うと、いとも断りきれずに食事を用意した。

母子は嬉しそうに食べ始め、半分くらい食べた所で敬二郎の家の扉が叩かれた。


扉が開くと、与一郎が声を張り上げた。

「庄屋の判断で、お前ら母子は村外追放とすることになった。連れてゆけっ!」

林蔵と嘉兵衛とその他若者達が、食事中の母子を無理やり外に引きずり出そうとする。

「待ってやって下さい。せめて飯だけ食わせてやって下さい」

敬二郎が必死に頼むが、嘉兵衛は冷たかった。

「罪人はこの村で飯を食ってはならん。ここを出て親類を頼るのだな」

母子は何度も頭下げながら敬二郎といとを見ていた。

敬二郎は動けなかった。


母子のを連れた一同の足跡も聞こえなくなった頃、与一郎が先に戻ってきた。

「敬二郎や。お前はほんとに、優しいな。しかし、優しさが時に仇となるやもしれん。罪人には罰を与える。これは掟だ」

「僕は村人はみな平等に扱われるべきだと考えます。いけない事でしょうか」

「俺にはなんとも言えん。とにかく、紀一さんは許さんだろうな」

与一郎はゆっくりと帰って行った。


その夜。

いとはと家の扉の開く音で目が覚めた。

「だれ?」

「僕だ。起こしてしまったかい」

そこには雨に打たれ、びしょ濡れの敬二郎の姿があった。

「こんな夜にどうなさったんです」

「昼間に調べたんだが、あの母子の親戚はこの村から歩いて5日はかかる場所に住んでいるらしい。食料も無しで歩くのは無謀だ。だから、父の蔵から食糧を失敬して村近くの洞窟にいた母子に届けて来た」

「まあ。なんてことを。そもそもこんな雨の中歩くのは危険です。それに、いくら実家とはいえ食糧を盗むなんて」

「でも、僕には母子を助ける方法がこれしか無かったんだ。すまない」


大倉村で噂が伝わるのは早い。

翌朝には、村民の意見は二分された。

敬二郎を暴君である父の紀一と比較して称える声と、罪人の肩を持つ盗人だと言う声だ。

敬二郎は称えるられても、罵られても決して反応しなかった。

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