生き仏

栗亀夏月

大倉村の敬二郎

世の中が明治維新や文明開化と騒ぐ中。

大倉村にはそんな気配はなかった。

山奥の小さな村である。

庄屋の清山家は広大な土地を開拓し、大倉村をつくった。

移住者に土地を分け与え、常に村人のために行動した。

武士の時代から藩主には信頼され、300年以上に渡って庄屋を務めている。


現在の庄屋は清山紀一。江戸時代の飢饉では、村人のことを考えず、自分の食糧の貯蓄を気にし、不都合があれば村人を追い出す清山家には珍しい暴君だった。

彼には長男の敬一郎と次男の敬二郎がいた。

敬一郎は父の血を色濃く受け継ぎ、どんな時も常に友人や後輩を先導し、命令した。

敬二郎は、そんな父と兄には似ずとても心優しい人物だった。


敬二郎の幼なじみに竹吉という男がいる。

数年前、竹吉が冬山で雪崩に巻き込まれた。

それを聞きつけ真っ先に現場に向かったのが、敬二郎だった。

敬二郎は自分が雪崩に巻き込まれる可能性と隣併せで必死に救出作業を行ない、竹吉を助けた。

その事に恩を覚えた竹吉は、持ち前の怪力を活かして、清山家の修繕作業を手伝った。


敬二郎は他にも、子供の頃から人を助け、時には村の掟を被り、仕事を手伝うなどした。

父の紀一とは大違いだと村人は敬二郎を褒めていた。


ちなみに、現在大倉村には江戸の名残で村方三役が残っている。

まずは組頭。場所によっては年寄りとも呼ばれる役職には二人。

竹吉の父である、与一郎と嘉兵衛がいる。

百姓代の役職には林蔵という読み書き、計算のできる比較的若い男が就いていた。



さて、大倉村と谷を挟んですぐ近くに白沢村という村がある。

白沢村は江戸以前には村の名前通りに大きな沢があった。

しかし、土砂崩れで埋まってしまってから毎年のように不作に喘いでいた。

大倉村と白沢村は谷に吊り橋がかけられるまでは疎遠だったが、清山家の祖先が白沢村へ物資を送るために橋をかけた。

そのおかげで、白沢村という大倉村は互いに助け合う関係となっていた。

しかし、紀一の暴君ぶりに白沢村の庄屋である志本幸左衛門は困りきっていた。

これまで築いてきた連携が崩れ始めた気がしたからだ。

そこで、幸左衛門は姪である「いと」を清山家に嫁入りさせる事にしたのだ。

紀一の長男の敬一郎は既に結婚していた。

なので、人が良いことで有名な次男の敬二郎に嫁がせる事になった。


敬二郎といとの結婚は清山家の人々にとっては政治的であるとわかっていたが、人の良い敬二郎は美しい、いととの結婚を喜んで承諾した。

そして、二人の挙式は大倉村の西厳寺で豪華に行われた。

兄敬一郎が終わりの挨拶を行った。

「我が弟の敬二郎は、実に人がいい。家のことを放り出して、村民の手伝いするのともあった。これは敬二郎の性みたいなもので、ちっちゃい頃から変わっていない。敬二郎の友人や恩人たちは弟のことを『神様、仏』なんて言ってた事もあるくらいだ。これからも、その優しさを大切に夫婦仲睦まじく暮らしいて欲しい」

すると、清山と志本双方から拍手が起こり式は幕を閉じた。


その後の宴会で敬二郎は、隣のいとの美しさに惚れ込んでいた。

「俺みたいななんの取り柄もない男が、こんな美しい奥さんを貰うなんて、夢にも思ってなかったよ」

すると、いとは小さく笑った。

「私も、仏の敬二郎さんの妻になれてほんとに嬉しく思います」

するといとは小さく頭を下げた。

敬二郎は、その完璧な作法を目の当たりにして、志本家の教育の素晴らしさを感じた。

そこに、父である紀一が現れた。

「お父様。今日はありがとうございます」

敬二郎はそういうと、深く頭を下げた。もちろんいともそうしている。

「ああ、私も息子が二人とも伴侶を持って安心した。ところでこれからの事だか。清山家で暮らすのか」

そういう紀一の言葉の節々には、家から出て行けという威圧が込められていた。

「いいえ。西の田んぼと畑をお貸し頂ければ、そこで農家として生活するつもりです」

敬二郎は暴君である父にも気を使った。

「よろしい。家は竹吉を呼んで建てさせよう。二人の門出に乾杯じゃ」

紀一は一人でさらに酒を飲んだ。

するとフラフラとどこかに消えた。

「いとさん。父も兄もとても変わっています。しかし、悪い人では無いのです。これから農家として大変な暮らしになるかもしれませんが、清山敬二郎をよろしくお願い致します」

どこまでも人の良い敬二郎はいとの手を握りながらそう言った。



「竹吉ありがとうな。家の仕事もあるって言うのに」

敬二郎は木材を切りながら竹吉に言う。

家造りは結婚式の翌日には始まっていた。「大丈夫だ。この時期は仕事が少ない」

竹吉の家も農家だが、この時期は暇らしい。

竹吉は自慢の怪力で木の板を何枚も持つと大工のいる場所に運んだ。

「敬二郎さん。竹吉さん。お茶でもどうですか」

いとは百姓代の林蔵の家で裁縫の仕事を手伝っている。その合間にお茶を用意してくれた。

三人はお茶を飲んでこれからの生活の展望などを語りあった。

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