第3話 西の超大国から来た男

 恰幅の良い年配の侍女長に「シャル様がどうしても『ボンボン・ラパン』のガトーショコラを食べたいそうなので、急いでお店に行って頼んできます」と嘘の報告をして頭を下げると、少し思案した様子の侍女長は「じゃあ、みんなの分のカップケーキも買ってきておくれ」とお金をくれた。


(侍女長、本当にいい人! うう……良心の呵責……嘘ついて、ごめんなさい。でもカップケーキも買ってきますから許して……)


 侍女達の休憩室を出たメグは、階段の陰でマントのフードを目深にかぶって隠れていたシャーロットを連れて使用人通路から外にでる。シャーロットの手を引くメグの手は恐怖と緊張でグッショリと濡れていた。


「メグ……あなたの手、ヌメヌメのベショベショで気持ち悪いんだけど……」

「誰のせッ…」


 誰のせいで、と大声を出しそうになるメグの口元をシャーロットは人差し指でそっと押さえると、可愛らしく笑ってみせる。


(悪魔だ。これは悪魔だ)


 何も言えなくなったメグは心の中で、そう悪態をついた。


 城の外に出ると、見知った商人の馬車が帰るところだったので、メグは話をして荷台に乗せてもらう。そして、城門のところで衛兵に「お使いに街に行ってきます。夕刻には戻ります」と告げた。


 なんとかバレずに城門を抜け、ガタゴトと石畳の道を馬車が下っていく。


 ホッと溜め息をついたメグがシャーロットの方を見ると、好奇心に目を輝かせて荷台のカーテンを少しめくって外を眺めている。荷台なんて王女様にしたら乗り心地は最悪だろうに、文句を言わないところをみると、楽しさの方が勝っているようだった。


 ゼロイセン帝国に輿入れする時期が近づいてくるにつけ、シャーロットの自由がどんどんなくなってきていることをメグはよく知っている。そして、自分もおそらく彼女についてゼロイセンに行かねばならない。少しでも故郷を目に焼き付けておきたい気持ちはよくわかった。


(なんだかんだいって、みんなシャルには甘くなっちゃうのよね。私は特に)


◇◇◇


 王都ファーヴニルでも一番栄えているルクス地区の大通りには、両脇に様々な有名店が入った建物が並んでいる。また、たくさんの露店商も隙間を見つけては各々商いをしており活気に満ちていた。


 メグの後について、大通りから少し外れて路地に入る。店の外まで本棚を置いて書籍が溢れているその店が本屋なのは明白だった。


 カランと、扉を開けると小さな鐘が鳴る。シャーロットは初めて訪れた『本屋』に胸を弾ませた。王城の図書室よりもカビ臭くなく、新しい紙とインクの匂いがする。本屋の中央に置かれたテーブルで、数人が書籍を吟味するように試し読みしていた。印刷技術が発展してきたとはいえ、まだまだ本は高価だ。


「メグ、今月は取りに来るのが遅かったね。ちょっと待ってくれ。書庫に取りに行ってくるよ」


 店主とメグが会話をしている間、シャーロットも店内を見て周ることにした。『植物図鑑』『呪術百選』『美味しいジャガイモ料理』……色々なタイトルが並んでいる。背表紙を指でなぞりながら、本棚に目を滑らせていく。


「お嬢さん、何か探してるの?」


 急に声をかけられて、シャーロットは本棚から顔を上げる。眼鏡をかけた人の好さそうな青年がニコニコしながら、彼女を見ていた。


「いえ……特定の何かを探してるわけではなくて……本屋に来たのが初めてで」


「そうなんだ。僕はいわゆる本の虫って奴でね。まぁお金はないから買えないんだけど、この店は試し読みで全部読んじゃっても怒られないし。僕の故郷の店主なんて、貧乏人が本を触るなぁって怒ったもんさ」


 眉を下げて肩をすくませ青年はそう話す。


「故郷ってことは、この付近のご出身ではありませんの?」

「ああ。僕はロマフランカの出身だよ」


 それを聞いてシャーロットは、ビックリして声がでなかった。ロマフランカ王国は、西の巨大山脈を越えた向こう側の超大国だ。広大な農地に支えられた豊かな国力。姉の第一王女の嫁ぎ先だった。


「って、自己紹介が遅れていたね。僕の名は、ロベール」

「……私は、シャルです……。ロマフランカだなんて、随分と遠くからいらしたのね。お仕事ですの?」

「うーん。どちらかというと仕事探しに……かな」


 シャーロットは首を傾げる。ロマフランカの方が仕事は多かろうに。見るからに穏やかな物腰だ。なにか問題を起こして故郷にいられなくなった人間といったようには見えなかった。


「ん? あ~。言い方が変だったかな。僕は子供たちに読み書きを教えてるんだよ。大抵は教会とかで。それでその代わりに寝床と食事を貰うってわけ。だから、もしシャルが本に興味あっても文字読めないなら、同じような子を募って教室でもって、ちょっと下心で声かけたんだ」


 正直にそう述べたロベールにシャーロットは好感を抱く。顎に手を当てると、少し考えてから、彼女は口を開いた。


「……そうね。は、手習いのがあるから子供たちのはそれなりに高いのよね。だから、もしをなさりたいのなら、もう少しを教えられた方がお仕事があると思いますわ。ロベールさんのご専門はなんですの?」


 シャーロットの物言いに、ロベールは目を丸くする。


(この子、随分と難しい言葉を知っている。庶民の服を着てるけど、貴族の子女のお忍びってところかな)


 ロベールは慌ててベストの裾を伸ばすと居住まいを正した。そして、右足を引き、右腕をみぞおちあたりに添えると、お辞儀をする。


「専門は政治学です。これでもロマフランカのパリス大学に籍を置いております」


 そう改めて自己紹介をして、顔を上げるとロベールとシャーロットの間には、にゅっと伸びた手が遮っていた。


「うちのシャルに何か御用ですか?」


 眉をひそめて、酷い疑いのまなざしをしたメグが二人の間に割って入って、ロベールを睨みつける。


「ほら、買い物終わりましたから、店を出ますよ!」


 メグはシャーロットの背中を押しながら、強引に店の外に押し出していく。


「パリス大学だなんて、とてもご優秀ですのね。それなら、きっと良いお仕事見つかりますわ」


 シャーロットは最後にそう言って、ロベールに手を振ると店を後にした。

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