王都特別行政地区(王太子直轄領)医療改革編

平民1人目(政治学者)

第2話 王位継承権なき王女

 西に山脈。北にも山脈。国土は大きな湖だらけで、人が住める平地は少ない。でもその分、清らかな真水に恵まれ、空気も澄んでいる。そんな小さくも美しい国がシグルズ王国である。



 倒竜暦542年・春。シグルズ王国・王都ファーヴニルの王城にある一室。


 高品質な国産の木材からできた品の良い家具。遠方から取り寄せた丹念に織られたカーペットに、カーテン。大きな置時計の振り子が揺れる音。壁に飾られた家族の肖像画。


 そんな勉強部屋に窓から優しい午前の光が差し込む中、お経のように建国の歴史を教える女性家庭教師の声が響く。


「……勇者シグルドが邪竜ファーヴニルを討伐した褒美として…………シャーロット殿下! 聞いていらっしゃいますか!」


 シャーロット殿下と呼ばれたレディと呼ぶにはまだ少し早い少女が、頬杖をついて退屈そうに教師を見上げた。


「マイヤー先生、そんな大きな声出さなくても聞こえてましてよ」


 やる気のないシャーロットの声に、マイヤー先生の怒りのボルテージがさらに上がる。


「殿下、あなたは数年後には、遠方のゼロイセンにお一人で嫁がねばいけないのですよ! 外国人で教養のない妃など軽んじられます! 軽んじられた妃の行く末なんて、死か、死よりも惨めな生活です! おわかりですか!!」


 うへぇと舌を出して、シャーロットはますますウンザリした顔をした。

 


 シグルズ王国には、二人の王子と五人の王女がいたが、第二王女と第四王女は夭折しており、現在は二男三女である。


 その末妹まつまいである第五王女シャーロットは、御年十五歳。大変健康な体に恵まれ病気知らず。外見も手入れの行き届いた亜麻色の美しいダークブロンドヘアに、翡翠ひすい色の瞳が輝いており、黙っていれば大変可憐で美しいお姫様といった面持ちである。黙っていれば、だが。


 そして、この国では王位継承権及び家督相続権は男子のみに認められているため、王女とは言っても他の貴族の娘たち同様に政治的カードの一つにしかすぎない。


 彼女もご多分にもれず、幼少期から北の山脈を越えた向こうにあるゼロイセン帝国の皇太子との婚姻が決まっていた。



「え~でもさぁ、フィリップ兄様が『女はバカな方がいい』って言ってたし。それに勇者シグルドに討伐命令を出して支援した田舎貴族だったご先祖様が、褒美にこの地をもらった話は誰でも知っているお話だし」


 南方の商業都市国家ナッポリーノに『視察』という名目で、遊びに行ってる第二王子の戯言を口にする。


「『本当にバカ』なのと『教養を隠してバカなフリをする』のは雲泥の差ですよ! この授業の主題はそのみなが知っているお話から先の話です! そもそも、なんですか、その口調は!」


 落雷のような叱責の連続に、シャーロットは思わず耳を塞いだ。怒りの収まらないマイヤー先生がさらに言葉を続けようとした瞬間、大きな置時計がボーン、ボーンと鳴り、午前の勉強時間終了の合図をする。


「あら、こんな時間。マイヤー先生。私、明日の夜会用ドレスについて試着しないといけませんので、これで失礼いたしますわね」


 軽やかに椅子から立ち上がると、ひざを軽く曲げて可愛らしく会釈をしてから猫のような足取りでシャーロットは勉強部屋を後にする。後ろでなにやらマイヤー先生が言っているが、馬耳東風を決め込んだ。



◇◇◇



「シャル様、私の部屋はあなた様の秘密基地じゃないんですよ……」


 侍女のメグがそばかすのある顔を半泣きにして、シャーロットに抗議をする。二人は同い年で、メグの母はシャーロットの乳母だった。


 夜会のドレスを即断即決で決めて、次のダンスの授業までの自由時間を確保したシャーロットは、メグの部屋に隠してある通俗的な小説を彼女のベッドに寝転んで読んでいた。


「二人の時は『シャル』でいいって、いつも言ってるでしょ。っていうか、ねぇ。どうして今月の『プリンセス・パープル』の新刊ないの?」


 シャーロットは読み終わった小説から顔を上げると、眉をひそめてメグを非難し返す。


 『プリンセス・パープル』は巷で少女たちに大人気の恋愛小説である。ムラサキ姫が平民だがイケメンのゲンジと恋に落ちる身分違いの恋物語に、夢見る乙女たちは毎月のたうち回って悶えているのだ。


「今月は街に買いに行ってる時間がなかったんですよ! 出入りの行商にも頼めなかったし……」


 本当のことだったが言い訳のような物言いになってしまったメグは更なる叱責を覚悟したが、なぜかシャーロットはこれを聞いて何かを閃いた顔をした。これはこれで絶対にロクなことじゃないと、メグは経験上よく知っている。


「じゃあ、買ってきますわ!」


 絶句。


「な……な……な……何言ってるんですかぁああああ!!!」


 王位継承権がなくとも王族は王族。それも現国王直系の王女である。城の外に出るならば近衛隊による警護計画を立てなければならない。それは一朝一夕で立てられるものではなく、ましてや王女の思い付きに急遽対応することなど不可能だった。


「あら、大丈夫よ。昔はグラムと一緒によく城を抜け出して、城下で遊んでたもの」


 メグはシャーロットの罪の告白に卒倒しそうになった。グラムも彼女らと同い年の幼馴染であり、彼の父親は近衛隊の大隊長である。


(あのクッソガキ……隠れてそんなことしてたのか……)


 眩暈で倒れそうになるのをグッと抑えると、どうにかシャーロットに思いとどまらせようと無い知恵を絞る。


「……じゃ、グラムも一緒に三人で行きましょう? ね?」


 グラムは2年前から近衛隊で働いているので、夕方まで捕まらないだろうし、その頃にはダンスの授業が始まっている。このじゃじゃ馬娘も流石に警護を一人もつけずに外に出たりしないはずだ。


「あなたもグラムも忙しいじゃない。私だって一人で本を買うくらいできましてよ。でもそうね。服だけは貸してちょうだいね」


 護衛もつけずにお出かけする気だったー!!


「たった今、暇になりました!! これから買いに行ってきますから、シャルは城にいてください!」


 メグの直談判も空しく、シャーロットは無視して彼女のクローゼットを漁り始めている。地味なブラウスとスカートを選ぶと、豪快に今着ているドレスを脱ぎ捨てて、朝メグが頑張って締め上げたコルセットをベッドの上に放り投げた。


「ほんとコルセット嫌いですわ。私も普段は平民みたいな服着て生活したい」


 こうと決めたら絶対に実行することを十五年の付き合いで嫌というほど思い知っているメグは絶望の中で、しかたなく自分も城の外にでる準備を始めた。

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