第18話 勇者様、魔界を行く

 ー同刻 魔界の地ー

 ページたちが会話している頃、「メティスの大盾」の四人はタワーの魔法障壁を抜けて、魔族の世界へ足を踏み入れていた。


 魔族の世界と言っても、水や空気は何も変わらない、周りの自然や野生動物なども、特段変わったものがあるわけではない。ヒナを除く三人は、これまでに幾度となく魔界に足を踏み入れているが、凶暴な魔物と戦う場面は少ない。それは、魔界に無闇に深入りしない、というシンプルなルールを守っているからである。

 こんな勇者の名に反するようなルールは、酷い矛盾だと批判する者もいる。しかし、その理由は単純明快である。タワーの魔法障壁が人間界との魔法的繋がりを遮断し、連絡や補給、或いは逃走が困難となる。そして、いくら勇者といえど魔族の大群を相手に少数で臨んだところで、結果を覆すことはできない。つまり、ルールを守らなければ、生きて帰れない、それだけのシンプルなルールなのである。


 そんな中、彼らは魔界の地を進む。

「ひぃ~~な~~ちゃ~~ん。大丈夫? ちゃんとついて来れる?」

 ルーナの声は、まるでピクニック気分の様に明るい。

「…、大丈夫。」 ヒナは特に疲労も見せず応え、その手には、六色ワンドが光る。

「少し強行なスケジュールではなかったですかね? 目的地はそれほど遠くないとはいえ、帰る頃には日が暮れませんか?」「魔族の森で暗くなるのは、あまり心地よいものではありませんね。」

 大盾の一行は、朝一で「コハクフクロウ」へ相談に行ってから、その足でそのまま魔界へ入り、目的地の「白鳥のくちばし」へ向かう。その場所は、かつて訪れたことがある「世界樹」よりは人間界側に近い。途中までの道程には知識もある為、彼らのやり取りには余裕が垣間見える。

「お前ら…。油断しすぎだ。ここが魔界だということを忘れるな。」

 ブラッドは一人緊張を保っている。ピリピリしてるのは、魔物のせいか、仲間のせいか。

「でもぉ~、あの地下にいたゴーレムを一人で倒したヒナちゃんと、アイリスケリュケイオンの力があれば、魔王だって簡単にやっつけられると思わない? ナハハハ…。」

 ルーナは耳を振りながら相変わらず陽気に振舞う。そんな陽気が幸運を呼んだのか、ブラッドの警戒をよそに、魔物に出会うこともなく一行は、目的地の湖の近くに辿り着いた。


 湖畔には野生の花畑が広がっていた。日が落ちかけた空は赤く染まり、木々の隙間から漏れる柔らかなオレンジの光が、花畑や湖面に映り込み、キラキラと宝石のように輝いている。アザミやコスモスが咲く中に、食べられるか分からない野イチゴに似た木の実があちこちに混じる。人の手が入っていない、自然が生み出した無作為の調和の景色は美しかった。

 一行は、意図せずして自然が織り成す奇跡的な光景に出会い、思わず足を止める。言葉を失い、ただその場に佇んで、時間を忘れて見惚れていた。遠くでは鳥の鳴き声が微かに響き、湖畔の静けさを引き立てていた。


「……。さあ、遊びに来たんじゃないんだ。『植物金属ハーペリア』、何としても探し出すぞ。」

 ブラッドの一声で、四人は湖畔の周囲を探索し始めた。陸奥とブラッドが花畑に沿って陸地部分を探索し、ルーナとヒナが水辺付近を探す。しばらく経つと、徐々に日が沈み、空には星が輝き始めた。ヒナは光魔法で明りを灯す。次いで浮遊魔法で湖面へ向かおうとした寸前で、ブラッドから呼び声が上がった。

「おーい。こっちに来てくれ。」

 四人はその声に集まる。その場所は、少し奥まった木々の隙間。深い紫の竜胆に似た花が群生し、その蔓は木々にも絡まり、一帯から微かなあまい香りが漂う。しかしそれより目を引いたのは、その竜胆の群れに包み込まれるように中央に位置する百合の花だった。

 その花々の地面から伸びる花径の先は蕾のままで、その中でたった一輪が優雅に花を咲かせている。百合の六枚の花弁は、雪の様な白色と闇夜の様な黒色が交互に重なっており、その陰影が月明かりに照らされ、神秘的な輝きを放っていた。

「ん~…。この百合の花、アタリじゃない?」

 四人がその美しさに魅了される中、ルーナは一人切り出し、百合に近づき触れてみる。その花弁は絹のような柔らかさがあったが、茎や葉は硬い。その硬さは異常なほどで軽くたたくとカンカンと音がする。

「ビィ~ン~ゴ! ってヤツぅ? ねぇねぇねぇ!」

 ルーナは響く金属音に合わせて耳を揺らしながら、満面の笑顔を見せ、後ろの反応をうかがう。

「「…………。」」 しかし、ブラッドと陸奥は全く反応しなかった。

 そしてー

「ルーナさん危ない!」 と、ヒナが珍しく声を上げる。

 こちらを向いているルーナの背後から、竜胆の蔓がウネウネと伸び出していた。ヒナの声に反応したルーナは、蔓が絡みつく寸前で飛び退いた。

「あの竜胆、おかしい。」

 ヒナとルーナは竜胆から距離を取る。しかし、ブラッドと陸奥はその場から全く動く気配すらない。その二人の足元から蔓が巻きつき始めていた。

「あのバカ二人❕ ヒナ! サポートお願い!」

 そう言ってルーナはもう一度、竜胆の生息域に近づくと素早く二人に接近し、両腕で二人の首根っこを掴んで、力ずくで引っ張った。二人の脚に絡みついた蔓を、ヒナの風魔法が後ろから狙いすましたように断ち切った。

 そして、ルーナは二人をそのまま強引に安全な場所まで運んだ。ルーナとヒナは、しばらく警戒していたが、竜胆のように見えた魔法生物は、あの場所からこちらに襲ってくることはなかった。

「だあぁぁ! あー、もー重い! 特にブラッド! 二人とも、どうしちゃったのよ!」

 ルーナはキレ気味に二人に問いかける。

「「…………。」」

 しかし二人の反応はない。二人の状態は麻痺ではなく、何かに引き込まれ、一点をじっと見つめていた。言葉も届かず、心の時間が止まってしまったような状態だった。

「…。思ったより重症? 取り合えず気付け薬と、毒の症状は…、ないわね。」

「あっ! ヒナ、あなたは大丈夫?!」

「…、大丈夫。」 特に変化もなく応えるヒナ。

「そう、良かった…。ヒナ、あなたはこの二人の状態どう思う?」

「これは、魅了。あの竜胆のあまい香りが誘発した。」

「あー…、やっぱり? あの竜胆何か怪しいと思ったのよねー…。」 ルーナの耳はそよぐ。

「でも不思議よね。どうして私とヒナは平気で、この二人だけ?」 ルーナは素朴な疑問を口にする。

「それは、あまい香りはあくまで導入で、魅了の主体はあの百合の花。魅了する存在を百合の花に投影させる自然界の魔法。」

 ヒナが魅了魔法の原理を説明をし終わった直後に、ブラッドはわずかな反応を示した。

「……クラ、リエ…。」 その口から女性の名前が漏れる。

 ヒナの説明は正直よくわからなかったルーナだが、ブラッドのその囁きを聞いて、大体のことを理解した。

「…なるほどね。ヒナちゃん、じゃあ二人はこのまま香りの効果が切れれば、元に戻りそう?」

 ヒナは黙ってうなずく。

「よーしじゃあ、私が一人であの百合の花取ってくるから、ヒナちゃんは援護お願い。」

 と言い、ルーナは諦めずに、元の状態に戻っている竜胆の群生地に入ろうとする。しかし、

「私が行く。」 と、ヒナは珍しく割って入った。

「え? ちょっと、それは…。」 ルーナは躊躇する。

「ルーナさんまで倒れたら、三人連れて帰るのはとても大変。」 と、ヒナは平然と言い放つ。

「は? いや、それは…、そうなったら私も大変になるんだけど…。」

 と、ルーナが言い返すより早く、ヒナは行動に移す。それを受けて、ルーナは無理に止めるでもなく、援護に回った。しかし、それほど警戒したのが馬鹿らしくなるほどあっけなく、ヒナは百合の花々を根元から切り取り、採取に成功した。竜胆の蔓も魅了した相手を絡めとるのが目的のようで、その前提を満たさない状態では全く反応を見せなかった。

「ヒナちゃん、大丈夫?」

「…、大丈夫。」 特に動じる様子もなく応えるヒナだった。


 無事目的を果たすと、間もなく男二人は正気を取り戻した。二人に一部始終を説明して、一行は帰路に就く。帰り道のルーナは、行きの上機嫌を帳消しにするほど不機嫌になっていた。ルーナの小言を全く言い返せないブラッドは終始我慢していたが、陸奥は塞ぎ込む。魅了による精神的なダメージは、陸奥の方が大きかったのかもしれない。今回一番仕事をしたヒナは、特に疲労した様子もなく、その手の六色ワンドは月光の中で、星座の様な輝きを放っていた。

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