第12話 勇者様、飛んで行く

 ヒナの去った跡をしばらく眺めていたオレンは、外に出たついでに果樹園の作業を始めた。リンゴの実の成長具合を見定めて、必要な作業を進める。そうこうしてしばらくたった時、圃場に一人の男性が足を踏み入れる。男性は作業をしているオレンの後ろから声をかけた。

「こんにちは。先ほどは、失礼しました。」

 まるでシルクでうなじを撫でられたような不意打ちのこそばゆさに振り向くと、そこには、微笑みかけている勇者陸奥が立っていた。

「はひぃ?」 全く想定していない人物の来訪に、声が裏返るオレン。

「すいません。突然お邪魔して。あ、お仕事の途中でしたら、お構いなく続けてください。お手が空くまで待っていますので。」

 そう言われても、気になってまったく仕事が手につかないオレンは、早々に作業を切り上げ、おずおずと尋ねた。

「あのー…。何か御用でしょうか?」

「あら、もうよろしいですか? もし、お気を使わせてしまったのならとても心苦しいのですが、少しお話よろしいですか?」

 陸奥からこんなことを言われれば、大半の女性は全力でYESというだろうが、オレンにはその価値がない。ただ、勇者である陸奥に、これほどへりくだられたらYESと言うより他にない。

「はい…。わかりました。あの、実はですね、ついさっき、ヒナさんも家に来て少しお話したんですよ。」

「その時、皆さんが武器を探している件は聴いたんですけど…。」

 オレンは、同じことの繰り返しにならないように予防線を張る。

「そうですか。なら、話は早いですね。どんな些細な情報でも教えてくださると、とても有難いのですが…。」

「ここなら、酒場と違って誰もいませんし、私こう見えて口はとても堅いですから…。」

 陸奥はそう言いながら、まるで女性を口説くかのように一歩近づき、囁くように語り掛ける。距離が縮まったことで、イケメン特有の良い香りが鼻をくすぐる。オレンは陶酔しそうになる寸前で、ハッと気付き焦りながら一歩下がった。

「そ、そう言われてもですね。俺はこの通りのリンゴ農家なので、本当に、何も知らないんですよ。」

 オレンの言葉は、別種の焦りを感じて早口になる。

「それは昼間にお聞きしました。できることなら、別の言葉をお聞きしたいですね。」

 と、オレンが一歩下がった分、更に一歩近づいてくる。終始絶やさない陸奥の笑みの真意がどこにあるのか、オレンには分からない。その得体のしれない威圧感に押されるように、オレンはまた一歩下がろうとしたとき、バランスを崩してその場に尻もちをついた。

「うわっと! あいててて……。」

「おやおや。大丈夫ですか?」

 それを見て、倒れたオレンに手を差し伸べる陸奥。オレンは一瞬、その手を取るべきか迷ったが、取らないわけにもいかず手を握る。グイッと身体を引き寄せる力は、これまでの印象と違って力強い。しかしそれは、力任せというものではなく、柔のような理合いによるしなやかな力の流れを体感させた。陸奥はそのままの勢いでオレンを抱き寄せ、耳のそばで囁いた。

「次、会うときには、色よい返事を期待していますよ。」

 陸奥はそう言うと、笑みを残したままその場から去っていった。

「……。何だったんだ…。」

 オレンはしばらく、その場に呆然としていた。


 陸奥との謎のやり取りの後、作業を終えたオレンは、家に戻って一息ついた。しかし、それも束の間、玄関のドアが突然、バンッ!と開いた。

「はあぁっ!!」 何度も続く現象に、大概オレンも反射的にキレた対応をする。

「ん? 取り込み中だったかな。」 今度姿を現したのは、勇者ブラッドだった。

(はぁーー……。) 心の中で、深い深いため息をつき心を落ち着かせるオレン。

「はい、何でしょう。実はついさっき、ヒナさんと陸奥さんが来られて、お話させてもらいましたけど…。」

 三度目となると、オレンも段々慣れてくる。多分効かないだろうなと思いつつ、取り合えず予防線を張ってみる。

「そうか。あの二人はもう来たのか。要件はまあ、昼間の話の続きなんだが、少し時間いいか?」

「…。どうぞ。」

 本心ではいい加減断りたいオレンだが、そういうわけにもいかず、招き入れる。ヒナの時と同じように食卓を挟んで向かい合う二人。ブラッドにとってはその食卓は小さく見える。

「早速で悪いが、私が聞きたいのは君の持つ情報についてだ。」 そう切り出したブラッドに、オレンはすぐさま、

「だから、俺はー」 と切り返すが、それをスッと手を上げ遮るブラッド。

「君の言いたいことは、わかる。それは理解しよう。」

「しかし、君は我々が伝説級の武器の発見に、どれほどの労力をかけて来たのかを知らない。君が見つけたあの、アイリスケリュケイオンは伝説の中の伝説、究極の至宝と呼ぶべきものだ。それを「偶然見つけた」というのであれば、我々はそれを『奇跡』と考える。」

「……。」 言葉を失うオレン。そんなオレンの様子をうかがいながら、ブラッドは話を続ける。

「だから、どんな情報でも伝えて欲しい。どこかで噂話を聞いたとか、寝ていて見た夢の話でも、神の神託があったなどでも、どんなことでも。武器の情報でなくても、その材料になるような魔石や、希少金属の話でも。少しでも手掛かりがになる情報があれば伝えて欲しい。」

 ブラッドの真剣な言葉を黙って聞いていたオレンは、しばらくの沈黙の後、応えた。

「……。お話はわかりました。ですけど、本当に何の情報もないんです。」

「…。そうか…。」 と言い、ブラッドは深くため息をついた。

「では、今日はこれで帰るとしよう。また日を改めて、何度か立ち寄らせてもらうが、構わないか?」

(え? 来る? 家に? 勇者が? 何度も?) 突然の提案に、答えに詰まるオレン。

「まあ、ダメでも特権を行使するだけだがな。ハハハ…。」

 ブラッドが珍しく笑いを見せたのは彼なりの気遣いなのだが、オレンはその意味に気づかない。

「それでは、今後ともよろしく。」

 と、ブラッドは右手を差し出す。オレンは導かれるように手を差し出し握手した。その手は痛いほど力強い。握手を離すとブラッドは挨拶をして、去っていった。

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