第5話 勇者様、噂される

 オレンを乗せた馬車は、家に辿り着いた。馬車の軋む音に紛れて、家の中からは微かに歌声が聞こえてくる。家に入る前に、オレンはまず納屋に馬を戻し、一通り片付けを終えて家のドアを開けた。中に入ると、歌声はより大きく鮮明に聞こえる。オレンはその歌声を特に気にする様子もなく、すっかり遅くなった夕食を取ろうと、あるものを見繕って食卓に広げた。歌声はその食卓の上にあるスピーカーから流れていた。


 ”魔子回路ー 本来、魔法の術式で構築される特定のエレメントの操作を、魔石を用いた回路を通じて術の構築を自動化する装置。高度な魔法ほど六属性エレメントの力を制御する精密さと、バランスやタイミングの正確さが求められる。しかし、この魔子回路は、一つの魔法に限定した制御を回路化することによって、術者が制御をせずに、魔素を注ぐだけで魔法が画一的に発動できる。魔法の一般化を目指して十数年前に開発された技術である。”


 このスピーカーの魔子回路には「転送された音声の再生」という魔法が組み込まれている。これは、現実世界におけるラジオ(この世界での呼称はマジオ)と同じようなモノであり、そして同じようなモノがあるこの世界では、必然的に同じような文化もまた形成されるものである。歌が終わると、スピーカーからはー


(ミーヤ「ーはい。勇者クレメンタイン様の新曲、聖十字(セイント・クロス)でした。ありがとうございましたー」

(リンカ「はい、ミーヤさん、早速お便りが届いていますよ。」

(ミーヤ「ホントですか? リンカさん」

(リンカ「マジオネーム、黒耳白尻尾。「お前が歌うんかいっ!」」

(三人「ありがとうございます!」

(サンセ「ミーヤさん、更にお便りが届いていますよ。」

(ミーヤ「ホントですか? サンセさん」

(サンセ「マジオネーム、白々魔導士。「やっぱり、お前が歌うんかい!」」

(三人「ありがとうございま~す!」

(ミーヤ「はい、というわけで本日のカカ中マジオ放送はこれにて終了です。最後に、マジオネーム、火竜亭の店長。「今日はお兄ちゃん来たよー。」」

(ミーヤ「いつもいつもありがとうございまーす! というわけで、せーの」

(三人「温かくして寝ろよー。ばいばーい。」


 騒がしい声をオレンは食事をとりながら、ときに笑みを挟んで聞いている。

「兄ちゃんは、妹が楽しく学校生活してくれて、満腹だ。」

 一人きりの食卓で、過った独り言を呟く。そして、その声がまるで聞こえたかのように、家の奥からパタパタと歩いてくる音が聞こえてきた。

「あ、お兄ちゃん、お帰りー。今日は遅かったねー」

 半日ぶりに見る顔。スピーカーから聞こえていた声と同じ声が、今度は生の声で響く。

「ごめんよー。今日はちょっと色々あって……。」

 オレンの話を横目に、妹のミーヤは食卓にあった飲み物を取って、「また後で」というジェスチャーをして、パタパタと自分の部屋に戻っていった。

「ふぅ……。」 と、オレンは一息ついた。


 六年前の魔族侵攻で両親を殺され、孤児となった二人だが、村の人々の助けと、奇跡的にほとんど無傷で残すことができた果樹園によって、二人は孤児院に入らずに済んだ。両親の形見と言える果樹園でとれるリンゴは、とても出来が良く、今はそれらを売って暮らしている。

 そして、妹のミーヤは兄のオレンとは違って、魔法の才能に恵まれていた。といってもそれは、魔法が使える者の中では下から数えたほうが早い程度のものであり、勇者と比べればその足元にも及ばないものである。親代わりの兄として、(妹には好きなことをして生きて欲しい)と日頃から願っているオレンは、少し無理をして、その才能を少しでも伸ばすため、ミーヤを学校に行かせている。その学校で、ミーヤが好きなことでやっているのが、あの「カカミ中等学校マジオ同好会(カカマジ)」である。

 

 しばらくして、ミーヤは再び食卓に顔を出した。

「お友達との打ち合わせは終わったかい?」 食事を終えたオレンが尋ねる。

「今ねー、終わったー。なんかね、最近カカマジのリスナー、増えてる実感があるのよねー。」

 ミーヤは嬉しそうに語る。

「それで、どうして今日はこんなに遅くなったのよ?」

「ああ、実はさ、勇者に会ったんだよ……。」

「……。」 一瞬止まるミーヤ、そしてー

「勇者ってまさかっ! クレメンタイン様っ!」 ガタッと椅子から跳ね上がる。

「…、残念でした。違います。」 オレンは意地悪げに言う。

「ブラッドさんだよ。俺たちを魔物から救ってくれた。」

「なーんだ。」 ドサッっとミーヤは元の椅子に乱暴に寄りかかる。

「あー、感謝はしてるのよ、あの人にはね。でも私にとっての勇者様は、クレメンタイン様だけだから!」

 パッと、手を胸の前で組んで、目をキラキラさせる。そしてパッと素に戻る。

「それで? どうだったの?」

「…、直に話すことができて、聞いたんだよ。六年前の俺を覚えてますか? って。でも……。」

「覚えてないって言われてさ……。」 そう言ってオレンは俯いた。

「……。そっか。でも、仕方ないんじゃない? あの時はみんな大変だったんだから……。」

「いくら勇者様だからって、中身は人間なんだから。」 思った以上に落ち込む兄をミーヤは慰める。

「……。うん、そうだよな。いや、それより、覚えてないって言われたことよりさ。なんか、直に話したら六年間背負ってたものが急に吹き飛んで楽になったっていうかさ、うん。踏ん切りがついてスッキリしたかな。」

 ミーヤに話したことで、確かに少し楽になったオレンの、その言葉には少し強がりも残る。

「あー…。でもショーゴには悪いことしたなー…。」 さっきより項垂れるオレン。

「…、ひょっとして今日の勇者披露パーティーに出たの?」

「え? 知ってたんだ。そうそう。ショーゴに無理いって潜り込ませてもらったんだよね。でも意外だな、クレメンタイン以外には興味なさそうなのに、他の勇者の事もチェックしてるんだ。」

「…わかってないわねぇ…。」 ミーヤは、はぁーと大きなため息をつく。

「他の勇者の事もしっかり調べた上で、じゃないと、クレメンタイン様がどれほど素晴らしいか語れないでしょ? あと、私の前でクレメンタイン様のことをしゃべるなら、ちゃんと敬称をつけなさい。」

 物覚えの悪い相手に、何度言えばわかるのかしらといった態度のミーヤ。

「じゃあさ、今日のパーティーの主役だったヒナって勇者の事も知ってる?」

「当然、知ってるわよ。その娘、魔法学園卒業と同時に勇者に抜擢された天才よ。」

「…。へぇー、あの子、そんなにすごいんだ。」 オレンは、直に話したときに受けた印象とのギャップに少し驚く。

「でもどうなのかしらね…。そりゃあ、あの年で勇者になれるんだから、才能はあるし、弱いってことはないでしょうけど。他のメティスの大盾の武闘派メンバーと比べるとね、戦力的には見劣りするわよね。パーティーのバランス考えると、補助的な支援魔法要員ってとこじゃないかしら? 実際、前のメンバーはそんな人だったし。」

 流石の分析を披露するミーヤ、それを感心して聞いているオレン。

「…、ふーん。そっかー、まあ、そうだよなー。確かに一般人からしたら勇者であることは、すげーステイタスであるけれど、その勇者だって10人集めれば、1から10までランク付けされるもんだよな。」

「だ! か! ら! 勇者になってから常にトップに君臨し続けるクレメンタイン様は最高なのよ! わかる? カカマジだって、クレメンタイン様の素晴らしさを、広く伝えるために始めたことなんだから!」

 (そうだったのか、兄ちゃんは初めて知ったよ。)と内心思いながら「うん。うん。」 と頷くオレン。

「さてと、兄ちゃんはもう寝るけど?」 日常に戻った安堵から、眠気に誘われるオレン。

「私はもうちょっと明日の準備するから。」

「じゃ、おやすみー。」「おやすみ。」

 オレンは寝室のベッドに倒れ込む。今日という日に起こった事、全てが夢の中に沈みかけた時、1つの現実を思い出す。

「あー……。手紙……。忘れた……。」

 胸にしまった手紙の感触を確認はしたが、それ以上のことをする気力はオレンに残っていなかった。


 ー丁度その頃ー ルガーツホテルのスイートルーム

 広い部屋の大きなベッドに、少女がちょこんと座っている。ゆったりとした寝巻に着替えた少女の膝の上には、子猫とみかんがちょこんと座る。少女は左手で子猫を撫でながら、右手でみかんを手に取る。暫くみかんをじっと見ていたが、おもむろに、子猫を撫でるのを止め、両手を使ってみかんのヘタとおしりを丸く剥く。残った皮を房に沿って縦に切り離して広げる。子猫はくんくんと剥き出しになった実の匂いをかいでいる。そして、少女は1つ実を取り、口に入れた。その瞬間ー

「ーーーーッッ!!」 子猫はその反応に驚いて、膝の上から逃げ出した。

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