第14話 迷宮学者と酒宴
歓声と共に、空気に麦酒がばら撒かれる。どちらかと言えば、歓声と言うよりは怒号に近いが。
酒場の空気はどうも慣れない。空気が澱んでいるというか、濁っているというか。溢れんばかりのアルコールが空間の中にも溶けだして、息を吸うだけで酔ってしまいそうだ。
ロンドール調査の完遂と、成功。そして生還を祝して、私たちは再び王都へ戻り酒場、愛の巣亭に来ている。
人間と
「ローレンヌゥ!! 来いよ! 力比べだ!」
「いいだろう! ギルドで揉めた時から、いつかお前は殴ってやろうと思ってたんだ!!」
「おい!
再度声が上がる。どうやら盛り上がっているらしい。
この店は現在我々の貸切である。その為、このように周りを気にせず盛り上がっても、迷惑を被る人間はいないという訳だ。
遠巻きにローレンヌとウィルザードの腕相撲を眺めていると、隣の席猫の尾が私の太ももに触れる。リュールだ。
「主役抜きで盛り上がってるねぇ」
「本当の主役は戦ってくれた皆だよ」
「アストラっちが一番戦ってたと思うけどなぁ」
拍を空ける代わりか、手に持つ
「特殊迷宮って決めたのもぉ、アグアの迎え撃ち方を考えたのもっちだしぃ、使徒をアレで倒したでしょぉ? 大手柄じぁゃん」
「初期調査に同行する学者に求められるのは探索の助言と危険度の判定。普通に仕事しただけだよ」
そうだ。私のしたことなんて大した事はない。
危険度の推定は学生たちでも事足りただろうし、方法を示しても実際にアグアを迎え撃ったのは私じゃない。使徒も、自爆に等しい方法で倒せたのはただの幸運だ。
リュールがため息とともに、芋のフライを摘み口腔にヒョイと投げ入れた。
「っちはいつも自己肯定感低いよねぇ……。ウチからしたら十分凄いのにぃ」
「……リュールはさ、自分より凄い斥候ってどれくらいいると思う?」
「え? えぇ……っとぉ」
唐突な質問に、彼女は困った様子で頬を
冒険者の階級は全部で八つ。その内、黄金等級は上から四つ目だ。常人の限界とも言われる黄金等級の彼女とは言え、この世には英雄と呼ばれるような者がいるのも確か。
「……沢山かなぁ」
「私も、私以上に凄い学者がいっぱいいると思ってる。上には上がいるってやつだよ」
「アストラっちってぇ、たまにすっごい嫌なヤツになるよねぇ……」
確かに、褒めてもらっているのに少し厭味ったらしいか。
ウィルザードが、ローレンヌの手の甲を樽に叩き付ける。そして、勝鬨を上げるウィルザードと、手を押さえ悶絶するローレンヌ。男たちの声量が上がる。
「……冗談、ありがと」
「それでいいのよぉ」
にへらと笑うリュールの歯の隙間から、芋の皮が覗いた。
ふと、記憶が蘇る。
似たような光景を、私は見たことある。脳裏にこびり付いて離れない、幾度も洗い落とそうとした酷い光景を。
「楽しんでますか?」
ジョッキを持ったローレンヌが、私とリュールの間に無理矢理身を捩じ込む。押し退けられたリュールは少し不満げな表情を浮かべ、どこかへ去っていった。
「楽しんでるよ。気遣ってくれてありがとね」
「そうですか。主役抜きに盛り上がってしまって罪悪感があったのですが、よかったです」
「腕相撲見てたよ」
「え、これは恥ずかしいですね」
愛想笑いと、声のトーン。十分気を付けていたつもりだった。ただ、ローレンヌにはお見通しのようだ。
先程までの心底楽しそうな表情は影もなく、今私に向けられているのは、龍と対峙したときのような真剣な面持ち。
「不安ですか」
「よく分かるね」
「好きな……尊敬する人の考えていることぐらい、僕にもわかりますよ」
ローレンヌの言う通り、私には不安に思っていることが一つだけある。
そして迷宮学者が、心配に思うことなんてただ一つ。
「ロンドールに、まだ何か?」
「うん。……多分あそこは、迷宮核が二つ以上存在する」
「……だから、特殊迷宮の認定を解かなかったんですね」
迷宮のイレギュラー、特殊迷宮。だが、実は一つだけ判断基準が存在する。
それは、未踏であること。迷宮の全貌が、白日の下に明かされていないこと。
私はロンドールに下した特殊迷宮の判定を取り下げてはいない。それは、未だ探索していない道の分岐があったのもあるが、それには理由がもう一つ。
「帰るときの魔素濃度が少し濃かった。魔綿による除去が完全じゃなかったんだと思う」
「つまりあそこは、また?」
「その内入れなくなる。最初と同じようにね」
魔素の少ない空間と、魔素で満ち満ちた空間では、地脈の流出の速度に大きな差がある。これは魔道具における魔力の伝わりやすさ、いわゆる魔力伝導と原理は同じだ。
例え神代の古代迷宮であっても、一度空気中の魔素を完全に除去してしまえば再び満ちるのには長い時間が必要だ。
だがロンドールの魔素除去は恐らく不完全。我々による調査終了によって、この後一般の冒険者の立ち入りが許可されるだろう。だからこそ、心配だ。
「あと、あれぐらいの液化魔素が貯まる程、あの迷宮は歴史が深い。現存する迷宮でも最古の部類だと思う。だとすると多分、いや絶対、固有種がいる」
「冒険者にとって、未知の魔物は最も大きな脅威ですからね」
「うん。私たちは十分に情報を持ち帰れなかった。仕方のないことではあったけど」
「そうですね。食料については殆ど底をついていましたし」
アグアの襲撃により物資の消耗はかなり激しかった。その為、迷宮核を見つけ次第調査を打ち切った訳だ。
その場では最善の手であったと自負しているが、それでも後悔は残る。
「ただ」
私の後悔を踏み潰すように、ローレンヌは勢い良く机上にジョッキを叩き付けた。酒場でも、一際響く大きな音に辺りが静まり返る。
静寂が満ち、注目が集まったことを確認すると、彼は再び口を開く。
「過去を後悔するのは誰でも出来ます。僕たちは創世神の眷属じゃない。時を戻すことは出来ない」
拳を力強く握ると、すぐにその手を解き私の両肩に半ば叩くような勢いで置いた。
「え、なに」
「アストラさんは、あの場で最善の行動をしたという自負がある筈です」
「まぁ……」
「ならそれでいいじゃないですか。後は祈りましょう。せめて、この先の人生がより良いものとなるように! その努力を、神々はきっと見ているのですから!」
聖騎士。創世と、それに助力した
神の信徒として弱き民を護り、その教えを広める役割を持つその称号の持ち主は、畏怖し衰弱し絶望した民に神の存在を信じさせる程の卓越した戦闘力と、その者たちに安堵を与える求心力が求められる。
「一つ、勘違いがあります。アストラさんは我々が未知の迷宮に畏怖し、絶望し、押し潰されてしまう。そう考えているようですが、違います」
気付けば、この酒場の全員が私たちを見ていた。ジョッキを片手に、希望と自信に満ちた微笑みを浮かべて。
リュールが
生粋の冒険者たちは、ローレンヌの続く言葉を待っている。
「そういう状況に高揚し、愉悦し、希望を見出すおかしな連中が、我々冒険者なんです!!」
再び、喧騒が湧き上がる。それは各々の勝利を祝うものじゃない。聖騎士への賛同と、尽きない冒険心への乾杯だった。
そう言えば、ローレンヌは聖騎士だったな。私は心を揺り動かされながら、ふと思い出した。
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