第13話 迷宮学者と再調査

「ごほっ」


 土煙を吸い込んでか、喉に生じた違和感を私は咳で落とす。

 ただそれだけでも、小さな監視員の目がギラリと光り、私の顔を覗き込んだ。


「ティアちゃん大丈夫ー? 病み上がりなんだから無理は駄目だかんね」

「大丈夫だって……心配しすぎだよ」


 ロンドールの調査は完全に完了した訳では無い。

 今までの状況は、アグアと液化魔素が邪魔で探索が困難だった。というものだったが、液化魔素を経由せずともアグアが撃退できたので、探索を再開できるという訳だ。

 とは言え、ユリアの言う通り私は病み上がり。その上で、再度魔力暴走のような無茶をしないよう、学生たちが相談し、交代で黄金の順風に臨時で参加することにしたらしい。


「ユリアこそ気を付けてね。ここは学園の簡易迷宮じゃないんだよ?」

「だいじょーぶって! うち、実技はメイちゃんの次なんだから」


 そういう問題じゃないんだけど、と言いかけた口を物理的に押さえる。

 アグアを掃討したとは言え、それ以上の上位捕食者がいないとも限らない。慢心は危険だ。だが、斯く言う私も守られる側の人間。私はユリアに高説を垂れる立場ではない。


「大丈夫ですよアストラさん。ユリアちゃんは僕たちが護り抜きます」

「アンタも病み上がりでしょ」

「……はい」

「アストラっち、リーダーには厳しいよねぇ」


 湿り気のある岩壁に照石の光を照らしつけながら、私たちは奥に進んでいく。

 そろそろ空気の温度が高くなってきた。だいぶ深くまで潜ったのだろう。洞窟は潜れば潜る程星を通る膨大な魔素の流れに近付く。地脈が更に集まる星の核、龍脈により気温が上がっていくのだ。

 距離も既に一キロメートルを超えた。かなり深い洞窟だ。時間間隔が狂うが、そろそろ休憩を取った方がいいだろう。

 声を掛け、念話で各パーティーに報せ、簡易的な野営を展開する。


「にしても初めてー! ティアちゃんのフィールドワークに着いて行ったのー」

「あー……確かにそうだね」


 言われてみれば、学生を連れて迷宮に潜ったことは無かったなと思い返す。学生どころか、帝国で研究していた時も、助手を連れる事はしなかったな、とも。

 一応、ブランカ学園にも迷宮学を含む様々な教科の実技の為、人工的な疑似迷宮が存在する。

 迷宮学の定義で言うと小迷宮に属するものだが、人為的に魔素で満たすことにより疑似的に迷宮の空間を再現したものだ。魔物は定期的に冒険者に依頼し、緑色りょくしょく級以下の魔物ばかりを放っているらしい。

 私も教材として使えれば、と生徒を連れ潜ったことがあるが、正直あんなものは迷宮と呼ぶに値しない。実戦経験を積んだとは呼べないだろう。


「なんかイメージと違うねー。もっとごちゃごちゃ荷物あんのかと思ってた!」

「今回は初期調査だからね。周りに迷惑かけらんないし」

「あー授業でやった気がするー……。国家から依頼される調査、だっけ?」

「そ。初期調査の目的は大まかな全容の把握と地図作成。地質とか迷宮核とかの調査は、今やる事じゃないし器具も要らないのよ」


 そもそも、愛する迷宮学研究器具は、学園を追い出された時に殆ど売ってしまったし。

 調査したくともできない、というのが本音であるのは伏せておく。実家の太いこの学生たちにそれを言ってしまえば、簡単に買ってあげるなどと言いかねない。


「そう言えば、迷宮学ってどういうことを研究すんだ? アストラさんと会って暫く経つけど、まだピンと来てねぇんだよな」

「それ前も言ってたよ」


 そうだっけ、と惚けた顔をシュシュに見せるルクシスの為、私は一つ咳払いをした。


「仕方ないなぁ……。教えてあげよう、迷宮学ってのは……――――」


 学問の分野は、形状だけ見れば組織図や樹形図のように枝分かれをするものだ。そして、それぞれの分野にいくつもの下位分野が続いていく。

 迷宮学は国や地域により一つの分野として認められているかは異なるが、私がホームとしていた帝国を基準として話すなら、大枠は地学。そして下に続くのは環境科学、そして地脈学の下が迷宮学である。

 少しだけ咀嚼するなら、地脈から形作られる環境を研究する学問。魔素環境学や洞窟学に近いところもある。

 例えば、迷宮を構成する岩石の物質の分布や構成の調査。地脈が齎す物質の組成や、生物への影響の解析。その他歴史や、時間による変化などを化学、魔素学、生物学、地質学、地形学、気象学、地図学、水文学、古生物学、魔種生物学、考古学、文化人類学などの知識を統合し科学的に研究する学際領域だ。

 つまるところ簡単に言うと、この一言になる。


「迷宮って何が普通と違うんだろう。ってのを研究する学問だよ」

「なるほど、分かった!!」

「アストラさん、多分コイツ理解してないと思います」


 まぁ一朝一夕で理解できるようなものでもない。そもそも王国では興味を持つ人間すら少ないのだ。

 野営を畳み歩くこと暫く。少なくとも、前回の調査の倍は進んだろうというタイミング。


「リュール、地図の作製はどうだ?」

「順調ぉー」

「見して」


 リュールの手元の測量図を覗き込む。曲がりくねった洞窟の、距離と高度の差を正確に書き込んでいる縮尺の図だ。流石に黄金等級の斥候、図を書くのも上手い。


「お、もうそろそろ終わりそうだね」

「え?」


 地脈の流れにはある程度の規則性がある。その為、大まかな地質と魔素の性質が分かってさえすれば、大雑把な距離と高度の推測が出来るのだ。

 名付けて地脈浸食の定理。その論文を、丁度書いている真っ最中だったのだが。


「ブランカ、追い出されちゃったからなぁ……」


 あの場所ほど落ち着いて論文執筆に集中できる場所も無かった。

 出るにつれ、書きかけの論文じゃ邪魔になると思い処分してしまったし、一体どうするか。これで誰かに先を越されようものなら。


「なるほど……。アストラさん、これが終わったら何か予定は?」

「無いよ? 普通に、依頼受けながら帝国に帰ろっかなって思ってるけど」


 王国には他にコネクションも無いし、私は研究を捨てるつもりもない。

 再び帝国に戻り、心機一転やり直すつもりだ。聖樹の根証の学者が研究室を探しているとなれば、多少の融通も利くだろう。


「ふふっ、そうですか」


 私に何も言わず納得したような表情を浮かべると、ローレンヌはメンバーと目配せをした。


「……何?」

「いえ、楽しみにしておいてください」


 何か、悪いことを企んでいるのではあるまいな。そう疑問に思う事しか、私とユリアには出来なかった。

 何度か曲がった道を往くと、推測通りの空間がそこには広がっていた。


「迷宮核。見つけたね」


 液化魔素海の場所までとはいかないが、それでも王国の大教会よりも広く高い。龍が十体は寝返りを打って眠れるだろう。

 岩壁に滴る液体は全て液化魔素。それらが染み出すように壁を濡らし、地面にもいくつかの水溜まりを作っている。

 一滴なら触れても然程問題無いが、浴びるのは避けたいものだ。

 支柱のように空間を横断する紫色の巨大な魔素結晶。どれも全て、市場には出回らない程の高純度。その上、その全てが脈動している。

 脈動する魔素結晶。私の記憶が蘇る。

 地脈が空洞と触れ合う空間。魔素抜きは済ませてはいるが、それでもこの場所は濃度が濃い。間に合っていないのだ。ただ、これ以上先に進まずともいい。ここは迷宮の最奥なのだから。


「"念話メッセージ"。各員、アストラです。こちら、迷宮核を発見しました」


 ロンドールの大迷宮の初期調査。これにて任務完了である。

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