第11話 迷宮学者と最後の手札

 照石ランプを携え暗い洞窟内を征く。

 ランプがあるとはいえ暗いということは、当時七歳児であった私にとっては怖いと同義であった。

 典型的な洞窟型迷宮。紙で見るのと肉眼で見るのは似たようで別物。目で見て、匂いを感じ、触れてみる。こうして初めて、本当に理解できたと言えるのだと思う。

 深度は迷宮学で例として挙げられるような著名な迷宮と比べれば児戯じぎのようなもの。

 小さなネズミが私から逃げていくのを、遠目に眺める。

 迷宮という区分ではあるが、実際の規模は小迷宮程だろう。魔物も少ない。

 僅かな光を反射するカガミゴケが繁茂はんもしている洞窟内は明るく歩き易い。魔物も、下から二番目の緑級である狼型の魔物ウーフしか現れない。

 魔物との実戦経験は豊富という訳ではないが、ウーフなら領内にも度々出没し私も討伐の経験がある。

 自分なりに安全と判断してのこと。


「……何これ」


 そうして歩いている内に、私はあるものを見つける。

 地中より露出した巨大な紫色の水晶。時折脈を打つようにドクンと、一際紫が強くなる。

 先端は地面を向いており、少しだけ濡れている。よく見ればそこから、鍾乳石のように僅かな雫が落ち続けているようだ。その下には、紫色の水溜まりが凪いでいる。

 液体の方は液化魔素だろう。他の迷宮で見覚えがある。だが、この水晶は。

 必要と思ったもの全てを詰め込んだ鞄の地面に下ろし、あれでもないこれでもないと中身を漁る。掘り出したのは、一冊の古い本。

 息をするようにページを捲れるほどに慣れ親しんだ、私の身体の一部とも言える本だ。

 用のある項目に辿り着き、食い入るように読む。そして、本の中で図解されている絵と実物を交互に確認し、私は確信した。


「これが……迷宮核」


 生唾を飲む。実物を見るのは初めてだ。

 迷宮が出来る過程を再度確認しよう。

 迷宮が構築されるまでに必要な要素は主に二つであり、魔素が留まりやすい空間と、魔素の発生源。この二つが合わさることにより、迷宮と定義されるものは構築されている。

 教科書通り、と言われる迷宮がある。帝国より北方の聖王国南東部に存在するルビア迷宮だ。

 洞窟型迷宮であり、総延長は約百メートル。高低差は二十メートルほどの小さな迷宮。そして、地脈の流れに沿い深部には濃密な魔力が滞留する、地脈の流入により形成された地脈型迷宮だ。

 迷宮は水の入った瓶に近い。

 何の変哲のない瓶を沈めても、瓶の中には何も起こることはない。だが穴が開いた瓶を沈めれば、そこから水が入り込み水入りの瓶になる。この水が、魔素とすると分かりやすいだろう。

 そして、そのような迷宮に空いた穴は当然、その洞窟の中で最も魔素の濃度が高いということになる。魔素の濃度が高いと、集まる性質により液体化し、結晶化する。

 次第にその周囲も結晶となっていくだろう。だが最も地脈の恩恵を受け、一際大きく育つ水晶は変わらない。

 ルビアの大水晶。最奥部に存在する巨大な水晶柱だ。迷宮における魔素の流入口。迷宮で最も魔素が濃い場所。迷宮学ではこれを、迷宮核と呼ぶのだ。


「……おっと危ない」


 あまりの美しさに手で触れようと伸びた手を理性で押さえ付ける。高濃度の魔素が絶えず流れ続けるそれは魔素結晶ではあれど、周囲に液化魔素を纏う特殊な物体だ。触れれば全身の魔素が抜けて死に至るだろう。

 冒険心は満たされた。夕食時に不在だと勝手に外出したことがバレてしまうので、やれ早めに帰るとしよう。そう思い、鞄に荷物を仕舞い始めた時だ。

 ぽんっと、誰かが私の背中を押した。

 蹲踞そんきょの姿勢で抗える訳もなく、私の身体は一切の抵抗なく前へ倒れていく。

 眼前には迷宮核。このまま倒れれば確実に触れてしまうだろう。

 死の文字が、頭を過った。

 倒れながら無理やり首を回して犯人を確認すれば、それは一匹のウーフ。してやったりとでも言いたげな笑みを浮かべ、私を見下ろしている。

 そういえば、先日討伐したウーフの子供を逃がしたことがある。もしや、その。

 考えている余裕はもうない。

 迷宮核を触って生きていた人物は実在する。どれもその肉体に他の者とは違う特異性があった故だが、この状況では神に祈ることしかできないだろう。もしくは、死を受容すること。

 僅かな時間で覚悟を決め、大きく手を伸ばす。迷宮核を、抱き締めるかのように。

 そうして触れた直後だった。突如、膨大な魔素が私の中に流れ込む。同時に、今まで感じたことのない感覚が私の肉体を包み込んでいた。

 私は勝手に載せられたルーレット盤の上で、運良く賭けに勝ったのだ。




 溢魔体フラッド。数ある特異体質の一つであり、その多くは先天的な体質ではあるものの、後天的に生じることもある。

 その性質は戦士にとっては呪いであり、魔術師にとっては吉兆であると言えるだろう。

 通常、魔術師は魔法を無限に撃つことができない。理由は簡単。体内の魔力が枯渇するからである。

 魔力が枯渇した後、再度魔法を放つにはどうすればいいかというと、外から入り込んでくる魔素を溜め、それを魔力に変換するという二つのプロセスを踏まなければならない。

 溢魔体の特異性はここにある。この体質の持ち主は文字通り、自身の中から勝手に魔力が溢れ出てくるのだ。

 そのお陰で、溢魔体の魔術師に魔力切れは無い。魔法を放つという精神的な負担を無視さえすれば、無限に魔法を放つことすら可能。これが、迷宮核が内包する膨大な魔素を自らの身体に取り込んでしまった、つまるところ地脈に触れてしまった私に現れた体質だ。

 私が放った開戦の一撃もそう。卓越、と呼べるような腕を持った人間でなくば三つの強化魔法を行使した後に、真言しんごんが五つの魔法なんて放てない。真言は重ねれば重ねるほど、必要な魔力が上がるからだ。

 ただメリットだけではない。魔力を定期的に放出しなければ、魔力を入れる器としての限界が訪れ、肉体が爆発する。

 魔力暴走はまさにそれを指す。

 体内に巡る魔力が自己圧縮を続け高濃度の魔力となり、僅かな刺激で引火し爆発することだ。魔綿が危険物として扱われている原理と根本的に同じであることは言うまでもない。

 私はで、自ら魔力を生み出す量を制御できるようになった。抑えつけることは勿論、促進させることも。


「……"抗魔アンチマジック防護プロテクション"」


 爆発の寸前、私とローレンヌに防御の魔法を掛ける。直後、鮮烈な痛みと、熱と衝撃を感じると同時に意識が揺らいだ。

 いくら魔素の影響を受けないと言えど、魔力暴走による爆発は物理的な現象だ。その上、炎と氷の魔法による急激な温度変化も使徒の甲殻に施してある。

 爆発的な引火による衝撃波は、使徒であっても免れない。

 ついでに洞窟が崩壊でもすれば生き埋めにできる。そうなれば確実に討伐できるだろう。同時に、私たちの生存も怪しくなるわけだが。

 まぁ、悪くない。巻き添えを喰らわせてしまったローレンヌには申し訳ないが。

 彼にはいつも世話になってばかりだ。

 初めて依頼をした時も、共に過ごした時も、そして再び再会した時も。

 迷惑ばかり掛けて申し訳ない。そう思いながら意識が途絶える最中で、ローレンヌと目が合った。存外に満足そうだ。

 彼とこうして賭けを共にするのも二回目。互いに悪運が強ければ、王都ので酒でも奢らせてもらおう。

 そう唇を動かしたところで、意識は途絶えたのだった。

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