第8話 迷宮学者と作戦
魔物という生物は、得てして人間よりも高い魔素への耐性を有している。だからこそ魔素濃度の高い環境下で独自の進化を遂げ、多様性を生む。
だが、あくまで耐性が高いだけ。
もし魔素に対する完全な適性を有しているのだとすれば、液化魔素に触れた魔物が死んでしまう理由が説明できない。
つまり、魔物は耐性を上回る程の高濃度の魔素に、触れることはできない。
「
これで最後だろう。私は洞窟の穴を防いだことを確認し、念動力の魔法を解除した。
昨日まで穴があった場所には今、綿のように柔らかそうな質感を持つ紫色の物体が積み上がり、道を塞いでいる。
手でどかそうにも、物体が放つ紫色の瘴気のようなものに触れることは叶わない。近付くだけで、吐き気を覚えてしまうのだから。
――魔綿で他の穴を塞ぐ?――
作戦と呼ぶほど大仰な物でもない。私が提案したのは、例の液化魔素海に繋がる穴以外を使用済みの魔綿で封鎖してしまおうというもの。
魔綿は品質にもよるが、一般の魔物の耐性程度ならば容易に上回る濃度で魔素を吸収してくれる。
今回ロンドールの魔素除去に使われた魔素は、国から直接買った一級品だ。例えロンドールに固有種がいても、耐性を上回ることが出来るだろう。
――でも、使用済みの魔綿って――
――危険物扱い。使ってもいいの?――
疑問は
本来使用済みの魔綿を何かに用いることは、国の法で禁止されている。
王国法で第三類危険物に分類されるそれは、僅かな魔力が引き金になり大規模な魔力爆発を引き起こす非常に危険な物質である。
その為、素人が扱う事は国の法で禁止されている訳だが。
聖樹の根証は、ただの迷宮学者を示す名刺じゃない。
私のこれは、迷宮という状況下における専門家という証だ。それには迷宮学だけでなく、魔素学や生物学にもある程度精通している人間でなければならないということ。
思い上がっているつもりは一切無いが。この迷宮において、私以上に正しい判断を下せる人間はいないということだ。
「……ふぅ」
「まさか念力の魔法なら引火しないなんてな。知らなかったぜ」
私の後ろで腕を組みながら作業を見ていたウィルザードが、感心したような声を上げる。
一応原理はあるのだが、説明すると時間が掛かりそうだ。それに、そうなる理由を分かっていると私のいない場でも同じことをしようとする可能性もある。
力仕事ではあるが、直接触れることも出来ない。故に魔法を使えない者は、見ているしかない。
「私がいないところで試したら捕まりますからね……?」
「勿論だ。ただ危ねぇ時の手札ってのは、多ければ多いほどいい」
確かに、それもそうだ。
例の大空洞まで戻ると、既に攻略の為の対策チームは揃っている。私を見るや否や、各々は覚悟を決めたような表情を浮かべる。
主力はライカ、ブローディア、ブロントス。『疾風怒濤』の巫女、アメといった魔法を主に扱う事の出来る者。
遊撃としてリュールなどの射手や、魔法の援護を得意とする者。ローレンヌやゼルクス、ウィルザード等は地上まで降りて来た場合に応戦。シュシュなどの医療に明るい人物は随時負傷者の手当てに当たって貰う。
なおこの配置は、私が考えたものではない。
「見事な采配ですね。流石です」
「ハッ。嬢ちゃんの作戦あってこそだ。戦力を分散しなくていいのは、それだけデカい」
伊達に大規模ギルドをたった一人で運営しているだけはある。ウィルザードの本当の強みは、指揮官としての能力なのかもしれない。
魔法砲撃を得意とする者を集めた以上、やることは明確だ。我々は迫り来るアグアを、片っ端から叩き落とす。
「アストラさん、ウィルザード!」
駆け寄ってくる金髪の美少年と、銀髪の長躯の麗人は、『黄金の順風』のローレンヌと『白亜天嶺』のブローディア。
全体の総指揮は私。私は降りようとしたが、この中で最も迷宮を知る人物に総指揮を任せるのが最善の配役だと説得されると、断れなかった。
補佐としてウィルザードが付いている。大規模の指揮に慣れ親しんだ人間だ。ローレンヌでもいいが、彼のような少数の指揮経験しかない人間だともしもの際判断を誤ってしまうかもしれない。心強い人選である。
「地上部隊は準備が整った」
「他の部隊も万全だ。後はアストラさん、貴女の合図を待っている」
報告を受け、私は紫色の海に視線を投げる。
作戦開始と同時に私が合図として魔法を飛ばす算段になっている。水平線すら見えるこの液化魔素の対岸に私の魔法が着弾すれば、恐らくあるだろうアグアの巣より外敵に対抗するためのアグアが大量に溢れ出て来るだろう。
「分かりました。……配置に戻っていてください。すぐに作戦を開始します」
念話の魔法を準備しながら、私は緊張に身を震わせていた。
迷宮攻略に正解は無い。何故なら、迷宮とは未知なのだから。
紀元前、古代メルカトリア文明に残されていた手記より存在が確認されている
何故集まる性質を持つ魔素が地脈を離れ、洞窟に満ちるのか。何故迷宮の特異な性質を持った魔素が、外界に流れ出ないのか。何故
この選択も、間違いかも知れない。本当の正解は、特殊迷宮と認定した時点で立ち去ることだったのかもしれない。今ここで私たちは、全滅するのかもしれない。
答え合わせは出来ない。現実に模範解答は無い。だからこそ、準備も済ませた。今できることを精一杯に、今を生きるしかない。
「……"
魔力を練る。
標的は、この水平線の遥か先。
「アメさん、リュール、お願い」
「もちぃ。"
「はい! "
水平線までの平均的な距離はおおよそ五キロメートル程度。普段の私の魔法では届かない。故に、強化魔法を重ね掛けする。
「"
ブローディアのような精霊魔術、そしてアメのような祈祷を除く魔術師を大部分を占める魔力系魔術師は、特定の言葉、いわゆる真言を発する必要がある。
真言に魔力を乗せ、イメージを高める。真言の多さは魔術師の実力の指標そのもの。単語が多ければ多いほどに、込める魔力は上がり、魔法の効果は跳ね上がる。
これは、今の私の限界。
「――――
空気が燻る。
頭上に作り出された火球に、私は命令を下す。無重力となった水平線までの空間へ、火球は瞬時に飛翔を始めた。
二つの強化魔法に運気上昇の祝詞。そして、五単語の詠唱魔法。それらが合わさったその威力は、ライカの魔法も、ブローディアの精霊魔術でさえも凌ぐ、現段階で我々が有す最大の火力。
天井を照らしながら、深紅の砲弾は進んでいく。徐々に姿は小さくなり、そして。
「すごい……」
誰かが感嘆の声を漏らした。
洞窟が、灼けている。遅れてやってくるのは、轟音とここにまで届くほどの凄まじい爆風。
着弾した。今頃は私の魔法により、巣は多少なりとも炎の影響を受けているだろう。直撃した付近にいたアグアは消し炭になったに違いない。
その上、炎を延焼するように魔力を込めた。私は総指揮という立場上戦闘に参加できない。だからこそ、この一撃で最も効果的な攻撃をするために。
「総員警戒ッ!!」
ウィルザードの声が皆の緩んだ緊張の紐を、再び結び直す。
アグアの巣の主成分は、木材と蜜蝋。非常に燃えやすい素材で構成されており、それ故に炎に弱い。
私の魔法は、大層女王の怒りを買ったことだろう。そして冒険者如きにやられっぱなしでいる程、彼女らは寛大ではない。
灼けた空を超えて黒い雲が蠢きながらこちらに向かっている。その一つ一つが、明確に殺意を持ったアグアだ。
まだだ。
攻撃はより多くの敵を巻き込む方が効率がいいのは自明の理。無論攻撃魔法においてもだ。その上攻撃魔法は距離が遠退けば遠退く程威力が減衰する。もっとも、引き付ける必要がある。
そして、沈めておいた策もある。
目算でまだ、百五十メートル。
「"
百四十五、百四十。
弦を引き絞る、刃が煌めく。我々の間に膨大な魔力が渦巻き、罠に飛びつく獲物を待つ。
百二十、百十五。
「総員攻撃……」
六十、五十五。そして、五十。
このままでは、作戦も何も無い。互いの戦力をぶつけ合うだけの殴り合い。文字通りの消耗戦だ。こちらの人数が少ない以上、敗北の可能性は低くない。
ただ虫には無く、人には有る物がある。
虫たちの真下の液化魔素が爆発し、巨大な水柱を立てた。
急速で接近していたアグアたちが、突如轟音と共に眼前に造り上げられた致死の壁を避ける手段を持っている訳もない。
次々に、悲鳴のような歪な羽音を立てながら、アグアたちが墜落していく。
液化魔素は触れるだけで生物の魔素を吸い上げる猛毒。少量ならいざ知らず、私が猛毒の海に沈めたのは坑道発破用の数トンにも及ぶ大量の炸薬だ。その爆発でどれ程の量が噴き上がるか。
事前に用意していた防御の魔法により私たちは飛沫を防いではいるが、衝撃は抑えきれない。空気が痺れるのを感じながら、飛沫が収まるのを待つ。
これでアグアの量を多少は減らせただろうが、それでも全体の数パーセントだろう。主力となるのは、やはり魔法。
霧状になった液化魔素が引いていく。視界が開けたのはアグアも同じ。我々を再び捕捉し、前進を再開する。こちらも、攻撃の開始だ。
「始め!!!」
練り上げられた魔力が、一斉に放たれた。
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