第7話 迷宮学者と特殊迷宮

「昼は災難でしたね」


 私用の天幕で報告書を書いている最中だった。背後からローレンヌの声が掛かり私はペンを走らせる指先を止める。

 丁度一段落着いたところだった。私は背もたれの無い丸椅子の上でくるりと身体を回し、ローレンヌの方へ向く。


「……あのさ、女性の天幕に入る時って、紳士として一声掛けるべきじゃない? 着替えてたらどうするつもり?」

「迷宮を前にして軽装に着替えるような人じゃない事は知ってますよ」


 私たちは昼間アグアを前に撤退に成功し、ローレンヌやウィルザード等は体勢を立て直す為に武器の調整や物資の補充に専念。ブローディアらは治療に専念し、私は今の今まで報告書をまとめていたのだ。

 ローレンヌの背後。気付けば天幕の外が暗い。どうやら既に、かなりの時間が経ったようだ。


「下着とかは替えてるよ流石に。で? どうかしたの?」


 迷宮を主なる研究対象とする私でも、迷宮を前にして何が起こるかは分からない。だから常に、非常事態に備えている必要があるのだ。

 ただ淑女として、下着程度は替えている。一切着替えないと思われているのは心外だ。


「スープとパンです。何も食べてないですよね」


 言われてようやく、彼が右手に持っている木製のお椀に目線が移る。

 差し出されたそれを、机上の紙を横にはけてから受け取る。素朴な香りは街の酒場のように高価な調味料を使っていないから。だが、必要な栄養素は賄えているだろう。

 確かに、迷宮を出てから何も食べていない。その事実に気付くと、途端に空腹が顔を覗かせた。


「ありがと」

「あと、彼女たちがアストラさんとお話ししたいと」

「彼女たち?」


 ローレンヌが天幕の入り口を手で示し、応じて目線を入り口にやる。見覚えのある三人が、こちらの様子を窺っていた。

彼の手招きに応じ、三人はそれぞれの個性を示しながら天幕の内側へ入る。


「メイにユリア、カークも。久しぶり、元気してた?」


 少女二人に、少年一人。

 ブランカ学園の制服に身を包んだ三人は、私が受け持っていた迷宮学の最後の学生。


「さ、さっきぶりですね。先生」

「そうだね。無事にまた会えて何より」


 メイ・フィクス。眼が隠れる程に長い前髪が特徴的な女の子だ。

 私の授業では、自主的な発言こそ少ないが理解が早く、テストを実施すれば毎回最も高い得点を獲得しているのは彼女だった。

 その上性格に見合わず、母親は宮廷魔術師で父親が黄金等級の冒険者という、エリートの血を引いている。


「ティアちゃんー! 会いたかったー!」

「アストラ先生ね。私も会いたかったよ」


 短いスカートから艶めかしい脚を覗かせる、ツインテールの金髪の彼女はユリア・デイブルーム。

 騎士家系の娘でありながら、研究熱心な少女だ。四人だけの授業であることをいいことに、何度も授業中に質問を飛ばして来たものだ。有難いが、まとめて質問して欲しかったのは内緒の話。


「せんせー。お久しぶりです」

「久しぶり。ちゃんと寝てる? 睡眠は大事にね」


 カーク・アルバロスはアルバロス子爵家の次男。

 代々魔術師を輩出する名門の家系だが、彼は魔術を勉強するうえで迷宮の存在に興味が湧き、私に教えを乞う事にしたらしい。

 流石は名門の出身と言うべきか、独学の私に匹敵するレベルの魔術の腕を持っている。出来るならば助手にしたいくらいだ。


「天幕の外で話し合っていたので、連れてきちゃいました」

「ローレンヌにしてはいい選択だね。皆、酷いことされなかった?」

「あ、アストラ先生が交渉してくれたお陰です」

「俺たちだけじゃ騙されるところだった。ありがとうございます」

「いいのよー。可愛い生徒を護るのは先生の務めですからね」


 先輩風ならぬ教師風を吹かしていると、メイが不思議そうに首を傾げ何か言いたげにしている。私は彼女に視線を送り、言葉を促す。


「そ、そう言えば、なんで迷宮学は無くなったんですか?」

「あーメイちゃんそれ私も訊こうと思ってた! ティアちゃんなんで!?」

「俺も気になってた。何故なんですか?」

「あれ? べリア副学園長から聞いてなかった?」


 ブランカ学園を追い出される時、確かに彼は受け持っていた三人の生徒の了承を得ていると言っていた筈だ。


「いや、俺達はいきなり迷宮学は無くなりましたって言われて、仕方なく別のを選択して……」

「うそ……あのノッポ騙しやがったな……。えーっとね、迷宮学って今年は三人しかいなかったでしょ? 少ししか生徒がいない教科は学校的に損だから、無くしますよって言われてさぁ……」


 そう言うと、それぞれが驚きを露わにする。


「え、うち友達にティアちゃんの迷宮学受けに来なーって言っちゃんたんだけど……」

「俺も、貴族の集まりで言ったな……」

「わ、私も入学を控えた子供の集まりで、せ、先生の迷宮学を選択するように言っちゃいました……」

「あらー……」


 三人とも、学園きっての優秀な学生たちだ。学力も実技も、両手の指の中に入る順位を守り続けている。

 メイは生徒会の一員として学校内で高い発言力を有しているし、ユリアは私の他の強化でも優秀。カークに至っては学級対抗の魔術大会で優勝経験ありの、次期宮廷魔術師だ。

 これ程の生徒にこれ程までに思われているとは教師冥利に尽きるな、なんて思いつつ、来年のブランカ学園事務に募るだろう苦情に対応する事務とべリアに思いを馳せた。

 私をクビにするからだぞ。言われたって、今更戻らないからな。


「それよりティアちゃん! ロンドールってどうなの?」

「んー」


 難しい質問だ。彼女が聞きたいのは、このロンドールの迷宮は『迷宮』か、『特殊迷宮』かということだろう。

 迷宮の定義は、迷宮内で液化魔素や魔素結晶などの、魔素に圧力が掛けられた状態で月日が経った証拠が発見されることだ。そのような、外界よりも高濃度の魔素に満ちた空間に生息する魔物は、その環境に適応するために特殊な能力を備えるよう進化している可能性がある。つまり、固有の種がいる可能性があるのだ。

 この順序が逆でもいい。つまり、迷宮内で他で確認されていないその迷宮固有の魔物が発見された場合も、その迷宮は迷宮と呼称される。

 対する特殊迷宮に、明確な定義は無い。

 これがあったら、これがいたらという明瞭な基準は無いのだ。その性質上、殆どの迷宮は迷宮と分類されることになる。

 だからと言って、基準が無い訳でもない。曖昧だが基準となるのは、人間に対する危険度だ。

 例を挙げると、帝国西方にはファランという特殊迷宮が存在する。

 入口から三十度程の角度で下降していき、百メートル程はよくある洞窟と遜色ない。問題なのは、そこからは巨大な空間を顕在化した魔素結晶が覆い尽くし、支柱のような巨大な魔素結晶の柱が至る所に存在するという事。

 見るだけならば荘厳な絶景だが、居るとなると話が異なる。

 発見当時、黄金等級冒険者を筆頭に組まれた調査隊は全滅した。回収した遺体を解剖すると、肺から大量の水が溢れ出て来たと言う。

 その洞窟は、火山の影響で魔素が結晶化したとされる。人間には過酷な環境で、あり得ない程に気温が高い上に湿度が極めて高い。

 その影響で、吸い込んだ水蒸気が肺の中で凝結し水も無いのに溺死するのだ。発見から百二十年経っても調査が進んでいない。発見された魔物も、固有種が一種のみ。

 このような、特殊な環境にある迷宮を特殊迷宮と呼称する。

さて、ロンドールはどうだろうか。

 本来は私を含め有識者で話し合って決定されることだが、聖樹の根証を持つ研究者が実際に潜ったのだ。この決定に、異を唱える者はいないだろう。


「うん。特殊迷宮だよ」


 ローレンヌを含めた四人の表情に陰りが差す。

 特殊迷宮と言う言葉は、死地にも等しい。彼女等が不安がるのも納得だ。


「ローレンヌ、それぞれのパーティーのリーダーを呼んで」


 報告書を一カ所にまとめ、束ねる。

 この調査隊において最も迷宮学に精通する私が、このロンドールを特殊迷宮と認定したのだ。各パーティーの責任者には、話しておかねばなるまい。

 頷き、去っていたローレンヌを待ち暫く。やって来たのは、四人の男女。

 言わずと知れた、巨躯で禿頭の拳士ゼルクス・ウィルザードと、彗星の尾をったような銀髪の半森人ハーフエルフ、『白亜はくあ天嶺てんれい』のエア・ブローディア。


「チッ……何の用だ? 忙しいんだが」

「まぁまぁ。彼女は今作戦の要ですし、用無く我らを呼ぶようなことはありますまい」


 不快を露わにする中肉中背の男が、黄金等級冒険者チーム『疾風怒濤』のリーダー、カムイ。遥か東方よりやって来たという彼は、独特な片刃剣を独特な剣技で操る剣士だ。

 もう一方は『竜賛りゅうさん』のブロントス。等級こそ、揃えられた冒険者の中では一つ劣る白銀はくぎん等級だが、この中のどのチームよりも早くその地位まで昇り詰めた新進気鋭のルーキー。らしい。


「お前ら、アストラさんに失礼だぞ」

「いいだろ別に……」

「いや良くない。嬢ちゃんに従うか否かで生死が決まんだよ。しっかり聞いとけ」


 ウィルザードも最初は信じてなかったくせに。と言うのは、都合が悪くなるためやめた。


「既にそこの三人とローレンヌには話しましたが、私はここを特殊迷宮と認定しました」


 四人の顔色が、先程の四人と同じように不安が差し込んだものに変わる。

 流石と言うべきかベテランの冒険者。特殊迷宮という言葉の重みは、理解しているらしい。


「そこで、素直に撤退と言いたいところですが。私はまだ、探索の余地があると判断しました」

「と言いますと?」


 現時点での情報を整理しよう。

 特殊迷宮、ロンドールで確認された魔物は計二種。

 フロード種。これは他の洞窟でも確認されるような種だ。特筆すべきことは無い。留意すべきは、アグア種だ。

 そして地形。

 迷宮の形状は洞窟型。各チームの報告をまとめ吟味したが、どうやら今回の調査で判明した部分に巣穴型と思われる特徴は無かったそう。だが、アグア種がいる限りどこかで巣穴型と繋がっていると考えるべきだろう。

 第二の問題点である液化魔素の海は非常に危険。触れるだけで、人間の私たちは即座に魔素を抜き取られ死ぬだろう。


「対処すべきは二つの問題点。アグア種と液化魔素海です。つまり、この二つさえ克服できてしまえば、例え特殊迷宮であろうと私たちは攻略することが出来る」

「問題? アグア種如きがどうして俺達の問題になる」


 自信を露わに、カムイが吐き捨てる。


「現在確認されたアグア種。あれは、彼らにとっての戦力外です」


 アリという生き物は、雌を中心とした社会で成り立っている。蟻型の魔物であるアグアも、例外ではない。

 女王と雄が結婚飛行し、交尾すると雄は死ぬと同時に女王は羽を自ら千切り営巣を始めるのだ。

 着々と、女王は配下を増やしていく。女王を守る近衛。外敵と戦う兵士に、餌を調達する猟師。驚くべきことに、これら全てのアリは雌に分類されるのだ。

 そしてある程度巣に余裕が生まれると、女王は次世代の雌と雄を生み、彼ら羽を用いてどこか遠い血へ旅立っていくのだ。

 そう。蟻の、そしてアグア種の生涯において、羽がある時期と言うのは、巣立った直後のみ。つまりあれは。


「近衛でも兵士でも、ましてや猟師でもない。ただの子供。戦力として数えられてない次世代のアグアです」


 息を呑む音が聞こえた。どうやら、この意味が分からない程愚かな者はここにはいないらしい。

 あれら全てのアグアが戦力外としての若いアグアとするならば。彼らが元居た巣には、その数と同数、もしくはそれ以上の猟師や兵士がいる可能性が高いという事なのだから。


「その上、あれ程の数を有する巣となれば相当広い筈ですから」

「あの死の海を隔てずとも繋がっている可能性が高い。ですな?」


 ブロントスの言葉に私は頷く。

 運良く、あの液化魔素海を隔てた場所だけ通じているとは考えにくい。無論希望的観測をするのは勝手だが、備えるべきは他の場所を介してあれら以上の戦力と数の猟師や兵士を相手にすること。


「言っちまえば、そいつ等さえ倒せれば特殊迷宮とは言え大した脅威は残ってないってことだな?」

「はい」


 理論上はそうだ。私は首を縦に振る。


「ですが実際相手取るとなると、無傷でとは済みませんな。狭い洞窟内、隊列もまともに組めなんだ」

「はい。実際に相手をするとなると被害は甚大でしょう。そこで、私に考えがあります」

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