第6話 迷宮学者と地底湖
気体である本来の形の魔素。そして結晶化し、武具として加工も可能であるという希少価値の高い魔素結晶の二つが注目されることが多い。
だが、魔素研究の基礎分野で最も注目されるのは、液状魔素だ。
魔素は二つの側面を持つ。資源としての面、そして毒物としての面。
資源としての面は、普段我々が実感している事だ。魔法を行使するためのエネルギーに、魔道具を動かすための燃料。魔導工学は最早、生活に欠かせないものとなっている。私の迷宮学用の研究器具も、魔素で動く物ばかりだ。
魔素そのものの魔素結晶は、その性質が色濃く出ていると言える。触れても一切の害は無く、魔力伝導の抵抗がゼロに等しい上に、魔力を蓄える性質まで併せ持つ魔道具制作における心臓であるのだ。
そして液化魔素は、その反対。
「ブローディアさん! 念話は私だけに集中を!! 液化魔素には絶対触れないように!!」
『了解です!!』
全速力で来た道を戻りながら、念話でブローディアに指示を飛ばす。
事前に分かれ道があった場合の対応は決めてある為、彼女が行った道は訊かずとも全員が理解している。それも、今のような緊急事態の時の為。
「アストラさん」
「うん、少なくともただの迷宮じゃないことは確定した。それと、複合型迷宮ってことも」
巣穴を作るアグア種がいたという事は、ここは洞窟型迷宮であると同時に巣穴型迷宮でもあったということ。それも、既に大規模な群れを形成している。最近棲み着いたという訳ではなさそうだ。
「……ローレンヌ?」
金髪を揺らしながら、ローレンヌが怪訝そうにしているのが視界に入った。
「おかしい。アグア種なんて、この付近では殆ど確認されてない筈です」
「前あった時もぉ、半年前って言ってたよねぇ」
「確かに、それはおかしいね」
アグア種は、女王と呼ばれる個体を中心とした群れ社会を形成する魔物。
その社会構造は、女王を頂点としその身辺警護に勤める近衛。外敵が現れた際に戦闘行動を開始する兵隊に、食糧調達や周囲の探索を主とする猟師。
その為、アグア種の巣付近では必ず、少数のアグア種が定期的に確認されるのだ。
この迷宮の調査に際し、私たちは最も近い冒険者ギルドで情報を提供してもらっている。だからこその、違和感。
洞窟内に存在する魔物のみで群れを維持しているとは考えにくい。女王が作りたての小規模な群ならともかく、猟師もしくは兵士だけで百を超える群なんて維持にどれ程の食料が必要な事か。
『"歌い踊りし雪の精、我らも酒宴の一欠けら、
詠唱が聴こえる。ブローディアは正真正銘半分ずつの
しかし、魔素の影響が強いこの場所では、精霊の介入も効果が薄いだろう。
『出力が弱い……? ここは大陸北部だぞ……?』
「ブローディアさん! 応戦しながら薄荷油を撒いてください! あと、全身に塗って!」
『わ、分かりました! 皆!
曲がりくねった道を曲がると、見知った禿頭が視界に入る。
「嬢ちゃん!」
「ウィルザードさん! 訊きましたね!?」
筋骨隆々なウィルザードと、それに匹敵するレベルの肉体を持つ仲間たちだ。
「液化魔素の海だろ? 初めて聞いたぜそんなの」
「私もです」
魔素結晶が顕在化している洞窟には幾つか覚えがあるが、液化魔素は発見された例が極めて少ない。存在そのものが珍しいのだ。
液体と言う性質上、低い場所を目指してどんどんと人の到達できない奥地へ進んでしまうからというのが魔素研究分野での通説ではあるが、詳しい理由は分かっていない。私の仮説では圧力の掛かり方なのではないかと踏み何度か実験をこなしていたが、データが取れる前に
「先生!!」
次に合流したチームの中から、まだ若い声が上がる。
目が隠れる程に伸びた焦げ茶色の前髪を揺らし、まるで雑踏の中に友人を見つけたような表情で、ヘーゼルの瞳を向ける女の子が一人。
服装は見覚えのあるブランカ学園の制服。一年生を示す真紅の差し色が入った紺のローブに、白いブラウスの胸元の膨らみは控えめで、ネクタイには校章が
膝丈のスカートは紺に白の意匠が施されており、可愛らしい脛がその下から顔を出す。
――――格安で雇ったブランカのガキが居るじゃねぇか!――――
冒険者ギルドのロビーでローレンヌと口論していた時のウィルザードは、確かにこう口にした。
どうやら調査の過程で彼は迷宮に詳しい人物を呼ぶ金を渋り、学園の学生と直接交渉し雇い入れたというのだ。
本部が支部ギルドに依頼し、冒険者たちを募集する迷宮調査の依頼は、後々に報告書をまとめ提出する必要がある。故に、迷宮に造詣が深い人物を雇う事は必須なのだ。
しかし帝国ならいざ知らず、このファルデア王国には迷宮学者が少なく、雇う際の単価も高くなる。そこで相場を知らない学生に、学校を介さず声を掛け、格安で雇い入れたという訳だったらしい。
その行為に関しては、詐欺に等しい行為だ。
しっかりとウィルザードには話を付け、謝罪も受け入れた。彼が話の分かる人物で良かった。今では私と同じ契約金で、この迷宮に潜っている。
彼女は、その内の一人。
「メイ! 大丈夫だった!?」
「は、はい! 先生にまた会えて良かったです!! と、突然迷宮学が無くなるって聞いて私――――」
「その話は後!」
遂にブローディアのいる道へと差し掛かった。
奇襲に備えウィルザードたちを置いていき、私も含む黄金の順風は速力を落とさず駆ける。ハッカの匂いが、仄かに鼻腔を擽った。
「ライカ! 広範囲魔法で援護の準備! リュールは射落とせ! 僕とルクシスは怪我人がいたら守ってシュシュは治療!」
「私も援護に参加します」
「分かりました!」
ハッカの匂いが益々強く、濃くなっていく。そして、徐々に道幅が広くなっていき、遂に液化魔素の海を目にした。
照石ランプの光が届く範囲全てが、妖しい青紫色の液体が満ちている。
お手本のような、ドーム状の地底湖だ。天井の高さは、三階建てのブランカ学園全校舎さえも全て吞み込めるだろう。それ程に高く広い。
恐らくは、これは液化魔素の雫の蓄積なのだろう。何千年、何万年の月日を経て、雫となった液化魔素が水溜まりとなり、湖となり、やがて海になった。この広大な地下空間を満たす、猛毒の海に。
ただ、この自然が作り出した絶景に見惚れている暇はない。
海面を実像で埋め尽くす、アグア種の群れ。
その姿は羽根突きアリと言えば分かりやすい。漆黒の身体に、腹部には茶色の毛が。複眼には私たちの姿が幾つも映り、その顎は私の腕程もある。
それらが、羽音を立てて何十匹も迫ってくるのだ。無論その音量は、王都の雑踏を遥かに凌ぐ。聞いているだけで鳥肌が立ちそうな、否立つほどに、
虫嫌いは冒険者にはなれないと言われる由縁がこれだ。ただでさえ苦手な虫が、私たちと変わらぬ大きさとなり迫って来る。これ程恐ろしいものも無いだろう。
「っ……! 倒さなくてもいい! 液化魔素に落としてください!」
飛来した
液化魔素は、魔素の毒物としての面が顕わになったものだ。
魔素の研究は進んでいるものの、未だ詳細が判明していない部分も多い。その中の一つに、魔素には圧力を高めようとする性質がある。
毒物、という言い方は厳密には語弊がある。結果として人体に有害であるだけで、本質的にはただの自然現象だ。ただ前述の性質により、液化魔素には生物にとって劇物であると言っても間違いは無い。
魔物や、人間といった生物は魔法を行使できる。つまり魔素を意識的に動かす事の出来る生物故に、体内の魔素圧力が高い。故に、特定の植物を
液化魔素と人間は、その逆。
「"
「"
「"
ライカの魔法がアグアにかかる重力が増し、ブローディアの押し潰す様な風が彼等を押し潰す。私の魔法はアグアから揚力を奪い去り、羽ばたきの意味を無くす。
バランスを崩し、落ちていく先は地面ではなく魔素の海。そのまま大きな水音を立て液化魔素に触れた魔物たちは、数秒苦しみ悶えた後に沈んでいった。
生きとし生けるもの。その
無論例外もあるが、生物は魔素を一定量保有している状態でなくば生命活動を維持出来ない。そのように、進化しているのだ。
魔素は圧力を高めようとする性質がある。
液化魔素と生物が触れることにより魔素は圧力を高めようと働き、体内の魔素の全てが液化魔素に溶けだしていく。魔素が全て抜けた生物は、死ぬ。
これが、液化魔素が猛毒と言われる由縁。
「な……これが噂に名高い液化魔素の性質か……」
「ライカ、ブローディアさんはどんどん落としてください!」
「嬢ちゃん! どうする!?」
「撤退です!」
「聞いたな馬鹿共! 撤退だ!」
怪我をしていたブローディアのパーティーメンバーを担ぎ上げ、ウィルザードが高らかに叫んだ。
こうして。我々は初日にして、敗走を喫したのである。
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