第5話 迷宮学者とロンドール

「"岩の瞳サクスム・オクルスぅ"」


 六人の足音が響く中、リュールは魔法を詠唱しながら迷宮の壁をなぞる。

 リュールは斥候であり、このパーティーの物理的な遠距離攻撃要員。しかしそれと同時に、優秀な魔術師でもある。級は私と同じだ。

 彼女は斥候としての仕事を、自身の経験に重ねて魔術でもこなす。現に彼女が今使用しているのは、岩を自身の視覚器官とし、脳へ情報を送り込ませる偵察の為の魔法だ。

 私にも扱える魔法ではあるが、眼球と岩という二つの器官からもたらされる視覚情報に慣れていなければ疲れてしまう。


「六十メトルまで敵影無しぃ。そのルートで進めるよぉ」

「ありがとうリュール。アストラさんは、何か気付いたことはありますか?」


 最後尾を歩く私に、ローレンヌは振り返りながら訊ねる。


「いや何も。典型的な洞窟型迷宮だなってこと以外には」


 迷宮の形状には幾つかの種類が存在するが、典型的なのは三つ。

 現在潜っているロンドールは、最も一般的な洞窟型形状に該当する。

 岩石中の成分が水に溶けだしそこは空洞に。それが水路となり、水路が長い年月を掛け岩石を浸食することで人間が出入り可能なほどの洞窟へとなるのだ。

 そこへ地脈、地中を流れる星の血とも言える魔素の流れと重なれば、瓶を水で満たすように洞窟内には高濃度の魔素が満ちていく。これが洞窟型迷宮だ。

 巣穴型迷宮は、地中に暮らす魔物が放棄した巣穴が迷宮と化したものである。主にその元の所有者は蟻型の魔物アグア種や、土竜型の魔物モア種の系統であることが多い。

 アグア種の場合孵化を待たず放棄され死んだ卵や、餓死した幼体。モア種の場合巣穴に溜め込んでいた生き餌。それらに含まれた魔素が時間を掛けて大気中に放出され、迷宮となる条件を満たす。

 三つめは人工型迷宮。所謂、遺跡や城塞である。

 先人が遺した建築物。そこに放棄されていた魔道具や魔石ませき、人間や魔物の死骸。或いは、洞窟型迷宮と同じくそこに地脈の流れが重なることによって、地中より魔素が吹き出し満たしていくのだ。

 ここはまさにその典型。意識を向けると、魔素の流れが奥から洞窟の外へと流れ出しているのがよく分かる。所々湿っているのもその証拠だ。


「ただ、少し気になる所もあるけど」


 照石を利用したランタンの灯りの中、水溜まりに影が映る。丸眼鏡の芋っぽい迷宮学者は、私が水溜まりにそうしたように微笑んだ。

 焦げ茶色の三つ編みを右肩から垂らし、武骨な鉄のフレームの丸眼鏡。鼻が高いのは自慢にも思えるが、どうだろうか。まぁいいか。


「四十五メトル、視認さぁん。フロードかなぁ」

「分かった。ルクシスと僕で前衛を。ライカは氷の詠唱準備。リュールとシュシュはアストラさんを頼む」

「了解だアイビー」

「……」

「了ー解ぃ」

「了解ですっ」

「"念話メッセージ"。アストラです。フロード三体と接敵。これより交戦します」


 報告を済ませている間に、巨大なタワーシールドを構えた黄金の順風の戦士であるルクシス・メルガルドと、長剣と中盾を持つローレンヌがパーティーの前方へ。

 ライカはその後ろで魔力を増幅させる魔石があしらわれた長杖を持ち、猫耳のリュールとそばかすがある薬師のシュシュが、私を護る為に私の前へ出た。

 統率が取れた動きに驚き、同時に少人数パーティーの利点はここにあるのかと納得した。彼らならば、龍種りゅうしゅでさえ墜とせてしまいそうだ。


「来たよぉ、カエル野郎共がぁ」


 猫耳がぴくぴくと動き、同時に狭く暗い道の先に生物の影が浮かび上がる。現れたのは人間の三歳児程の、巨大な蛙だ。

 フロード種は主に沼地に生息する蛙の魔物。群れでの生活を主とし、泥色の皮膚は硬く靭性じんせい、耐火性に富み、刃や炎の魔術を通しにくい。

 餌である虫を捕らえる為の舌の筋力は、成人男性の腕力のおよそ三倍とも言われている。単純に舌での殴打を受けるだけでも危険だが、粘液が絡んだその舌に絡み取られ、他のフロードに無防備な状態を晒すと言うのが最も危険と言える。

 フロードの頬がうごめく。舌の射出の予備動作だ。


「ルクシス!」

「任せろッ!」


 巨躯の戦士が我々の前に躍り出る。同時に射出された一匹のフロードの舌が、タワーシールドに貼り付いた。

 メルガルドとフロードの綱引きが始まる。だが、フロードの舌の筋力は。

 タワーシールドが剥がれかけている。メルガルドの頭に血が昇り、太い血管が浮かび始める。


「"筋力上昇パンプアップぅ"!」

「"アイス断頭ギロチン"」


 リュールの支援魔術により、メルガルドとフロードの筋力が互角に。そして、ライカによる氷の刃が空中に生成される。


「――――!!」


 氷の荒い刃が墜ちたのは、そこから一秒にも満たぬ早業だった。フロードの舌が切断される。悲鳴にも似た鳴き声と共にフロードが後退りした。

 物質創造系の魔術は、同等級であっても精神干渉系魔術よりも難度が高い。それもその筈、魔力を用いて、無から質量のある物質を創造するのだから。

 氷の魔術は、最も生物に馴染みやすい主属性から外れる亜属性の魔術だ。その中でも薄い刃の形状を成す魔術は、準一級に該当する。それをあれ程の速さで打ち出すとは。一級魔術師ライカの腕は、衰えていないらしい。


「リュール、俺も頼む!」

「分かってるってぇ! "筋力上昇パンプアップぅ・敏捷上昇アジリティアップぅ"!」

「"フロストフォグ"」


 凍てつく霧がフロードを包む。氷の粒子が煌めき、フロードの動きが鈍る。

 フロード種は変温動物、体温を安定的に保つことが出来ない。その為氷魔術は、フロードに最も効果的な魔術の一つだ。

 霧の発生と共にローレンヌとメルガルドが駆け出す。刃が振るわれ、フロードの頸が一つ二つと飛んでいく。そして最後の一つが今、刎ねられた。

 前衛二人が羊毛で刃を拭い鞘に納める。ライカは杖先の魔石を拭い、シュシュはフロードの血を採取、リュールは再び岩壁に手を当てた。


「アストラさん、解体は?」

「簡単に魔素抜きと血抜きだけ済ませよっか。皮と舌の解体もとなると、他に迷惑が掛かるし。……"念話メッセージ"、ウィルザードさん、並びに各パーティーリーダー、サブリーダーの方、聞こえますでしょうか。アストラです」


 解体の為進行を止める旨を伝える。歩みを止めるのだ、全体の進行に関わる。

 迷宮調査は基本的には今回のように大勢で行う。その為、歩みを止めるような事は極力避けるものだ。ただそれでも魔物の解体、取り分け魔素抜きを欠かせられないのには理由がある。

 魔素抜きという処理は、魔物から魔綿を用いて魔素を取り除く作業。基本的に魔物を狩った際は、特別な素材を剥ぎ取る場合以外は魔素を抜く。でないと、周囲に魔素が垂れ流しになってしまうのだ。

 森林や只の洞窟であれば、多少不具合なこともあるがそれは構わないとされている。ただ、迷宮となると事情が異なるのだ。

 迷宮内の魔素は地脈の流れにより、砂上の楼閣ろうかくのように不安定な状態を保ち続けているのだ。これは迷宮学の基礎の基礎。迷宮は基本的に地脈がある場所にしか存在しない。

 ただそれが壊れる時は、一瞬なのだ。

 過去には魔素抜きを怠った迷宮の魔素が乱れ、地脈が溢れ出した場所もある。そこはすっかり人間が立ち入り出来ない場所になってしまった。

 魔素抜きが必要な理由は以上。血抜きは単純に、微生物が少ない迷宮内に腐乱死体を残さぬための処理だ。


『全体に通達……ブローディアです……』


 脳に直接響くような声が頭の中でこだまする。調査に参加する別冒険者パーティーのリーダー、白銀とも称される、エア・ブローディアの声だった。

 ローレンヌを含むパーティーメンバーも、念話に反応し耳を手で覆う。




 エア・ブローディアは耳を手で覆いながら、頬に汗を伝わせた。

 冒険者なら、古今東西危険な場所の話は絶えない。東方、猛毒を含む砂が舞う大砂漠。少しの火気で引火し爆発する迷宮に、命を吸い取る木が根を張る森。

 みな、何があった、何がいたと武勇伝を語る。それに感化された者が再び、その場所に潜っていく。語り継ぐ、意思を受け継ぐ。冒険とはそういうもの。

 だがこれはどうにも。冒険譚としては、あまりにも荒唐無稽こうとうむけいだ。


「超広域の液化魔素湖と……アグア種を確認。視認、百以上」


 百を優に超える羽の付いた蟻型の魔物が、雄大な液化した魔素の海を渡り、こちらへ向かってきている光景なんて。

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