第4話 迷宮学者は胸を高鳴らせる

 陽が沈みかけ、茜色に空が染まっている。私たちは王都を出、半日を掛けてロンドール山脈まで辿り着いた。

 疲れ果てた冒険者たちがこのままの状態で迷宮に潜る訳も無く、我々は迷宮の眼前で一泊することとなる。


「おぉ……これがロンドール」


 そんな、迷宮へ潜る最終準備。その為の迷宮眼前での大規模の野営。そこであてがわれた天幕にて、私は単眼鏡を覗いていた。

 レンズの中には、山脈の根にぽっかりと空いたくらい孔が一つ。

 遠くからではあるが、光を放つ鉱石である照石しょうせきの燭台のお陰で、そのあなが成人男性程の大きさしかないことが分かる。そして、その光景が高濃度の魔素により蜃気楼しんきろうのように揺れ動いているのも。

 既に、発見者の冒険者から詳しい話を聞いている。とは言え、もたらされた情報は多くない。


「またこうして迷宮へ、ご一緒できる日が来るとは思いませんでした」


 背後よりかかる声の元は、私の耳よりも少し高い位置にある。

 ローレンヌは昔を懐かしむように、迷宮の入り口の暗い穴を見据えながらそう零す。


「あの時はフリーの学者でしたけど、あれからついこの前までは教鞭きょうべんを取って忙しい日々を過ごしていましたからね。私も、このチームに見知った顔があって嬉しいです」

「僕に……いや、僕のパーティーのメンバーにも敬語は不要ですよ、アストラさん。そうですね、僕たちはこの王国でも、有数の実力を持つパーティーですから」

「自分で言いますか。……いや、自分で言うんだね」


 私たちが知り合ったのは六年程前の事。

 帝国南部にある迷宮調査の護衛依頼を、当時護衛依頼で王国より遠路はるばる訪れていた『黄金の順風』が引き受けたのが切っ掛けだ。

 それから私とローレンヌのパーティーのメンバーとは意気投合し、その後も帝国で何度も依頼を受けてくれるようになったのだ。


「ていうか、他のメンバーは? ライカさんとか、リュールさんは元気?」

「勿論元気……ほら、噂をすれば」


 ローレンヌに肩を叩かれ振り返ると、こちらへ向かう影が二つあった。

 一方は、私よりも背が低い栗色の髪の少女だ。ただ、頭頂部から生える二つの猫のような耳は、彼女が只の人間では無い事を示している。

 弓の弦を肩から背負うようにして携えている、弓手の彼女の手であり剣だ。腰元には二つの矢筒が顔を覗かせていた。

 もう一方はすらりと背の高い金髪の男性。装備に金属は見当たらず、身軽そうな風貌をしている。耳は短剣のように長い。

 手に持つ長杖はダークブラウンの木材で形作られたもの。その材質も、嵌め込まれた魔素結晶も魔力をよく通す。魔術師にとってそれは、自身の魔法を増幅させる重要な武器だ。


「アイビっちぃ、やっぱりアストラさんのとこいたぁ」


 少女が頭の後ろで手を組みながら、猫の鳴き声のように間延びした声を上げる。

 彼女がリュール。黄金の順風の斥候であり、弓を扱う狩人だ。

 矮躯わいくで女、そしてその特徴的な喋り方だ。このパーティーの中では侮られることが多いが、その技術は王国の弓手の中でも屈指と聞く。


「二人とも、悪いな」

「いーよぉ別に。ウチは明日までやること無いしぃ。アストラっちぃ、おひさぁー」

「…………ん」

「お久しぶりです。リュールさんにライカさん」


 森人エルフの血を濃く引いた男性はライカ。私よりも上位の魔法を扱う練達した魔術師だ。魔術師ギルドが発行するその等級換算は一級。事実上の、魔術師の頂点である。

 無口だが、私よりも上位の級を持つだけある。実力は確かだ。


「あれぇ、前は敬語なんて無かったのにぃ。ウチ等のこと嫌いになっちゃったぁ?」

「そんなことは……。意地悪言わないでよ、リュール」

「それでよぉし。で……――――」


 リュールの目線が鋭いものへと変わる。


「アストラっち、ロンドールはどう? 特殊迷宮?」

「可能性は、としかまだ言えないかな」

「……可能性は、ねぇ。あるってコト自体が異常なのにぃ」

「もしそうだった場合は即時撤退だね。でも、犠牲はゼロに済ませることは難しいかも」

「大丈夫。アストラさんの指示の下なら、我々は全員揃って脱出できますよ」

「プレッシャーかかること言わないでよ……」


 溜息を吐きながら単眼鏡をしまう。

 迷宮には大きく分けて三つの種類がある。小迷宮しょうめいきゅう迷宮めいきゅう特殊迷宮とくしゅめいきゅうだ。

 語頭に簡単な言葉が付いただけの単純な区別だが、それは言葉だけ。

 小迷宮は一般的に洞窟や放棄された城塞等で見られる、高魔素濃度こうまそのうどの空洞を指す。言うなれば魔素まそが濃いだけの場所。魔物の強さが通常と変わる以外は、特筆すべき点は無い。

 迷宮は、高魔素濃度という点に加え、液化魔素や魔素結晶が発見された場合にそう呼称される

 高濃度の魔素が大気中から飽和し、形状変化する。そのような状態になるのには当然一朝一夕では足りず、膨大な時間を有する。それ故に、それぞれの迷宮に対応するように独自の変化を遂げた魔物は多い。

 そして特殊迷宮は、規模、組成、魔物、エトセトラ。そのどれかが、もしくはその全てが通常とは異なる迷宮。大陸にも片手で足りる程しかない、迷宮の中のイレギュラー。

 ロンドールは、表層から既に二級魔術師が魔素酔いを起こす程の魔素濃度だという報告を受けている。

 魔素は空気中に漂っている、と考えられている物質だ。まだ、物理的にその存在が確認されたことは無い。魔法を現象として発現させる為の根本的な概念であり、魔物と略される魔素生物の力の源でもある。

 特筆すべき点は、魔素は通常の生物にとって、有害であるということ。

 適度ならば良い。個体により差はあれど魔素への耐性には振れ幅があり、これを鍛えることもできる。魔術士が実力を付ければ付ける程、魔素へ耐性が強固になるのと同じだ。

 だが、種としてのキャパシティを超えた場合。

 まず吐き気や眩暈などの症状から始まり、筋肉の痙攣けいれんや呼吸困難を経て意識が消失し、最終的には死に至る。

 そのようなレベルの魔素濃度の迷宮の報告は、どれだけ記憶をあさってもかの特殊迷宮しか存在しない。

 地形による特殊な魔素の流れ、ということも考えられる。が、特殊迷宮である可能性も、あり得ないという話でなくなってきた。

 既に各冒険者パーティーのリーダーに、私がロンドールを特殊迷宮と判断したら即時撤収をして欲しいという事を触れこんでいる。もし本当に最悪の事態が起こった場合は、私の指揮の手腕が問われることとなるのだ。

 腕が鳴る。同時に、緊張が消えない。


「まーぁ暗ぁい話はさておき。アストラっち、一杯やるでしょっ」


 リュール手で杯を呷るような仕草をしながら目を輝かせる。無論、宴のお誘いである。

 ありがたいが、素直に受ける訳にもいかない。迷宮へ潜る前日。もし悪酔いでもすれば、調査チーム全員に申し訳が立たない。


「ごめんねリュール。緊張で飲み過ぎちゃうかもだから」

「えぇー、じゃあお話だけでもしようよぉ。ルクシスとシュシュが待ってるよぉ?」


 リュールが出した名は、黄金の順風の残る二人のメンバー。

 確かに、酒が無くとも久しぶりの再会を肴に談笑に興じるくらいなら。むしろ大歓迎だ。


「……じゃあしょうがないか」

「いぇーいぃ! アストラっちゲットぉ! ほらアイビっち、行くよぉ」

「え、僕も!?」

「リーダーは強制でしょぉ? ほら行くよぉ!」


 そうして、宴は始まる。

 なんだかんだ言いつつも酒の快楽には逆らえない。久しい旧友との再会、人生の中でも指を折るに足るほどの大仕事、そして緊張。

 その状況下の酒宴しゅえんで、酔いを友としないことこそ、有り得ないと言うべきだろう。


「なんで樽なんて持って来てんのあのバカ……」

「知らないですよ……。まさか隠す為に他の冒険者パーティーに運ばせてたなんて、考えられないじゃないですか……」

「うぅ……頭痛い、吐きそう」


 夜が明け、調査開始当日。

 即席の壇上で演説をするウィルザードの背後で控える私たちは、頭を抱えながらローレンヌと小声で話す。

 リュールがローレンヌから隠す為に、他の冒険者に金を払い運搬を依頼していたのだ。私も、メンバーらに何度も押され断るのも申し訳なくなってしまい、そのまま止まらず一晩で樽は空になった。

 完全に飲み過ぎた。耳の側で鐘を鳴らすように頭痛が響いている。体内も気持ちが悪い。今にも胃液が逆流しそうだ。


「仕方ない……。"酔い覚ましソーバーアップ"」


 身体から酒を抜き取る魔法を唱える。

 魔素が揺れ動き、魔法が顕現する。身体から湯気が立ち昇るように、酒が抜けていき私の掌に球状となり集まっていく。

 それを放り捨てると、万全と言えるほどでは無いが身体の重さは幾分か楽になっていた。


「あ、ずるいですよアストラさん」

「心配しないでも今やってあげるよ。大事な前衛が酒で機能停止なんて嫌だからね……」


 魔力が身体から抜ける。全体の一割と言った所だろうか。簡易的な詠唱とは言えやはり、質量を持つ物質を動かす魔法は、魔力の消費が大きい。

 魔素が溜まり、よどみやすい迷宮へこれから潜るのだ。その上魔力の回復については問題無いだろうが、それでも魔力を動かすのに体力を消費しない訳では無い。

 最中、ウィルザードの演説の声が大きくなった。


「色々言ったが、諸君。既に各リーダーより聞かされているだろうが、今回の迷宮調査は危険なものとなる事が予想されている。アストラの嬢ちゃんの念話が聞こえたら、絶対に聞き逃すな! 以上!」


 ウィルザードが雄たけびと共にその太い右腕を上げる。呼応するように冒険者たちが湧き立つ。士気の面での問題は無いようで、少し安心した。

 彼は壇を降り、そのままこちらへと歩み寄って来る。

 『鉄の爪』は大陸でも屈指の大規模ギルド。そのリーダー以上に、大人数の指揮に慣れた人間はいない。故に、今回の全体指揮権は彼が握っているのだ。ただ、緊急時は別だが。


「随分と酒臭いな、嬢ちゃん」


 酒気を消し去る魔法を行使しても、その匂いは消し去れない。


「誠に申し訳ございません……」

「ハッハ! 程々にな! 俺も、その節は悪かった。アイツらにはうちの精鋭を付かせるよ」

「ありがとうございます」


 腕を組み、豪胆な高笑いをするウィルザードに私は、迷宮の入り口を見ながら話し掛ける。

 今なお、何人かが集まり何かしらの作業をしている。荷馬車も入口の側に停め、荷下ろしをしているようにも見える。


「魔素除去の調子はどうですか?」

「後一時間ってところだ。準備している間に済みそうだな。だが、これで荷馬車一台分の魔綿まわたがパーだ」


 表層の濃い魔素。その内部には、更に高い濃度の魔素が満ちていると予測される。それを除去するために、魔素を吸収してくれる魔綿は迷宮攻略において必須の物資だ。

 今回は荷馬車三台分まで余裕があるが、表層の除去だけで一台分となると、調査に足りるか怪しくなってくる。

 その上、魔綿はお値段が張るのだ。


「調査が済めば、貴重な物資は私たちの物ですよ」


 期待に胸を躍らせる。

 迷宮に眠るのは、いつだって未知だ。

 未知の生物、未知の鉱物、未知の植物、未知の生態系、未知の環境、未知の景色。

 未知を既知にする悦びは、やはり幾つになっても無くなることは無いようだ。学者の本懐、とでも言うべきなのだろうか。

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