第2話 迷宮学者は同行したい
「今ある分で足りるかな……」
クビを告げられしばらく。街道のど真ん中で、私は腕を組み悩んでいた。
学園をお払い箱になった以上、この王国にいる意味は無い。今すぐにでも帝都に帰り、途中だった研究を進めたい。まだ論文も書いている途中だし。
と言うわけで、脳内で帰国までの流れを計算した。
この王都から帝国まで続く乗合馬車は無いので、必然的に馬車を借りることになる。その賃料は約十金貨。乗り換えを繰り返しても七金貨は掛かるだろう。
一人では街道で魔物や盗賊に襲われた時太刀打ちできない。一応フィールドワークのためにある程度の魔法は会得しているが、心許無いのが事実だ。故に護衛を雇うことになる。
帝国までの道のりは遠い故、それなりの金額が掛かる。護衛任務を受けてくれる冒険者たちへの報酬金は、道中の魔物退治や荷物運びなどの雑用を含め、少なくとも金貨五枚。
研究器具の運搬具も必要だ。迷宮研究に用いる器具は、他の分野に応用することのできない特殊な器具が多い故に、運搬具も特殊となる。迷宮学が普及していないこの王国では、手に入れるにはかなりの金額を投じて購入するか、特注品かだろう。ざっと見積もって、その額は金貨十枚。無論、維持費を除いている。
その他着替え、食料品、装備品など生活必需品や装備を整えるののにも金が要る。女性は何かと備えに金が掛かるのだ。安価なものでざっと見積もって二金貨といった所か。
まとめると、旅費交通費七。
依頼料五。
運搬具十
消耗品費二
ここまでで金貨二十四枚。退職金は大銀貨百枚、つまり金貨十枚。
はい、既に足りない。めでたく帝都へ辿り着いたとして、昔いた研究室に拾われたとしてもだ。食費も宿代も無い。
最低でも金貨十枚の余剰分は用意して王都を出たい。身を切る思いで売り払った一部研究器具は、古かったので計銀貨十二枚程度にしか変わらなかった。まぁ、迷宮学が軽んじられているこの王国で迷宮学研究の器具が売れただけ、喜ぶべきなのかもしれないが。
そう。この王国は、迷宮学への関心が薄い。
世界創生せり。そう謳われる創世神は、一に人間を作る。人間を大層気に入った彼女は、人間を育て神へと至らせることとしたのだ。幾つかの試練を与えることで。
創世神信仰が篤いこの国では、神が人間に与えた試練とも呼ばれる迷宮を、科学的に解明しようというこの学問は信仰より外れることとなるのだ。
だからこそ、学徒も減る訳で。
「取り敢えず冒険者ギルドに行こう」
口に出すことで無理やり考えをまとめ、足を進める。
私の本職は迷宮学者。厳密には迷宮における自然環境を研究する環境学の研究者な訳だが、それは置いておいて。
迷宮学は迷宮を研究する学問。当然研究の過程で、実際の迷宮に現地での調査に出ることもある。
迷宮において。起こることは全て
フィールドワーク用に冒険者としての登録は何年か前に済ませているから、登録料の心配はいらない。
「うわ久しぶりに来た……緊張するな」
冒険者はならず者の集まり。と言うのは風説であり、事実ではない。現に昔フィールドワークの同行を依頼した冒険者は、実に心地良い対応をしてくれた。
特にリーダーの騎士風の金髪の青年は、顔がいい上に腕も利き、性格もいい。あれこそが冒険者なのかと、当時は感服したものだ。
「ローレンヌくん、元気にしてるかなー……」
だがそれでも火の無き所に煙有らず。風説があるということは、一部当て嵌まる事実があると言う事。
大扉を控えめに開け、中を覗き込む。その瞬間、屋内から飛び出した怒号に身を震わせた。
「だからよぉ! こっちは無駄な経費を抑えてぇんだよ! どんな奴が来ようと、剣と魔法で切り開く。それが俺達冒険者だろうが!!」
禿頭に真紅で竜が彫られた巨躯の男が、相対する者の胸倉を掴み叫ぶ。強面を更に加速させるように、怒りを露わにしながら。
その言葉に呼応するように、その背後に立つこれまた強面の集団が各々の得物を天に掲げ、彼に同意を示す。
「それは蛮勇だ。頭の中まで筋肉になったか? 君のような人間はエリューダルを知らないだろう。愚者は経験に学ぶとはよく言ったものだね」
「聖騎士サマは減らず口まで上手らしいな……? それ程上手いと不便なこともあるだろ、ここで塞いでやってもいいぞ……タダでな」
禿頭の手を振り払い、マントを翻し相対する男は煽る。
こちらからは彼の背中しか見えない。紫紺のマントに、同じく紫紺のフード。腰の左右に細身の剣を
「あの人博識だなぁ……」
気付かれないようにコソコソと受付へ歩みながら、思わず呟く。
エリューダルは、既に絶滅した草食性の魔物の名前だ。酷似する種に、ナリューゲルが存在するが、これは絶滅していない。
絶滅の主な原因は、天敵に対し策を弄し逃げおおせるナリューゲルに対し、エリューダルは愚かにも天敵に突進することしか知らなかったから、というのが通説だ。
それが起因し、魔物学に明るい人間の中では考え無しの愚者をエリューダルと呼ぶスラングがあるのだが、ただの冒険者で知っているのは珍しい。
喧嘩を傍目に受付へ辿り着く。どうやら私に気付いていない。受付嬢も、ロビーの喧嘩を眺めていたようだった。
「あのぉ……」
「あ、はい、失礼致しました! 冒険者ギルドへようこそ! ご依頼ですか? ご登録ですか?」
この挨拶は冒険者でない一般の人間向けのものだ。そう言えば、冒険者には首から等級を表す認識票をぶら下げる義務があったことを思い出し、もたもたと受付前で自分の板金を身に着ける。
私の風貌は眼鏡の冴えない華奢な女。板金が無ければ、冒険者と思われないのも仕方が無い。
「すいません、一応冒険者です、私」
「あ、これは失礼致しました! 本日はどうされました?」
「依頼を受けたいんですけど。一応二級魔術士です。で、ソロがいいです」
「なるほど、二級魔術士のソロで遂行可能な依頼ですね? 少々お待ち下さい!」
手元の紙束をペラペラと捲り出す受付嬢。私はそれに少し背を向けカウンターで腰を支え、ロビーの喧嘩を観戦する。
未だ双方の怒りは収まらないようで、怒号は激しくなるばかりだ。
「だから言っているだろう。今すぐ顧問となる経験豊富な学者を臨時で雇うべきだ! 未開拓の迷宮における事前情報無しの探索が、どれほど危険か分かっているだろう!?」
「ん?」
聞き覚えのある単語が聴こえ、思わず身体が反応する。
「格安で雇ったブランカのガキが居るじゃねぇか! それにこの人数で行くんだ、んなの関係ねぇ! それより、問題はお前が食料に掛ける経費を削った事だ! 聖騎士サマは信仰さえありゃ戦えたのかも知れねぇが、俺らは旨い飯といい女が必要でなァ!?」
途中観戦だからか、何が火種か分からない。喧嘩の観戦は無関係の人間からすれはわ楽しいものだが、迷宮なんて言葉が出てしまえば、議論の内容も気になってしまう。
「すいません、あれ……なんですか? さっきから」
声を潜め受付嬢に訊ねる。すると嬢は少し躊躇ったあと、人目を
「王都郊外で新たに巨大な迷宮が発見されたのはご存知ですか?」
「えぇ、もちろん。ロンドールですね?」
「はい。彼らはそれぞれ、その迷宮探索チームに組み込まれた冒険者パーティーのリーダーなんです。で、予算の使い方でちょっと揉めてまして……」
「なるほど。ギルド側も探索を頼んでいる側だから止め難い……と」
「恥ずかしながら」
そうか、もう探索隊が入るのか。と、私は一人思案に耽ける。
一ヶ月前、或る冒険者パーティーが発見した迷宮だ。王国北方、聖王国を越えユークリア王国の地にまで行った所。地名に
迷宮とは一般的に、発見されるとまずギルドに通達が行く。その後様々な手続きを経て、本部冒険者ギルドより各支部へ探索の命が出されるのだ。国が介入することもある。
普段ならその手続きに三ヶ月程掛かるのだが、今回はかなり早いらしい。
「あの……」
「はい? 何でしょう」
もしロンドールへ行くなら、是非私も同行したい。
ロンドールが発見された王都より北の地域は、剣のような山脈が続く地帯。そして、今まで一切の迷宮が確認されなかった地域だ。
山岳地域における迷宮はどれも遠く、現地の調査も数える程しか無い。
非常に興味を
「迷宮の調査、私も行けたりしません?」
「……えぇと、残念ながら調査の募集期間はもう過ぎておりまして……」
困ったように受付嬢が言う。
「実は私、この前までブランカ学園で迷宮学を教えてたティア・アストラと申しまして……ほら」
懐から取り出したのは、木の根を模したペンダント。下部には確かに、『迷宮学者ティア・アストラ』の文字が刻まれている。
受付嬢は目を見開いた。その反応も無理は無い。
王国だと私を除き、魔素生物学の教授と、魔術術式構造分析学研究の学者だけだったと記憶している。
つまり、王国でこれを見るのはかなり珍しいだろうから。
「ティア・アストラって……迷宮学のティア・アストラ教授!?」
「はい。王国では迷宮学が
「いやいや!そんなもちろんです!!」
やはり駄目か。だが、これは迷宮探索の仲間を雇わずに大人数で迷宮に潜れる好機。これを逃せば、途方も無い金額の予算を集め探索隊を組む以外無い。つまり、ロンドールに入る機会は今後無いかもしれない。
私は諦めず押す。
「そこをなんとか! 私ソロなんで、どこかに入れてもらうとか……」
「違います違います! 大歓迎ですよ! ローレンヌさぁん!! こっちこっち!!」
「え、ちょちょちょ!」
受付嬢は私の言葉を慌てながら否定し、現在喧嘩真っ只中の二人の男の方へ声を掛ける。
私はそれを慌てて止めるも、私の意思とは正反対に喧嘩は中断。呼び声に応じたマントの男が、靴音を鳴らしながらこちらへ歩み入って来た。
フードの中身が見える。
プラチナブロンドの美しい髪、彫刻のような端正な顔に、サファイアのような碧眼。紛う事無き美男子だ。しかし何故だろう、どこか見覚えがあるような。
「あっ」
「ん?」
それは、相手も同じだったようだ。
私と目が合った途端、彼は満面の笑みを浮かべた。歩みは次第に小走りに。そして、私の眼前で止まった時には既に、私が何者であるかを完全に思い出したようだった。
「お久しぶりです! アストラさん!」
そう、
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