或る迷宮環境学者のフィールドワーク
朽木真文
第1話 或る迷宮学者、路頭に迷う
「え!? 出てけ!?」
格式あるブランカ学園の研究室で、私は思わず叫ぶ。
そして今が、一般生徒は講義を受けている時間であることを思い出し、私は手遅れと分かっていても反射的に口を両手で覆った。
「えぇ」
「どうしてどうして!? まだまだしたい研究がたくさんあるのに!? 人工的な迷宮核による人工迷宮とか!
私に衝撃の事実を報せた、金髪の男性の腕にみっともなく縋り付く。
彼、ベリア・ローゼンタール副学長は鬱陶しそうに私の手を払うと、ため息交じりに私の言葉を遮る。
そう、このブランカ学園で講師として迷宮学を教えていた私は、彼によりたった今解雇を宣言されたのだ。
「迷宮を科学的に解釈する。この考え方には私も感服しました。ですがこの王国では受け付けられないのも確かです」
「ヒュッ」
私が常日頃思っていたことを突かれ、思わず淑女が出してはいけない声が出る。
迷宮、それは自然的に形作られる環境。それを研究する私は、自然学者の大枠に入っていると言っても過言ではない。
森を研究する者がいるように、海を研究する者がいるように、迷宮を研究する者がいる。それが、私。迷宮学者ティア・アストラなのだ。現に学会では、それなりに名が知れた学者でもあるのだ。
ただそれは、私が生まれ育った隣国の話。この王国は宗教の影響で、迷宮を学問として解釈する人間が少ない。
「事実、受講者はここ数年で右肩下がりです。去年は何人が迷宮学を取りました?」
「さ……三人です……」
「去年の夏の学園見学会、迷宮学の体験講義に来たのは?」
「……誰もい、いませんでした」
「ね? 学園としても、もう不人気な迷宮学に予算を割く訳にはいかないんです。仕方がない事と思って、帝国にでも戻ってください」
「そんなぁ! 学園長が迷宮学者を探してるっていうから、急遽帝国の貸家を引き払ってここまで来たのに!? じゃあ敷金礼金分補償して下さいよ!」
デスクを挟み、私は前のめりでベリアへ訴えかける。
そう、五年前のこと。若くして迷宮学者として活動していた私は、
住み込みでも構わないとのことだったので、生活用品は全てここに置いてある。今だって、成人男性が部屋にいるというのに、この研究室の窓には何着も下着を乾していた。研究室とは名ばかりの、私の根城である。
「そう仰ると思いまして」
「ヒョッ」
ベリアが語気を強め、膨らんだ麻の袋を机上に置く。相当な重量があるようで、それは大きな鈍い音を立てた。
驚きに、またも淑女が出してはいけない声を漏らしながら私の身体が硬直する。
「……エ、ナンデスカコレ」
「退職金です。大銀貨百枚」
「一応訊くんですけど、何で金貨十枚に両替しないんですか?」
「重い方が貰った気になるだろって、学園長が」
「それだけじゃ帝国まで帰るのに足らないんですケド……?」
今日この時間から出立したとしても、護衛の依頼料や、研究器具の運搬用の馬車賃。道中の宿代や食費などなどを考えれば、お隣とは言え規模が、国土が違う。私が住んでいたバンゼブルク帝国帝都に辿り着く頃には、そこそこ大きな旅行程度の資金を要する。つまり、無事一文無しだ。
所々を
そんなことを知ってか知らずか、ベリアはモノクルをくいと持ち上げた。
「でしょうね」
「でしょうねじゃないですよ、何とかしてくださいよ。不当解雇で訴訟起こしますよ!!」
「いいですよ。さぞ相当のお金が掛かるでしょうね」
「グッ……あの狸、分かっててやってんな……」
確かに訴訟となればそれ相応の費用が掛かることにはなるだろう。勝てれば良いが、負ければこのなけなしの退職金ですら水泡。今の私に、そこまで掛けることの出来る時間も金も無い。
だが、ここで引き下がる訳にはいかない。
「少ないとはいえ、私は今三人の生徒を受け持ってます。彼らの意志を無視するおつもりで!?」
「彼らには事前に話を通してあります。快く了承してくれましたよ」
「うぅ……」
切り札は呆気なく燃え尽きた。さらば、カークくん、ユリアさん、メイさん。
彼、ベリア・ローゼンタールは副学園長だ。すなわち彼は学園長の代理であり、彼の一挙手一投足は学園長の言動でもある。
学園長はどうやら、あの手この手で私が居残る理由を潰していると見える。どうあっても、譲る気は無いらしい。
私はため息と共に、敗北の宣言をした。
「分かりました……いつまでに出れば?」
「今週中であれば」
「……手配します」
こうして学園の迷宮学教授としてのティア・アストラは、無職のティア・アストラとなったのだった。
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