凪原椿木 【スイーツボックスイッツ】

 私の肺は白い管を捲いて黒く染まっているに違いない。

 最も身近で憧れだった二人が付き合いだしてもう二年が経っていた。ずっとじれったい二人がようやく付き合うことになり、私は手放しで喜んだ。

 そんな二人がついに結婚することになった。嬉しさと寂しさが混じる喜びの中、他人であるはずの私がニヤニヤを止められずにいたのだから、あのプロポーズをされ成功した二人は、はち切れんばかりの幸せに溢れていただろう。

 そして今、夫婦になろうとしている二人に何故か買い物に誘われて、バカな私は考え無しに着いてきてしまった。いや、予想はできたはずだったのだがお裾分けされた眩いばかりの幸せの光に充てられて、地元でも有名な高級ブランドが並ぶ百貨店にまで来ていた。そう、ここまで来たらさすがの私も察した。

あぁ、指輪買いに来たんだ。考え付いた瞬間、すでに遅くそのまま流れるように目の前のジュエリーショップでは宮内さんと四菜さんが指輪を選んでいる。そして、私はというとお店の前にあったベンチに座り二人を眺めながら、たばこ吸いたいなぁ、と現実逃避をしている最中だ。

「はぁ」

 ベンチの手置きに肘を乗せ頬を手で支えながら、指輪を選ぶ二人を眺めているこの人生で体験したくてもできない特殊すぎるイベントは、通行人の私を見る視線も相まってかなり心への負担がでかい。

 目の前の幸せな二人は店員と、指輪を真剣に吟味している。と、言うかやっぱり見ていると四菜さんが主権握ってるんだなぁ、と思うしかない場面がかなりある。かかぁ天下になる日もそう遠くないのかもしれない。現に宮内さんは横で、うんうん、と相槌を打つばかりで四菜さんと店員の会話を一歩下がって聞いているようにも見えている。

「このシンプルなのとか四菜好きなんじゃない?」

「あー、確かに」

 高級店が並び店内には添える程度のクラシックが流れる百貨店内において、人の会話は比較的聞えてきたりする。そのためか、出入り口がついて中の音をできるだけ漏らさないようにしているお店も多々あるが、このお店はそんなことはなく比較的オープンになっており店内から、宮内さんと四菜さん以外のカップルやプレゼントを買おうとしている男性客など様々な幸せが溢れてはこぼれ聞えてくる。

 おかげ様で飽きはしないのだが、そのせいもあって生殺しのような状態がずっと続いているというわけだ。幸せをずっと浴び続けて、もうお腹がかなりいっぱいではち切れんばかりになっている。

「でも、こっちもいいかも」

「お、いいじゃん」

 指輪を選ぶ二人の背中を見て、ため息とともに笑みがこぼれてしまう。やっと結婚なのか、長かったなぁと、まるで兄か姉が結婚するような心境になってしまう。もしかすると、二人からしたらあっという間だったのかもしれないが、私にとっては高校生の時からずっと見てきた最も身近な大人であり、思春期とも呼べる期間の教科書ともとれる二人の背中が、今この瞬間だけはとても無邪気に見える。

「いいなぁ」

 自然と声になり漏れ出すボヤキにも似た飾り気のない言葉は、私以外に届くわけもなく行き交う人に紛れどこかへ消えてしまう。

 私もいつかなど似合いもしないことを考えてはみたものの、明確な相手はおろか異性のタイプが自分でもわかっていない時点で結婚というのは無理な気がしてきた。もちろん、過去に付き合ったことがないわけではないのだが漫画のような恋愛とはいかず、なぁなぁとなり別れることを数回繰り返していた。もしかすると、私は恋愛に興味がないのかもしれないと思った時期もあったが、宮内さんと四菜さんの行く末を聞いたり横で見ていたりすると胸が高鳴るというかドキドキするというか、テンションが上がるのでそんなことはないはずだ。

 それに興味がなければ今この瞬間よりもずっと前に、私はたばこを吸いに喫煙所を探しにぷらぷら彷徨いはじめているに違いない。

「指輪かぁ」

 たばこを吸いたい欲が一周して収まり、自分の右手薬指を眺めてみる。何の変哲もないただのこの指にいつか指輪がはまり、誓いをたてる時が本当に来るのだろうかと、より一層疑問に思ってしまう。時期もそろそろ冬に入るというのも相まって手荒れが丁度顕著に出てくることもあり、余計に現実を見る羽目になった。

 手荒れのプリンセスなんてドラマや漫画の世界でのみ許されるわけで、現実においては確かに家事や掃除をきちんとしているんだなと思わせてくれるひとつの目安でしかない。

「まだ先だわぁ」

 彼氏すら居ない今の自分に対して将来の王子様たる夫を想像してみるというのが、あまりにも難解すぎてあきらめにも似たため息を漏らしてしまった。

 その間も、宮内さんと四菜さんはじっくりと慎重に指輪を選んでいる。

「やっぱり、こっちもなぁ」

「じゃあ、そっちは結婚記念日とかにでもいいじゃない?」

「それはめちゃくちゃアリ」

「だろ」

 耳を傾けてみればいつの間にか結婚記念日の話が飛び出してきており、だれにも聞こえない声で、おぉー、と声が出てしまった。というかだ、思ったのだが今の今まで四菜さんが主導になって決めているようにみえていたが、実際は宮内さんがアシストをする様に舵を握っていることに気が付いた。

 つまり、自然と気づかれずにエスコートをしているという事か。そりゃ、四菜さんも心から好きになるわけだ。でも、きっと四菜さんの事だろうから気づいているんだろうなとも思う。そう考えると、あの二人は私の想像以上に完璧にも近い理想の夫婦なのかもしれない。

「敵わないなぁ」

 二人の背中を見て、よりよく遠く手の届かない雲の上に結婚という漠然とした何かが飛んで消えていった感覚に襲われた。だが、それが妙に心地よく、深く考えずに行けばいいやと、開き直りと同じような考えがいつか雲に届く豆の木のように芽生え始めた。

「名前は入れてもらおうよ」

「確かにそうだな」

 どうやらどの指輪を買うかは決まったらしく、今はオプションというべきなのかサービスを選んでいるようだ。

「よし、それでお願いします」

 そして、すぐに決まったらしく宮内さんがバッグから財布ではなく封筒を取り出した。あぁ大金だぁ、なんて阿保の子にもなってしまいそうな事を思っていると、会計を任せたのか四菜さんがこちらへ来て、隣に座った。当然なのだが、めちゃくちゃ顔が緩みに緩み切っている。おそらく、今この瞬間世界で一番幸せな人だろう。

「ついにですね」

「………うん。あらためて実感が湧いてきた」

 表情は緩み切っているが四菜さんのその言葉は、噛み締めるように重くこれからの新しい生活に対しての思いがこもっている。

「旦那さん、こっちをチラチラ見てるけど行った方がいいんじゃない?」

「いやいや、だって翔太が休んでていいよって言ったのに」

 この時、四菜さんと私は無言になり、まさかとは思うがそんなはずはないよなという一つの同じ考えが思い浮かび、お互いに見合っていた。

「まさか、四菜さん、まさか」

「だ、だよね。ねぇ、椿木」

 その不安を現実のものへとするがごとく、宮内さんが手招きをし始めた。それを見て、隣りで少し大げさだなと思うくらいに四菜さんが頭を抱えている。

「行かないの?」

「行くべきだよねぇ」

 渋々といった形で重い腰を動かし、恐怖と情けなさを混ぜたような苦笑いをしている宮内さんの元へ、ゆっくりと確実に鬼の形相と呆れが程よい般若の表情を生み出していることが背中から簡単に想像できる四菜さんが戻っていった。

「………おぉ」

 あまりの怖さに私はイヤホンをつけて、会話だけでも聞こえないようにと現実逃避をすることにした。おかげさまで、最近ハマっているバンドの等身大の前向きさを歌った曲が心地よく流れている一方で、目の前では未来の食卓風景を映しているのかと疑いたくなるほどに馴染んでしまっている、恐怖の奥さんとなだめる旦那さんたる二人の姿が見えた気がした。もはや、まだ居ない子供の姿すら見えてくる。

 それにしてもどこか既視感があるなと思ったら、今の四菜さんは私の母親が起こった時にものすごく似ているというか、瓜二つすぎる。あれなのだろうか、母親は怒ると大概は鬼を憑依させていると聞くので、やっぱり似てくるのかもしれない。もしかすると、私自身も将来はああやって似てくるのかもと考えると、いやいやそれはないな、と他人事のように思えてきてひと安心する。

「あ、財布取り出した」

 案の定、封筒の中身じゃ足りなかったらしく四菜さんを呼び戻したようだ。

 値段に関しては二人で確認しなかったのもいけなかったのでは? などと言いたくなったがこれを言った瞬間に私は怒られるのではなく、宮内さんに対する口大会が自然と開催されるのだろうなと容易に想像できる。そんな大会を開かれたあかつきには、私ではなく宮内さんにとんでもないダメージがいってしまうので止めておこう。

「買えた、か」

 無事にお会計が済んだらしく、何故か無表情の四菜さんがモデルか何かと見間違えてしまうぐらいには綺麗な姿勢でこっちへ歩いてきた。

「どうでした?」

「ギリセーフ」

 どさっとと勢いよく隣に座る四菜さんは安堵したのか、はぁ、と少し大きめのため息にも似た息抜きをする。

「よかったですね」

「本当にもう………」

 呆れながらも笑顔な四菜さんはお店で頭を下げている宮内さんを見て、静かに笑い口元を緩めていた。あぁ、この人は格好いいところも情けないところも全部好きなんだな、とわかるぐらいには私も恋愛感情には疎くない。むしろ、この二人から教えてもらったからこそ恋愛の歪で綺麗な純粋さを理解できるようになったといっても過言ではない。

「カードでもいいかなって思ったんだけど、上限がさぁ」

「そうですね」

「椿木さ」

「はい?」

 心地よい幸せの乗った愚痴を聞いていると、ふいに四菜さんが私の顔を覗き込むように見つめてきた。

「好きな子からでも連絡きた?」

「そんな純粋な子に見えます?」

「確かに」

「ですよね」

 何を思って五分休み中に女子高生が話していそうな事を聞いてきたのかわからないが、特にこれといった浮ついた話が悔しいほどになかったせいで、いまいち盛り上がらずに終わってしまったが、私は確実に精神的ダメージを負った。それに、もし仮に好きな人がいたとして、その人から連絡が来たところで別に表情には出さないだろうし他人から見てわかりやすい行動もとらない自信がある。

「めちゃくちゃ口元緩んでいたから、何かあったのかと思ったのに」

「見間違いじゃないですか?」

「今も緩んでるのに?」

 四菜さんの言葉に思わず反射的に体が動いてしまった。片手に持っていたスマホで画面をつけないまま自分の顔を確認してみる。すると見事にニヤついた私が映っていた。

「ね?」

 まさか本当にニヤついているなんて思いもしなかった私は急激に恥ずかしさと焦りでいっぱいになって、少女漫画のヒロイン並みに顔を真っ赤にしているに違いない。もう、確認もしたくないから感覚でしかわからないが多分、いや確実に今の私ならヒロインを狙えるだろう。その自信だけはある。

「あれ、椿木?」

「終わった、けど………何やってるの?」

 色々と済ませてきた宮内さんも合流してきたのか声が聞こえるが、今の表情を恥ずかしくて見られたくない一心で顔をあげることができない。

「女子の恋愛トークかな?」

「そ、そうか」

 困惑する二人に申し訳なさがだんだんと恥ずかしさを上回り、顔をあげると自分が想像していたよりも心配している表情を浮かべた二人がいたので余計に申し訳なさがこみ上げてきた。

「お、椿木ちゃん大丈夫?」

「ごめんね、椿木。私、なにかしちゃったかな」

「はい、もう大丈夫です。ただのアンチエイジングなので」

 宮内さんと四菜さんの心配がものすごく申し訳なくなって、意味の分からないいわけにも似たごまかしを言ってしまった。今のどこにアンチエイジング要素があったのか自分でも謎すぎる。

「今のアンチエイジングって大胆なんだね。四菜も試してみれば?」

「私は、大丈夫かなぁ。化粧崩れちゃうし」

 美容に疎い宮内さんはすんなりと受け入れてしまい、四菜さんへ二次災害を引き起こす悪魔のバトンパスをしたが、化粧崩れを気にすることを理由にして見事逃げ切っっていた。後で、四菜さんにはチャットで謝って少しだけお高いアイスの引換券か何か送っておこう。ついでに好きなビールの引換券もつければ許してくれるはずだ。

「それに、四菜さんはしなくても充分若くて綺麗ですからね」

「ちょっと、椿木。いいこと言うじゃん」

 フォローを入れた私に対して、肘でつついてくるが地味に痛いことは黙っておこう。案外力あるんだよな椿木さん。きっと、漫画の世界では、ドスドス、と重くて深めの攻撃のをしているような効果音がつくに違いないなぁ、なんて失礼なことを考えていたら、宮内さんの次の言葉で肘つきはすぐに終わることになる。

「確かに、四菜はやらなくても綺麗だもんな」

 天然のたらしとは実に恐ろしいとつくづく思う。

 きっと、宮内さんは何の気なしに言っただけだろうし本当に思っていることなんだろうなとはわかるが、スッと言葉にして出すには恥ずかしさがためらいを生んで中々にできる事ではない。

「あ、いや、あー」

 恥ずかしさがようやく込み上げてきたようで宮内さんの顔が、ついさっきまでの私以上に赤く染めあがっていく。よく、ゆでだこみたいにとか比喩表現をされたりするがまさしくその通りで、現実でこんな赤くなる人っているんだなぁ、と思いつつ隣の四菜さんを見てみると倍以上に赤くなっており、流石に心配する。

「二人とも、ラブラブですね」

 今はわかる。私はニヤニヤしている。はっきりと、自覚をもってニヤついている。

「ちょっとタバコ吸ってきますね」

「今はダメ。椿木待って」

 四菜さんがいつも以上に力強く私の腕をつかみ、焦りの混じった困惑した表情でアイコンタクトを送ってくるが、あえて気持ちを受け取らないのも時には大人の対応というものである。そんな大人になるべく私は面倒くさいという気持ちが八割を占める中、苦渋の決断ではあるが視線を逸らすことにした。

 結果、掴む手の握力が強くなってきており、ギリギリッ、と腕からはなってはいけない締め付けるような鈍い音が骨伝導で体内になり響きわたり、苦渋の決断は柔軟な対応により破棄されることになり、四菜さんからのアイコンタクトを受け取ることにした。

 つまるところアイコンタクトの内容はおそらく、今はここに居て、だけだと思う。というか、普段から鈍感と言われている私にとってはこれ以上読み取るのは至難の業でしかなく、完全に相手を間違えている気がしなくもないが、残念なことにその相手が私しかいないことから四菜さんは詰んでいる状態でしかなかった。だが、その本人である四菜さんは私がアイコンタクトを受け取り切れたと思ったのだろう、表情が明るくなり掴んでいた手をやっと放してくれた。とんでもなく痛かったから痣ができているかもしれない。

「あー、友達から電話がぁ」

 なんとなく好奇心が生まれてしまい、冗談でこの場から適当な理由をつけて移動しようとしたら想像を絶する強さで四菜さんから腕をつかまれたので、好奇心をいったん箪笥の奥にしまい込み大人しくなることを選び、大和なでしこになった気分に浸ることにした。

「来ている未来などなかったです」

 自分で言っていて悲しくなってくるが、この新婚さん二人の初々しい青春の甘酸っぱさとはまた違った、ほんのり大人なビターが混ざった空気のなかにいることに対しても相乗効果で悲しさが溢れ出てきそうでたまらないにもほどがある。

「あの、これからどうするんですか?」

 終始無言で愛を語り合う二人に痺れを切らし、私はあえて宮内さんを見ながら切り出した。

 ここで曖昧に二人を見ながら話を始めたところで絶対に言葉がかぶって、あっ、みたいなありきたりな恋愛ドラマのような空気が流れるだけに決まっている。ならば、最初からどちらかを見て話し始めればリスクはなくなるだろう。そして、四菜さんは何かを話し始めた瞬間に腕をまた思いっきり掴みに来るのではないかという前提が生まれてしまい、恐怖を避けるためにも宮内さんを見ながら話し始めたわけだ。

「そ、そうだね。帰るにはまだ早いから折角だしお店の中を見て歩くか、ね」

「私は賛成です。四菜さんは?」

「同じく」

 もう時間も程よくランチタイムからずれた一四時ちょっとすぎ。せっかく高級店が箱詰めされた百貨店に来ているのだから、背伸びして少し高めのフレンチとか普段は敷居の高い和食屋など行ってみたい気持ちもあるが、あえて普段食べているようなジャンクなものを食べるというのも俗にいう乙なものなのかもしれない。

 どっちにせよ、まずはここから動かないとな。などと考えながら私は、少しだけ見栄を張って買ったブランド物のバックを持ち無造作にベンチから腰を浮かし、四菜さんとほぼ同じタイミングで立ち上がった。

「よし、じゃあふらつくか」

 大型店舗を目的もなく散歩のように歩くのは意外と楽しい。すぐ前に歩いている普段より少しだけ着飾った二人の背中を見ながら、私もこんな雰囲気の夫婦がいいなぁ、と素直に思いつつ、周囲の過ぎゆくお店に目をやるとどこもかしこも普段は敬遠してばかりの高級店が所狭しと並んでいる。高校入学時に一度だけお祖母ちゃんに連れられて着たことがあるが、その時と並んでいる店舗がほぼ変わりない気がするものの、私からすれば高級店の看板やデザインなど百貨店にある支店になってしまえば、ただ英語が並んでいるだけにしか見えないので正直よくわかってはいない。

 たまに大学で、全身ブランドで身にまとったハイブランド女子がいたりするが、私からすれば鎧武者と何ら変わりない。きっと彼女らにとっては外の世界そのものが戦場に見えているのだろう。でなければ、あんなギラギラにすることはないはずだ。もし、きちんとブランドを着飾りたいのであれば、私の目の前を歩いている夫婦を見習ってほしくてたまらない。着飾るのではなく着こなし、飾るのではなく飾り付けるように、そっと自分を引き立てるようにする。

 この二人を高校時代に見て育ったおかげで、私はファッションには過信はなくとも自信は最低限持っている。服の選び方やアクセサリーの身に着け方を四菜さんに教わったりしたし、その都度、宮内さんも見てくれていたりしたので男性目線もばっちりカバーできているはずだ。だからか、今日も普段通りの格好ではあるが場違い感はそこまでないと自負している。もちろん、百貨店に行くことを事前に知っていたらできるだけ背伸びしてより大人っぽい服装で来ていた。

「こう見るとさ、高級店も入りやすく感じるよな。入り口がオープンなところは特に」

「確かに、全部じゃないけどモールみたいな感じでお店が並んでるからついつい入って後悔とかしちゃいそう」

「そこが、百貨店の恐ろしさかもな」

 しかもここの百貨店だけなのかはわからないが、恐ろしいことに一定間隔歩くとトイレがこれでもかとあるのだがそれと同時にATMも同じ数だけ設置されているのが、私からすればとてもじゃないが異様な光景過ぎて不気味で仕方がない。

「そういえば、少し遅いけどお昼どうする?」

「あー、椿木はお腹すいてる?」

「お二人にお任せで」

 人生においてとても大事な買い物をした緊張から解けたのか、宮内さんと四菜さんはお腹がすいていることにやっと気づいたらしい。だが、ランチタイムから少しずれていることもあり迷っているようだが、私は着いてきているだけなので二人に任せることにした。

 今日の主役はあくまでも二人だ。ここで私が出しゃばって変に意見を通したり、忖度されたら堪ったものではないし、そこまで考えられないような子供でもないと思いたかったが、さっきまでベンチにいた時は空腹に負けかけた瞬間もあったのでそこそこ強く思えないのが残念でしかない。

「食べたいものができたらすぐに言ってな」

「遠慮なんてしないでね」

「その時は、なりふり構わずがっつきます」

 二人の優しさを無下にできまいと思い港区女子も驚きの前のめりな肉食加減を発揮すると、引かれると思いきや揃って笑ってくれた。

「椿木にしては結構がっつくね」

「その遠慮の無さ、最高に好きだわ」

 四菜さんは口元を隠すように柔らかく握った右手を添えながら笑い、宮内さんは運動部の青年かと思えてしまうほどに爽やかに笑った。

「二人には遠慮したら、倍返しで何かしてくることはもう何度も経験していますから」

 少しばかりの笑みを薄っすらと浮かべながら私は過去の事をこの際だからと少しばかり思い返してみた。

 一番最初にこの親切を受け取ったのはまだ高校生の頃だった。それまでは、四菜さんから誕生日プレゼントを毎年貰っていたのだが、宮内さんと出会ったその年からそれぞれから貰い、更には二人からと称して食事にも連れて行ってもらっていた。その日だけは、いおつも一緒に来る愛奈は着いて来ずに、私が完全に主役となる。そこで初めのうちは、身内でもない人たちからプレゼントを受け取り、あまつさえご馳走になるなど申し訳なさの山頂に君臨しているような感覚で遠慮をしていた。すると、何を思ったのかそのお店での一番高いメニューやコースを選び出した。

 それが毎年続いた。そこで流石の私も先手を打つべきと、徐々に遠慮をなくしていき今に至るわけだ。焼肉にフレンチに懐石料理なんてものも連れて行ってもらった。もれなくそのすべてが個室である。どこからそんなお金が湧いて出てきているのか不思議でならない。宮内さんなんて、お金がないが口癖というか語尾みたいなものだったのに気づいたら言わなくなっていた。

「あ、ちょっとお金ないからおろしてくるわ」

 そんな事を思っていたら久々に宮内さんの口からお金がないと聞けて少しだけ、懐かしいっ、と心の中で叫んでしまいそうになった。

「じゃあ、ここで待ってるよ」

「本当にごめん。すぐに戻るわ」

 申し訳なさそうに苦笑いをしながら宮内さんはATMへと歩いて向っていった。ドラマとかだとこういったお店の中でも問答無用で走ったりするシーンがあるが、やっぱり現実は違うよなぁ、とどこか残念に思えたが常識的に考えれば当然でしかない。

「ごめんね。ベンチ座ろっか」

「全然、大丈夫ですよ」

 百貨店内で統一されたデザインのベンチに座ると四菜さんが、ふぅ、とひと息ついた後に笑顔で私を見てきたので、つい目が合った。

「ねぇ、椿木」

「はい、なんですか?」

 大人っぽさの中に少しだけ隠した幼さを残した様な綺麗な顔立ちをした四菜さんの顔を正面からまじまじと見ることが、今まで無かったせいで気づかなかったが皴や肌のくすみが全くと言っていいほど無く、男であればこんなにも綺麗な人から見つめ慣れればそれはいともたやすく心が陥落するに違いないと改めて感じた。

「本当はお腹めっちゃ空いてるんでしょ?」

 ニヤニヤしながら悪戯笑みを浮かべ聞いてくる四菜さんは、本当に三十を迎えたのかと疑いたくなるほどに無邪気で溢れている。

「はい?」

「あれ、違った?」

「いや、空いてるは空いてるけど、夜でいいかなって」

 お腹をさすって空き具合を確かめるも、歩いているうちに空腹のピークは過ぎて食べれたらラッキー程度になっていた。むしろ今はタバコが吸いたい。今日は寝起きで吸ったぐらいで全然吸っていない。圧倒的に胃袋よりも灰が煙を求めている。

「それよりも吸いたいなって」

 人差し指と中指を口の前までもっていき紙巻煙草を吸っている仕草を見せると、あぁ、とどこか呆れながら納得してくれた。

「ヤニ切れかぁ」

「今日まだ寝起きでしか吸ってなくて」

「おぉ、ならよく持ったね」

「奇跡ですよ。本当に」

 私に煙草との出会いをくれた張本人である四菜さんは、吸い始めてから分かったことだが結構な愛煙家だ。ヘビースモーカーとはまた違う気がする。とにかく、煙草の他にも葉巻やパイプにシーシャなど様々な煙を愛してやまないでいる。最近はキセルを買って試している最中だとこの間の居酒屋で行っていた気がする。

 そんな四菜さんの横にいた私が煙を嫌ったり吸いはじめないわけがなく、二十歳になってから四菜さんと同じくらいに愛煙家の宮内さんと一緒に煙草を買いに行ったのを今でも覚えている。吸い始めてまだ一年と経たないがすっかりハマってしまい、少しばかりの冷めた後悔と心地よい煙に抱かれたまましっかりと沼に浸かっていっている。

 煙草の吸い方や危険性もなにもかも教えてくれたおかげで、二十歳にしては大人びた煙草の楽しみを見出しているような気がする。周りで吸っている人たちのほとんどは、未成年時から吸っていたと自慢しては格好つけているだけの勘違いヤニカスもどきのファッション野郎ばかりで勘弁願いたいばかりだ。

 中には煙が好きでその魅力に巻かれた愛煙家もいるにはいるのだが、その数はとても少なくその半数がシーシャ愛好家が占めている。私もシーシャはもちろんのこと好きなのだが、やっぱり煙草が一番なので話が合わないことが多々ある。

 そうなっていくとやはり話し相手というのは、四菜さんや宮内さんとなっていく。同世代とは煙草やそもそも煙関連の話を疎む人が多く別の話題ばかり話している。あと少し、大人になったら同世代と煙草やシーシャといった煙の話をできる日ができるのかと喫煙者が減少傾向にある世の中に一抹の不安を落としている。

「じゃあ、とりあえず翔太が戻ってきたらヤニを摂取しにいこう」

「おっさん臭い言い方しないでくださいよ」

「せめておばさんで頼むって」

 四菜さんは出会った時から、どこかおっさん臭いところがあった。男勝りとはまた違う本当におっさんなのだ。だけど最近は、おっとり穏やか路線に切り替えたのかおっさん臭さがなくなっていたと思ったいたので、懐かしさを覚えてしまった。

「でも、おっさん臭いのは本当ですよ。四菜おばさん」

 半笑いでいじると、右肩に四菜さんの左手がそっと添えられどこか憂う目で私を見てくる。なんなのだろうか、この怖さは。怒るのであれば怒ってほしいし、悲しむのであれば悲しんでほしいのだが、何故に私へ向けてそんな目をしてくるのかがわからない。

「………椿木」

「え、あ、は、はい」

「椿木もね。いつか、来るからね」

「何がですか!?」

 含んだ言い方をしながら添えていた左手を、ぽんぽん、と優しく二回ほど叩いてゆっくりと頷く四菜さんに今まで感じたことのない恐怖を見出した気がした。

「え、ちょっ? 最後まで言ってくださいよ」

「私もそうだったから」

「マジな年寄りになってますよ! 四菜さん、私が悪かったので辞めてください」

 私を見ながら私を見ていない四菜さんの目は、どこか遠いところを映し出しているように見えた。ドラマや漫画でよく見かけるこの表情は実際に目の当たりにすると、こんなにも何とも言えない恐怖と未曽有の不安に襲われるのかと体験したくもなかった感覚を体にアトラクション感覚で体験させてしまった。

 もし、演技だとしても大女優になれるのではないか? と真剣に思わせるほどに迫真であり、齢二十の青二才にはとてもじゃないが軽く流せるものではなかった。そこまで人生経験も積んでいない、いわゆるこの日本における一般で育った私には肩の荷が五回ほど壊れて交換をしてようやく耐えうることができる程度だろう。それでも、きっと膝を生まれたての小鹿なんて可愛く見えるほどに、ガクブル、ギャグ漫画のように震わせながらのやっとだ。

「二人してなにやってるの?」

 何とも言えないタイミングで宮内さんが戻ってきたと同時に当たり前すぎる疑問を投げかけてきたが、私もそれは同じで答えることができないので、現場を詰められた浮気相手の如く宮内さんを見つめて、わかりません、とアイコンタクトを送るもすべてスルーされているような気がした。

「あぁ、もしかしてさ」

 少しだけ考えて、どこに落ちていたのかこの状況を理解しうる何かを拾ったらしい宮内さんは納得いっているみたいだ。

「椿木ちゃんが年寄りいじりをして、四菜が面白がって困らせている。どうよ」

 恐ろしい理解力を持った宮内さんが、どこか笑いながら嬉々として言っていたのは見過ごせなかったが、どうやら四菜さんは私を困らせて面白がっていたらしい。嘘であってほしいと思うが、ものすごくあり得るのが四菜さんだ。

「ナイス、正解」

 流石と言わんばかりに四菜さんは、おぉ、と感嘆を漏らすが、そろそろ添えている左手をどけてほしい。謎の怖さがそこには詰まっているのだ。

「いつも、僕がいじっている時と同じ表情だったから」

 宮内さんは視線を逸らしながら謎の気迫を四菜さんから受け取ったのだろうか、額に汗がにじみ出てきていた。

 それにしても、いつもこんないじりをするなんて宮内さんも宮内さんで中々なもの好きというか学ばないのだろうか? この恐怖は慣れが来るものではない気がする。例えるのであれば、母親に対する恐怖というのだろうか。逆らいたくても逆らえないあのもどかしい何かがある。

「もう椿木も怖がり過ぎだって」

「いや、四菜は実際怖いよ」

 多分、こういうところなんだろうな。宮内さんが四菜さんの怖いところを引き出しているのは、そうに違いない。

 おかげで、私の肩から四菜さんの手が離れたがその標的は宮内さんへと変わり焦りの表情が見て取れる。

「あ、ごめんごめん。本当にさ、そのさ、今晩は夕飯作るの変わるし、欲しがっていたアクセサリーも一緒に買いに行こう、な?」

 身振り手振りでなんとか止めようとする宮内さんの姿は完全に尻に敷かれた旦那さんそのものだった。あぁ、こうやって家庭の平和は保たれていくのだなと身近で実感しつつ、私も将来こうなってしまうのかと深い悩みができてしまった。だがそもそも、相手が見つかるかどうかも怪しいので、一旦この悩みはどこかに置いておこう。

「そんなお金どこにあるの?」

「それはほら、出世払い」

「それは借金っていうの。絶対にしちゃ駄目なの」

「はっは………」

 結婚式、指輪、新婚旅行、どれもお金がかかる人生においての一度きりしかない大切な思い出となるイベントは大切だ。この二人もそうだし私もそう思う。だkら、一度だけ興味本位でどれだけのお金がかかるか調べて事があるからわかる。今、この二人は本当にお金がなく苦しい状況なはずだ。もちろん、事前に貯金はしていただろうからそこまでの焦りはないのかもしれないが、かなりの費用が掛かったはずだ。今日私の目の前で買っていた指輪だってかなりする。

 それなのに、宮内さんと四菜さんはこうやってふざけられて笑顔でいる。私だったら、イラついて暴言の一つでも吐いてしまいそうで怖い。

「まぁ、今は椿木もいるしお詫びはまた今度してもらおっかな」

「ありがたやぁ」

 私が居なかったらこの場はどうなっていたのか。今さっきまでおふざけだと思っていたがもしかして本気だったのか? だとするならばあの気持ちを返してほしいが珍しく私の女の勘が、やめておこう、と正常な判断をしてくれたおかげで事なきを得た。

「よし、煙草だっけ」

「お、ヤニでも切れたのか?」

「ヤニとか言うと椿木から、おっさん、て言われるよ」

「言われてもあながち否定できないから悔しいな、それ」

 否定をしたいが否定できない現実に宮内さんは何とも悲しい顔をする。確かに、三十路ともなれば子供からはおっさんと呼ばれるだろうし、私も子供のころは三十路よりも若い二十代の人たちの事もおじさん、おばさんと呼んでいた。

「まだギリ大丈夫ですって。ほら、最近のアイドルとかなんかも二十代後半でデビューしていたりしますし」

「あの人たちは顔の作りが違うから」

「まぁ、翔太はイケメンではないからね」

 四菜さんは驚く宮内さんを見ながらケタケタと恐ろしいほど無邪気に笑っている。もしかするとよく笑うことが比較敵に若さを保つ秘訣なのかもしれない。ただの童顔という可能性もあるにはあるが。

「整形してイケメンになったらどうする?」

「離婚する」

「よし、ずっとこのままでいよう」

 まだ結婚式もあげていないのにその判断を素早くためらいもなくできる四菜さんは恐ろしく冷静なのだが、子供ができていない今だからこそできる判断なのかもしれない。

「あ、ねぇ」

「どうした?」

「二人で先に煙草吸ってて。私、トイレ行ってくる」

 喫煙所を目の前にして四菜さんがトイレに行くなんて、珍しいこともあるもんだなぁ、と呑気に思いつつ宮内さんと喫煙所で先に煙草を吸うことにした。

 百貨店の喫煙所は、その名前に似つかわしくないほどに清潔感に溢れ、全体的に黒で統一されたシックな雰囲気に包まれている。

 私は正直、こういった喫煙所は苦手だ。何故、煙草を吸うだけなのにこんなにも気取ったところで吸わなければいけないのか? 確かに分断し換気が行われる部屋の中で吸ってくださいという世の中のルールに順ずるのはわかるし、それはそうで有るべきだと喫煙者の私ですら思う。非喫煙者が煙草のリスクに置かされるのはお門違いにも甚だしいからわかりはするのだが、そこで喫煙所をお洒落にしちゃおう、などといった邪なことになるのかが理解しがたさを通り越してむしろ怒りすら覚えてくる。ただその場の景観に合った作りなら別段いいし、むしろそれこそが本当のお洒落だとも思う。

 だから、こういった郊外の百貨店が背伸びしたような喫煙所を作っていると虫唾がはしってたまらない。喫煙者なんてものは、どんな劣悪な環境であろうと灰皿一つ置いておけば煙草を吸う生き物なのだから、適当なプレハブみたいな小屋やなんなら無造作にシャッターを下ろした廃部屋でかまわないのだ。多分だけど、喫煙者の私が言うのだから半分ぐらいはそうだと信じたい。

 なので、こういった店内にあったとしても唐突にお洒落頑張ってますアピールの激しい喫煙所は居心地が悪くてたまらないが、たばこを吸い始めたらそんな怒りすら忘れて、あぁ、最高、と何も考えなくなるのが喫煙者だ。

「なんか、洒落てるね。この喫煙所」

「そうですねぇ。背伸びしているおませさんみたいで」

「椿木ちゃん、絶対にこういう喫煙所嫌いでしょ」

「勿論です」

 嫌味を言いながら煙草を取り出し電源をつける。

 喫煙所には宮内さんと私しかおらず喫煙者が少なくなった影響なのか、はたまたここの百貨店の利用客に喫煙者がもともと少ないのかは解らないがなんとも寂しい光景だ。

「椿木ちゃんのセンスってたまに渋いよね」

「確かに周りと合わないことが多いですね」

「例えば?」

「煙草なんかが特にそうです」

 あぁ、と頷きながら歯でカプセルを潰しライターで火を着ける。それぞれの、音が無駄に広く作ってある喫煙所内に響き渡り心の中ヘ、すとん、と落ちて溶けていく。カプセルを潰す音に、ライターの火がつくまでの少しだけ甲高い金属の擦りあう音と灯がともり続ける音の全てが煙草をより一層味わい深くしてくれる。

 実は私も今は電子タバコを吸っているが紙巻もいける口であり、正直に言えば紙巻の方がおいしく感じる。だが、外に出てみれば『電子たばこは利用できます』の注意書きを張ってあるお店が何件もあり利便性を考えて外では電子たばこにしている。

「確かに、今は電子だけどコインランドリーの前で見たこともない紙巻吸ってたよね」

「えー、どれだろう」

「ほら、一昨日の」

「あー、あれは確かにちょっとしたタバコ屋さんでたまたま見つけたんですよね。どこだっけな、海沿いにあるお店だったような気が」

 ようやく過熱が終わった電子たばこを吸い、煙を肺へ巡らせながら考えるがどこで買ったか思い出せそうにない。それもそのはずで、遊びに行く先々で昔ながらのタバコ屋さんを見つければ友達に無理いって一緒に寄ってもらい、どうしてもタバコが苦手だったり少しだけ近場にあったりするお店であるのであれば後日また一人で行ってみるほどには、様々なお店に行っては、もうそこにしか売っていないだろうというぐらいに珍しい煙草を買っていたりするので、味の違いは分かれど記憶はごちゃ混ぜになっていくばかりだった。

「あれ、バニラの香りが結構強くて覚えてたんだよね。その時にお店はともかく煙草の種類は聞いとけばよかったわ」

「あの時はレギュラーですよ。大丈夫ですか?」

「あー、多分あそこまで香りが強ければレギュラーでも大丈夫だと思う」

 宮内さんは今吸っているメンソールの煙草を見ながら考えるが、やはりレギュラーはそこそこ苦手なのか、一旦煙を肺に入れながらまた考えていた。

「もしあれでしたらこの後、ウチに寄ってもらえれば試しに吸ってみますか?」

「お、それはありがたい。是非とも吸いに行かせていただきます。それと久々に愛奈ちゃんとも会ってみたいし」

「部屋から出てきますかね。丁度、反抗期だか思春期入りたてですから」

 そっか、とどこか考え深くなりながらも笑う宮内さんの顔は完全に親戚のおじさんのようであり、もしかすると愛奈からしてみればその関係性であると思っているのかもしれない。それぐらいには宮内さんと四菜さんは、私たちにとっ近くて憧れる存在なのだ。

 特に、物心がついてから間もなかった愛奈はその考えが強いのだろう。二人に対して、異様に懐いている。

「もうそんな年か」

「今年で九歳になりますからね」

「マジかぁ。そっか、そういえば椿木ちゃんも会った時は高校生だったもんな」

「そうですね、一年生あたりだったような」

 私がまだ煙草に興味が全くなかった頃に、宮内さんがコインランドリーへ初めてやってきた。既になぜか愛奈は懐いており、それ以前から常連だった四菜さんとも打ち解けていたのもあって私の警戒心は最初からなかったのかもしれない。唯一、お爺ちゃんだけが面白いぐらいに毛嫌いしていたのが今思い出しても笑ってしまう。

 丁度、私が高校生になって今まで積もりに積もっていた思春期や反抗期が大爆発していた時期でもあり、親に対して聞けなかったことや意味の解らない愚痴も聞いてもらっていた。それを考えると、こんなにも近くにちゃんと非行にも誘わず、正面から面倒くさかった私を受け入れてくれた家族以外の大人が二人もいて幸運だった。

 そして、私の希望というかわがままで最初で最後の遊びである『煙草』を教わった。二人に憧れていた私が一番近づけて何より興味を持ったのが煙草だったから、二十歳になった瞬間に真っ先に教えてもらった記憶がある。

「まさか、二十歳になってから煙草を教えるなんて想像もしなかったな」

「私にとっては最も身近な憧れだったんです、お二人が。だから近づくために煙草が吸いたくて。それに純粋に興味があったんで」

「パチンコやスロットをやってなくてよかった。同じ理由で興味を持たれたら責任取れないからな」

「煙草もそう変わんない気がしますけどね」

 私が悪戯っぽくそういうと、正面を向いたまま横顔でもはっきりとわかるぐらいに顔をクシャっとさせながら笑い、確かになぁ、とつぶやいた。

 きっと四菜さんはこういった飾らない宮内さんを見て、より深く好きになっていったんだろうなとなんとなくだがわかってしまう。好きになる男性のタイプが同じなのかそれとも母性本能的な何かなのかは今はまだ知らないし分からない。ただ何となく、本当に何となく、私が宮内さんを好きになっていた世界もあったのかもしれないと罪悪感の片隅に考えてしまった。

 そんな気持ちを完全になくしたかった私は前から気になっていたことを、新しい煙草を過熱させながら聞いてみた

「そういえば宮内さんは四菜さんのどんなところが好きになって結婚したんですか?」

「んー、そうだな。全部って言った方が椿木ちゃんに憧れの夢を持たせることができるかもしれないけど、全部が好きかって聞かれたら全部じゃないしな」

 困ったように考え込み、一回に数煙の量が多くなったおかげか煙草がすぐに灰になり、宮内さんも新しい煙草に火をつけて煙を吸う。

「あー、結婚ってさよく妥協も必要とかって言ったりする人もいるじゃん」

「聞きますね」

「けど僕はさ妥協は本当にしてないし、何となくだけど四菜もしているようには見えない」

「それは私も見ていてわかります」

 宮内さんは煙草を吸いながら吐き出す煙の中に四菜さんを思い浮かべているのか、ずっと換気扇に吸われていく煙を眺めている。その横で、相槌をうちながら同じようにタバコを吸って答えを待つ、私は電子たばこの軽さが普段よりもより顕著に口の中の寂しさを増幅させているかのようで、紙巻を持ってこなかったことを恨んだ。今だけはきっとあの重さが私を安心させてくれるはずなのに。

「そう考えるとさ運命とも言い難いけど自然だったんだろうな。あー、この人と結婚するんだろうなって自然に思えていたしそれが当たり前になってたから」

「つまりめっちゃラブラブってことですね」

「そうかもね」

 これ以上にない照れ笑いの中に幸せを隠し切れないほどに溢れ返し、幸せとは何かを見ているだけで理解できてしまうぐらいに宮内さんは眩しかった。

 きっと、四菜さんに同じ話題をふったとしても今と何一つ変わらない幸せの連鎖が起きるだろうし、それを見て私は同じように、眩しいなぁ、と思いつつ煙草を吸って自分の寂しさを煙で隠すのだろう。

 なんで今日に限って持ってきたのが、軽く爽やかな口当たりと雑味のないスッキリとしたレモン味なのだろうか。もっと、この寂しさを重たい煙で隠していたい。

「私も早く相手見つけないとですねぇ」

「まだ二十歳なんだから大丈夫だよ」

「煙草吸ってる女ってモテないんですよ。一部には強烈にモテますけどね」

「それ、四菜も言ってたな。やっぱりそうなんだね」

 喫煙女性にありがちな悩みなのか、四菜さんと私だけの悩みなのかはわからないが近くに同じことを考えている人がいることは心強い。しかも、私にとっては煙草の先生にもあたる人だ。今度、二人の結婚とかが落ち着いたら話を本人から聞いてみよう。

 そう思うと、今吸っている軽口のメンソールも悪くはない気がして生きた。むしろ、軽さが相まって普段よりおいしいとすら思える。

「流石、四菜さん。私の先生」

「おぉ、先生にし過ぎるなよ。椿木ちゃんは椿木ちゃんらしくでいいじゃん。綺麗なんだし相手も見つかるよ」

 ふいに綺麗と言わた。これはどんな相手だろうとも一瞬は心がざわめいて仕方のないやつだ。さっきの笑顔を見て揺れた時とはまた違う心の動きが、私を狂わしそうになった。

「私を口説いてるんですか?」

「確かに独身だったらなぁ。けど、四菜以上に落ち着けるのいないし独身でも四菜になびいちゃうな」

「勘違いした挙句にフラれた女じゃないですか」

「四菜が居たら面白い反応するだろうな」

 冗談を冗談で返してくれるあたり宮内さんは優しく大人だ。だけど、その話の基準は四菜さんでありそれ以上でもそれ以下でもない。

「それは見てみたいですね」

「てか、四菜ながいな」

「混んでるんじゃないですかね?」

「人多いし、そうか」

 こういった大型の百貨店は平日だろうと人は多く行き交い、様々な見たこともない人たちが歩き去っていく。こんなにも多いのに喫煙所はずっと宮内さんと私だけで貸し切り状態だ。

 確かに過ぎゆく人たちを見ていると、勝負服と言わんばかりの綺麗な格好と佇まいをしている。私からすれば、ただの背伸びでしかないのだがこれがいわゆるドレスコードみたいなやつなのだろうか。そう考えれば、煙の臭いをつけたくなくてタバコを吸わないのはわかる。流石に一張羅を私とて汚したくない。

「ここは空いてるけどね」

「貸し切りみたいですよね」

「喫煙所の貸し切りも吸い放題で悪くないけど、治安はよくなさそう」

「それはそうですね」

 宮内さんが呆れながら笑い、煙草の灰を灰皿へいれる。

 今の宮内さんの様な最低限をできない人が喫煙者から見ても多いのが現状だと悲しいことに思う。だから、喫煙者が悪く見られてしまうのも仕方のないことだと諦めているところがある。

「一時間も経たないで床が灰だらけになりそう」

「それで、空き缶とかもあったりしてな」

「簡単に想像できますね」

 この綺麗な喫煙所ですらいともたやすく汚されてしまうのは想像できるし、なんなら綺麗に保っているのは凄いとすら思う。

 今こうして落ち着いた空間で煙草が吸えていることに感謝でしかない。少し背伸びをした小洒落た感じは好きではないが清潔さがあるのは本当に助かる。もちろん、味のある小汚い喫煙所もそれはそれで最高なのだが、落ち着くのはやっぱり清潔な今いるような喫煙所だ。

「めっちゃ並んでたぁ」

 ガチャ、とドアノブが音を立てながら扉が開くと、ふぅ、とひと息つきながら四菜さんがやっと戻ってきた。

「随分かかったな。もうこれ二本目」

「えー、ずる。私も早く吸うから」

「別に急かないよ」

「流石、優男」

 流れるように、開いていた左手で四菜さんのバッグを受け取り、煙草に火をつけ終わると何事もなかったようにバッグを返す。信頼というか、息の合った一連の動きを見てやっぱりこの二人は結婚するべくしてしたんだなと改めて思った。

 その見事過ぎる動きに見惚れながら、深くゆったり今日一番の煙を肺に流し込む。幸せを見ながら吸う煙は私の経験上でしかないが一番おいしい。幸福の混じった煙は清純と混じりあい相反する二つは溶け合うように矛盾し互いを邪魔せず良さだけを残し肺へとたどり着く。そうしてゆっくりと肺を燻した後に、ゆっくりと妬みを隠したひと息の中で煙は外へと消えていく。

 電子のおかげで灰は一切出ることはない。それがどこか無機質で感情を隠しているような感じがして歯がゆい気持ちを味わいつつ、三本目の煙草を差し込み加熱する。

 二人の笑顔を見ながら、いつも以上に長い時間と錯覚してしまう加熱時間を知らせるライトはまだ半分にしか到達していない。徐々に増す光を確認し過熱終了の直前になった瞬間、唇へと運びその振動を私の体で確認し終えたら、待っていた煙を体へとまた落としていく。

 誰かと話しながらの煙草もおいしいが、誰かの笑顔を見て吸う煙草は特別な気がして私にとっては格別だ。

「そういえば、椿木と何話してたの?」

「特にこれと言ったら無いよ。ねぇ」

「宮内さんが結婚を決めた理由みたいなのぐらいですかね」

 特に問題のないことを言ったつもりだったが、何故か宮内さんはめちゃくちゃ焦り煙草の灰を床に落としかけていた。そんな様子を見て四菜さんは悪戯っぽく笑いながら煙を浅く吐き出した。

「あら、惚気かしら」

「惚気だと思いますよ」

「あ、椿木ちゃん。逃げるように流さないで」

 面倒くさい絡みを始めた四菜さんを横目で見て、宮内さんが焦っていたのはこういう事かと瞬時に理解した私は極力巻き込まれないように四菜さんの事を全肯定しつつ、煙草を吸いながら煙に想いを馳せることにした。

「お二人の邪魔をしたくないだけです」

「邪魔していいからね。もっと三人で仲良くしてさ」

「宮内さん、喫煙所内で騒がないでください」

「急に他人行儀じゃん」

 他人なのだから仕方ないと思いつつ特に返事をすることなく煙草をゆっくりと吸い、天井に付いている換気扇に吸い込まれていく煙を見ながら香りに浸る。

 横では私が一抜けたことで起きている幸せな会話が続いており、それがまた煙草の味を変化させてくれるいいアクセントになっている。本来の味は変わらないはずなのだが、自分がいる場所やその状況で煙草の味は面白いほどにかわっていく。さらに言えば自分の心情なんかはより一層、味の変化を促すと私は思っている。

 今の状況でいえば、面倒くさがっている宮内さんとそれを楽しんでいる四菜さんが横で漫談の様な会話をしている。それを見て聴いて私はとても楽しいし心が弾んでいる。そこに二人からあふれ出る幸せも加味されるので、私が今吸っているこの煙草は間違いなく世界で一番幸せの味がしており、煙もまた灰を幸せと共に満たしてくれる最高の循環が出来上がっている。もしこの状況で喫煙を邪魔されたら私はどんな相手にだろうと無慈悲な怒りを無言でぶつける自信が有り、その自信は有り余ってオーラとなり漏れだしているに違いない。

「ねぇ、椿木ちゃんもなんとか………て、こわっ」

 情けない声で宮内さんが私を呼ぶので思わず無言で見てしまった。

「知らないの? 椿木は集中して吸っているときに声かけられるとめっちゃキレるよ」

「何その徹夜続きの受験生みたいな状態」

「そうそう、そんな感じ」

 ゆっくりと視線を天井へ戻し、煙草に溺れ始める。

「すごっ、一気に穏やかになった」

「まさかここまでの煙草好きになるとは私も思わなかったな」

「僕らも相当だけど、椿木ちゃんは更に好きなのが伝わってくるよね」

「もしかしたら私たちが煙草を教えてもらえるかもよ」

 煙草を私に教えてくれた二人にそういわれるとなんだか照れくさいが、煙草の吸い方なんて人それぞれで楽しみ方も違う、と吸い始めたころに言われたことがあり、確かにそうだな、と、私も思うのできっと私が誰かに教える時も同じように言うだろう。

 ただ楽しみ方が違うからと言って最低限のルールを守らなくてもいいなんてことは絶対にありえないのでそこだけは心の底から注意していきたい。本当に他の喫煙者の楽しみを奪ってはいけないし、非喫煙者に不快な思いをさせてはいけない。

「教えるも何もないですよ」

 どこか歯がゆいような照れくさいような感覚に襲われて、申し訳ないという気持ちを乗せて笑って見せたが恐らく苦笑いになっているだろう。

「おっ………キレてない」

 宮内さんが、肩を震わせ私の反応を警戒しているかのように少しだけ距離が遠くなっているような気がする。そこまで、あの時の表情は怖かったのだろうかとそれはそれでキレそうになってくるが穏やかにしていよう。

「煙草、もういいの?」

「あれ、私待ちだったんですか?」

「そうってわけでもないよ」

 よく見ると二人の手にはもう煙草はなく、新しい煙草を吸う気配もない。いつの間に吸い終わり私を待っていたのか。

「結構吸ったんで、待たせてしまってごめんなさい」

「そんな焦んなくていいって。またすぐにヤニ切れちゃうよ。ねっ」

「そうだな」

 二人の優しさに後押しされながら、煙草をしまいケアのために清涼タブレットを一粒だけ口の中へ投げ入れてマスクを着ける。急いでいたとしても息のケアは大切で、きちんとするべきものだと思う。

「お待たせしました」

「じゃあ、かるくご飯だっけ」

「と、思ったんだけど、あと少しで夕飯の時間だしなぁ」

 スマホの時間を見てみるともう一五時になっていた。この時間になってしまえばもうお昼とは言えない気がするし、夜まで食べなくていいという気持ちで支配されていく。私もお腹は空いていたが、煙草を優先した結果よりどっちでもよくなった。

 それに、今かるくでも食べると折角煙で燻した体がもったいないし、もっとこの状態を維持して残り香を嗜んでいたい。

「私はどっちでも大丈夫です」

「翔太は」

「四菜にお任せで」

「また私に投げてくる」

 四菜さんが呆れ半分に睨みを利かすと、宮内さんは、ごめん、と小さい声で言いながら手を合わせて謝っているが表情はどこかふざけているようにも見えた。

「まぁ、いいや。とりあえずここから出て歩きながら考えよ」

「四菜に賛成」

 ふざけあいながらかなり長居した喫煙所を出ていく二人の後ろからついて私も出る。久しぶりの喫煙所外の空気は澄んでいるもののどこが濁っているような冷たい何かに似ており、私の体の中を一気に清潔へと変えてくれるが、燻され残った煙の香りだけはしっかりと外の空気に負けることなくとどまったままだ。ただ、この残り香も徐々に時間をかけて消えていき、完全に消臭されたその瞬間ヤニ切れをおこしてしまう。私はこれを最高の悪循環だと勝手に思っている。

「あ、ねぇ、翔太ちょっと」

「え、何?」

 何やら二人がこそこそと話し始めた。別段と興味はないのだが、私を気にするように時々見てくるので流石に意識せざるを得ない。

 夫婦で他人に聞かれたくない話しはいくらでもあるだろうし、緊急で今すぐに話さなければならないのかもしれないが、私を時たま見てくるという事は絶対に話の内容上で話題に上がっていることはまず間違いないだろうし、こちらを見てくる頻度的にもそこそこ話の中心になっているのだろうなとは考えなくてもわかる。

 しかも何回か目が合うのだが、こういった場合の定石はすぐに慌てて逸らすものなのではないのだろうか? 目が合ってからはもう開き直ったようにずっと見てくるのでもはやホラーにも近い恐怖を抱き始めている。

「ね、いいでしょ」

「うん。僕はいいよ」

 話しが終わったみたいで少しだけテンションが高くなっているのが、ますます恐怖を増長させてくるのをひしひしと感じざるをえなかった。

「椿木ってさ煙草以外で好きなものってある?」

 唐突に笑顔で話しかけられ、いったい何を言われるのかと身構えていたのもあってか警戒心が少しだけ漏れ出してしまい一歩後ろに退いてしまった。

「え?」

 あまりにもわかりやすく後退ったおかげで、四菜さんはビクッと驚き何が起きたのかわからない様子で私を見ている。流石に、恐怖心が働き防衛本能がでましたなんて口が裂けても言えるわけもなく、はははっ、と乾いた笑いで誤魔化した後に話を続け始めた。

「なんですか、四菜さん」

「え、あ、うん、えっとさ」

 無かったことにしようとしている私を見て、戸惑いはしながらも何かを察して四菜さんもスルーして話しを再開し始めた。

 その後ろで、おそらく何となく状況を理解しているであろう宮内さんが口元を抑えながら笑いを堪えているのを見てものすごく巻き込みたくなったが、またダラダラと話が続くのも嫌なので見て見ぬふりをすることにした。

「椿木って二十歳じゃん」

「はい、煙草吸ってますし」

「それでさ、思ったの。そういえば私たち椿木に成人祝あげてないなぁって」

「いや、電子煙草買ってもらいましたよ」

 ここまで話されたら誰でも理解できるはず。きっと、二人は私に何かもっと一般的な成人祝を送りたいのだろう。もちろん、私にとって電子煙草は最高の贈り物だし、頂いた電子煙草は家で大切に使っている。それぐらい私の人生においてとても大事な頂き物だ。

「いや、そのぉさ、ね? ブランド物のネックレスとかバッグとか」

「あー、まぁ、それを言われたら頂いてないってことになっちゃいますね.煙草ではないですし」

 正直、ブランド物に対して興味はあるがそこまで欲しいかと聞かれたら、別にいらない、と答える程度で、むしろそのお金で煙草のカートンを買ってもらえた方が断然嬉しいが、目の前でこんなに申し訳なさそうにしている四菜さんを見てそれは私ですら言えなかった。

「でしょ! だから今から買いに行こう」

「………ありがとうございます」

 強引に押された形のようになったものの、誰かからの好意をやたらと無碍に断る理由もなく、ましてや尊敬する二人からの贈り物とあっては断ることこそが失礼だと言える。

 それにしても、お金は大丈夫なのだろうか? 別段、二人からの提案なので疑問を投げる事でもないのだが消費して財布から飛びだっていき閑古鳥すら見て見ぬふりをしてしまうほどだと思っていたのだが、これ以上は考えると怖くなり今後ずっと引け目を感じることになるので頭の中を空っぽにすることにした。

「よし、じゃあどこがいい?」

「詳しくないんですよね。気に入ったものをいつも買っている感じなので」

 歩きながら各ブランド店を見るがピンとくるものはなく、いつものお決まりといったブランドがあるわけではないため、こういった時に必要な物欲というものがいまいち働かない。

「ほしい物とかは?」

「そうですねぇ。あー、持っていないので手首あたりに着けるやつ………バングルでしたっけ、それが欲しいです」

 何となくネットで見て、私の中では珍しく安物でもいいから買っておこうと決めていたが名前をうろ覚えのせいで、もう何ヶ月も買っていなかったものを奇跡的に思い出すことができた。

「また大人なものを」

「シンプルだし、落ち着いているかなって」

「確かに、椿木に似合ってるかも」

 四菜さんが納得しているのを見て、後ろにいる宮内さんはどんな反応をしているのかと気になり振り返ってみてみると、振り返った私に気づいて驚きつつも何やら左側を指さし始めた。

 なんだろうと、そのまま左側を向くと私でも知っているブランド名が書かれたお店があり、宮内さんはどうやらそこに立ち寄ってみてはと提案してくれていたらしい。

 お店の中を少しだけ見てみると、金銀に輝くアクセサリーや私には理解できないデザインのバッグなど想像通りのブランド店といった様子で寄ってみてみる分には面白そうだなと直感が囁いてくれた。

「よ、四菜さん」

「お、何かあった?」

「あのお店、見てみたいです」

 私が決めたブランド店を指さすと、四菜さんはなぜか笑顔になって大喜びをしてくれた。

「おー、椿木がブランド店に興味を持つなんて!」

 何とも言えない気持ちになったが、おそらく喜んでくれているのだろう。だが、それもまた私をより一層複雑な気持ちにさせていっていた。

「あははっ」

 乾いた笑いをすることしかできずにブランド店へ入っていく。

 店内は、よくネット上の動画などで見るブランド店と相違なくイメージ通りの高級ですよと言わんばかりの威圧感がどことなくある。だが、その威圧感は別段に悪い気持ちにさせるものではなく品といった形で表現されており、これが世間的にいう気品や上品の類なのかと肌で感じ空気で重みを知ることとなった。商品も一つ一つに存在感があり、世に言う作品と評される意味を実感する。

 百貨店内という事もあり店舗面積はそんなに広くはないが何時間かいても飽きがこないような空間だけど、私はきっと途中で煙草が吸いたくなってしまって喫煙所を求め彷徨うに違いない。

「なんかすごいですね」

 思わず単調的な言葉しか出なかった。ただ騒いだり、はしゃぐような場所ではないし、格段テンションが上がるわけでもないので私からしたら丁度いい適切な反応だとも思う。

「ブランド店に入るの初めて?」

「服とはありますけどこういったアクセサリーとかは」

「あぁ、ならちょっと雰囲気違うもんね」

「できる大人って感じがこうやばいです」

 ゆっくりと牛歩かと勘違いしてしまいそうなほどの速さで、店内を見渡し雰囲気にようやく慣れてきた。

 さっきまで感じていた上品な威圧は大人の女性を飾るドレスコードへと表情を変え、自然と私を彩るかのようにアクセサリーたちが輝き始めてきているように見えた。ついさっきまでブランド沼へ浸かる人の気持ちがわからなかったが、なるほどこれか、と理解ができた。これは確かに私も煙草に出会っていなければこっちにはまっていたのかもしれない。興味は今も別段と湧いてこないが、弊害のない特別感に囲まれるのは居心地が妙によく縋ってすらいたい。

 きっと、同じ大学でよく見るブランド好きな人たちはこういった心地に寝転んで楽しんでいるのかと、やっと理解できた。

「そうそう、勘違いしちゃうよね」

「四菜さんは充分できる大人ですけどね」

「あらぁ、弾んじゃうわよ」

「あ、間に合ってます」

 上機嫌になった四菜さんはどこぞの品のないマダム口調になり財布のヒモがとてつもなく緩くなったので、とっさにしつこい訪問販売やナンパを適当にあしらう時に使うような断り方をしてしまった。

 おかげで成人祝を折半するかここまで来て断るかのような形になってしまい、四菜さんが驚きを隠せていない目で私に訴えかけてき始めた。

「その目やめてください。冗談ですから」

 四菜さんはその言葉に安堵したのか、ニコッ、と目の表情がコロコロ変わっていくのを、これはこれで怖いな、思いつつ同じように私が目で笑い返した。

「四菜、椿木ちゃん」

 そんな感じで静かに四菜さんと店内を見ていると宮内さんが私の肩を軽くたたき、このお店に入る時と同じように今度は右を指さして案内を始めた。そのまま着いていくと、そこのケースには私が欲しいと言っていたバングルが置いてあり、これだよね、と宮内さんが少しだけ不安そうに確認してきたので、そうです、と返した。

「よかった。僕、疎いからさ違ってたらどうしようって」

「別にどうもないですよ。それよりもありがとうございます」

 どうやらお店に入ってから、同じようにゆっくり見ていたもののずっと探していてくれたようで宮内さんには頭があがらない。

 ここのお店は店員さんが付いて説明してくれるようなこともなくゆっくりと見れるが、目当てのものが見つからない時はただショーケースをゆっくり見て周るだけになってしまうので、声をかけて説明してもらうのが必須だったのかもしれない。

「結構、種類あるんですね」

 ケース内には正直、違いがそこまでわからないバングル達が飾られており、全部ただの色違いじゃん、とついつい言いたくなってしまうぐらいには似ている。

「四菜さん、これ違い分かります?」

「そりゃ、わかるよ」

「おぉ」

「だって、値段違うし」

 私の関心は、引き留める時間すら与えられずにどこかへ走り去ってしまった。

 でも、私も値段でしか判断ができないので四菜さんに強く言えないのがなんとも、もどかしくてたまらない。

 しかし、目の前にあるバングルを見ているとどうして色が違うだけで万単位の値段差が生まれてくるのかが理解できなさすぎる。大きさやデザインが違って値段差ができるのは理解できるのだが、色違いだけは理解できない。

「なんでこんなに値段が違うんですかね」

「それはほらあれだよ」

「あれって何ですか」

「大人の事情だよ」

 四菜さんも、値段と言ってはいたが違いは正直なところわかっていないらしい。

 やっぱり、店員を呼ぶのが正解だとは思うのだがここまで来たらもう呼びたくない。もし、呼ぶときはサイズ合わせやら購入手続きやらの時しかない。

 だって、ここまで見ているのにあいつら本当は解っていなかったんだ、と思われたくない。なんか嫌だ。

 そんな小学生の様な意地で意味も解らずバングルを見ていると、ひとつだけ目に留まるものがあり、いいな、と覗き込むように見ていた。

「気に入ったの?」

「はい、これです」

 そのバングルは、私でも想像できるようなシンプルで特に変わり映えのないデザインに、そこまで主張の激しくない桜にも似た薄いピンクゴールドをしていた。宝石が等間隔で埋め込まれているわけでも、細い線が二つになっていたりでもない、本当にただただシンプルなデザインに、私は惹かれていた。

「サイズ合わせる?」

「お願いします」

 その後はものすごく、とんとん拍子で進んでいった。

 宮内さんが店員を呼んできてくれており、サイズをあわせ、色の確認、商品の再確認を順々にしていき、そのままレジへ向かう。表示された値段に驚いたが、あの中では高くも安くもなくむしろ安いよりらしいと聞いて、ブランド物の恐ろしさを改めて実感した。

 会計が終わると店員が商品の入った袋をもって最後までエスコートしてくれて、またしても、あぁブランド店だ、としつこいぐらいに思い返しながら、お店を後にするとき紙袋を手渡されて、買ってもらったんだ、と再三な実感を身をもって体験した。

 その後店員は私たちがある程度歩いてお店から離れるまでお辞儀をしており、世の中のマダムたちがコンビニ店員などに求める接客基準がこれなのか、と違いが見て取れるレベルに接客業はどの水準でも大変なんだなと痛感していた。

「あの、本当にありがとうございます」

「どういたしまして」

 私がお礼を言うと、四菜さんは満足げに言い、その姿を見て宮内さんは微笑んでいた。

「大事にします」

「成人祝なんだし、好きに使いなね」

「好きにって言っても用途はひとつしかないだろ」

 四菜さんの言葉にちゃちゃを入れた宮内さんはその後すぐに、脇腹を肘で強めにつつかれはじめ、がはっ、と漫画でしか聞いたことないような声を吐き出し始めた。

「そうですね。大切な時とかにつけます」

 ダメージが入る宮内さんを見てつい笑いながら言ってしまったが、頂いたバングルは日常で使うのではなく何か大切な時に身に着けよう、と買ってもらう瞬間から決めていた。私にとって、とても大切なもので大事にしていきたい物だからこそ着けるその時は、式典だったり、それこそデートの時だったり、何か節目になるような時や大切な人と過ごす時が最高に輝くと思う。

 それに、こういったものに疎い私は今後自主的に買い集めるかと聞かれたら絶対にないと言い切れるので、より貴重になってくる。

「椿木がそう言ってくれるだけでも充分だよ」

「ちょっと、四菜。もう、や、やめっ、やめて」

 宮内さんの消えそうな擦れた健気な訴えに、四菜さんは、あっ、と肘を入れ続けていたのを忘れていたかのような反応をしてそのまま肘を止めた。

「あぁ、死ぬかと思った」

「そこまで強くなかったでしょ。大袈裟だな」

「いや、ほら塵も積もればってやつだよ」

「じゃあ、とどめの一撃入れとく?」

 よく歩きながらこんなコントみたいなことできるなぁ、と微笑ましい二人の背中を見ながら笑みが自然とこぼれてくる。

 大人になったらこんな二人になりたいと憧れを抱いてもう五年は経ち、いつでも近くに居て、いろんな姿を見てきた。その二人が結婚するんだと改めて考えてみると、なんで今まで結婚していなかったんだろうと不思議に思えてくるぐらい、ずっとずっとこの距離感でいたんだなと、思わさせられる。

「なんでそんな楽しそうに言えるの」

「楽しいから」

「悪魔めっ」

 宮内さんのその言葉をきっかけに、四菜さんは肘をまた無言で入れ始めた。

 いつもよく見る悲しい無限ループがまた始まった。こうなるともう宮内さんは、ループから抜け出すことはできなくなって、体力が底を尽きるその時まで続いていく。

 そんな二人を見ていると、時々、本当にこの憧れはあっているのだろうか? と、強く疑問が浮かぶが、飾らないでいられると解釈をしておけば前向きに捉えることができるので、都合よくかみ砕いて憧れている部分もある。

 だけどそれが心地よくて、気取らず、気張らず心地よく憧れられるので、私にとっては本当にこの二人でよかったとそう思えているし、この憧れに後悔なんて微塵もない。いつまでも、理想で追いかけるのではなく付いていきたいと思える最高の二人だ。

「あ、この後どうする?」

「ぼ、僕は、なんでもっ、いいよ」

「私もついていきます」

 肘をずっと入れられている宮内さんの声が途切れ途切れになっているのが妙にツボに入ってしまい、笑いを超ええるのに必死でこの後の事を考えられる余裕が私にはなかった。

「じゃあ、とりあえず吸っとく?」

 スパーっと煙草を吸っているジェスチャーを微笑みながらする四菜さんにつられて、私は元気よくうなずいた。

「よし、じゃあまたタバコだ」

「早く行きましょう」

「まって、その前にさ、やめて、これっ」

 悲痛に擦れていく宮内さんの声は、四菜さんに届くことなく喫煙所につくまで肘はいれ続けられた。そんな二人を見て私は将来結婚するとき、絶対に旦那へ肘は入れないでおこう、と、その日一番の気持ちを込めて決めて、またゆっくりと深く煙草を吸い始めた。

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