相川四菜 【マリッジブルーライト】

 そういえばと振り返ってみる。

 出会って一週間ぐらいで外食へ行き、一ヶ月もすれば映画やレジャースポットへ出かける予定もたてたりしていた気がする。きっと、周りからしたらデートだと見られていてもおかしくはないけど、決して違う。断じて違う。完全に違う。本当に違う。

 もちろん、二人とも二十代後半の大人だ。そういった体の関係に発展しなかったのかと聞かれれば、あった。なんなら、今でもある。言ってしまえば、付き合ってもない状態でのこの関係性はセフレでしかない。だけど、世間からみたその関係よりもより親密な仲といっても過言ではない。

 深夜のコインランドリーで、たまたま出会ってから二年が経った。もうそろそろ、いいのではと自分に問いつめても、明確な答えがでなかった。だからこうして、数台の洗濯機が、寒い昼間に合唱し稼働している中、ずっと変わらない椅子に座り、目の前にいる少女につい苦労をこぼしている。

「またその話?」

「だってさぁ………」

「四菜さんさ、それはもう付き合ってるんだって」

 冬のコインランドリーの中は、隙間風の影響もあって聴覚と共に寒さが倍増している。そのせいか暖房がついていても店内は、外よりはマシ程度の暖かさが保たれていた。

 目の前に座り手をこすり寒さをごまかす姿がかわいらしい椿木も、また店内だというのに防寒着を着ている。ちなみに私もマフラーが外せないし、さっきからずっとお互いに息が白い。

「何回も同じような話を、高校生の私にしてどうするの? 四菜さんの方が大人でしょ。えっと、二十………」

「………はち」

 一月も後半、気温も下がりに下がり早朝は毎日氷点下になるぐらいの身にしみる冬の寒さとは、また違った悪寒にも似た何か冷たいものが背筋をはしった。

 年相応の経験を重ねて、恋の魔法が溶けてもう何年が経っただろうか。女性はずっと恋ができるのよ、と言っていた母親のあの言葉が嘘だと知った日の事は今でも忘れない。結果は、人によるのだ。そして、私は変な経験も重ねたせいで、恋をしないように心が守ってくれている。あの婚約破棄にあった時のようにならないように。

「でしょ。もちろん、四菜さんの過去を知らないわけじゃないけどさ、考えてもみてよ」

 机に肘ををつき、どこか呆れているような椿木が、私よりも大人な雰囲気で説教をしてくる。

「四菜さんと宮内さんが出会った時、私はちょうど高校入学の年で、妹の愛奈は四才。そして今は、私が高校卒業で、愛奈は小学校入学」

 時の流れは残酷以上の何かな気がする。時々、全力で潰しにかかってくる。

「そして、二人はもう立派なアラサー」

「あー、それキツい」

 現実は、歳を重ねるごとに受け入れがしずらくなる。特に、単位が変わる瞬間は何ものにも代えがたいキツさがある。子供の頃に憧れていた大人は、どこにもいないと知ることになる。全員、歳にはかなわないのだ。

「あ、宮内さんだ」

 椿木の言葉とともに、ガラッと開いた出入り口から寒風を連れて宮内がやってきた。本当はここで焦りのひとつでもすれば可愛げのある女なのかもしれないが、生憎と出入口を背に座っていたせいで寒風をもろにくらってしまいそれどころではなかった。

「ちょっと、早く閉めて」

「ごめん、ごめん」

 手袋をとり、そのままの流れでコートも脱ごうとしたが寒かったのか宮内はそのまま羽織って椅子に座る。

「え、寒くない? 暖房は」

「ついてこれです」

「マジかぁ、今年凄い寒いんだな」

 そう言いながら、宮内はおもむろにコートの両ポケットからペットボトルのお茶と缶コーヒーを取り出して、はい、と手渡してくれた。

「椿木ちゃんはこっちで」

「ありがとうございます!」

「んで、相川は微糖だろ」

「ナイスぅ」

 熱すぎずぬる過ぎない丁度良く温かい缶コーヒーを受け取った瞬間に、今までの寒さのせいもあってか一瞬だけ痺れた感覚が手を襲ってきたが、すぐに優しい温もりが手を温めてくれた。

「自分のは?」

「あぁ、さっき寒すぎて一人で飲んじゃった」

 温かい飲み物を持ってきてくれた宮内自身が何も持っていないことが、ふと気になってしまった。

 本人は一人で飲んだと笑って言っているが、恐らくそんなことは絶対にない。なにせ、椿木に渡したお茶がいつも飲んでいる健康茶だからだ。高校生に、健康茶なんてまず選ぶことはないだろうし、第一に買ってきてと言って、買いに行ってもらったわけでもない。宮内が、手土産ついでに買ってきてくれたものだ。きっと、私しかいないと思っていたのだろう。だけど、そこに椿木も居合わせて急遽、健康茶を渡したに違いない。

 宮内はそういう人だ。私はこの二年間で嫌というほどそれを見てきた。

「寒いでしょ。私、まだ飲まないから持ってて」

「はいよ」

 手渡した缶コーヒーを持った瞬間に、あったけー、と聞こえるか聞こえないかの声でつぶやいたのが聞こえてしまった。

「そういえば、椿木ちゃんもいるとは思わなかったよ」

「たまたまです。愛奈が友達と遊んでいるので、私はこっちで勉強してて」

「そっか、大学受験か」

 ふと、今更ここで思った。椿木はなぜか、ずっと宮内にだけは敬語を使う。やっぱり、年上の男性には少しだけ距離を置きたいのか、それとも男性自体が少しだけ苦手なのか。それか、宮内の事が好きで行儀良くしているのか。いや、好きな事だけはない気がする。さすがに鈍いと言われてきた私でも、それだけはなんとなくわかる。

 それにしても二人が話しているのを横目に見ていると、近所の兄と妹の様な関係に見えてくる。仲がいいんだけど一定の距離感があるというか、なんというか。もしかすると、椿木的にも今の距離感が丁度良いから敬語なのかもしれない。

「じゃあ、椿木ちゃんも一緒に来る? いいよな」

「全然オッケー」

 今日はここで集まり次第、ちょっと都会の方へ電車で行き、暖房家電やら日用雑貨やらを宮内と選んだついでに、なんか遊ぶかと計画をしていた。もちろん、いい年した男女が二人で遊ぶんだ。夫婦だったりカップルに間違われることはもう慣れた。この間なんかは愛奈ちゃんと、三人でスーパーに行ったら親子に間違われたぐらいだ。椿木が一緒に行ってくれるのであれば、そういった間違いはなくなって仲いい三人組になるに違いない。年齢はこの際、気にしないことにして。

 椿木を連れて出かけて、親子と間違われたら私だけじゃなくて宮内もショックを受けるだろう。さすがに子供としては大きすぎる。

「あ、行かないです」

「遠慮しなくて大丈夫だよ」

「行きたいんですけど受験もあるので勉強しなきゃだし、それに………あー、愛奈たちにいつ呼ばれるかもわかりませんから」

 断りながら申し訳なさそうに笑う椿木に、そうだよな、と一瞬で理解を示す宮内を見て単純だなと思ってしまった。

 椿木は後半に違うことを言おうとしていた。おそらく、お二人の邪魔に、や、親子と思われたら申し訳なくて、とかだ。それを裏付けるように、宮内には申し訳なさそうにして、私と目が合った時はニヤニヤしている。もうそれは確信犯でしかない。

「じゃあ、そろそろ行くか」

「ダラダラしちゃうと、更に寒くなっちゃうしね」

 椅子から立ち上がり、ガラス戸をガラガラっと開けた瞬間、とんでもなく寒い風が吹いており一瞬で出かける気がなくなってしまったが、宮内を盾にして歩くことで何とか冷たい風を回避することができた。ありがたすぎる壁だ。

「おい、寒いって! おい、聞いてるのか相川おばさん」

「はい、たばこ一本ね。ほら、進んだ進んだ」

「仲いいなぁ」

 椿木が静かに笑いながら、いってらっしゃいと手を振って見送ってくれたのに、いってきますと、私たちも手を振って返しガラス戸をガラッッと気持ちはやめに閉めた。

 それにしても、外は寒い。寒すぎる。店内も十分すぎるほどに寒かったが、格段にレベルが違う寒さに体の震えが止まらない。

「最近、また寒くなったよな」

「お昼は、なんか温かいもの食べよう。ラーメンとかうどんとかさ」

「じゃ、とりあえず向こうに着いたらどこかで食べるか」

 寒くて喋りたくないので賛成と深くうなずく。

「それと、ほいこれ」

 凍える私を見かねてか、宮内はカイロをひとつコートのポケットから取り出し渡してくれた。カイロはすでに温まっており、ありがとうと言いながら受け取った瞬間に今までの寒さが嘘かと思えるほど、手の寒さがどこかへ消えていった。

「ありがたいけど、寒くないの?」

「こんなこともあると思って、もう一個あるから」

 そういって無邪気に笑いながら、もう片方のポケットに入ってあるカイロを取り出して見せてくれた。用意周到というか、私がカイロを絶対に持っていないと確信して用意していたのだろう。宮内は、いつも何かしら痒い所に手が届く様なことをしてくれる。有り難い反面、いつもしてもらっているばかりで申し訳なさも勿論ある。

「いつもありがとう」

「どういたしまして。ついでに、さっきのたばこ一本も取り消しで」

「そりゃ、もちろん」

「ありがてぇ」

 あの日から、宮内が『相川おばさん』、私が『僕ちゃん』とからかって言おうものなら、たばこ一本支払うというルールはずっと継続してきている。この二年間で五箱分はもらった気がする。今回みたいな取り消し分を入れると追加で二箱ぐらいは超す気がするのだが気にしないでおこう。

「てか、これはいつまで持っとけばいい? あったかいよ」

「カイロのお礼にあげる」

「僕、ブラック以外飲めないんだよな」

 コインランドリーで貰ったコーヒーを、宮内にそのままお返しついでのプレゼントをしようとしたら、そうだったブラック以外飲めないんだった、と思い出した。

「じゃあ、また頂戴」

「もちろん」

 時間が経ち少しぬるくなった缶コーヒーは、寒すぎる外には丁度良く優しく私の手を温めてくれる。手には缶コーヒー、上着ポケットには今さっきもらったカイロを入れているおかげでポカポカとしている。

「あ、ちょっと待って」

「ん、おう」

 丁度、大通りに出てきたところで自販機があったので、カイロしかもっていない宮内にホットのお茶を買おうと、待たせるのも悪いのでせっせこ買い、そのまま手渡す。

「ありがとう、いいの貰って?」

「もちろん。缶コーヒーのお返し」

「ありがてぇ」

 やっぱり寒かったんだと笑ってしまうほどに、宮内は渡した温かい健康茶を、ぎゅっと大事そうに両手で持っている。

 お互いに手袋をしているのだが、今日の寒さは手袋を貫通してくる。大人になると手袋をしなくなってくるのだが、周りはなぜこの寒さに耐えられるのか疑問でしかない。手袋にだって、オシャレというか大人なかっこいいデザインのものはたくさんある。そんな、ポケットに手を入れて歩いている人より、どんなにデザインがダサかろうと手袋をしている人の方が好感を持てる気がするのは私だけなのかといつも疑問に思う。

 みたいな話を宮内にした時に、だよな! と、ものすごく共感してくれた時はうれしかった。流石宮内、わかっている。

「宮内っていつも健康茶だよね」

「そりゃ、もう立派なアラサーなわけだし。体型がね」

「ずっと言ってるよね」

 宮内と私はお互いにもう、二十八になる。体型がより本格的に意識をしなければ崩れてくるともっぱら評判の三十代に突入するわけで、とても戦々恐々としている。周りが言うには、二十代になった瞬間に来る突然の老いよりもより激しいスピードで老化が来るらしい。怖すぎるにもほどがある。

「もうお腹がね………」

「あー」

 自分のお腹へ視線を落とす宮内につられて、私もついつい見てしまう。確かに、宮内のお腹は引き締まっているとは言い難いが、別に標準だと思う。互いに、そういった行為をする際、当たり前だが裸を見るが気になったことは一度もない。だが、つまめる程度のお肉がのっていることも事実であり気にする人は気にするのだろう。痩せすぎよりは全然いいじゃん、と必ず言っているが宮内はどうやら気になるらしい。

「そこはフォローしてくれって」

「いやー、ね」

 いつものように言おうとしたが、なんとなくいつも以上に気にしているような気がして、流石にフォローができなかった。現実は、無情なのかもしれない。

「一番、悲しいやつじゃん」

 宮内は、自分のお腹を見ながら現実を受け止めきれずに、ぽんぽんと腹太鼓を鳴らすかのように叩く姿を見て、昔のアニメの狸をどこか思いだしてしまい少し噴き出して笑ってしまった。

「え、なんで」

「ごめん、思い出し笑いだから」

 より一層に悲壮感を深める宮内の表情は、どこか哀愁が漂い二十三時頃に飲み屋から出てきて現実に引き戻されるサラリーマンと似た何かを感じた。もしかすると、アラサー男性はこの表情になりやすい悲しい時期なのかもしれない。だとするならば、宮内はこれからどんどん哀愁を漂わせていくのかと考えると、また笑い出しそうになってしまうが今度は寸前で、止めたおかげで実際には笑わずに済んだ。

「今度、タバコあげるから許して」

「それは、許そう」

 私と宮内の間では、タバコに絶対的な価値があるおかげでなんとか許された。

「流石、宮内」

「もうギリじゃないからな」

 でた、と言ってまた笑い出しそうになってしまった。

 あれから暫くの間、愛奈ちゃんの中で『ギリ』のブームが終わらず、ギリ宮内と呼ばれるたびに、私はツボに入ってしまったせいで毎回ぷるぷると肩を震わせながら笑いをこらえて耐えていた。そういえば、気づいた時にはギリと言わなくなっていたなぁと今にして思う。子供の成長はいつの間にかなのかもしれない。これが、自分の子供だったら余計だろうな。

 まぁ、まずは恋人ができなければ話題の舞台にすら上がれないのだが。正直、このまま宮内といれたらそれが一番の………。

「相川、おい」

「ん?」

「目の前、改札」

 まるで、ドラマや漫画の回想とかで使われるお決まりシーンのかのように思い出にふけっていたおかげで、いつの間にか改札の前にいた。

「大丈夫か?」

「全然、ほらえっと歳だから」

「自分から言い出すって、こわっ」

 思い出にふけって周りが見えなくなっていたなんて言ったら、それこそ宮内はおばさんといってくるだろうし、さすがの私も否定ができない。なにせ、思い出に更けいってしまうとかもう、世間的なイメージでさえ老後のキャラクターがおこなう事の代表格だ。余地も微塵もない。

「ちょっと、トイレ行ってくる」

「はいよー」

 電車まで少しだけ余裕があるのを確認して宮内はトイレに駆け込んだ。

「はぁ」

 そのまま、線路とホームが見える全面ガラスの壁の間に設置してあるガードレールのようなものに、背をもたらせやることもないのでスマホをいじる。

 この無意味な時間は、たとえ短かったとしても時折やたらと長く感じる。これも歳のせいなのだろうか? 今の時期は、ホームから階段を駆け上がってくる通り風も相まってより時間を長く感じさせる。

 別に待つこと自体に文句や不満があるって訳じゃない。むしろ、この短い待ち時間はどこか特別な気がして好きなぐらいだ。人の行きかう声や足音に鳥の鳴き声と風の音が妙に合わさり、心地が良い。勿論の事、人の声で怒号が聞こえてくることもあるし、自慢じゃないが若い頃なんかはナンパもされたりと嫌なことも盛りだくさんに溢れている。

 だが、それこそ歳を重ねるにつれ怒号にも慣れ、ナンパなんてものはそもそもがなくなり、自然と人の話し声は目の前や遠くで大きな声で話している行き交う人たちのものだけになっていった。今でこそ、宮内とよく出かけ話すおかげで、行き交う人たちの話す内容などがそんなにも入ってこなくなってきたが、こうした待ち時間に聞えてくる内容は盗み聞ぎしているようで申し訳ないがわくわくしたりソワソワしたりする。会社での取引の話や夕飯の話に、今だって聞こえてくるこの昼間ぐらい独特の旦那さんの愚痴とか、その人や話し相手によって変わってくる話す内容は飽きがこない。

 もしかしなくとも、宮内と私のくだらない身も何もない話も誰かに聞かれ、くすっと笑われているのかもしれないし、それはそれでいいなとすら思ったりする。

 もちろん、イヤホンをして自分の好きな音楽やラジオなんかを聞いたりするのもたまらなく私は好きだ。音楽やラジオの音を主体に少しだけ、顔をのぞかせているように聞こえてくる外の音もいい味をしているし特別感がある。

 そう考えれば考えるほど、街中での待ち時間も悪くはないかなと思えて好きになってくる。長いのは別としてだ。

「ごめん、戻った」

「手、濡れてるけど」

「あー、ジェットタオルが止まってるのに紙もなくてさ」

 ここ数年の流行り病のおかげで、ジェットタオルが至る所で止まっていたりする。まだ、再稼働する目途はなく、ペーパータオルで代用するところがほとんどだ。

「いい加減、自分でハンカチ持ちなって、ほら」

 どうせ宮内は持ってきていないだろうと、私はどこかへ一緒に行く際は必ず二枚持っている。

「ありがてぇ」

 この二年間で急激に仲良くなり程よい距離感や癖をわかった私と宮内は、互いに忘れやすいところをカバーしていたりする。カイロもそのひとつだ。もはや、兄弟と言われても遜色はないのかもしれない。だが、夫婦とか言われると全力で否定したくなるほどには恥ずかしいし、全力以上で否定する。もちろん、二人そろって。

「ほら、電車来るしホーム行こ」

 そう言いながらタイミングよく電車が到着する。時間帯も相まって利用客はそこまで多くなく、席にも余裕をもって座れた。

「角じゃなくてよかったの?」

「あ、考えてなかった」

 宮内はとぼけて答えるが、毎回のように私に角席を譲ってくれる。きっと彼なりに、痴漢や余計なトラブルから私を守ってくれているのだろう。普段みたく恩義せがましくすればいいのにと思うのだが、宮内の中にある男としてのプライドが許さないのだろうなと考えると、どこか可愛いとすら思えて、つい、クスッと笑ってしまう。

「今日、結構笑うじゃん」

「私の綺麗な笑顔が見れて幸せじゃん」

「ご冗談を」

 今日一番の笑顔をみせながら言う宮内に対して、何故だろうか嫉妬や癇癪に近い恨みがこみあげてきたので、左ももあたりを思いっきりツネッた。

「いった………いぃ」

 一瞬で涙目になり、私を見てくる宮内のその表情はどこか絶望にも似た悲しみへと変わっていた。きっと私の気持ちが伝わったに違いないので、ニコッと笑ってあげた。

「私の綺麗な笑顔が見れて幸せじゃん」

「そう………ですね」

 そんなしょうもない事をしながらスマホを取り出し、これから買おうとしている物を事前にチェックする。その間も、宮内は左ももをさすりながら、つー、と痛がっていた。私のつねりはそんなに痛いのだろうか。今度、自分で試してみてみようかと迷ってしまうが痛いのは嫌なのでやめておこう。

 高校生の時とかは、電車などで見かける大人のカップルがこういった自分たちと変わらないやり取りをしているのを、大人にもなって恥ずかしいやら子供みたいと思っていたが、いざ自分が大人になると、その恥ずかしいやら子供じみたやり取りがどれだけ気が楽で、心を許した相手としかできない信頼ゆえの事なのかがわかり、案外この時間は大切になっている。

「ねぇ、これよくない?」

「おー、安いしいいじゃん」

 なんとなく見つけた少し型落ちしたヘアアイロンがセールで安くなっているらしいと、これから行く予定のカワダ電気のネットチラシに載っており、思わず宮内に見せてしまった。

「あ、僕が欲しかったのも安くなってるじゃん」

「どれ?」

「このスピーカー」

「またぁ」

 宮内は家電好きというか、とにかくパソコン周りの物を使いもせずによく買ったりしている。この間も、スピーカーを買ったとか言っていたような気がした。というかだ、そもそも今からカワダ電気に行くのは、電気ストーブみたいなの欲しいから一緒に行かね? と、宮内が言ってきたからだ。まずは、そっちの情報を見ろよとつい思ってしまう。

「またってこの間、持ってたろ。スピーカー」

「あー………昼は私の奢りだ! 喜べ」

「まーた、誤魔化す」

 あはは、と宮内のジト目を受け流す。

 確かに私は、宮内の家に行く度に何かをもらって帰っている。もちろんちゃんと、貰っていいかを聞いてからだ。無言で持ち帰るようなことはさすがにしないが、スピーカーの事はすっかり忘れていた。

「まぁ、じゃあ折角だしゴチになります」

「喜んで」

 お昼を奢ってスピーカー代になるのであれば全然安いし、程よく罪悪感も消える。もういっその事、食べ放題に行っても喜んで奢るだろう。

「どうする? 食べ放題でも行っちゃう」

「うどんとかラーメンがいいねって言っていたのに、急に値段のハードル上げるじゃん。しかも自分から」

 折角奢ってもらえれるというのに、宮内は私の言葉に若干引き気味で答えた。これが、噂に聞く謙虚な日本人ってやつなのかもしれない。私なら間違いなく、がめつく食らいつくに違いない。

「もう、あったかい麺類の口になっているからそっちでお願いします」

 はーい、と答えてまたスマホに目を落とすと、すぐに目的の駅に着くらしいとアナウンスが流れた。誰かと乗っていると電車に限らず、一人の時よりも格段に速く感じる。下手をすれば倍以上の速さで着いているのではないかと、自分の体感のちぐはぐさを実感するときもある。

「ちょっと行ったとこで探すか。食べるとこ」

「いいね、賛成」

 昼時という事もありそんなに人混みがなく、ぶらぶらと歩いているだけで改札を通れる幸せを感じながら、そのまま階段を下りて駅から少し歩いたところにあるお店通りの多い道へでる。最近は、それこそ駅前に新しいビルが建ち景観がいっきに都会っぽくなったが、そのビルを通り過ぎてしまえば昔から変わらない街中が広がっている。そんな街の様子をみると、変わらない何かに対する安心が生まれ、ほっとしてしまう。もちろん、宮内や私が住んでいるところに比べればめちゃくちゃ都会でひらけている場所ではある。

「都会になったねぇ」

「なんかこう、地方都市感が増してきたよな」

 ビルひとつでここまで変わるのだから、もうひとつ同じようなビルが建てばたちまちそこは東京顔負けの都会になるに違いない。そんな都会風をふかし始めた街中を歩くと、ようやく人が多くなってきて賑やかで無機質な雑多にあふれだした。

「どうする、昼」

「どうしよっかな。うどんならそこにあったはずよね」

「あー、あったねぇ。まだ、あるかな」

 街中も日々、新しいお店がオープンしたり、気になっていたあのお店が撤去していたりと細かい変化がおきている。

 そんな中、過去に何度か宮内と一緒に行ったことのあるうどん屋が近くにあったようなと思い出した。個人経営でそこまで客入りが申し訳ないがよくなかったお店だったが、店主のおばあちゃんの人柄がものすごくよくて、出汁の深みと人柄から出る優しい味が宮内と私の心を掴み忘れられないお店となった。そしてなりより出入り口に、灰皿がある。店内ではもちろん吸えないのだが、出入り口に灰皿がある。何度も言いたくなってしまうが本当に灰皿があるのだ。うまい、安い、灰皿ありは喫煙者にとって欠かせない三大鉄則だろうと私は勝手に思っている。

「あってほしいよね。灰皿あるし」

「そこか? お前の評価ポイントそこなのか」

「勿論、おいしいしお店のおばあちゃんも最高」

 宮内が時々、重度の喫煙者を見るような目で見てくるが、私はそこまで重度の喫煙者じゃない。それを証拠に、吸ったとしても一日あたり十本ほどで約半箱だ。重度の喫煙者は一日一箱からってよくわからない喫煙所のおじさんが言っていたような気がする。因みにヤニカスはルールを守らない奴等の事だとそのおじさんが言っていて、私も心の中で激しくうなずいていた。

「にしても、行くの久々じゃない?」

「確かに、今年に入って行ってないかも」

「おばあちゃん元気かな?」

「元気であってほしいけど、無理言えない歳だったもんな」

 最後に見た姿が元気だったため互いにそこまでの心配はせずに、街中から少し外れた公園の側にあるそのうどん屋をまったりと歩いて向っていた。

「この公園も久しぶりだな」

「本当にこっち側、来てなかったからね」

 街中を十分程度歩けばすぐに人混みは消えて、ベビーカーを押して歩く若い女性やジョギングをしている老夫婦達の憩いの場所の様な公園が自然豊かに広がりはじめる。後ろを振り向くとビルと雑多にまみれ、前を見れば自然といったなんともバランスの悪い景観を楽しめる。

「今度は、愛奈ちゃんと椿木ちゃんも連れてくるか」

「愛奈ちゃんはともかく、椿木みたいな年頃の子が公園のために着いてこないと思うけど」

 宮内はたまにのほほんとした事を言う。サービス精神が旺盛なのか、それとも親戚の子のように思っているのかは謎だが、愛奈ちゃんと椿木にはお年玉をあげたりクリスマスプレゼントをあげたり、更には誕生日を祝ったりと完全に親戚気取りであることは間違いない。そんな姿を見て私は、バカだなぁと思いつつまったく同じことをやってしまっているので、これは逆らえない大人の性ってやつなのかもしれない。

 おかげ様で愛奈ちゃんはすぐに宮内に懐き、椿木もまた親戚のおじさん程度には心を許している気がする。

「焼肉かしゃぶしゃぶの食べ放題で誘うか」

「ついでになんかタピオカ的なものもつければ完璧」

「よし、奮発しちゃおう」

 どうやら、行くことはもうすでに脳内で確定らしい。

「そうなると、四人で出かけるのも久々になるよな」

 当たり前だが、私も頭数に入っていた。いつものこと過ぎて慣れているが、私は一度も行くと同意したことがないのは気づいてもらえているのだろうか。

「まぁ、椿木も受験だからね」

「そうしたら、合格祝いもあげないとな」

 まだ、試験を受けてすらいないのにどうやら宮内の中で椿木は合格らしい。確かに、椿木の勉強を頑張ってきた姿を互いに見てはいるので、私も大丈夫だろうとは思うがまるで我が子のように心配になる。

「気早すぎ」

「ほら、自分の時を思い出すとこう、ね。つい、応援したくなって早とちりを」

「宮内って娘をもったら、思春期の時に嫌われるタイプだよね。私だったらとにかくウザがるわ」

「お先真っ暗じゃん」

 そんなに信じ切っていない宮内は受け流すが、この手の男はウザがられるかいいように使われて終わる理想とはかけ離れた現実的な父親像そのものになると、私の数少ない女の勘が言っている。洗濯分けてって言ったでしょ! とか言われるんだろうな、頑張れどこの誰かわからない宮内のまだ見ぬ奥さん。

「じゃあ、相川はあれだよな。息子ができたらからかい過ぎて嫌われるタイプ」

「ないない」

 絶対にないだろうなと思うことを宮内が言うので、思わず笑ってしまった。

 私が息子をもったら、少しだけ離れて見守るほどよい距離感の優しい母親になるに決まっている。例えば、息子の部屋を掃除しているときにエロ本を見つけたらそっと元に戻すし、好きな子ができた聞けばヒューヒューとはやしたてるぐらいだ。こんな愉快な母親が居たら息子は大喜びだろうと、まだ見ぬ息子にドヤ顔をしたいぐらいだ。

「見る目がないな、宮内は」

「なんでだろう。今の母親にものすごく感謝したくなってきた」

 なんでだろう。ものすごく宮内が失礼なことを考えているとノリに乗っている私の女の勘が言っている。なんか、イラつくので頬をツネっておこう。

「いたっ! え、なんで」

「勘」

「勘!?」

 何とも言えない驚きと恐怖の目で、私を見てくる宮内はツネられた頬を痛そうにさすっている。一瞬しかツネっていないのにそんなに痛いのか、私のつねりは。

 そんな、人生で味わうとは思わなかった斜め下からのショックに現をぬかしていると目的地であるうどん屋さんがやっと見えてきた。

「お、営業中って書いてる」

「よかった。楽しみぃ」

 正直、やっていないのではないかと本気で思っていたので心から嬉しい。

 そして、さらにテンションが上がったのは。

「よし、灰皿も完璧」

「反応すると思ったよ」

 都市化が進む街中の中でひときわ目立つ木造建築の一戸建て。その一階がお店になっており、入り口には暖簾がかかっていて『とこなべ』と店名が書いてある。灰色と間違いそうなほどに色あせた黒い瓦と、ところどころ修復がされている壁が、どこか『さいとうランドリー』ではないのかと見間違えてしまいそうなほどには似ている。更には、店先においてある灰皿までもがそっくりで、色濃い青色のペンキで塗られたお菓子の缶で作られている。昔からあるお店は総じてこうなのか、それともたまたまなのかはわからないが、宮内と私はこういった雰囲気のお店が大好きでたまらない。おかげで、出先などで似ている雰囲気のお店があるとついつい寄ってしまう。この、とこなべも初めはそんなお店の一つだった。

「おじゃましまーす」

 ガラッとお店の入り口を開けると、中にお客さんはおらずテレビから流れているお昼のワイドショーがさみしく鳴り響いていた。

「はい、いらっしゃいませー」

 奥から、よっこいしょ、とゆっくりとではあるがきびきびと割烹着姿のおばあちゃんが出迎えてきてくれた。

「ふたり、大丈夫ですか?」

「どこでも空いてるから好きなところどうぞ」

 宮内と視線で会話して、厨房から一番近いであろうテーブル席に座ることにした。ほかにお客さんがいないのに、わざわざ遠くの席を選ぶ理由もないしテレビの下という事もあって賑やかで丁度いい。

 席に座り、空いている隣席に荷物と羽織っていた上着をかけひと息つく。内装は、最近よく古民家をリフォームして作られたカフェとして昼のワイドショーに特集されていそうな古民家感あふれる最高に心落ち着く空間になっている。そんなに広いわけでもなく畳席を含めれば最大二十名ほどは入れるだろう。その空間に不釣り合いというか不格好といううか、家庭用テレビよりもやや大きいテレビが、天井からつるされている。子供が見たら、それはもう大はしゃぎしてしまうには十分な大きさだ。

「ふぅ、少し歩いただけなのに疲労感やば」

「もう、おばさんって言われても否定できないな」

 同じ歳の宮内に言われると、理由は分かったうえであえて無性にイラついてくる

「僕ちゃんには言われたくないなぁ」

「まだ若いだけマシだよ」

 今度、宮内の家に言ったらまたなにか貰って帰ろう。できるだけ新品で高そうなやつ、と心の中で近い、別に握ってもいない拳を心のうちにとどめておいた。

「相変わらず仲がいいことね」

 お冷とおしぼりを、丸く茶色いおばあちゃんの家にありそうな木目が特徴的なおぼんで運んできてくれたおばあちゃんが、宮内と私の話を聞いて微笑ましいとばかりにはにかんでいる。それに、私たちの事を覚えていてくれたようだ。

「ありがとうございます。覚えてもらえていたんですね」

「そりゃぁね。若い人なんて多くは来たりしませんから」

 おばあちゃんに言われて確かにと思い出す。過去に来た時も、そういえばお客さんはいたものの、宮内と私が最年少だったような気がしなくもない。

 まぁ、きっと普段からも来客としてはご近所の方々だろうし、ここら辺は昔から住んでいる人たちでいっぱいの地域で、新しい人はそんなに馴染めないから住むのは辞めといたほうがいいよって誰かに言われたことがあった。

 周辺の見た目は近代化しているのに中身は時代が進まずに錯誤した結果、比較的都市部なのに過疎化してしまったのかもしれない。

「僕らも、もう三十になりかけですから若くないですよ」

「おばさんからしたら、もうほとんどが若い子だからねぇ」

 目の皴が深くどこか温かく笑った。

「じゃあ、もう僕も彼女もまだまだ若いですね」

 あはは、と冗談交じりに笑いながら話す宮内の表情もいつもに比べてどこか温かい笑顔になっている気がする。見ている私もつられて微笑んでしまいそうだ。

「そうねぇ。孫って言われても違和感ないもの」

 そういえば、おばあちゃんの年齢を聞いたことがなかったけど、確かに見た目的には宮内と私が孫の年なんてこともありえなくもないのか、とついつい納得してしまった。

「だから、孫夫婦が来てくれたみたいで嬉しいのよ」

「喜んでいただけて嬉しいです。ね、貴方」

「僕らでよければいつでも来させていただきます」

 なんてことを話しながらお冷とおしぼりを受け取り、決まったら呼んでね、と言いおばあちゃんは厨房へ戻っていった。

「何にしよっかな」

「前回は、貴方は何食べてたかしら」

「貴方とか呼ぶタイプじゃないだろ、相川は」

「少しは恥ずかしがったりできないの? つまんない」

 夫婦ごっこをして宮内が恥ずかしがる表情を見たかったが、冷静に対処されたし、もはや冷たい視線すら面倒なのかせずにメニューを見ながら流し気味だ。これが本物の夫婦だったら、きっと倦怠期っていう時期なんだろう。すごい嫌だ。

「何回も夫婦に間違われてきたんだし、流石の僕でも慣れてくるって」

 確かにこの二年間でよく二人で出かけては夫婦に間違われ、最初こそは否定していたし宮内はその都度に照れていたりしていたのが、一年ぐらい経ったあたりで慣れはじめ私のいじりも今回のように流して、ツッコミすらしないマンネリ状態と化してしまった。むしろ、嫌がっているのではないかと思うときがある。

「そういえば、カップルとは思われたことないよね」

「言われてみれば確かに。不思議だよな」

 互いに気になり考えるも結局わからずに、二人してメニュー表を見始める。

「メニュー見せてー」

「広げて置く感じでいい?」

「おっけー」

 宮内が見ていたメニュー表をテーブルの上に、袋菓子のパーティー開けのように広げて置き、これとかどうよ、と私に勧めてくる。

「めっちゃ勧めてくるじゃん」

「毎年、冬になると他の店でもよく頼んでるから」

 そう言いながら宮内の指は鍋焼きうどんの上にあった。確かに、冬になると鍋焼きうどんが食べたくなるし、現に頼もうとしていたが、まさか当てられるとは思いもしなかった。

「わかってるじゃん」

「流石に覚えた」

「じゃあ、私も宮内が名に頼むか当てるわ」

「かかってこい」

 当てられない自信があるのだろう、宮内はものすごく自信満々にドヤ顔をしている。まだ、私選んですらいないのに。

「えっとね」

 とりあえず、鍋焼きうどんの載っているページにはないなとざっと見で確認をし、めくりながら見ていると目当てのメニューがありこれだと確信する。

「これでしょ」

 そう言って私が指さしたのは、焦げ目がしっかりとついた餅の乗った彩り優しい力うどんだった。

「なんで、わかった」

「そりゃ、冬になると必ず頼むじゃん。私の鍋焼きうどんと同じで」

「確かに」

 宮内も私と同じで好きなものに飽きがこないタイプだし、気に入ったらとことん食べつくす偏食の傾向がある。そのおかげで、お互いの好き嫌いがはっきりとわかり外食や何か作ったりするときは楽でいい。

 今回もまたその例外に漏れることは一切なく力うどんだった訳で、何故ドヤ顔をできたのかが謎でしかない。

「いつも通りで、なんでドヤ顔できたの」

「騙せるかなって、ほら精神攻撃的な」

 駆引きではなく攻撃なんだなとか思いつつ、宮内の中ではドヤ顔へのとんでもない

信頼があることが分かった。きっと、ポーカーフェイスと同じ類か何かだと思っているのだろう。

「あ、因みに大盛りでしょ」

「はい、いつも通りそれで」

「じゃあ、頼んじゃうね」

「おねがい」

 ダラダラと話しながら、とっくに決まっていたメニューをやっと注文しようとおばあちゃんを呼ぶと、はいはいー、と手書き伝票をもってニコニコと聞きに来てくれた。

「以上でお願いします」

「はい、作ってくるわね」

 伝票に商品名と値段を書きテーブルの上に置くと、厨房へ戻り調理をはじめる。

 オープンキッチンかのように厨房の様子がよく見えるこのテーブル席で、二人しておばあちゃんの手際の良さに関心し、ついつい見入ってしまう。

「相川も手際いいけど、やっぱりおばあちゃんすごいよな」

「比べるのは失礼だよ。おばあちゃんは仕事にしているプロなんだから」

「にしても、年齢を考えればすごいテキパキしてるよな」

「確かにそれはそう」

 つい、自分がおばあちゃんと同じ歳ぐらいになったら、今目の前で見ているおばあちゃんのようにテキパキと動けるかどうか想像してみたら、どうもすべての動きが空回りしているようにしか思い浮かばなかった。

 私は料理が好きで自炊もよくするし、すべてを心得ているわけじゃないけどそれなりにはこなせるつもりだが、あくまでも一般に置いての話で、プロにおいては足の指先ひとつにすら及ばないだろう。しかも、結婚をして家族がいるわけではないので1人分を作るのに手一杯になってしまう。もしこれから家庭を持ち子宝に恵まれたとしたらば、おばあちゃんに花嫁修業を是非ともつけてほしい。

「やっぱりさ、おばあちゃんみたいまでは難しいにしても家庭的な人がよかったりするの?」

「あー、まぁそりゃ、困らないっていうか助かるからな」

「だよねぇ」

 互いにおばあちゃんを見ながら、何とも珍しくしおらしい会話になる。 

 しかし考えてみれば、女の私ですら家庭的な人には憧れるしやっぱりなりたいと思ってしまう時があるのだがら、男の宮内が家庭的な女性が好きなのは当然といえば当然だ。てか、急に何を聞いてしまっているのだろう。つい、ポロッと出てしまった会話だがよく考えなくても、なんか恥ずかしいことを聞いてしまった気がして年甲斐もなく宮内を見ることができない。

 少女漫画だと、ここから恋だの青春だのがはじまるきっかけになるのだが現実はただただひたすらに恥ずかしいだけだ。もちろん、年齢も相まってなのだが。

「そういえばさ」

「なに」

「今ので思い出したんだけど、加藤が結婚するんだってさ」

「へー、おめでたいじゃん」

 なんて会話をきっかけに思い出してくれたのだろうか。宮内は、気にするというか意識する素振りすら感じない。この歳になると、こういった話題に敏感になるか鈍感になるかのどっちかだとは思うが、おそらく宮内と私はその両極端にいるのかもしれない。

「そんで相手がすごい家庭的な人で、この間飲んだ時にずっとデレてるの」

「まぁ、そりゃ惚気るでしょ」

「僕も相手が居たら惚気たりするのかな」

「宮内はしないんじゃない。なんか、無駄にスカしてそう」

 つい笑いながら言ってしまったが、別段ここで嘘をつく必要もないなと思いポロっと出てしまった。なにせ、個人的になのだが宮内が惚気話をする姿など想像すらできないし、していたとしたら私は絶対に鼻の下を伸ばした宮内を肴に日本酒あたりを嗜んでしまうだろう。

「マジかぁ」

「別にいいんじゃない? とか言ってそう」

「恋愛ドラマの男ですら、今時そんなスカさないってのに」

「どんまい」

 チラッと宮内を見てみると、肘をテーブルにつきながら気だるそうに、手の甲で頬をおし顔を支えるようにしていた。私がどれだけ、初心だったのか思い知らされたような気がして、ついため息が出てきてしまった。

「ん、どうしたん?」

 そんな私に気づいてか、不思議そうな様子で宮内は見てくる。

「私って純粋だったんだなって」

「タバコ大好きな奴が、純粋なわけあるか」

「うわー、偏見やば」

 なんともくだらない話をしたせいで、思わず二人して笑ってしまった。他のお客さんはいないが、店内という事もあってもちろん声は抑えた。だがそのせいも相まって、肩の震えが止まらない。何も考えず、ただペラペラと脊髄反射のように会話ができるのはなんて最高で、だらけた幸せなのだろうか。

「だって、食べ終わったら吸うでしょ」

「そりゃもちろん」

「ほら、吸うじゃん」

「純粋だからこそ、吸いたくなるんじゃん」

 食後と寝起きのたばこは個人的に格別においしいと思う。よく言われる飲酒時も十分においしいのだが、個人的には落ち着いたタバコが好きなのだ。

「単純の間違いだろ」

 意地悪く笑いながら言う宮内も、いつも食後にタバコは欠かさない。つまり今のは自分も単純だと言っているようなものなのだが、本人は気づいているのかどうか怪しい。

「宮内も食後に必ず吸うから単純じゃん」

「確かに」

 鳩が豆鉄砲をくらったかのようにわざとらしく驚くその表情は、過去見てきた宮内の表情史上類を見ないウザさがある。デコピンのひとつでもくらわせたいところだが、アラサーの男女が人前でやれるほどデコピンの対象年齢は高くない。学生カップルが人前でやるからこそ、あらあらラブラブね、と言えるのであっていい歳した大人がやるとキツイものがある。

「はい、おまたせー」

 そんなこんなと特に中身のない話をしていれば、おばあちゃんが湯気がゆらゆらと昇るおいしそうなうどんを運んできてくれた。

「こっちが、鍋焼き」

 黒い田舎鍋に、くたくたに味がしみ込んだ野菜とバツ印の切れ込みが入ったシイタケが食欲をそそりにそそってくる。

「で、こっちが力うどん」

 優しくきつね色に焦げ目のついた焼き餅がこれでもかと二個入っており、かまぼこと春菊が添えられている名前通り力強いそのビジュアルは、圧巻されるばかりだ。

「火傷しないようにね」

「ありがとうございます」

「ありがとうございます」

 つい二人の声がかぶると、おばあちゃんは、あらぁ、と微笑みそのまま奥の休憩室へ戻っていった。

「さ、食べよ食べよ」

「おいしそー。後でそっちも少し頂戴」

「いいけど、このシンプルな力うどんから何をとる気だよ」

「なにって、お餅以外ないでしょ」

 宮内が、マジかよ、と言わんばかりの表情で私を見てくる。そんなにお餅が好きだったのだろうか。

「じゃあ、そのシイタケと交換な」

「オッケー」

「いいんだ!?」

 今日の宮内はよく表情がコロコロと変わる。まぁ、いつもそうなのだがどこか違和感を覚える程度には変わるのだ。何かあったのだろうか。

「あ、えっとね」

「なに?」

「私、お餅半分がいい。そんな食べれないし」

「なんだろう。急に罪悪感が」

 急に罪悪感が芽生えた宮内は申し訳なさそうに、シイタケとお餅半分の交換に応じてくれた。

「よし、いただきます」

「ふぅー、いただきます」

 交換を終えたのちに、手を合わせてきちんと挨拶をして食べ始める。こういった当たり前ができない人が最近増えてきて、外食をすると複雑な気持ちになることが多くなった。宮内は、してあたりまえじゃん、感謝しなきゃ。と、言っていて私も、だよね、と深く共感した時があった。ただ、箸の持ち方は汚くはないのだが少し特殊でつい目が行ってしまう時がある。

「うんまっ」

「あったまるぅ」

 しっかりとコシがありつるっと滑らかなきめ細やかいのど越しのうどんに、昔祖母の家で食べていた出前の特別なおうどんのようにどこか懐かしく優しいつゆの味は、体と心全体に沁みわたり全てを癒してくれる。おかげで、自然と笑みがこぼれおちどんどんと橋が進んでいく。

 宮内からシイタケと交換でもらった焼き餅も、程よくつゆに染みて香ばしい焼き目と相まって満足感が足され、あまりのおいしさと温かさにほっぺたが落ちてしまった。

「落ち着くぅ」

「相川はここのうどんが本当に好きだよな」

「もう、私的には日本一だからね」

「わかる」

 まるで娘でも見ているような宮内のほっこりとした笑みに、更に温かみを感じより優しさに包まれていった。

「じゃあ、食べないと。冷めちゃうよ」

「確かに、おいしいうちに食べ終わりたいし」

 私に促されるような形で、宮内もどんどんと食べていく。

 基本的に宮内と私は、焼き肉に筆答する食べ放題やお酒の席以外では食事中にほとんどしゃべらない。今のでさえ珍しく話したなと思うほどだ。

 別に話したくないわけではないし、ワイワイと賑やかな食事ももちろん大好きだ。お酒を飲みながら騒いだり、グダグダ世間話をしながら食べる焼肉などもよく行くし、なんなら宮内とそういう場だったらかなり盛り上がる。ただ、こういった場所では食べる幸せを噛みしめたいのだ。正直、宮内がどう思っているのかはわからないが食事中に、おいしいなどの独り言は言っても私から話しかけることはまずまずない。私の独り言に、合いの手を入れたりして宮内が話しかけてきて話がはじまることがほとんどだ。

 今も笑顔になりながら黙々とまではいかないが、二人でおいしさを噛みしめている。おいしい、うまいよなぁ、ぐらいの掛け合い程度はあるが基本うどんをすする音が、会話のかわりに場を弾ませている。

「ふぅ、もう半分食べちゃった」

「はやって思ったけど、僕もあと少しだ」

 二人して同じタイミングでお冷を飲んでひと休みをする。

 今日はやけにタイミングが宮内と合う気がする。もしかして、合わされているのかと疑ってしまうほどだ。謎の変な予感が、私の女の勘と同行してやってきた気がする。

「どうした? 火傷でもしたか」

「いや、おいしすぎてつい固まってた」

「漫画みたいな表現するじゃん」

 うどんを見つめて考えていたせいで宮内が私のことを心配してくれたのが、すごい申し訳なかった。私、少しだけ宮内を謎によくわからず疑ってる、などと意味不明にも近いことを素直に言えるわけもなくそのままうどんをまた食べ始めた。

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさま」

 そうこうして、冷めきることなく温かいうどんをおいしく食べ終えた。うどんを食べたおかげで体も程よく温まり、食後のたばこも起きなく外の灰皿で吸うことができる。最高の流れ過ぎる。

「あー、温まったぁ」

「今ならコート着なくても余裕かもしれない」

 宮内が大げさに言っているが、言いたくなる気持ちもわかるぐらいには体がポカポカと芯から温まっている。だが、実際にこのまま外に出たら湯冷めの様な感覚で、風邪をひくこと間違いなしだ。

 折角、温まった体を自分から冷やすのはもったいないしタバコに集中できなくなるのは嫌すぎる。

「じゃあ、その格好でタバコ吸うか」

「無理。ごめんって」

 さっきまでの余裕はどこへ行ったのか、宮内は私の知る限りの範疇ではあるが過去一番のはやさで手のひらを返した。

「流石にこの寒さには負ける」

「この冬一番の寒さって言ってたもんね」

 なんとなくつけっぱなしにしてあったテレビに、流れていた今朝のニュースでそういえば上着は必須であるとかなんか言っていた気がする。深夜にはマイナスとからしいし、それは寒いにもほどがある。

「今、四度だって」

 ふと、話しながら今の気温は何度なのだろうかと気になり、スマホで調べてみると十三時現在でどうやら四度らしい。その画面を宮内に見せると、露骨に驚いてみせる。

「その寒さの中、この格好でいったら風邪どころか高熱でるじゃん」

「セーターだし風邪でおさまるかもよ」

「だとしても嫌だよ」

「それはそう」

 ピロートークにも似た食後の会話は心に余裕をもたらしてくれる。終わりの決まっていないだらっとした空気に包まれながら、大人と子供がゆらゆらと揺れているような不安定で中身のない会話をするのが最高に気だるく安心する。そのせいもあってか、ついつい長話になってしまうのが傷すぎてどうしようもない。

「よし、そろそろ行くか」

 そんな長くなってしまう食後の話をいつも丁度良いタイミングで止めてくれるのが宮内なので、有り難い限りでとても助かる。

「じゃあ、お会計してくるわ」

「ゴチになります」

 バッグから財布を取り出し会計用紙をもってレジに行く。そこにはすでにおばあちゃんがニコニコして待って居てくれていた。

「おねがいしまーす」

「はい、ちょっと待ってねぇ」

 おばあちゃんはそう言いながら、私から受け取った会計用紙をカタカタと素早く入力していく。手慣れたその一連の動きは、惚れ惚れしてしまうほどに無駄がなく熟練というものが実際にあるのだと体感する。そのまま流れるようにレジ対応をしてもらい、最後は笑顔で、また待ってるわね、とお見送りをしてくれた。

「いやぁ、やっぱりすごいよね」

「なにが?」

 宮内は一足先に外へ出ており、おばあちゃんのレジ打ち姿を見ていなかった。もったいないにもほどがある。

「おばあちゃんのレジ打ち」

「あー、ここに来るたびに言ってるよね」

「だってもう、すごいんだから」

「毎回、感想が大雑把すぎていまいち伝わってこないんだよな」

 持っていてくれた私の上着やバッグを宮内から受け取り、話しながら着た後に、たばこをコートのポケットから取り出す。

「てか、コートのポケットに入れてしけったりしないの?」

「あー、たばこ? 大丈夫だよ、ほらボックスだし」

「箱への信頼すごいな。確かにソフトだったらポケット以前に何しても味変わるもんな」

「そうそう」

 お互いに、たばこを取り出して火をつけて深く煙を味わう。すると、寒い冬だからこそなのだが白い吐息交じりに煙が灰から吐き出されていく。その、吐息交じりの煙は風と共に流れていきやがて空気と交わり消えていく。

「あぁ、最高」

「たばこはやめられないな」

「私もぉ」

「そういえば、電子たばこにしないの?」

 そう聞かれてそういえばそうだなと思い返してみても、確かになんだかんだ電子たばこを吸っていない。出た当初はあまりの人気で買えなかったし、次に買おうかなと思った時はもう種類がありすぎて面倒になり買わなかった。つまり、タイミングはあったが面倒だし、なんかかるいって聞くし、じゃあ紙巻でいいやって事でずっと変えずにいた。

 聞いてきた宮内も出会った当初は紙巻だけだったが、今では家にいる時は電子たばこを吸っているのをよく見かける。確かに煙も少ないし、ヤニ汚れが少なさそうでアリかもしれないとは思った。

「いいとは思うけど、もうなんかタイミングがね」

「あー、確かにそれはそう」

「後はもう、種類がいつの間にか増えてるじゃん。どれがいいんだか」

「じゃあ、ついでに見に行くか」

 この宮内からの提案は乗っておくべきなのかもしれない。おそらく、今この瞬間を逃したらもう電子たばこには手を出さないままな気がする。

「え、なに? 買ってくれるの」

 ついでに宮内にねだっておこうと、どこから出しているのかわからない甘えた声と、瞬き多めの上目遣いをしてみる。右手に持っているたばこはチャームポイントだ。

「そのキモいのを止めてくれるんだったらいいよ」

「よっし! よっ、男前」

 明らかに何か拒絶する異物を見ているような視線を宮内から感じるが、私に電子たばこを買ってくれる心優しい紳士がそんな目を向けてくることなどあってはならないので気のせいに違いないので、景気づけに背中を叩こうとしたら思いっきりよけられた。

「あっぶな! たばこ持った手でするなよ」

「あー、ごめんごめん」

 宮内からよけられた理由が完全に私の不注意だったので素直に申し訳なかったが、キモいというだけでよけられていなかったことに、ありもしない乙女心は傷つかずにすんだ。

 三十路、未婚、喫煙者の独身人生謳歌している私でさえも、男性に避けられたら一抹のヒロインへ様変わりして、嘘、なんでよっ! とついつい目を潤わせながら言ってしまいそうでならない。きっと効果音がつくのであれば、ドクンッ! などといった始まりを告げるものだろう。

「大丈夫、灰かかってない?」

「機敏な動きで避けたからセーフ」

「機敏って」

「おい、鼻で笑うなよ」

 確かに三十路にしてはかなりの瞬発力で避けていたようには見えたが、鼻高々に機敏と言うには程遠い動きだった。まぁ、宮内の中ではきっと小学生の頃の反復横跳び並みの機敏さ思えたのだろう。三十路でコートを着ている時点で、どんなに若者だろうとかなりのハンデだと思うのだが、今は言わずにあえて鼻で笑っておこう。

「ははっ」

「なんで、二度も鼻で笑った」

「お得かなって」

「半額になってもお得感ゼロだわ」

 そう言いながら、今日一番の煙を吸い、ため息交じりに吐き出している宮内の横顔はたばこのおかげなのかどうしてかどこか微笑んでいるように見えた。もしかして、今まで気づかなかったのだがどっちの癖なのかもしれない。この二年間、確かに関係は続いていたが言葉で攻めることはしていなかった。なるほど、今まで満足できていなかったんだな。今度試してみよう、と申し訳なさと何とも言えない感情で、今度は優しく宮内の肩を二回ほど、ぽんぽんと叩いた。

「なんだその憐みのような表情は」

「いや、ただごめんって」

「今もの凄く嫌な予感がするんだけど」

「私も、もっと早く気付くべきだったよ」

 そう言いながら宮内にたばこを一本、無言で手渡した。それを恐る恐る手に取り、あ、ありがとう、と礼を忘れずに言うあたり本当に根はいいやつなんだよなと思い知る。

「火もつけてあげるよ、豚野郎」

「相川、絶対に何か勝手に勘違いしているだろ」

 流石の私も、ないなぁ、と思い言いながら笑いを我慢していた。

「あと、やるんだったらやり切れよ。笑い堪えてるじゃん」

 漏れ出して表情が緩んでいたのか、即座にばれてしまった。こうなっては続けるのも難しいので、私も落ち着くために二本目を吸うことにした。

 たばこを取り出して、歯でカプセルを潰した瞬間に広がるフレーバーの香りは病みつきになって何回もひたすら潰していたくなる。また小さく響く、カチッ、と聞こえてくる音が体中に響き、これからたばこを吸うぞという合図にもなって癖になる。

「さっきまでのキャラどこ行ったよ」

「煙に巻いて逃げて行った」

「追い出す側じゃなくて、逃げられた側なのね」

 宮内のその言葉に確かにと思い、ついつい煙とともに笑ってしまう。

「確かにおかしいね」

 そして、自然と笑みがこぼれていた。

 そんな私を見て、見たことない表情だったのか、それともまた何かをされると思ったのか、宮内は灰が地面に落ちるのもお構いなく、数秒だったがずっと目線を動かすこともなくこちらを見ていた。いや、違う。この視線は見つめているの方が正しいだろう。

 まさか、私の微笑みが綺麗で見惚れてしまったのか? だとするのであれば、もっと見惚れてほしい箇所がかなりあるのだが、現実はそううまくはいないから嫌になる。

「おい、たばこ勿体ないぞ」

「え、あぁ、ごめん」

「人の顔じろじろ見て、ネギでもついてた?」

「いや………しぃー、わの数、数えてたわ」

 わかってはいるが言い訳だ。だが、その言い訳の理由が丁度、三十歳目前の私にはとてもじゃないがつらいものだった。言い訳だとしても、皴の数をそんなまじまじと数えられたくないし報告も受けたくはない。私だって気にして、最近ちょっとだけ高い化粧品に変えてみたりもしているんだ。

「泣くよ」

「ごめん、ごめん! ほら、手を出して」

 本当に申し訳ないと思ったのか、今度は慌て始めてポケットに入ってあった清涼タブレットを、広げた私の手の平に三粒ほど置いた。なるほど、私の悲しみはタブレット三粒分なのか。

「電子たばこの時、本体にプラスしてスティックも好きなだけ買うから」

「よっ、大将にくいね」

 たばこを無制限となれば、どんな状態の時でもテンションは上がるし、体調は絶好調になる。私にとってこの上ない甘言だ。さすが宮内、私のツボを完全に熟知している。と、いっても結局お試しの時にがっつく私ではないのでそこまで計算していっているのであれば、計算高すぎてもはや孫子を超す策士である。

 そんな事を思いながら、急に訪れた無言の時間に少しばかりの居心地の悪さと安心感を覚えたばこをより一層深く味わい始める。しっかりと吸い込み、灰に馴染ませ堪能させたのちに、ゆっくりと体に絡みつかせるように吐き出す。煙が風向きのせいで私自身に向かって流れてくるおかげで、まるでマフラーのように包まり消えていく。

「これ吸ったら、行こう」

「そうだな」

 ふと、話しながら宮内はどんな顔をしてたばこを吸っているのだろうとなんとなく思い横を見てみる。すると、どこか遠くを見つめるようにそして何か覚悟を決めたような、優しくも哀愁のある見たことのない表情をしていた。

 はじめて見るその表情に不思議だなと当たり前のように思っていると、視線に気づいたのか宮内が私を厄介そうに笑いながら見てくる。

「なんだ、皴の数でも数えていたのか?」

「いやいや、まさか」

「じゃあ、どうしたんだよ」

「ひ、髭の数、数えてた」

 気まずさに目線をそらしながら話していたので、直接見てはいないが宮内はかなり驚いた表情をしていたに違いない。

「剃ったんだけどな。もう生えてきたのか」

 そこまで目立たない青髭を私から言われたことにより、気になってしまったのか顎をずっさすりながら、今じょりっていった? などぶつぶつ言っている。

 因みに宮内は元々が薄いのか、今の段階で髭はおろか青髭すらない。気にしているのは本人だけであり、まさか私の言い訳はここまで本気にするとは考えてもいなく少しかわいそうだ。

「後で、確認しとくか」

「別に気になるほどじゃないしいいんじゃない?」

「はー、相川が言うから気にしたのに。じゃあいいや」

「いいんだ?」

 確かに身近な人に言われると、他人に言われるよりも余計に気になったりはするが、ここまで気前がいいというか、さっぱりしているというか白黒つけられない気がする。

「だって、相川しか見ないだろ」

 あぁ、ずるい。と、心の声が漏れそうになった。さっきまで困っていた顔をしていたのに、今、私の目の前にいる宮内の表情ときたらなんて純粋無垢な笑顔なのだろうか。どんなに意識していない相手だろうと、幸せにあふれた表情というのはつい見惚れてしまう。

「バカじゃないの」

「シンプルな悪口だな。さっきは、豚野郎で今度はバカかよ」

「マイブームなの」

「悪口が? 早く終わるといいな」

 まるで他人事のように言ってのける宮内にイラっときたが、そういえば他人だったなぁと、たばこの最後の煙を吸って思い出した。

 惜しむように、吸って吸い込んで煙を沁み込ませもうあとには戻れぬように後悔と幸せを彩った有害な煙は吐き出すころには、体の中で浄化され純粋無垢な白い息となって、風に乗って空気のどこかへ消えていく。たばこは最後のひと吸いが、少しのエグみも相まって本来の味ともいえる姿にかわると思っている。もちろん、安たばこの等級の低い汚れエグみではない。コーヒーの苦みと酸味にも似た大人な味だ。

 吸殻を灰皿に押し当て、完全に火種を消し水の溜まっている中へとしっかりと落とす。地面に捨てたりマナーを守らずふかしている格好だけのヤニカスたちとは違う。ファッションではなく嗜好品としてしっかりと味わう最低限のマナーだ。

「ふぅ、吸った吸った」

「食った食ったみたいなノリで言うじゃん」

「私のとったら煙は高級食材よ」

 呆れたように笑う宮内には悪いが、禁煙するつもりは一切ない私にとって喫煙は食事と同等なのだ。このまま、煙を沁み込ませ続ける人生を送っていきたい。

「あ、なぁ」

 突然、何かを思い出したかのように話し出す宮内の顔に微笑みはなく、どこか緊張とついさっき見た覚悟を持ったような横顔をしていた。その様子は、表情がコロコロと変わる今日の中でも一番の変化と言えるかもしれない。

「なに?」

「今日の夜さ、告白するわ。相川に」

「………へー」

 焦り、戸惑い、緊張、羞恥、その全部とも違う、嫌に経験をしてきてが故の達観にも似た落ち着きと、ここまで来る途中で時折見せていた真剣な表情と、いつもと微妙に違うノリにさすがの私も、今日のどこかで来るのだろうなとは察していたし、わかっていた。逆に今日こなければ、もう宮内からはこの先ずっとこういった話をすることはおろか雰囲気も作れなくなっていたに違いない。

「予想通りの反応で安心したわ」

「私のことどう見えてるの?」

「大人だなって」

「大人ぶってるだけだよ」

 いつもよりも弾まない会話に、示し合わせたかのように互いが理解するいつも以上にふざけて誤魔化したいのに茶化してはいけないという汗ばんだ空気感が、どこか懐かしさを帯びてほんの少しだけ心が浮足立つ。

「じゃあ、買い物行くか」

「そうだね」

 平静を装っている宮内の表情は、取り繕うという言葉がこれほどまでかと言わんばかりに似合っている。笑顔になり切れない口元の引きつり加減に、少し早くなる喋りは見ている私でさえも緊張が伝わってくる。

 あぁ、慣れないことして頑張っているんだな。なんて、思わず肩の力が抜けてしまう。なんかずるいなと思ってしまった。私も人生で味わうことがそんなにないこの幸せな緊張を一緒に共有したい。

「ねぇ」

「ん?」

 そして、そんな私はバカで意地が悪い。

「楽しみにしているね」

 口元が緩み切りながら微笑みながら言ってみたら効果はてき面のようでそれ以降、その日は目を合わせてくれなくなった。私も私で、精一杯照れさせてやろうとラブコメ漫画などでよく見る、後ろで手を組み前かがみになってみようと思ったのだが、あまりにも恥ずかしく灰皿に手をついて少し気だるい姿勢になってしまった。おかげさまで手が汚くなってしまったので、今すぐにでも洗いたい。折角の空気が私の中でのみ、盛大に台無しだ。

 あぁ、今この瞬間にでも煙になって流れゆくままここを去りたい。

 ずっと笑い話になっていくんだろうな、これ。

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