鬼と道具・参
「道具風情が大事な書物を持つな」
二人の使用人に絡まれた。いつもあの鬼の子の世話をしている鬼だ。二人は、鋭い目付きで、此方を蔑んでいるかのように睨む。
何かしてしまったかと思案していると、鬼の子へ届ける為に持っていた本を奪われた。その後あろう事が、片方の使用人が本を破りだしたのだ。
それから、記憶が途切れ途切れになっている。反抗して本を取り返そうとしたら、殴られ、痛かったと思う。頭を強か打ち、消えそうな意識の中、聞こえたのは男の声。
「邪魔ですから、庭にでも棄てておきなさい。……どうせすぐ死ぬのですから」
冷えた声と言葉が聞こえ、後は何も覚えていない。
…
切の怪我は打撲が殆どで、骨に異常はないとの事だった。僕の火傷も軽傷で済んだ。取り敢えず安心したが、考えないといけない事が山積みだと息を吐く。
僕と切は、切に割り当てられている個室へ移動していた。頭を打った切を考慮した為だ。彼は布団に横になっているものの、「平気だ」と言うので、軽く怒った所、今は大人しく寝ていてくれている。
切の個室には布団以外、文字通り何もなかった。畳の床には、家具や荷物がひとつもない。寂しい部屋だと思いつつ、僕は切に怪我をした経緯を聞いていた。
「……取り敢えず、使用人は解雇させる。家の者がすまなかった」
足を正して、彼に頭を下げる。困ったように眉を下げる切は「もう大丈夫だから」と僕を制した。
「そんな事より」
「そんな事……」
「來嘉の家は、使用人が侍る程裕福なんだな」
「嗚呼……そうだな。僕はこの鬼の町の領主候補だから」
「來嘉は凄い人だったんだな……」
まじまじと見つめる切の顔色はいい。その事に安堵していると、切の減らず口は続いた。
「まだ小さいのに」
「な……、小さくて悪かったな。だが鬼神は人間より長寿だから、僕は切よりずっと年上だ」
むきになった僕を切は目を細めて見ている。視線を殆ど移すことなく、切は口を開いた。
「……首元の傷はどうした?」
温かい温度の声に問われる。僕は首元の、顎の辺りから縦に走る裂傷痕に、軽く触れた。その傷はもう痛みはなく、ただやけに肌が引き攣る感覚が残っている。
「これは初めて付いた火傷の痕だ。僕は僕に殺されそうになった」
神力という言葉すら理解しきれない齢だった。暴走した日に、初めて感じた熱さ。それに形容のできない程に恐ろしい痛みや、死が近づいた感覚。この炎に焼かれた僕は、
そこで思考を止める。静かに聞いていた切の額に、掌をそっと置いた。彼の頭が枕に沈むのを確認すると、僕は言う。
「今日は、もう休もう」
「もっと訊きたい事がある」
「それは明日だ」
「本当か?」
「本当ッ」
切を寝かしつけ、僕は個室を出る。昔の話をするのも、自分の事を語るのも初めての経験だ。明日の予定を確かめるのも、誰かを寝台に寝かせるのも。
僕は自室に戻る為に歩きながら、明日すべき事に考えを巡らせた。
…
次の早朝、使用人達を呼び集めた。と言っても、僕のいる屋敷に使用人は二人しかいない。つまり、切に暴力を奮ったのはこの二人になる。切はこの場にはいない。呼ぶ理由も持たなかった。
僕は昨日の切の件を、その二人に話した。堅い姿勢で話を聞いていた二人は、徐々に項垂れ始める。
「……この話は真実か?」
低い声で僕は訊ねた。使用人二人は恐る恐る、互いに顔を合わせてから頷く。僕は脳の底から込み上げる怒りを感じながら、冷静を努めた。その様子を見た二人は、慌てたように弁明する。
「私達は命令されていたのです!」
「……だろうな」
溜息が出る。それなりに長く仕えていた二人だった。
それが、この様か。
多少悲しみを感じながら、僕は言い捨てた。
「お前達はこれをもって解雇処分とする。その前にひとつ訊ねる。お前達にこの件を命じた鬼神は誰だ?」
…
その後、起床した切と共に朝餉を作って食した。 切の身体の調子を伺うと「少し痛むが大丈夫」と返ってくる。怪我した足を庇うように歩くから、暫くは遠出をしない方がいいだろう。そう思案して歩く僕の後ろを、切は着いてくる。まるで懐いた野良猫のようだ。照れくさい気持ちになりながらも、僕は振り返らずに言葉を紡ぐ。
「僕は少し出掛けるだけだから、お前は来なくて良いぞ」
「心配だから一緒に行く」
「その怪我で来られても困る……」
「いつ神力が暴走するか判らない……ほら」
不意に手を掴まれた。そうすると、無意識の内に舞っていた火の粉が散っていく。思わず立ち止まり切を見ると、彼は少しだけ目を細めた。
「肌が触れ合えば神力が移せる。だから、俺は君の傍にいないといけない」
「……せ」
「随分と仲が宜しいようですね」
冷淡な声が鳴る。僕は反射的に手を引っ込めると、驚いて声のした方を見た。僕と切が立った横は玄関になっている。そこに一人の長身の鬼神が立っていた。黒で統一した和装、黒く長い前髪からのぞく、どこまでも昏く黒い目は細い。そして髪の間から、一本の同じく黒い角が生えていた。その鬼神はにこりと微笑し、こちらに声をかけた。
「お邪魔致します、來嘉さん」
「何の用だ、波墨」
波墨と呼ばれた男の目が歪む。さっと切が來嘉の後ろに隠れたが、余裕がない為、対応出来ない。
「貴方の祖父上に呼ばれたので、ついでに様子を見に来てあげたのですよ。性懲りもなく、また道具を買い与えられたのですね」
「お前には関係ないだろう。それとも、昨日切に暴力を奮った事と、なにか関係でも?」
「おや、もうお判りでしたか」
関心したように腕を組む黒い鬼神、波墨は、冷たい平坦な声で続ける。
「貴方はどうせすぐに道具を殺すのだから、道具を持たなくていいと私は思いますよ。ああ、でもそれは」
貴方が今年中に死ぬという事に繋がるのでしたっけ。
僕は眉を顰めて押し黙った。切は何も言わない。その沈黙を眺め、波量は満足したのか、にっこりと微笑んだ。
…
用事は済んだ、と波墨は屋敷から去った。なんなんだったんだ。と僕は溜め息を吐く。僕と切が居るのは、僕の自室だった。本を借りてきたのだが、読む気になれず、机に放ってしまった。形容の出来ない雰囲気の沈黙。切は僕の左隣の椅子に座り、静かにしている。だから、僕は恐る恐る口を開いた。
「……すまなかった」
「? 何故謝まるんだ」
「突然だったし、怖かっただろう? 波墨と会うとは思っていなかった」
「そんな事はない」
切がこちらを見付めている。それに気付きながらも、目を合わす事に抵抗があり、そのまま話を続ける。
「……。波墨は、僕と同じ領主候補なんだ。強力な神力も扱うし、頭も良い。道具も持たずに自己統制も出来ている。凄い人で……ふさわしい人だ」
何がとは言わなかった。自分で言った事なのに、己を落ち込ませたようだ。自虐的になりそうな僕の、膝に置いていた手に、切の手が重なる。舞う火の粉が消えるが、礼を言える状態ではない。
「來嘉は何故死ぬんだ」
切が無感動な声で訊く、聞き慣れてきた声だ。安心するような声だ。だから、僕はゆっくりと目を閉じた。内容を整理する為に、ひと息吐く。
「……余命宣告をされている。僕は、今年この炎に焼かれ、死ぬそうだ」
「…そんな事か」
「そ……ッ、え……、そんな事?」
「俺がいるだろう」
怒る隙さえ与えずに、至極当然のように切が言い切り、僕は狼狽えた。思わず切を見やると、綺麗な双眼と目が合う。穢れも不吉さも感じないその赤に、泣きつきたい衝動にかけられる。切は変わらない。中心ににしっかりとした芯が、そのぶれない心がある。説明をしきれない何かが。
「俺を他の人と一緒にするな。俺は君に焼かれない。俺に後悔はない。だから、君も後悔をするな、來嘉」
軽い音と共に、頭に切の手が乗る。子供のように撫でられ、照れながらも大人しくする。僕は少しむくれながら、少しだけ笑った。
「少し、落ち着いた」
「ん」
「これから、対処する事が沢山あるな……」
僕は頭に乗ったままの切の手を、優しくどける。そして放置していた本を手に取った。調べる事があった。本の表紙を捲ると、黒い何かが机に落ちた。黒い折紙で出来た折り鶴のようだ。何か妙な気配を感じる。まるで神力のような。
「これは……?」
気付いた時には遅かった。落ちた折り鶴を切が摘み上げる。
「ッ!? 待て!」
切が目を見開き僕を見る。刹那、折り鶴が動いた。まるで剥がれるように紙が捲れていき、黒い正方形の紙に戻る。次にその紙が燃えだした。そのまま大きく広がり、切がその炎に飲み込まれていく。
「切ッ!!」
切に向かって手を伸ばし、炎に手を突っ込む。焼かれる手は何も掴まない。
炎は中心に収縮し、消えた。切の姿は何処にもない。火の粉が宙に吹き出る。手から滑り落ちた本の端が焦げていく。
「 …………切」
声が漏れても返答はない。空を掴んだ手もそのままに、思考が歪に止まった。
切が僕の前から、消えた。
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