鬼と道具・弐
辺り一面が燃えている。
人間の焼ける様は、音は、匂いは、形容ができない程、凄惨なものだった。僕が神力を抑えきれずに焼け死んだ道具……人間は、もう二桁を超えている。その理不尽な死に絶望し、激怒し、恨んだ者の焦げた手が、僕の首に、肩に這う。
いつか、其方に向かう。この齢で僕も僕に殺される。だから。
「……待って」
「待たない」
悪寒が走り、僕は飛び起きた。夢を見ていたようだ。少し動揺しながら、呼吸を整える。すると、水の入った湯呑みが目前に現れた。
「水がある、飲めるか」
「ああ、助かる」
「それとこれは着替え」
「ああ」
「髪も梳くから着たら来い」
「ああ……て、誰だ!?」
あまりに自然だった為、流されていた。視線を上げると、寝台の横で着々と着変えの和服を僕に渡していたのは、切だった。
切は少しだけ顔を顰めると、呆れたように口を開いた。
「昨日の今日で忘れたか」
「…、そういう問題ではない。何故お前が僕の部屋にいる」
「君の祖父君に仰せつかった」
淡々と切は言う。僕は呆気にとられ、口を閉ざす。
随分と人間らしい。敬語で話さない人間など、初めて目の当たりにする。僕はバツが悪くなった。今日は神力の調子が悪い。身体から熱を吐き捨てるように、火の粉が舞う。それに気付いた切が手を伸ばした、それを僕は反射的に払う。
「……」
「僕に触れるな.。それと、僕の部屋から、出ていって欲しい」
最後の方は消え入るような声になってしまった。ちらりと切を伺うと、赤い瞳と目が合う。少し見開かれたその赤に、僕は申し訳なくなる。すると、頭に小さな衝撃が走る。どうやら切に指で小突かれたようだ。
「!?」
は、と見ると、切は空になった湯呑みを片付けをしていた。彼はその次に小さくため息を吐き、部屋の出入口に向かう。そして此方を振り返りながら、言葉を紡いだ。
「後は己でやるようだ。だからひとつ伝言を」
「伝言……?」
「朝餉の時間はもう過ぎている」
「!?」
それを早く言え。
そう叫びそうになっている僕を他所に、切は部屋から出ていく。扉が閉まる前にりん、と切の黒の長髪を飾る鈴の音が鳴った。僕は慌てて身支度をし、急いで食事へと向かう。そこには使用人しかおらず、彼の姿もなかった。
その日から、切は僕に付いて回るようになった。鬼と道具の関係としては当たり前の光景かもしれないが、僕はそれを嫌がった。
「反抗期か、鬼の子」
まるで子供に接するかのように、切は声をかける。元に僕は子供ではある、背丈も切の方が高い。彼の行動はちょっとした悪戯なのか、それとも素なのか、どちらかは判らない。ただ、距離感が近過ぎて、恐怖を抱く。
今日も切は僕の元に現れた。鬼の町にあるこじんまりとした図書館の前で鉢合わせをする。切は何を考えているのか判らない無表情で、いつものように声をかけた。
「探し物か、鬼の子」
「…お前には関係ない、あまり近付かないでくれ」
「火の粉が怖いのか」
突然理由を当てられ、僕は唇を噛んで押し黙る。そんな僕の視線の高さに合わせ屈んだ切は、静かな声で言った。
「俺は君の火に焼かれない」
「……嘘は要らない」
「そう言ってくれるな。なんなら火傷があるか、確めてくれてもいい」
「わ……判ったッ、だからあまり近付くなッ」
袖を捲り、腕を露わにした切に、僕は手を前に出して遮る。気持ちを落ち着かせ、僕はひとつ提案をした。
「なら……今から言う題名の本を借りて来てくれないか。使用人を忘れてしまった……僕が触れると本が燃える」
嘘を混ぜながらだか、殆ど真実の科白を言うと、切は素直にこくりと頷いた。それを見てほっとする。
「借りてきたら、僕の部屋に置いておいてくれ。僕はこれで」
切の横を足早に通っていく、あの人間はだいぶ変わった者だ。それに、服から見える腕は白く、痩せこけていた。以前道具として来た人間は、屈強であったりと、やたら丈夫で健康そうな者が多かった。神力を移す器として、相応しいと言うべきか、そんな人間ばかりだった。だから切に神力を移す事を、僕は拒絶していた。あんな人間は、すぐ壊れるだろうから。
周りに舞う火の粉を払う。そうしながら、次の用事を済ます為、目的地へと向かった。
…
用事を済ませて自室に戻ったのは、夕方頃だった。烏の声で賑わう空は、暗くなってきている。僕は未だに来ない本と切を待ち、机の席に座って退屈していた。探しに行くか、だが、それですれ違いになるのも不安で、結局この時間まで待っていたのだ。
夕餉の時間も近いともやもや考えていると、扉が軽く叩かれる音がした。切だろうか。僕は文句のひとつでも言おうと言葉を探しながら、扉を開く。
「おい、いつまで待たせ……」
開いた扉の隙間から、本を抱えた切が滑り込んできた。腕の中の本はぼろぼろになっている。しかも切の衣服や髪は乱れ、片足を引き摺っているようだ。突然の量い情報に、脳が静かになるような錯覚をする。
「ああ……すまないな、鬼の子。本を破いてしまってな……」
よろけ、床に座り込みながら、切はいつもと変わらない無感動な声で説明する。俯く切の姿を見ながら、僕は立ち尽くしていた。
「派手に転けてしまった。本は、どうにか弁償を」
「 ……足はどうした?」
想像以上に低い声が出た。切の肩が小さく跳ねる。怖がらせている、という事を脳で処理しきれない。沸々と熱い気持ちが溢れてくる。
「転んだ時に捻ったようだ。それより」
「鈴はどうした?」
「それは……いつの間にか失くしてしまった。だが、片方は見つけてある。後で髪につける、から」
切が僕を見上げる。その表情は暗く、澄んでいた赤い瞳には影が差している。誰に対する怒りかも判らないまま、僕は叫んでいた。
「誰にやられた!?」
「鬼の子、俺は道具だ。このくらいの扱いは至極当然、」
「ふざけるのも大概にしろッ!!」
その瞬間、僕の足元から炎が吹き上がった。感情に影響され、神力を放出させてしまったらしい。自室は石造りだが、このままでは切を焼いてしまう。
熱い。肌を炎が焼く。痛い。それでも僕は切に叫ぶ。
「早くここを出ていってくれ! そして誰かひとを呼べ!」
混乱している事もあり、神力の制御が上手くいかない。痛い。また火傷が増える。否、このまま死ぬかもしれない。
すると、腕を引かれた。予想していなかった為、前に倒れ込む。誰かが…切が受け止めて抱きしめている。
「ッ!駄目だッ! 僕に触れるな!」
「……静かにしろ、大丈夫だから」
暴れようとしたが腕の力が強く、離れる事ができない。そのまま背中を撫でられる。薄く硬い胸の中で、切の心音が聞こえてくる。酷く落ち着いた鼓動を聞いていると、頭が冴え始めた。
暫くすると、神力もなりを潜めた。そうして呆然としていると、炎は消え去る。
「……言っただろう、俺は君に焼かれないと」
身体を離し、切は言う。僕の頬に触れたり、続いて身体を触れられ、僕はばっと切から離れた。そこで僕はは、と我に返る。火の粉が舞っていない。驚いて空中を眺めていると、切は淡々と、いつもの調子で続けた。
「大きな怪我はしてなさそうだな」
安心したように、切は目を細めた。相変わらずの無表情だが、その声は暖かい。動揺で動けないまま、僕は切を見る。
「お前は……僕の神力を移したのか?」
「そうだな」
「身体に異変は? 苦しかったりしないか?」
「……妙に優しい鬼の子だな」
先程まで怒っていたのに。と、何故か感心しているかのような切に、僕は戸惑いを隠せない。
「そ、それはお前が……」
「本を駄目にしてしまったのは申し訳ない」
「そうではないっ、お前が心配なんだ、僕は!」
思わず本音を叫び、僕はむくれると、切は目を見開いた。彼は少しにぶい所がある。
「本はいい。それより大事なのはお前だ」
「……道具に気を遣うのか」
「そもそも……、僕は人間を道具と呼ぶのも、扱うのも嫌いだ」
「そうなのか」
不思議そうに此方を見つめてくる、いつもとは違いころころと表情を変える切に、なんだか僕の方が恥ずかしくなっている気がする。僕は気を取り直し、彼の元へ寄り、破れた本等視界にすら入れずに、そっと、切の痩せた腕に触れた。
「医者を呼ぼう、それと神力の負荷を調べて……」
くっ、と小さく笑う声が鳴る。何かと切の方を見ると、切が柔和に此方を見つめている。その表情がとても美くしくて、僕は言葉を失った。
「案ずるな、鬼の子。俺は他の人程柔ではない」
あまりにも自慢気に言う為、僕もつられて笑う。笑ったのはどのくらい前だっただろうか。ただ、ひとつまだ納得していない事がある。
「鬼の子はやめろ。僕には来嘉という名前がある」
「そんなに拗ねるな。……らいか」
胸が高鳴る。この気持ちは何だろうか。ただ名を呼ばれただけだ。それがこんなにも嬉しい。僕は切を見つめ返す。赤い瞳、とても澄んだ綺麗な赤に、僕が映る。切に命を救われた。
だから、今度は僕が切を守る。
「……切。これからは僕と共にいろ」
「言われなくともそうするが……來募、また火が舞っている」
「え」
手を振って神力を得る切を見て、それがとても暖かくて、僕はまた笑っていた。
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