焔、散る。
あはの のちまき
一章
鬼と道具・壱
「來嘉様」
「……」
…また壊してしまった。
月が黄金に光る日だった。僕は散るように舞う小さな赤い火を眺める。直後、すぐに火の粉から距離を取るべく、使用人が僕の身体を支えるように手をのばし、倒すように肩を引いた。その反動で足から崩れた僕は、目の前に横たわる人間の亡骸に目を移す。
人間の焼死体。それは元の形を維持出来ない程に焼かれ、焦げ朽ちていた。
「また壊してしまわれたか」
「道具の出来が悪かったのかもしれぬ」
「これもまた來嘉様のお力が強すぎる故の…」
じりじりと肌が痛む。焼けた自身の指を、布で包まれ氷を当てられながら、僕がずっと昔から抱き、確信していた事を呟いた。
「人間は脆い」
これは、僕があの時、この己の神力に焼かれて死ぬと宣告されたのを知った日の記憶だった。
それから数十年が経つ。
遂に、自分に殺されると余宣された年になった。
…
鬼神には神力がある。それはある時は海を裂き、ある時は雷を呼び、辺りに落とす程の力があると語り継がれていた。
稀代の鬼神の子孫である來嘉、僕の神力は大きく強過ぎた。
自身の体を傷付ける程に。
僕の神力は、自身の器の許容量を越え、溢れた力は火の粉に姿を変えて舞う。更に神力を使うとなれば、同時に己の肉を焼いた。僕の身体には、命に別状はないものの、火傷が絶えない。このままでは、神力の所為で死すらありうる。
しかし、この状態の対策は存在した。祖父も父もこの対策を利用したと言う。
それは道具を用いる事だった、神力を一時的に保管出来る道具がある。だのに、その道具は僕の神力を溜めておくには容量が小さすぎる。
僕は道具を使っては壊しを繰り返しながら、今まで生き永らえてきた。その道具も湧いて出てくるようなものではない。
道具は人間の事を指しているからだ。
鬼神と人間は歪な協定を結び、日々を共存している関係にある。
それも表面上の話だったが。
…
鬼神の町は石造建築が多い。木造にすると焼け崩れてしまうからだと、僕は使用人から聞いていた。この町では火を信仰している。鬼神の扱う神力も、火を司るものが多い。それ故だという。
僕に対する皮肉のようだと、石の廊下を進みながら、一つ息を吐いた。未だに引き攣る肌、ピリピリとした痛みを残す火傷だらけの身体。それは全て火によるものだ。それも自身の。
僕は自身の神力の制御が出来ない。力が強大過ぎるからと、周りの者は口を揃える。道具も…人間も許容を越え、すぐに焼いてしまう。
頭を小さく振る。巡らせていた愚考を頭から追い出し、前に向き直った。そろそろ目的地が見えてくる頃だ。朝餉にはまだ早いが、手伝いくらい出来るだろう。そう思い足を運んでいたのだ。
歩みを止め、目の前の扉を聞く。室内は大きな机と六つの椅子等、必要最低限の物しか置いていない。向かって左の壁沿いにもうひとつ扉があり、僕は迷わずその扉を開いた。そこは調理部屋に繋がっている。
「おはよう、何か手伝える事はないか?」
「…坊っちゃん!?」
使用人二人が僕を見た途端、大声を上げた。大袈裟だなと考えながら、中に入ろうとする。
「坊っちゃんの手を煩わす事はありませんっ」
「さ、彼処で待っていて下さ…ひっ」
火の粉が舞った、それは僕の器から漏れ出す神力によるものだ。それが使用人に触れたようだった。僕もはっとする。
すると、後ろから手を引かれた。その反動で、調理部屋から出る形になる。手を引いた者が、扉を静かに閉め、その者を確認しようと見上げ、僕は息を飲んだ。
赤い瞳と目が合う。どこまでも澄み渡った赤が、こちらを見つめている。長い黒髪、整った顔立ちは、まるで本で見た人形のようだ。
何故ここに居るのか、この者は何者なのか、混乱している僕の衣服を正し、手を差し伸べられる。呆気にとられたままその手を取ると、立ち上がらせてくれた。
その者の手に、火の粉が触れた。素早く身を離す。彼は焼けた己の手を眺めている。火傷をしたようだ。
「あ……」
「坊っちゃん、ご無事ですか!」
僕が言葉を選ぶより早く、後ろの扉が開くと共に声が鳴る。先程の使用人のものだ。すると、彼は静かにその場から離れるように、この部屋から出て行った。小さく鈴の音が鳴る。彼の髪にはやはり、臙脂の髪紐に金の鈴が施してあった。
呆けている僕を案ずる使用人。その使用人に、僕は訊ねた。
「あの者は?」
「……あれは新しい道具でございます」
どうぐ、と唇だけを動かす。やはりと思っていたが、彼の人間離れした雰囲気に、気圧されていた。僕は彼が去った後ろ姿が、そして、僕の神力で傷つけてしまった事が忘れられなかった。
…
人間には特殊な潜在能力があった。それは妖力や神力等、様々な力を器に収め、保管できる、というものだ。その人間を用いれば、どんなに強大な力でも、溜め込むことが出来た。
そんな人間を鬼神は道具と呼び、人攫いをするようになった。当然困った人間達は、定期的に選んだ人間を鬼神に与え、攫う事のないよう約束を交わした。
そうして無事鬼神と人間は、不安定な和平を築く。
不安定ながらも契約した鬼神と人間の約束を、破った者は未だいない。
…
数日が経った。祖父上に呼ばれた僕は、座敷で対面している。
広い座敷だ。奥に正座する祖父上と、そこに控える三人の使用人、その離れた所に、僕はひとりで同じく正座をして待機していた。座敷は余り好きな場所とは言えない。いつ自分の火の粉が移るかと考えると気が気ではなくなるからだ。そんな事を考えていると、祖父上が口を開いた。
「來嘉」
「はい」
「お前の新しい道具が来た」
「……」
簡単に頷けない科白に、思わず沈黙する。それを知ってか知らずか、祖父上は続けた。
「今回の道具は丈夫と聞く」
祖父の空虚な瞳と目が合った気がした。僕は臆せず返答する。
「ですが、僕の神力は異常です」
「判っている」
「何度もすぐ壊してしまう。だから……」
道具など、人間なんて要らない。
そう発言する前に、祖父が包み込むような声で言った。
「來嘉、お前も父と母のように逝ってしまうのか」
僕は黙る事しか出来なかった。祖父上の息子とその妻、僕の父上と母上は、もうこの世にいない、二人共焼死してしまったからだ。
僕の神力で。
「足掻いてくれ、來嘉。諦めてしまえば、誰も浮かばれぬ」
祖父上は優しい。失うのが怖いと、こんな僕にも励ましの言葉をくれる、もう生など諦めている僕に、生きて欲しいと。
だから僕は応える為に肯定した。すると、使用人が小さな盃を運んでくる。盃の中には、赤い液体が揺れている。僕は不快感をなるだけ表さないよう押し殺し、小さく息を吐いた。これは人間の血液だ、僕の神力を押し付ける道具に成り代わった者の。同時に、この人間の元には僕の血液が同じように運ばれている筈だった。同室にいないのは、僕の血液を飲んで直ぐさま発火した、という事例がある為だ。
神力を移す為に、互いの血を交えれば第二の世界が繋がる、と言われているらしい。
「準備が整いました」
僕に盃を渡した使用人が言うと、祖父上が応えるように僕と視線を合わせ、ゆっくりと頷いた。盃を持つ手が震える。それを掻き消すように一度目を閉じて、僕は血をあおいだ。
鉄味の液体が喉に通る嫌な感覚。それを終えた後も、特に何の変化もない。盃が使用人の手に渡ると、静かな声で祖父上は言った。
「……顔を合わせてきなさい」
「……はい、失礼致します」
おそるおそる返答をし、一人の使用人と共に座敷を後にする。使用人の案内の元、座敷から近い庭を通り過ぎ、草木を分ける。そうすると、石造の小さな倉庫にたどり着いた。
ここに道具がありますと、そう説明するとそそくさと引っ込む使用人を一瞥し、僕は倉庫の扉に手をかける。開いた先に、ひとりの人間が正座で待機していた。
白を中心にした和装に身を包んだ、成人したかどうかの齢に見える青年だった。絹のように細い長髪は黒く、それに映える臙脂の髪紐には、道具の証とも言える金の鈴が飾られている。細く痩せた身体に整った顔立ちは、まるで女性のようで、その切れ長気味の瞳と目が合う。
その瞳は、酷く澄んだ赤色をしていた。
「お前は…」
「お初にお目にかかります、來嘉様」
無感動な声が、人間から発せられる。直っ直ぐ見つめ合ったまま、彼は淡々と言った。
「切と申します、これからどうぞ、宜しくお願い致します」
数日前の記憶がちらつく。二度目の対面となった僕と切は、これから生活を共にする事となった。
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