第32話 帰着

 雨はすっかり上がっている。

 夜明けとともに来た救急隊員によって、淳実は風見付き添いのもと搬送された。風見も一応の検査をおこなうためである。

 岩手県警もまた、明け方すぎに多くの人間を従えて来訪。すでに容疑者確保の報は聞いたらしく、鑑識課による現場検証を中心におこなうとのことだった。原田は夜通し起きていたようで、見張りの来巻や一ノ瀬のふたりは一晩中気を張り詰めたらしい。森谷のところへ挨拶に来た三人は一様にひどい顔であった。

 森谷さん、と腕を広げた来巻は目の下に濃い隈を作っている。

「ほんとうにお世話になりました」

「いやいや──こちらこそ。来巻さんたちが来てくれはってどんだけ荷が下りたことか。原田さん、大丈夫ッスかね?」

「精神鑑定は入るじゃろうなァ。いろいろ考慮されるとはおもいますよ、そのためにいま少し春江さんたちにはお話聞く必要もあるでしょうが」

「まあ、なるようになるか」

「お疲れでしょう。残り少ない休暇になっちまったですが、ゆっくり休んでください」

 と、一ノ瀬も無精髭を撫でながらわらった。

 こうして相良家で起きた凄惨な殺人事件は、雨が止んだ翌日の朝をもって幕を下ろしたのである。


 出立の時。

 浅利父子を筆頭に、外部から来た者たちは荷物をまとめて準備を終えたが、春江と冬陽はいましばらく残ると言った。睦実家族も今後のことについて話し合うべくいますこし残る、とも。

 見送りに外へ出た春江は深く頭を下げた。

「ほんとうにありがとうございました。いろいろとお世話になりまして」

「残らはるんですか」

「いましばらく。警察のみなさんへの協力が必要でしょうし、諸々、片付けねばならないこともありますから。あの孔も──お骨の回収はもう少しあとになりそうです」

「このおうちは?」

 博臣が屋敷を振りあおいだ。

 つられて春江も見上げる。

「これから弟たちとも相談しますが、たぶんなくすと思います。住む者もいないし──あまりにも、悲しい歴史が多すぎて」

「それがよいでしょうな」

 と、住職は顔をもどしてにっこりわらった。

 ここから先の山道は、山に慣れた唐木田巡査部長が案内してくれるという。彼はすでに下山用意を済ませて、葬儀社の井佐原とともにすこし離れた場所で待機している。春江はそちらへ一瞥を向けてから、住職に向き直り、ふたたび頭を下げた。

 住職が春江の肩に手を置く。

「うちの寺で待っています。お骨を、納骨せにゃなりませんからね」

「はい。かならず。必ずお骨を持って、お訪ねします」

「冬陽さん!」

 住職の横から、神那が冬陽のもとへと駆け寄る。

「道場で待っていますから!」

「か──神那さん」

「またいっしょに。約束ですよ」

「……ええ。かならず行きます」

 冬陽は泣きそうな顔でわらった。

 浅利父子や藤宮姉弟が続々と唐木田のもとへ歩き出す。そのあとに続いて歩き出した森谷と総一郎。三歩ほど進んで再度振り返る。縁側から顔を覗かせて手を振る影がひとつ、ふたつ──。

 ──睦月と心咲か。

 と、森谷が総一郎の肩を小突き、指をさす。従兄はうれしそうに「さよなら」と手を上げて大きく振った。森谷もまたそれにつられて手をあげる。そのとき、気がついた。

 みっつ、よっつ、いつつ、むっつ──。縁側から覗く影が、どんどん増えている。いずれもちいさなちいさな影ばかり。しかし総一郎には視えていないのか睦月と心咲にむかって二言、三言、声をかけている。

 森谷は幾度か目をこすり、影を凝視する。

 すると一花がおもむろに腕を絡めてきた。彼女はうれしそうに影たちにむかって大きく手を振っている。

「おいイッカ──」

「アッハ……みんな、良かったねエ」

「みんな? な、なにが?」

「ナニって、見えてんでしょ。あの子達。わらってんじゃん」

「や、やっぱりいてるんか。わらし様たち……」

「さよオならーッ」

 と。

 いう一花のおおきな挨拶に満足したのか──影たちはすう、と一斉に消えていった。いまだ信じられぬ光景に目を白黒させる森谷だが、やがて一花に腕を引っ張られたことで我に返る。一花はそのまま、総一郎と森谷の腕をひっぱって駆け出した。無邪気にわらう。上機嫌らしい。

 いまいちど振り返る。

 縁側からは睦月と心咲が、門前には春江と冬陽が。彼らはいずれも雨上がりの空の下、キラキラと美しく映った。

 

 ※

 東京駅に降り立った一同は、みな一様に疲れた顔をしていた。いや──一花だけは引き続いて上機嫌だったが。

 新幹線のなかでは蓄積した疲労を解消するため惰眠をむさぼった。おかげか、後頭部あたりの脳みそはすっきりしている。とはいえ三十も半ばを過ぎたからだは昨日の救出劇のおかげでいまさらふくらはぎから下が重だるい。

 足を引きずるように歩く森谷のとなりで、総一郎が大きく欠伸をした。

「きのうは大変な一日だったねえ。シゲはいつまで休みなの?」

「今日までですけど何か?」

「わあ。それは、ご愁傷様」

「ええのうフリー業は!」

「クサクサするなよ。また酒でもおごってやるから」

 といって、総一郎は背後で笑い合う恭太郎と一花に近づいて行った。

 従兄のうしろ姿をじとりとねめつけてから、公僕である身を恨めしくおもう森谷の肩がたたかれる。

 振り返ると、神那が物欲しげにこちらを見つめていた。

「ああ、散々な休暇になってもうて──お仕事保育士さんですよね?」

「え、ええ。一応ゴールデンウィークいっぱいはお休みいただけるんです。あの、森谷さんには言いにくいですけれど……」

「いやいや。所詮は公僕の身ですから。明日からまたシャキシャキ働かせてもらいます」

「ほんとうに──お疲れさまでした。昨夜の森谷さんとっても心強くて。休暇中なのに警察のお仕事しっかりとしてくださって、ありがとうございました」

「や、はははは。心に沁みますな、藤宮さんにそう言っていただけると」

「神那」

「は?」

「…………」

 恥ずかしそうにうつむく神那から緊張が伝わる。

 なぜか自分のからだも強張った。

「ふ、藤宮は兄妹が多くて──苗字だとややこしいですから。その。どうぞ、神那と」

「ああ。あー、五人兄弟でいらっしゃいますもんねェ。ほんなら、うん」

「…………」

「神那さん、に。そう言っていただけると」

「──はい!」

 神那はパッと頬を染めてわらった。

 妙なことになった──と森谷が無精ひげの生えた顎をさすったところで、先頭を歩く浅利博臣が振り向いた。

「それじゃあ私たちはこれで」

「あ、ハイ。ホンマにお疲れさんでした」

「森谷さん」

「はい?」

 博臣は熱っぽい瞳を森谷に向けた。

 彼の息子もよくする目つきだ。やはり親子だな、と場違いにおもった。

「今後とも息子共々、どうぞよろしくお願いします」

「ああ。そらもうこちらから願い出ることですわ。また近いうち、おたくの息子さん食べ放題に誘いますから。な、まークン」

「つぎは焼肉でお願いします」

「ええけど、来る前に牛丼二人前くらい食うてきてくれへん?」

「べつに奢れって言ってるわけじゃないですよ。大学の図書館でバイトする予定ですから」

「そら安心や」

 森谷はこのダブルスコアも間近な少年を前に、ホッと肩を撫でおろした。

 それからまもなく、将臣は博臣とともにタクシー乗り場へと向かった。一花と恭太郎もともに行くものかとおもったが、彼らは藤宮家の執事が迎えにくるという。

「じいやが来るのさ。僕らはそれに乗って帰るけど──シゲさんたちはどうする?」

「神那さんも乗るの? それなら僕らも──」

「いやいや。人数オーバーやろうし、オレらは遠慮するわ。な! 総一郎」

「…………分かったよ」

「ほな、気ィつけてな。恭クンもイッカも、ふじ──神那さんも」

「おふたりも、ゆっくりお休みください」

 といって神那は淑やかにお辞儀をした。

 去り際、森谷の腕が引っ張られた。なにかとおもえば恭太郎である。彼はそのあまりに端正な顔をぎゅっとゆがめて森谷の顔に近づけた。

「な、なんや」

「……僕は応援するよ」

「あ?」

「シゲさんなら、あのもやし男よりは、まだ容認できる」

「なんの話や」

「別に! じゃあね──ああそうだ。

 ふいと恭太郎がうしろの総一郎へ声をかけた。

 彼はびくりと肩を揺らす。恭太郎に声をかけられることに慣れていないらしい。

「浅利の和尚から、去り際の伝言」

「え?」


「元気そうでよかった。またいつでもいらっしゃい──とさ」


 恭太郎のことばに、森谷はぽかんと口を開けた。

 こちらのリアクションも聞かぬうちに、恭太郎は姉と一花を連れてさっさと出口の方へと歩いていってしまった。残された森谷と総一郎は、しばしその場に立ち尽くす。

 たしかに互いに存在を知っているような会話をしていたが、まさか本当に。

 森谷は従兄を見上げた。

「ホンマに知り合いやったんか」

「いや──…………うん」

 僕らの恩人だ、といって、総一郎は寂しそうにわらう。

「ごめんシゲ。僕、寄るところができた」

「なんやねん。どこ?」

「本家だよ。いっしょに行く?」

「…………遠慮する」

「言うとおもった。それじゃあここで」

「ああ。──総一郎」

「うん?」

「いや。あー、おまえプロット、どうするか決まったん?」

「ああそうだな、いっそ──幻想小説にでもしてみるかな。薙刀使いと神仏妖怪がタッグを組む、勧善懲悪物語とか」

「おまえの担当編集者さん、大変そうやなぁ」

「うるさい。それじゃあね。シゲも帰り気を付けて」

 総一郎はタクシー乗り場の方へと立ち去った。

 ひとり残され、おもむろに周囲を見回す。連休初めらしい駅の雑踏が耳奥にこびりつく。

 とくに用事もない。迎えに来る者も、ない。

 森谷はすこし考えたのち、携帯を取り出して発信操作をする。なんだか無性に、不愛想な同僚の声が聞きたくなった。

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