第33話 童子守の懺悔
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新緑青々と茂る木々をバックに、旧江戸城桜田門は今日も口をおおきく開けて警視庁を見つめている。
警視庁本部庁舎六階の窓からその口を見つめ返すは、森谷茂樹。
つい昨日東京へ帰着したとおもったらその翌日には本当に出勤なのだから参ってしまう。救いなのは、自身が担当刑事として動いた事件が先日解決し、報告書作成も休暇前に終わらせていたことだろうか。
自販機でコーヒーを買ったところで肩を抱かれた。
「つくづく災難だな、オメーは」
沢井龍之介。おなじ捜査一課の同僚である。
厚ぼったい一重瞼の切れ長な瞳と、出会ってから一度も変わったところを見たことがないスポーツ刈りの頭、百八十を超える強いガタイはよく目立つ。森谷にとっては総一郎以外で心底から信頼できる唯一無二の仲間である。とはいってもプライベートでの交流はとくにない。が、ひと月のうち二十数日も長い時間をともにすれば、もはやそんなものも必要ないくらいには、心を通い合わせることができる。
森谷はハァ、と沢井の肩を抱き返した。
「ホンマやで。きのうは長々と愚痴電話すまんかったな、もうホンマに鬱憤溜まっとってん」
「もうオメー休暇取るのやめろよ。まただれか死んじまうぜ」
「縁起でもないこと言わんな! オレかて好きで遭遇しとんちゃうねん。ていうかオレのせいちゃうし。アイツら三人組のせいやし」
「まあ、無事解決したんならよかったけどよ」
といって、沢井は森谷から身を離すと自販機に向き直った。
彼の指がボタンの上をさまよう。
彼が甘党なのを知る森谷は、勝手にいちごオレを押した。沢井はちいさく舌打ちをしたものの、身をかがめて取り出すと躊躇なくストローをぶっ刺して飲んだ。
「それで結局、容疑者はしっかり自供したのか」
「うーん。朝に来巻さんから電話もろて、一応の顛末は聞いたんやけどな──」
森谷は口をへの字に曲げる。
ここからは来巻から聞いた話だ。
署に連行後、原田はあらためて犯行を自供したという。しかし、なおも主張しつづけたのは“わらし様”のこと。彼は最後まで、“わらし様”という存在を尊ぶ発言と、奥座敷への立入を拒む旨の供述を繰り返したそうだ。
真実を知る今となってはその意味も分かる。
“わらし様”とは、相良家にとっての家族であり、尊ぶべきご先祖たちなのだから。相良家ではない原田がなぜそこまでわらし様に肩入れするのか、本当のところは分からない。しかし春江の話を聞くかぎりは、彼はきっとミチ子に対して特別な感情を持っていたのかもしれない。
いずれにせよ、あの夜に相良の忌むべき歴史は幕を閉じたのだ。
それから淳実。彼は検査のため数日間の入院をすることとなったそうである。しばらくは錯乱状態であったものの、一日経った今朝はひどく落ち着いたようすで、笑みすら見せたという。
そしてあの夜に取り乱した理由をたった一言、
「わらし様がこわかった」
と言ったそうな。
あの夜、彼は一花のひと言で取り乱し、相良の家を飛び出した。わらし様の存在を否定する発言を繰り返したことで原田の逆鱗に触れ、崖下へと突き落とされた。しかしそこに明確な殺意があったとはおもえない。森谷が実際に覗いた崖は、下の地面までそれほどの高さはなかったからだ。本気で殺害するつもりならば一度殴打なり怪我を負わせてからするはずである。
来巻にその疑問を提示すると、彼は不可解な声色で言った。
「淳実さんには見えていたことに気づいたから」
と。
「見えていたんだろうな」
沢井の声で我に返る。
彼は飲み干したいちごオレの容器を乱暴にゴミ箱へと突っ込んだ。
「イッカが言ったんだろ、そいつのとこに“わらしさんがいる”って」
「ああ──」
「なら、きっとそいつ──淳実さんか。淳実さんにも見えていたんだろうよ。だからそんだけ怖がって錯乱状態にまで陥った。原田はそれを察したんだろう」
「龍クンは思考が柔軟すぎるねん」
「バーカ。当事者じゃねえから好き勝手言えんだよ。俺が担当の事件だったらこうはいかねえ」
「ハハ……来巻さんとか県警の方々には同情するわ」
言いながら森谷もコーヒー缶をゴミ箱に捨てた。
互いに肩を並べて捜査一課のオフィスに戻る。中には見慣れた顔ぶれが揃っている。彼らは一様にむずかしい顔をしてホワイトボードに文字を書き込んだり、パソコンとにらめっこしたり──。いつもの光景だ。
「あ、森谷さん」
部下の三國貴峰巡査部長がパッと顔をあげる。
その右手にはひらりと付箋が一枚、握られていた。
「遠野署の一ノ瀬さんから電話ありましたぜ」
「え? なんて」
「さっきお伝えし忘れましたって、伝言でさァ。容疑者の起訴日と担当弁護士の情報──律儀な人っスねィ」
「ホンマやな。べつにわざわざオレに言う必要ないやろうに」
「本庁の警部補って響きが偉そうだからじゃねッスか」
と言いながら、三國はメモを適当に寄越してふたたびパソコンとにらめっこする体勢にもどった。薄黄色の付箋紙には殴り書きで、直近の日付とひとりの名前が書いてある。
「
「ずいぶんな人がつきましたね、やっぱり名士の家絡みだからでしょうか?」
と、三國のとなりのデスクで遅めの昼食をとる部下の三橋綾乃。沢井とよく組む辣腕女刑事である。
知っとんか、と森谷はデスクに腰を下ろした。
「有名ですよ。新星財閥御三家のお抱え弁護士って」
「は?」
「知りませんか。ここいら界隈じゃけっこう有名なんですよ。有栖川の、敏腕弁護士って……」
三橋の何気ないことばを聞いた森谷は、しずかに自身の顔を撫でおろした。
※
拝啓
晴天が続く盛夏のみぎり、浅利様におかれましては、ご健勝で暑さを乗り切っていらっしゃることと存じます。
覚えていらっしゃいますでしょうか。わたくし陸奥にてお世話になりました相良ミチ子と申します。ずいぶんとご無沙汰致しましたこと心よりお詫び申し上げます。あの日も酷く暑い夏の日のことで御座いましたね。
老体軋む今日この頃、いつ旅立つもおかしくはない齢となりまして、近ごろ寿臣さんのことをようく思い出すもので筆を執りました。あの日、寿臣さんに「その時が来たらば頼ってください」と温かい言葉を賜り、そのひと言だけを心の支えに今日まで生きてまいりました。
わたくしはもうじき隠れ人となりますゆえ、その先の相良を何卒宜しくお願いしたく。娘の春江と孫の冬陽に、すべてを背負わせることはこの胸が痛んでなりません。どうぞ、相良の忌むべき過去をお救いくださいますこと、また、孔に放られた数々の魄を宝泉寺様へお鎮めくださいますこと、何卒よしなにお願い申し上げます。
(中略)
冬陽の罪は、わたくしの罪、ひいては相良の罪で御座います。
まだ十にも満たぬ幼子が祖母を守るため妹を手にかけたなど、これほど残酷な事実がありますものか、わたくしは毎晩あの日を夢に見ます。すでに事切れた陽菜の遺体を隠すため、さらに孔を深く掘った。その拍子に多くの骨を傷つけてしまいました。(中略)どうぞ、冬陽には祖母ミチ子がとどめをさしたとご説明くださいますよう。
愚かな最後の童子守が出来ることは、もはやあの子を庇護することだけとなってしまいました。もっと早くに終わらせるべきだった。
何卒、何卒よしなにお願い申し上げます。
(後略)
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