第13話 赤い子ども

 葬儀の席には、おもったよりも多い人間が集まった。

 まずは喪主の春江とその娘、冬陽。相良の親戚として春江の弟・睦実とその妻、息子。もうひとりの弟・淳実は独り身とのこと。あとは春江の妹・宏美とその娘、相良家は総勢八名となった。追加でいうともうひとり、この家に住み込み使用人として勤めているという原田幸三もいる。

 森谷たちがこの家に来た当初、姿が見えなかった彼だが、話を聞くに睦実の息子と宏美の娘と三人で山のなかの散策に付き合っていたらしい。子どもたちは高校生くらいの年齢だが、ふたりとも林業に携わる仕事に興味があるそうで、山にくわしい原田が山林について教えたのだとか。

 さらには外部から藤宮の神那と恭太郎、古賀一花、夏目九重と森谷茂樹、そして導師と役僧をつとめる浅利父子──。

 立会人は葬儀会社の井佐原隆夫。こうして、二十畳もの広さの部屋に十七名もの人間が寄り集まり、粛々と式がはじまった。


 森谷の仕事柄、多くの葬式会場に赴いたことはある。

 このような自宅式での葬儀も、稀ではあるがないこともない。いずれも事件の被害者であったり警察関係者であったり。逆に親戚筋の葬式には一度も顔を出したことがないような気もする。

 彼らからすれば“茂樹”というのは、つねに家に対しては反抗的で、扱いづらい存在であろうとおもう。それは“茂樹”だけでなく総一郎もおなじだろう。自分と彼はむかしから、なにかと本家に逆らう子どもだった。

 ──焼香のやり方なんぞ、大人になるまで知らんかったな。

 なんて思いにふける。

 博臣の読経は、テノールの声質がいい塩梅に眠気をさそう。将臣が奏でる木魚の音もそれを助長させた。ただでさえ知らない人間の葬儀である。畏まる気持ちはあるものの感慨もなにもない。

 総一郎も同じのようで、時折白目をむいている。

 対する神那は、伸びる背筋をびくとも動かさずに瞳を伏せて読経を聞く。冬陽も、春江も、なんならこれまでさんざん文句を言っていた相良の親戚たちでさえ、読経が進むにつれて思い出を振り返るかのようにおだやかな、それでいて悲し気な表情へと移り変わる。おそらくもっとも長い時間をともに過ごしたであろう使用人の原田なぞは、すんすんと鼻をすすっていた。

 最後に一花と恭太郎を見た。

「…………」

「…………」

 ふたりには今日も何かが、視えて、聞こえているらしい。

 恭太郎は冬陽へと視線を向けている。その顔は怒っているような、いや、すこし憐れんでいるような──複雑な表情である。おもえばこの屋敷に入ってから、彼はなにかと冬陽をうかがうような目を向けていた。いったいなにが聞こえているのやら。

 さて、一花を見る。

 彼女は──襖の方へ目を向けていた。

 なんの気なしに、つられてそちらを見た。

「!」

 赤い。

 わずかにひらいた襖の隙間にひらりと見えた赤いもの。

 ──洋服?

 何か、が。

 いまたしかに、何かがそこにいた。

 あわてて一花へ目をもどす。彼女はすでに視線を祭壇へと戻している。

「…………」

 森谷の手のひらはじっとりと汗に濡れた。


 ※

 通夜のない葬儀だけの式ゆえ、このあとは献盃の席が開かれた。

 ここではみなすっかり元通りである。

 故人が老衰による旅立ちであっただけに、その顔に悲壮感を浮かべる者はない。ただ喪主の春江だけは、式から変わらず強ばった表情を崩さなかったが。

 しかし博臣に酒を注ぐ際は、

「ほんとうに、この度はありがとうございました。母もさぞ喜んでいるとおもいます」

 とわずかに頬をほころばせた。

 博臣は上品に猪口へ口をつけてから、にっこりわらう。

「なに、陸奥の相良さんには世話になったと聞いていました。そのご恩返しがすこしでも出来たならば良かったです」

「いったい先代ご住職は、相良のおうちとどのようなご縁があったのですか?」

 と、神那が小首をかしげた。

 おもえばこの場に会した各家の代表者たちであるが、各々どのような縁の元に集まったのか、いまだに聞いてはいなかった。博臣は懐に手を突っ込むと、くたびれた茶封筒を取り出した。

 曰く、直近最後にもらったミチ子から先代に宛てた文だとか。

「ミチ子さんと先代は、一時期文通されていたようだ。そもそもの出会いは──たしか、先代が脱水症状にて苦しんでいたところを救っていただいたとか。当主だったミチ子さんにえらく世話を焼いてもらって助かったのだと。まあ、お写真を見るに、ミチ子さんはお年を召されてもうつくしい方だったようだから。美人に目がない先代は、末代までのご恩と心に決めておったのだろう」

 ハハハ、と上品にわらう和尚。

 しかしここで、意外にも恭太郎が声をあげた。

「そもそもなんだって東京の坊主が、こんな辺鄙なとこで脱水症状になってるンだ。まさか美人をさがしに三千里とかしていたわけじゃないよな? だとしたらとんでもなくしょうもないぞ」

 しょうもないというか、馬鹿である。

 すると意外にも将臣がそれに同調した。その瞳はここ数日のなかで一番輝いている。

「その理由まではぼくも聞いておりません、お師僧」

「あの先代が自由人だったのはおまえも知っておろう。むかしからふらりと家を出ては数ヶ月戻らぬお人だ。おかげで副住職の身としては、ずいぶん迷惑したがね」

「自由人でも、理由なく行動する方ではなかったと記憶しています。もしかすると我が宝泉寺は、陸奥の地になにか縁でもあるのですか」

「そうなぁ」

 とはぐらかして師僧はふたたび猪口に口をつける。

 対する弟子はつとめて冷静なようでいて、よく見ればギリリと奥歯を噛み締めている。あの将臣にしては非常にめずらしい表情である。表面上は理想的な師弟関係である彼ら父子にも、何かしらの確執があるのだろうか。

 ──などと、そんなこといまの森谷には関係ない。

 思い出したように、となりに座る一花の肩に手を置き、ガクガクと揺らした。

「おいイッカ。イッカ!」

「んン?」

 こちらの気も知らないで、彼女は呑気に蒸し海老を喰らっている。ペッと殻を吐き出してから、ゆっくり森谷の方へと顔を向けた。

「どしたのオ」

「おまえ、イッカ──葬儀中になんか見たか?」

「エ?」

 つづいて茶碗蒸しに伸びた手が止まる。

 いつになく緊張した面持ちの森谷を見て、アッハ、と彼女らしい、気の抜けるような笑い声をあげてからうなずいた。

「写真のおばあちゃんを見たよ、天井のとこ」

「し、写真のおばあちゃん? あ、自分のお葬式見に来たんか──ってちゃうねん。いやそれもそうなんやろうけど。その、襖にさ」

「ふすま。ああうん、女の子」

 いたね、と眠そうに微笑む一花。

 やっぱりや、と森谷は興奮したように拳を握った。

「赤、赤い服着とらんかった?」

「アッハ。シゲさんも見たのオ、そうそう赤い、赤……あエ、赤い服なんて着てた?」

「え、ちゃうかったか。なにせオレも一瞬のことやったもんで、あんましちゃんとは見てへんのやけど」

「そういえば、そうだったかな。……」

 と言うと、一花はふたたび食べることに集中する。奥歯にものが挟まったような言い回しである。その真意を問うべく、再度話しかけようとした矢先であった。一連の会話を聞いていたのだろう、森谷の反対隣に座る総一郎が、ぐっと身を寄せてきた。

「なんか見たの?」

「いや、分からん。見間違いかと思ったんやけど」

「見間違い?」

「──子どもや」

「子ども? まさか、座敷わらし!」

 思いのほか大きな声だった。

 別の卓に座っていた相良家親戚たちの耳にも届いたらしい。途端に、睦実や宏美の顔が不機嫌にゆがむ。森谷はあわてて総一郎の背中を叩いた。

「アホ、声がでかい」

「ごめん──でもなんでシゲが見えるんだ? 座敷わらしって、心がきれいな人にしか見れないんじゃないの」

「どういう意味やコラ」


「わらし様」


 と。

 唐突に響いた声は冬陽だった。

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