第14話 大荒れ

 これまで、蚊の鳴くような声しか出さなかった彼女が、場を静めるまでの声量をあげたことにおどろいた。

 わらし様が、と冬陽はつづけた。

「祖母にお別れを言いに、奥座敷から出ていらしたのかもしれません。祖母とわらし様はそれこそ──数十年のお付き合いだったのですから」

「バカバカしい」

 ガチャン、と音がした。

 宏美である。持っていた箸を卓に叩きつけたらしい。

「冬陽さア、まじで言ってんの? わらし様とかなんとか。アタシたち姉弟がずっとこの家住んでいたけど、そんなの見たことないよ。母さんもずっと『奥座敷にわらし様がいるから』とか言ってアタシたちを遠ざけていたけど、じつはわらし様なんかじゃなくて、金銀財宝でも隠してたんじゃない⁉」

「先ほど夏目先生がおっしゃったとおり、わらし様は心の綺麗な方にしか見えないものです。宏美叔母様がわらし様をお見かけするには、条件未満なのでは?」

「はア? …………」

 一瞬にして険悪である。

 ──なだめるか。

 しかしフォローに入るには、自分はあまりにも部外者がすぎる──と実感する。両隣の一花と総一郎は、なんら気にせず飯のつづきを堪能しているのだから、よい性格である。

 喪主の春江ががたりと立ち上がった。

「もうやめましょう。童子守のことについては、祖母からご住職へ相談するようにと言伝てを預かっています。申し訳ございませんが──和尚様、のちほどお時間をいただけますか」

「承りました」

 博臣は普段どおりの笑みを浮かべて、快諾した。

「また姉弟はのけ者? 姉さん、それでお金がめる気じゃないでしょうね!」

「いい加減になさい、宏美! お金、お金って──母が亡くなって言うことがそれしかないの? みっともない。冬陽の言うとおりよ、あなたにわらし様が見えるわけもないわ」

「アタシがわるいの? だったら兄さんたちは一度だって見えたことがあるワケ? ねえ、聞いてんの!?」

 宏美が激昂した。

 その対象は、卓の隅でひっそりと飯を食む淳実であった。彼は肩を揺らして神経質そうな目をギョロリと動かした。

「もうやめろよ──みっともない」

「みっともないってどの口が言ってんだよッ。職もろくに続かねえくせに! 見たことあんのかねえのかって聞いてんだろッ」

「な、──ないよっ。俺は……あるわけない────そんな。存在しないよ、そんなの……」

「はっきり言えよゴミがよ。じゃあ睦実兄さんは? あんの? ないよねえ!」

「…………」

 地獄である。

 もはや食事も味がしない。あれで一児の母だというが、肝心の娘は他人のふりと言わんばかりに、隣に座る自身の従兄のとなりで意に介さず飯を食らいつづける。使用人の原田も、葬儀社の井佐原も、まるで拷問でも受けているかのように歯をくいしばって、この嵐が過ぎ去るのを待つ。

 神那や恭太郎はどんな顔をしているのか──。気になれども、森谷の心には身じろぎできる余裕もない。空気は極限まで張り詰めていた。

「…………」

 バン、と。

 とうとう睦実は卓を蹴って立ち上がった。

「うるさいッ。そんなに言うならいま奥座敷に行って覗いてみりゃあいいッ。金銀財宝が置いてあったらおまえが持って帰ればいいだろう! 献盃の席で口汚いことをぐちぐちと──身内の恥め、その口を塞げ!」

「あんだとコラァ! ああいいよ。奥座敷だろ。わらし様なんざいないってことアタシが証明してやる。そしたら童子守の役目もなくなって、遺産は均等だよ。文句は言いっこなしだからね!」

 と、言うや宏美は鼻息荒く席を立ち、部屋を飛び出していった。その瞬間、春江の目の色が変わる。

「いけません、宏美! 奥座敷は開けちゃいけないッ」

「お母さんッ」

 春江と冬陽があとにつづく。

 もはや、森谷の心情は一般参列者から警察官に変わっていた。なぜって、この世の中の事件でもっとも多い殺人関係性は身内同士なのである。このまま骨肉の争いを放っておけばろくなことにならないのは目に見えている。岩手県警が出動する事態になる前になんとかせねば──。

「だァもう──」

 と、森谷はあわてて立ち上がりあとを追った。

 気付けば神那もともにいた。冬陽が心配になったのだろう。──ということは、そのうしろには当然の顔で神那狂もとい恭太郎と総一郎がついてきているわけで、となると一花も野次馬でついてくるわけで。奥座敷にたどり着く頃には大所帯になっていた。


 物々しい空間である。

 襖の上桟に接する鴨居には紙垂しでが下がり、ともに赤い紐がかかっている。紐の両端部には御札が貼られて何者の侵入をも許さぬようだった。


 襖は半分ほど開いていた。


「いい加減になさいッ」

 どうやらすでに宏美が部屋のなかへ侵入したようで、春江は物凄い剣幕で襖のなかへ怒鳴り散らす。冬陽は自身の母の腰元を掴んでなだめていた。

「ここは童子守のみが入ることをゆるされた部屋です。あなたにその資格はありません!」

「バッカじゃねーの! 童子守なんてむかしに母さんが勝手に始めたことだろ。オラオラ、わらし様ってのはどこにいんのよ。どこ隠してんだ。金は? あんだろ!」

 と、宏美は部屋のなかからさけぶ。

 森谷を先頭に駆けつけた一行は、奥座敷のなかを覗くに覗けないでいる。座敷わらしの存在については正直、森谷のなかでは半信半疑にとどまるものの、奥座敷入口にただようこの装飾と雰囲気をおもえば、気軽に覗けるものでもない。

 うしろでは神那もおなじ葛藤を抱いているのか、そわそわと身体を揺らしたままうごかない。総一郎や一花、恭太郎も一歩離れたところで立ち止まっている。

 ──しかし打開せんことにはどうしようもない。

 森谷は意を決した。

 襖のところで立ちふさがる春江のうしろから、ひょいと首を伸ばして中を見る。電気はなく、いっさいの光源をもゆるさぬ真っ暗な空間のなか、ぼんやりと浮かぶのは宏美である。ぽつぽつと見えるのは洋服箪笥だろうか。部屋の奥、床の間部分になにかが置かれているが暗くてよく見えない。

 一見すると、変哲のない座敷にすぎなかった。

 春江は、

「この恥知らず──そんなに遺産がほしけりゃ、うちがもらう分ぜんぶアンタにくれてやるよ。それなら文句ないだろう!」

 と肩を怒らせ吐き捨てた。

 部屋のなかの宏美は聞いているのか否か、しばし箪笥等を物色していたが、やがて金目のものがないと分かると、盛大に舌打ちをして入口へと戻ってきた。春江がいきおいよく妹の腕をひっつかみ、外へ放り出す。宏美ははげしい音を立てて廊下にころがった。互いににらみ合う。姉妹のあいだに飛び交う火花。上体を起こした宏美の腕がふるりとふるえた。

 瞬間、森谷がパンと手を叩く。


「警察です!」


 心持ちは、喧嘩仲裁の交番職員である。

 警察官という仮面を心につけるだけで、こうも勇気が出るのだからふしぎなものだ。おまけに休暇中ながら肌身離さず持っていた警察手帳が役に立った。さっと取り出すと、いまにも春江へ飛び掛からんとする宏美の動きが止まる。

「暴力はいけまへん。今宵はご母堂様のお葬式でっしゃろがい。ご母堂様のマブダチであるわらし様がほら、座敷のなかから見てますよ」

「…………」

「金になるようなもんありました? なかったんでしょ。ほんならもう諦めたがよろしい。それにアンタの物言いは聞いててよくない。度が過ぎると脅迫罪にもなりかねんレベルや。とにかくいったんここは落ち着いてください」

 真剣に訴えてみる。

 “警察”という威光を振りかざせば、どれほど傍若無人な振る舞いをしてもゆるされる──と、世間の皆さまは警察官を侮蔑しているかもしれない。が、じつにその通りである。警察官は“警察”という立場を最大限利用してでも、目的を遂行させる生き物だ。“警察”に楯突こうものなら公務執行妨害で即逮捕。便利な肩書きである。

 しかし、権威を主張したいわけではない。警察官──少なくともいまの森谷の目的はあくまで、ここにいる人間全員が怪我なく、この場をおさめることにあるのだ。

 春江は、こちらの心意気を理解したらしい。

 ゆっくりと奥座敷の襖を閉めて、深く息を吐く。

「わらし様へ謝罪しなくては。……凶事が起きるかもしれない」

「えっ。き、凶事?」

「わらし様のお部屋にずかずかと踏み込んだんです、怒ってしまわれても当然だわ。冬陽、あなた童子守として、わらし様へ謝罪できる?」

「わ、たし──私は」

 冬陽は身体をふるわせた。

 言わずともわかる。自信がないのだろう。

 廊下にころがる宏美は、先ほどまでの勢いはどこへやら。閉じられた奥座敷の襖をじっと見つめている。その表情は乱れた髪に隠れてよく見えない。

 一瞬の沈黙。

 ぎし、と音がした。


「ならばそのお役目、拙僧が承ろう」


 いつの間に来ていたか。

 うっそりとほくそ笑む、浅利博臣がそこにいた。

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