第12話 最終チェック
「なんや、まークンとこうして話すのも久しぶりな気ィするわ。お父さんの前やとぜんっぜん喋らへんのやもん」
「ええ。──なるべく父の言葉は一言一句、聞き漏らすまいとしていますから」
「へえ、尊敬しとんねやな」
「…………それもありますけど」
彼にしては珍しくあいまいな言い方である。
そうか、と森谷はつぶやいた。
「親が尊敬できるとええなあ」
「森谷さんのところはちがうんですか?」
「──オレ、親ガチャってことば死ぬほど嫌いやねん。なにが親ガチャや。じぶんがうまくいかんこと、全部親のせいにしとるだけやないかって思うねん。でも──自分のなかに葛藤が生まれるたびに、多少なり『家のせいで』なんて言い訳をつけたくなる気持ちが分かるくらいには、あんま仲良うないねん」
「……神仏からすれば預かり知らぬことです。良し悪しなんて、ぜんぶ人間が決めているんだから。毒親のもとに生まれたことが、瞬間的に見れば悪いことでも、振り返って見たときに『あの親の元に生まれたから、反骨精神で頑張って、結果的にこんな良い人生になった』と胸を張れることもある。それはもちろん、腐らずに頑張れた人間にのみ訪れる瞬間でしょうけれど」
「まークンは──真理やのう」
森谷の声が沈む。
ダメですね、と将臣は苦笑した。
「おれはいつも正論が過ぎるみたいで」
「ホンマや。大半の人間が反発するわ」
「父に叱られるんです。人間は強くない。正論ばかりを説いたところで、人の心に届かなければ意味がない──。開祖の意志を継ぎ、教えを人々に伝うるはずの僧侶がこれでは、その役目を果たしているとは言えない、と」
この聡明な子どもが叱られるか、と森谷は内心で呻いた。しかし博臣の言い分ももっともだともおもった。大人になればなおさら、正論から目を背けてしまう瞬間もやってくる。人は弱いから。正しさは時に弱き者すらも挫いてしまう。
さっきも叱られました、と将臣はうつむいた。
「正論が正しいとおもっているうちは、まだ子どもだと。……人が、感情なんか捨てて、すべてロジカルな生き方をすればきっとおれの説く世界になるんでしょうね。でもそんなのは、AIの世界だ」
「…………」
「人は不完全だから、この世に在るのかもしれません」
声は珍しく沈んでいた。
落ち込んでいる──のかもしれない。どのような会話からそんな指摘を受けたのかは分からないが、大尊敬する父に叱られたのだから。どれほど弁が立ったところで所詮は二十歳も満たぬ子どもである。森谷は時折、この堅物少年が眩しくなる。きっと彼はこれまでも、この先も、正しくない道を行くことはないのだろうから。
葬儀を執り行う部屋にたどり着いた。
中には葬儀社の人間らしきスーツ姿の小柄な親爺のすがたがあった。今宵の式の最終チェックらしい。
失礼します、と将臣が控えめに声をかけた。途端、親爺がパッとこちらに目を向ける。その目にわずかだが驚愕の念が宿った。袈裟を着ていることから、これほど年若な彼が導師を務めるのかとでもおもったのだろう。その逡巡を読み取ったかのごとく、将臣は丁寧に辞儀をした。
「此度の式では役僧を務めます。
「どうも、東京がらわざわざいらして」
と、葬儀社の男は懐から名刺を取り出した。
井佐原隆夫。見事に禿げ上がった頭をつるりと撫でて、人の好さそうな笑みを浮かべている。
「ここはだいぶ山を登りますがら、お疲れでしょう」
「いえ、僧職は意外と体力勝負なものですから平気です。それにぼくの祖父が相良家にお世話になったそうで──御恩返しの意味も込めて、今宵は精いっぱいの読経をさせていただきます」
「はあ、お若ェのにりっぱな坊さんだハァ。相良さんはねェ。あんまりほかの方と交流するってことは多くなかったみてえですが、こちらの使用人の方がとっても親身になってお世話なすってたそうでねえ」
「使用人? いてるんですか。っちゅうかそもそもまだ春江さんと冬陽さんくらいしか、ちゃんとした挨拶してへんな。ひとつひとつ部屋めぐるか」
「あのねえ森谷さん。こちらとしては、故人に引導をお渡しできればそれでよいのです。参列者全員の身元を知りたがるのは職業病ですよ」
「それもそうか。おもえば、葬式参列に来たんやったな」
「そうですよ。事件の聞き込みじゃないんだから」
と、呆れたようにつぶやきながら、将臣がせっせと読経の場をととのえる。
井佐原がおどろいたように森谷の顔を覗き込んできた。
「警察の方ですか」
「ハハハ。いまは、ただの参列者ですわ。──それより井佐原さん? 相良さんとはお付き合いがおありやったんですか。ずいぶん親しげな物言いやったから」
「こんな田舎じゃ、だいたいが顔見知りなものですよ。こむにてぃっていうんですか。狭いでしょう。やはははは!」
──コミュニティ、ね。
森谷は内心でツッコんだ。いや、ツッコむところはそこだけではない。葬儀場で声を立ててわらう葬儀屋がいるものか。周囲に遺族がいなくてよかった、とちいさくため息をつく。
荷物を運び終えてしまえばすっかり手伝いも何もなく、あとは将臣の動きをぼんやりと観察するにとどまる。何の気なしに祭壇を見る。白い布にくるまれた骨箱が、すでに故人が荼毘に付されたことを物語っている。となりには白木位牌と遺影がひとつ。齢八十を超えた老女とはおもえぬ眼光と威厳に、森谷は知らず背筋が伸びた。
「ミチ子さん、ええ顔しとるでしょう」
井佐原が汗をぬぐいながら言った。
「え? ええ。えらい強そうでんな」
「ええ、ええ。ご先祖が築き上げたおうちの格っちゅうんですかね。そんなもんをたったひとり、守りつづけたお方ですわい。農地改革やらなんやらでずいぶん領地はぶんどられたそうですけんどもね、やっぱり座敷わらしさんのおかげかね。戦後も変わらず裕福じゃったですよう」
「座敷わらし。……」
本当のところ。
森谷はいまだ半信半疑ではある。世の中に人ならざるものが在ることは、これまでも一花や恭太郎を見てきたなかで少しは信じるようになった。が、座敷わらしというのはいったいなんなのだろう。博臣が語った座敷わらしの実態は、けっきょくのところ人間のエゴと苦境時代の産物にすぎなかった。
神か、妖怪か、はたまた人間か──。
「井佐原さんは座敷わらしなんぞ、見たことあるんですか?」
「いんやァ。儂はどうにも、縁がねえんだかなんだかで、見たことはなかですよ。いるんじゃろうとはおもいますがね」
「はあ。ボクからしたら、どうもお伽噺の世界やと思うてしまいますわ。ハハ……」
「それが普通なんじゃないの?」
と。
突然、背後から声をかけられた。あわてて振り向くと襖の桟にもたれるように年増のけばけばしい女が立っている。この顔は先ほど見たばかりだ。春江や冬陽を責めるようなことばを繰り返していた、宏美だろう。
歳の頃は五十路も間近といったところだろうに、その化粧はバブルの頃に流行った若者のソレそのままで、この山奥に鎮座する旧名士の家にも、さらには葬式の場にもそぐわない。彼女は真っ青なアイシャドウをてかてかと光らせた瞳を細めて、森谷の腕に彼女の腕を絡めてきた。
「さっきは御見苦しいところをごめんあそばせ。もおあんまり腹立っちゃったもんだからさ──アナタ、相良の家となんか交流あったの?」
「いやボクっちゅうか、ボクの親戚が世話になったそうで。なんや、あれよという間にここまで来てもうたって感じですかね」
「へえ……東京から来たんでしょ? やっぱ都会の男っていいわよねエ、アタシもむかしは東京でバリバリやってたんだけどサ。結婚を機にこんなクソ田舎戻って来ちゃって。それも離婚したからもういいんだけどオ」
「離婚されたんですか」
「ア。興味ある? 娘がひとりいるけど、もうすぐ独り立ちするしアタシはぜんぜんかまわないよ」
構いまくりである。冗談じゃない、と言いたげに森谷は顔面蒼白で辞退した。背を向けて足元の導師布団をととのえる将臣から「クク」とかすかにわらう声が聞こえる。嗚呼、蹴りたい背中──。
「ム、娘さんはいっしょにいらしとるんで?」
「ええ。森のなかまで探検しに行ったんでしょ、きっと」
「そろそろ戻った方がええんちゃうかな。なあまークン!」
あわてて将臣の背中にしがみつく森谷。
そうですね、と将臣は部屋に掛けられた壁掛け時計を一瞥し、
「式は十八時からですが、みなさんもなんだかんだとご準備がおありでしょうから」
と笑いをこらえた声で言った。
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