第11話 家のはなし

「東京が宝泉寺住職浅利博臣はくしんと申します。──いつぞやにて先代がお世話になったとか。今宵は当寺副住職の将臣しょうしんとともに務めます。何卒宜しく」

 博臣が部屋に入った瞬間、部屋の空気が変わった。重苦しく澱んでいたものが取り払われ、代わりにピリリと肌を差すような緊張感がもたらされた。

 父より紹介された将臣は、しずしずと前に出て頭を垂れる。それを受けて正座の女は三つ指をついて深々と辞儀をした。

「この度はまことに、ご足労を恐縮で御座います。そちらにおります冬陽の母で、式の喪主をつとめます長女の春江と申します。導師様たちへのお部屋は別途ご用意しております。冬陽、そちらは──」

「あ、ごめんなさい」

 パッと冬陽が口元に手を添えた。

「お母さん、こちらが藤宮の神那さんと、その弟君の恭太郎さん。こちらは古賀一花さんと言って導師様たちのお手伝いに来てくだすったそうです。それと」

「あのう。二十数年前にこちらへお邪魔したクソガキを覚えておいでですか? 総一郎と、茂樹です」

 と、総一郎が挙手をした。

 ついでに背中を押された森谷がよろめきながら春江の前に出る。およそ三十年もむかしの記憶ゆえすべてがおぼろげだったが、彼女の顔を見た瞬間から、脳裏に残る映像が徐々に形作られていった。

 あら、と春江も目を見開く。

「あのときの坊ちゃんたち? たしか総一郎くんには弟くんもいらしたわね。それに茂樹くんも──りっぱになって」

「ご、無沙汰しとります」

 森谷は頬をひくつかせてわらった。

 一度しか顔を合わせたこともないような知り合いである。つい先日までは心底から忘れていた。親しみを向けられた瞬間から、妙な気まずさをおぼえる。彼女が恭太郎のような耳を持っていなくてよかった──と胸を撫でおろす。ついでにちらと恭太郎を見ると、彼はこちらを見向きもせずに、けわしい顔で冬陽をじっと見つめていた。

 ──恭クン、なに考えとんねん。

 と、無意識に語り掛けた瞬間、恭太郎はバッとこちらを見た。やはり聞こえているのだと再認識する。

「お客様たちのお部屋は、奥の二間にしようと思っていますが、大丈夫ですか?」

「奥の一間は浅利様用です。もう一間に男性陣で、神那さんと一花さんはあなたとおなじ部屋でお願いできるかしら」

「わかりました。では皆さま、お部屋にご案内します。葬儀まではまだ時間がたっぷりありますから、すこしごゆっくりなさってください」

 といって、冬陽は疲れたようにわらった。

 

 パーソナルスペースとして部屋を宛がわれると途端にひとごこちつけるのは不思議なもので、森谷と総一郎、恭太郎の三人部屋として一間に通されるなり、道中の山登り疲れがどっと押し寄せて森谷は畳にころがった。恭太郎は「軟弱ものめ」とわらったが、森谷より年上かつ運動不足の総一郎などはすでにまどろみ始めている。

「はーあ。なんやえらい疲れたな、家ん中もぎすぎすしとるし」

「みんな金のことばっかりだった。特にあの途中で出てった性悪ババア、あれはとくにそうだ」

「お前さん、御曹司のくせに口悪いのう」

「ああも心の赴くまま、嘘偽りなく発言するのは感心するけどね。いかんせん性格がわるすぎる。僕はああいう気の強い女は勘弁だな、どっかの誰かさんを思い出す」

 という恭太郎は、これまでにないほど凶悪な顔をしている。

 だれを思い出しているのか知らぬが、触らぬ神に祟りなしともいう。森谷はそっと視線を外して上体を起こすと、畳に大の字で寝転がる従兄を足蹴にした。

「おい、夏目大先生。なに寝とんねん」

「んー……」

「こりゃアカンわ。式がはじまる前にまた起こそう」

「それなら僕のことも起こして」

 恭太郎はごろりと横になった。

 導師手伝いをするために同行する、と宣言したらしいが、どうやらそんな気はさらさらないらしい。横になって五秒もすればすっかり寝ついて、あどけない寝顔を見せてくれた。

 ──あっという間にひとりぽっちや。

 と、三十路半ばの男にしては女々しいことをおもいながら立ち上がる。それなりに疲労はある。自分も仮眠をとるべきだろうが、おそらく横になったところでこの家の雰囲気に圧されて寝つくことは叶わぬだろう。無為な時間を過ごすよりは──と考えて、部屋を出る。

 導師たちは今宵の葬儀にむけて準備に勤しむ頃だろう。ならば残るは、と女子部屋の方へ足を向けた。板張り廊下は隅々まで掃除が行き届いている。老女ひとりが住むにはあまりにも広すぎる家だが、この分だと住み込みの使用人でもいるのかもしれない。

 冬陽の部屋へ行きがてら、屋敷内の探索をしようと廊下を進む。

 通りすがった部屋の襖のなかから声が聞こえた。先ほどの親戚たちがコソコソと何事かを話している。立ち聞きはなんだが職業病からか聞かずにもいられない。森谷は廊下の前後を確認してからそっと襖に身を寄せた。

「──ハルさんはいつでもお義母さんの言いなりじゃない」

「あの人はそれ以外の生き方を知らないんだ。まったく、世間と逆行して女優位の一族継承なんざしてきたからこういうことになる。たいてい感情でものを考えるんだ、女ってのは」

「とりあえずこの家の解体費用はハルさんの家で負担してくれるってことなのよね? だったらまあ、うちが文句言うことじゃないけど」

「冬陽が気の毒だろう。童子守なんて──馬鹿げた迷信。うちが座敷わらしの恩恵を受けたためしがあるのか?」

 嘲笑である。

 声色から、声の主は睦実であることは想像できた。会話の相手はさっきの宏美ではない。土間に溢れた靴の感じを考えれば、おそらく睦実の妻とかそのあたりだろう。音を立てずに部屋から離れて廊下を進む。

 ──座敷わらし。

 座敷わらしは、奥座敷にいるという。

 ──覗いてみようか?

 と、森谷は胸の奥がうずいた。

 そのとき通りがかった部屋の襖がすらりと開いたので、森谷はぎくりと肩を揺らした。自身のなかに湧き上がった思惑が外に漏れ出ていたかと焦ったためである。部屋から出てきたのは、将臣だった。

「あれまークン、ここ導師様の部屋やったか」

「森谷さん──こんなところで何しているんですか」

 将臣はすっかり袈裟姿である。

 部屋に案内されてからまだ二十分も経っていないというに、さっそく着替えたようだ。手には葬儀に用いるのだろう仏具が携えられている。

「いやァ。ちっと家ンなか散歩しとってん。それより、なんか運ぶんなら手伝うで。導師様のお手伝いいうてついてきた恭クンなんか部屋について十秒でおねんねしてもうた」

「だろうと思いました。森谷さんが手伝ってくれるなら大助かりです。お師僧」

 と、将臣が部屋を覗いた。

 中では荷物を漁る博臣のすがたがある。

「森谷さんがお手伝いくださるそうですので、それも持っていきます」

「おう。森谷さん、お手数をおかけします」

「お気になさらず」

 森谷は快く荷物を受け取った。

 といってもたいしたものはない。ほとんどは葬儀屋が整えたらしく、導師と役僧のお役目といったらもっぱら経上げくらいのものなのだ。

 音も経てずに廊下を滑るように歩く将臣に、森谷はにっこりと笑みを向けた。

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