第10話 相良本家
繁栄をもたらす子どもという福の神の実態は、想像よりもずっと昏く余儀なき人間の深淵を映したものだった。森谷には想像がつかない。生まれた時代があと三十年ほどさかのぼり、場所ももっと北のほうであったなら、自分もそのような間引きの対象にされていたのかもしれないとおもうと、背筋がうすら寒くなった。
この神社には座敷わらしがいる──。
つい先ほど聞いた博臣のことばを思い出したとたん、森谷は居心地がわるくなって、本殿から目をそらす。そらした先にいたのは相良冬陽。彼女の顔を見た瞬間、森谷はギョッとした。なぜかって、その瞳があまりにも昏かったから。
嗚呼。
──彼女の家には座敷わらし、が
いや。
博臣が語った座敷わらしの実態は、あくまで一説にすぎない。すべての座敷わらし持ちがそれに当てはまるとは限るまい。森谷はあわてて冬陽からも視線を外し、早々に鳥居をくぐって外に出た。
「冬陽ちゃんちの座敷わらしは、まだいるの?」
一花だった。
その目はまっすぐ冬陽に注がれている。森谷のとなりを歩く総一郎の瞳に好奇心の色が浮かぶ。神那は心配そうに冬陽を見て、恭太郎と将臣は先ほどからじっくりと黙りこくったまま一向に口を開く気配はない。
冬陽は、わずかにくちびるをふるわせてからゆっくりうなずいた。
「相良の──わらし様は、代々『
「童子守のお役目はどうなるのですか」
「祖母の遺言状には、次代に私を指定しておりました。でも……親戚の叔父たちは、祖母が亡くなったいまあの家に住む者もいなくなるのだから、いい加減そんな因習はやめて家を潰してしまえと言っています」
ひどく無感情な声色だった。
それを聞いた神那は、また胸を痛めたようで口を閉ざしたが、代わりに総一郎がずいと前に出た。その目は総一郎というよりは大作家夏目九重に変わっている。
「時代ですねえ。そりゃあ現代で座敷わらし云々もないでしょうから、叔父様のおっしゃることはもっともだが、だからといって数十年とともに暮らしてきた神様を、はいさようならと言って切り捨てられるものかなあ。それに座敷わらしが去ったあとの家は没落するのでしょう? 僕なら怖くてできないなあ」
「遠野物語には、座敷わらしが去ったあとに召使含む一家全員が食中毒で死亡した、なんて話もありましたね」
めずらしく将臣が口をひらいた。
その視線は父親に向けられている。この父子が会話するところを見るのはこれが初めてかもしれない。そのくらい、将臣はここまでの道中つねに黙って、父親の三歩うしろを歩くばかりだった。
博臣はうなずいた。
「ああ。いま、その大地主の邸跡にはそれについての説明書きもなされているらしい。しかしそれもまた、文化人類学的視点で見ればまたドロドロした人間関係が見えてくる可能性もあるがね。──ともあれ、相良さんのおうちに関して言えばそう心配することもあるまいよ。……いっそ、なくしてしまった方がいいのかもしれない」
「え?」
冬陽の声がふるえた。
博臣は前を見据えたまま、つづけた。
「童子守のお役目につくということは、一生そこから離れられないのと同義だ。そんな不自由をかわいい孫娘に与えるのはきっと不本意のはずだよ。だから宝泉寺が呼ばれたのだろうし──」
と、袈裟の胸元に手を当てる。
住職が語った最後のことばの意味は、森谷には分からなかった。
山道を歩いてからおよそ数十分。
とつぜん景色が開けたかとおもうと、生い茂る木々の先から古い造りの屋敷が現れた。土の道に石畳が敷かれ、門前までつづいている。これぞ田舎のお屋敷と言うべきか──森谷は異世界に迷い込んだような錯覚に陥った。
玄関門には、いまどきめずらしい忌中札が貼りだされ、中からは物々しい空気を感じる。いや、この空気に関しては道中で聞いた話からくる先入観ゆえかもしれないが。
通り土間に揃えられた革靴は十足以上。大小様々あるところを見るかぎり、親戚一家が複数家やって来ているらしい。
「どうぞ、お上がりください」
冬陽の先導により、この珍妙な訪問者たちはようやく目的地となる相良邸内へと足を踏み入れた。
大型の町家建築である。
門を入るとまずまっすぐに通り土間が伸びる。入って右手に前座敷と呼ばれる小部屋が二つ。むかしは訪ね人の従者を待たせておく際に使用していたという。対する左側には通り土間に沿うようにして長い廊下が伸び、襖もなにもない開放的な座敷が並ぶ。各座敷に据えられた囲炉裏はつい先ほどまで火が焚かれていたようで、わずかに熱を感じた。
冬陽はすこし進んだ先、通り土間の上がり框から廊下にあがり、連なる座敷の合間に通る廊下を進む。板戸を引いてさらに奥の廊下に出ると、左手に折れたところにあった襖に手をかけた。
「だから言っているだろう。こんなボロ家を遺しておく方が金の無駄だ! 母さんが遺した資産があるなら、それで家屋を解体すればいい。まったく忌々しい──」
突然の罵声が聞こえた。
冬陽の表情がけわしく歪む。罵声の主の声は男のようで、さらにつづけた。
「童子守なんて迷信も迷信だろ。いまどき座敷わらしのお守りのために、こんな山奥に引きこもる方がどうかしているよ! 冬陽は姉さんの娘だろう、実の娘にそんな酷なこと強いるつもりか!?」
「ちょっと落ち着けよ、兄さん──ハル姉はあくまで、遺言状に書かれていることを言ったまでで」
「だからそれが問題だっつってんでしょオ? アタシたち母さんの実の子どもなんだよ。なのになんで冬陽が童子守を継ぐからってだけで冬陽ひとりに全資産遺すって話になるワケ? 孫娘ってそんな偉いの?」
相続問題である。
襖の向こうで繰り広げられる舌戦に、森谷はうんざりとした気分になった。なぜ資産を持つ親が亡くなるとこうなるのか。これまで仲の良かった兄弟たちでさえ、遺産相続の話になったとたんに目の色を変える。どこか身に覚えのある感覚に、ちらと総一郎を見た。
彼も同じことをおもったのだろう。辟易した顔でポリポリと頭を掻いている。
冬陽がちいさく舌打ちをすると、勢いよく襖を開け放った。
「導師様をお迎えしました。外まで丸聞こえですよ。睦実叔父様も、宏美叔母様も」
「あら──」
八畳部屋のなか、正座する女性を囲むように立つ男と女。すこし離れたところで肩を落とす気弱そうな男もいる。冬陽を見るや男と女──おそらくは睦実叔父さんと宏美叔母さんか──が、わずかに焦った顔でこちらを見た。が、宏美はすぐにふてぶてしい表情にもどると、出入口に立つ冬陽に当てつけのごとく肩をぶつけて、部屋を出ていった。去り際に「チッ」と盛大な舌打ちも添えて。
──怖すぎる。
森谷はわずかに後ずさる。すると背後にいた一花にぶつかったらしく、ギャッ、とちいさな叫び声があがった。
「ああ──冬陽か。おかえり」
と、対する睦実は気まずそうに、しかし優しい声でつぶやく。部屋の隅で縮こまっていた男もホッとした顔で「ありがとう」と礼を言った。
その礼はなにに対するものか。それは彼らの視線で分かった。冬陽の背後、一目で分かる剃髪頭と黒い袈裟。今宵の導師をつとめる宝泉寺住職、浅利博臣──。
「ようこそいらっしゃいました。宝泉寺の浅利様でいらっしゃいますか」
と。
これまでじっと黙り込んでいた正座の女が、おもむろに口を開く。先ほどの話を聞くかぎり、この相良家姉弟のなかでは一番上なのだろう。喪服に身を包む彼女は、顔立ちこそ整ってはいるものの、状況が状況なだけにすこし暗い印象をおぼえた。影がある。
背後の導師がうごいた。気配がした。
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