第9話 座敷わらし

 新花巻から遠野駅まで、旧国鉄を使用して一時間弱。

 駅から降りるとあらかじめ手配していた二台のタクシーにて、早池峰山はやちねさんの麓までおよそ四十分。当の目的地はそこからさらに山の方へと数十分登ったところにある。タクシーから降りたところで、森谷の脳裏に二十七年前の記憶がうっすらと蘇ってきた。

 当時もこの辺りで下車し、ここから長い時間をかけて歩いて登っていったのだ。人を拒む場所なのだ──と、幼いながらに据わりのわるい思いをしたのをおぼえている。

 タクシーを下車したところで、森谷はちらと腕時計を確認した。

 あまりに早い時間に出発したためか集合時間まではまだ数時間の猶予がある。和尚たちが葬儀の準備をするにしても、いまから家に向かえばかなり早い時間に到着してしまうだろう。

「ねーエ」

 と、古賀一花がすこし先を指さした。

 白幟が数本立てられた木製鳥居が見える。幟には『早池峰神社』の文字。山の名を冠するこの神社は、遠野市のなかでも有数のパワースポットとして人気の高い観光地である。

 現にこの神社には遠野らしい噂が、あるという──。


「座敷わらし」


 浅利博臣がつぶやいた。

 一同の視線が和尚に向けられる。彼は目元に笑みを湛えてつづけた。

「が、いると言われている神社だ。これから山に入るから、挨拶がてら参拝でもしていこうか」

 といって和尚は、こちらの意見を聞くことなくさっさと鳥居の方へと歩いてゆく。これといって宗教にくわしいわけではないが、寺の僧侶が袈裟姿で神社の鳥居をくぐる姿はなんとも言えない気持ちになる。僧侶だからといって、神道である八百万の神々に挨拶するのはタブーではないらしい。

 将臣は父のあとにつづき、一花と恭太郎は「やったー」と跳ねながら鳥居をくぐる。神那と冬陽も顔を見合わせてからあとを追い、総一郎と森谷も最後尾についた。

「ねえシゲ」

「あん」

「あの和尚さん──浅利さんと言ったっけ」

「ああ。それが?」

「そう。…………いや、なんでもない」

 総一郎は口をつぐんだ。

 つい先日「僕らのあいだで隠し事はなし」だと言ったその口でいい気なものだが、森谷は森谷でそれ以上つっこむ気は起きなかった。総一郎から振られた話によってえらい目に遭ったことはあっても、得をしたことは一度もないのだから。


 ────。

「『この神の宿りたまふ家は富貴自在なりといふことなり』──遠野物語のなかで柳田圀男はこう書いている」


 早池峰はやちね神社の参拝を終えたところで、宝泉寺住職の博臣がつぶやいた。

 これまでは無駄口のない寡黙な人間だとおもっていたが、説法モードになると目を見張るほどに舌がなめらかになる。話し出しの語り口を聞くだけで、将臣との血縁を感じられた。この父にしてあの子あり、だ。

 座敷わらしの有名な伝承がある、と博臣はつづけた。

「家人に悪戯したり、逆に家に居つけば幸福が訪れたり。定説になっている民間信仰では『座敷わらしがいる家は繁栄し、去った家は衰退する』というものだな。そのすがたは見たひとによってさまざまで、五歳程度の子どもだったり、十五歳くらいに見える例もある。ここ早池峰神社にも座敷わらしがいると言われていて、遠方から神社に参拝に来た者についていって、その者の家が栄えたという伝承もあるそうだ。いまはもう廃業になったが、この近くにも座敷わらしを見られる旅館として有名な宿場もあったんだよ」

「座敷わらしは遠野にしかいないの?」

 と、恭太郎が小首をかしげる。

 博臣はいいやと首を振った。

「青森や山形にも伝承はある。ただ秋田だけはあまり聞かんな。秋田に住む鬼が下等妖怪を入れないようにしているから──なんて話もある。どちらにしろ東北という場所は、京都を除けばもっとも妖怪や神仏が身近なようだね」

「フーン」

「むかし、座敷わらしと河童はおなじものという一説を聞いたことがあります。たしかに『ざんぎり頭の子どものすがたで悪戯する』って共通点はありますが……どうなんでしょう」

 神那がつづく。

 教養が高いねえ、と森谷のとなりで総一郎がうっとりとつぶやく声が聞こえた。森谷は無視した。

「一理はある。河童は読んで字のごとく河の子ども、だ。そもそも河童と座敷わらしには、その発生源から共通点があるとも言われている。これは信仰という観点ではなく文化人類学的視点なんだが──そもそも神那ちゃんは、河童とはどういうものだとおもう」

「えっ? ええと──そうですね。川に棲む水の精霊、といったところでしょうか。キュウリと相撲が好きで、川に入ってきた人間の尻子玉をとっていく、なんて話は有名ですよね。その尻子玉というのがなんなのかも知らないのですけれど……」

「ははは、そうだね。尻子玉というのは、まだ杉田玄白が解体新書を作る以前、人体研究が発達していなかった江戸時代以前に勝手につくりあげられた想像上の臓器だ。人間の肛門付近にあると言われていて、まあ昔の人は、それを栓にして大便が漏れんようになっているとでも考えていたんだろう」

「まあ」

 と息を漏らした神那は、頬を真っ赤に染めた。

「いま神那ちゃんが言ったとおり、河童は川の精霊であったり、水の神様と言われることもある。ではなぜ川の神様がそのような子どものすがたとして語り継がれるようになったのか、というのを文化人類学的視点で考えると、当時のリアルな人間たちの暮らしが見えてくる。ここ遠野の地にかぎらず東北のあらゆる地域は、人が生きるには過酷すぎる環境だった。冬は氷点下をゆうに下回る。おまけにいろんな自然災害の影響で飢饉が発生することも少なくなかった。限られた食糧のなかで人々は生きていかなければならない。しかしいつの世、どんなところにも不思議と赤子は生まれるもので、そのたびに食い扶持が増えるわけだ」

「食い扶持──」

「いまでこそ『赤子は神からの贈り物』などと神聖なものとして見る風潮にあるがな、自分たちのいのちが脅かされる環境下において、赤子をひとり育てるというのは過酷なんてものじゃない。命のプライオリティ優先順位をつける必要があった。口減らし、間引き、臼殺うすごろ──みんなはこれをひどい話だと思うか」

 と言った博臣は、言葉とは対照的にわらっている。

 総一郎と顔を見合わせてから、森谷は黙って首を横に振る。この飽食時代に生まれた自分が意見できる立場にあるはずがない。神那も冬陽も、寂しげにうつむいた。あの三人組もめずらしく真剣な顔で博臣を見つめている。

「で、だ。問題はその間引き方にある。河童の場合は、水流しだな」

「水流し?」

 恭太郎が問うた。

「ああ。親は間引かねばならぬ子を泣く泣く川に流すのさ。”来世はきっと水神様に生まれておいで”と願いを込めて」

「まあ。水の神様!」

「そこでいのちを失くした赤子が、いつしか河童という存在になったという流れだ。子を流す親の気持ちは私にも計り知れないものだけれども、心中のわだかまりをどうにかするため、水の神になった我が子を空想したのかもしれん。あるいは、ほんとうに御霊が成長したすがたを見たのかもしれんな」

「じゃあ、座敷わらしも間引かれた子なの?」

 一花が問うた。

 この子たちにも、真剣にものを聞くときがあるのか──と森谷は場違いな感心をおぼえている。

「一説にはね。座敷わらしの場合は、またいくつか説があって。東北地方で言われる『臼殺』という風習によってころされた子という説。字面のとおり石臼の下敷きにして殺した子を、台所の下に埋めるという風習があったそうだ。この子どもの霊が客人に悪戯をするから、悪戯好きの座敷わらしの原型となったという話だ」

「ひどい──」

 と、神那が蒼い顔をして胸元で手を結ぶ。

 あるいは、と博臣は気にせずつづけた。

「障がい持ちの子を隠して育てていた説。これは、座敷わらしが旧家や豪農などの金持ちによくみられることから出て来たものだろう。金持ちならわざわざ間引かなくても子は育てられる。しかしそれが障がい児となると、世間の目はいまに比べてずっと冷たかった。親も世間の手前、そういう子を隠して育てたんだ。ところで座敷わらしというのはたいていが奥座敷にいるものだが、……世間から隠して子を育てる場合、どこに閉じ込めておくのがいちばんよいと思うかね」

「……奥座敷、ですのね」

 神那はうなだれた。

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