第6話 浅利家
「じつは、神那さんにご相談したいというのはそこなのです」
「まあ。お葬式の日取りのこと?」
「というより……葬儀の導師をおねがいするお寺様について」
「お寺様」
「発端は、祖母が遺した遺書なのです。そこに『葬儀参列者は最小限に留め、導師には』」
──東京・ホウセンジのご住職を、と。
恭太郎は目を見開く。
同時に神那もおどろいた顔をした。
「ほうせんじ、というと──宝に泉の、宝泉寺さん?」
「はい。私も母も、東京のお寺様にはくわしくなく──神那さんが以前、仲良くなさっているお寺様がいるとお話ししているのを思い出したのです。お寺様ならば同地区内のお寺様についてもご存じかもしれないとおもって、その方につないでいただけないかと」
「あらまあ、なんてこと」
と、神那は恭太郎に視線を向けた。
その意図は、声を聞かずとも分かる。
──まるで神のお導きだな。
恭太郎は柄にもないことをおもいながら、うっすらと姉に笑みを向ける。
寺の名前を聞いた瞬間から笑顔になった藤宮姉弟を前に、冬陽は戸惑いの表情を浮かべた。
「あの──?」
「いえ、あのね。その仲良くさせていただいているお寺様、さっきもお話しに出た博臣さんという方がその宝泉寺さんのご住職ですのよ。もしかしたら相良の皆さまが求めているお寺様というのは、そこかもしれません。もし違ったとしても博臣さんならばあらゆるお寺様の知識もございましょう。きっとだいじょうぶ」
神那はパッと立ち上がった。
「そういうことなら、なおさらさっそく宝泉寺へまいりましょう!」
「あ──ありがとうございます。神那さん」
と、冬陽はいまにも泣きそうに顔をゆがめる。
すると恭太郎の背後から、いつの間にかキッチンから戻ってきていた爺やが声をかけてきた。
「お車を出しましょうか」
「いいえ。よいお日和ですし、電車に乗ってゆくことにします」
「そうですか。ならばお気をつけて」
「ありがとう爺やさん。恭太郎さんは、どうします?」
「うん。……」
いっしゅん迷った。休日にまで、あの気難しい顔をする友人と顔を突き合わせるのかとおもうと気が引けたからである。とはいえ会ってしまえば時を忘れてしまうのだから、わるいことばかりでもないのだが。
なにより、神那の目がキラキラとかがやく。
──姉孝行とおもえばいいか。
恭太郎はやがて満面の笑みを浮かべた。
「もちろん。お供しますよ、姉上。座敷わらしといえば民俗学でしょう。僕ァこれでも民俗学ゼミを履修しようとおもっている身ですから」
「座敷わらし!?」
ふと。
背後から聞こえた声に、恭太郎の脳髄からさっと血の気が引く。慄いたわけではない。怒りが込みあがったのである。声を聞くだけで虫唾が走るどころではない──三女の神楽が、正午をまわってようやく起きてきたようである。
昨夜の酔いどれはなんのその。ドタドタとやかましく駆けてくるなり、神楽はきゃあと飛び跳ねた。
「まさかうちでそんな単語を聞くなんて! なになになに、なんの話? ねえ、恭。教えて!」
「……その前に、僕に対してごめんなさいを言うのが先なんじゃないのか?」
「はあ? なんであんたに謝んなきゃなんないのよ。仮に謝るようなことをしたとしても、あんたは弟でしょ。姉からの嫌がらせを受け入れる星のもとに生まれてンのよ。恨むなら、アタシの下に生まれてきた自分を恨むことね」
「こ、この──」
「それよりも神那姉さん。座敷わらしっていったいなんの話なの? オカルト雑誌のカメラマン見習いがたーんと話を聞いてあげる!」
「あのねえ神楽さん……」
と、さすがの神那も実妹には困った顔で、手を腰に置いた。朗々と人様の事情を話すわけにもいかないし、なによりこの娘に話したら、収まりがつくものもつかなくなる。妹弟愛の強い神那もさすがに危惧したのか、ちらと恭太郎の方へ視線を向けた。が、その視線の行く先は恭太郎ではなかった。
神楽お嬢さま、という声がした。爺やである。
「爺やは二、三ほどあなたにお伝えせねばならぬことがあります。まずはその寝起きにハネたお髪を整えて、うがいをしていらっしゃい。お話は、昨夜のことですよ。爺やの作ったクイニーアマンを食べながら、耳をかっぽじってようくお聞きなさい」
「うっ。じ、爺やオコじゃん……ゴメンナサーイ」
と、神楽の肩が跳ねる。
そのまま洗面所へと急行する神楽のうしろ姿を見送る神那に対して、爺やはくるんとハネた髭をちょいといじった。
「さあ、神那お嬢さまたちはお出かけでしょう。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「……ありがとう、爺やさん」
「恭太郎坊っちゃま、ご帰宅された折には、きっと神楽お嬢さまも改心なさっていらっしゃることでしょう。気を取り直しておゆきなされ」
「爺や──僕はアンタが死ぬまでずっといっしょにいると誓うよ!」
「ふぉっふぉっ。よいのですじゃ、さあ神楽さまが戻る前にお早く」
「行ってきます!」
と、洗面所にいる神楽の気配に気を向けながら、一行はようやく出発することができた。
※
鎮守院宝泉寺。
江戸時代に創建されたという由緒ある寺院で、檀家には『宝泉さん』と呼ばれて地域に親しまれている。駅から十五分ほど歩いてようやく見えた小ぶりな山門をくぐると、砂利道に囲まれた石張参道が目に入る。隅に釣られた梵鐘は雄々しい存在感を湛え、参道の先には目前に待ち構えた木造本堂がそびえる。
慣れた足取りで進む恭太郎が、本堂へ向かいかけた足をピタリと止めて、横道に逸れた。道の奥には収蔵庫がある。いつもは閂がかけられ、厳重に閉じられた蔵の扉はおおきく開け放たれている。
中を覗くと、将臣がはたきを手に、収蔵物に積もる埃を落としているところだった。
「おおっ。精が出るな!」
「…………」
恭太郎の顔をみるなり、将臣は奥歯が痛むような顔をした。しかし恭太郎の耳に彼の音が聞こえたことはない。よくは知らぬが、仏道に身を窶していれば出来ないこともないのかもしれない。現に彼の父である博臣からも、声が聞こえたことはない。
将臣はそのまま恭太郎のうしろに目を向けて、目を丸くした。藤宮神那に気がついたのだ。
「こんにちは。神那さん、お久しぶりです」
「こんにちは将臣さん。ごめんなさいね、突然お邪魔してしまって」
「寺院なんて斯くあるべきですよ。うしろの方もお客様ですか」
「ええ。相良冬陽さんとおっしゃる、わたしの友人です」
と、紹介を受けた冬陽はたじろぐばかりで、ひと言「よろしくお願いします」とだけつぶやいた。ただでさえか細い声に拍車がかかっている。が、将臣は聞こえたらしい。
「ようこそお詣りで。父ですか」
神那に目を向けた。
「ええ。いらっしゃいます?」
「盆に向けて、朝から卒塔婆書きに奮闘しております。母屋へどうぞ、父もよい気晴らしになるかも」
といって、将臣は蔵からのそりと出ると、頑強な扉を軽々と閉めて閂をかける。それから錠前をふたつ。以前、この蔵のなかに金目のものはあるのかと聞いたら「ほぼガラクタだよ」と返ってきた。しかしこの厳重さを見るに、おそらく“ほぼ”から抜け出たわずかな物に相当な価値があるのだろう。
しかし恭太郎は興味がない。
将臣の案内におとなしくついてゆく形で、勝手知ったる浅利家の住居へと踏み入れた。
「母さん、お茶を三つ。藤宮の神那さんたちがいらしたよ」
と、台所へ声をかけてから将臣は客間への襖を開けた。いまでは珍しい和風建築であるが、寺の家と言われればそれらしい。恭太郎はこの味気なく色のない和風建築が好きだった。自身の家が全体的にアンティーク調の豪奢な造りゆえか、無駄な物のないスッキリとした空間が心地よい。もちろん、視覚的な意味ではなく、感覚的な意味であるが。
一同が畳に腰を下ろしたところで、
「あらァ。神那ちゃんご無沙汰ね~」
と、おぼんに茶道具を載せた初老の女性が出てきた。将臣の母、
司が手際よく茶を準備するなか、将臣がするりと席を外す。父を呼びに行ったのだろう。神那は簡単に冬陽を紹介すると、あらマァとファルセットの効いた声で相槌を打った。
「どうぞゆっくりなすってね~。もうすぐ住職みえますから!」
「恐縮です──ありがとうございます」
「それと恭くん、いつもありがとうね~。将臣と遊んでくれて」
「ふふふ。司ちゃん、それ将臣が聞いたら怒髪天だよ。僕もイッカも、将臣に遊んでもらっているのサ」
「やぁだ、そんなこと言って。結局ふたりと出会えてうれしいのよう。これからもよろしくしてね」
「分かったわかった」
と、恭太郎はあわてて言った。
かすかだがふたり分の足音が近付いてくるのが聞こえたからだ。ひとつは将臣、もうひとつのどっしりと重厚な音はその父、博臣であろう。恭太郎が襖に目をやり、神那と冬陽は姿勢を正す。ただひとり司だけは気にせず、ぺらぺらと近況を話している。
すらり。
襖が開いて、作務衣姿の男が顔を出した。
つるりと剃り上がった頭部に精悍な眉と柔和な瞳、芯の通った鼻に、余裕を含んだ薄いくちびる。
──博臣和尚。
将臣の父である。
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