第7話 珍客来訪?

 瞳は一同を見渡すと、まもなく床の間を背にする位置へ腰を下ろした。ここが彼の定席である。年のころは四十ほど。憂いを帯びた瞳には得もいわれぬ色気がただよう──らしい。あくまで冬陽が抱いた感想である。

 博臣はいやにゆっくり客人──冬陽を見据え、

「当代住職、浅利博臣です」

 低い声で言った。

 神那は恐縮したように頭を下げる。

「博臣さん、お忙しいところ突然お邪魔してしまってすみません。お伺いしたいことがあって参りましたの、お時間大丈夫ですか?」

「問題ないよ」

 と、博臣の口元がゆるむ。

 神那はまず、冬陽へ身体を向けた。

「こちら相良冬陽さん。わたしが通う道場のお友だちです」

「さ──相良冬陽です」

「じつは」

 説明のため神那が口を開いたときだった。

 おもむろに博臣が懐から一枚の薄茶けた写真を取り出したのである。とつぜんのことに、神那は口をつぐみ、冬陽は不安げに切れ長の瞳をすうと細めた。博臣が写真を指さす。その手にはわずかに墨がついている。卒塔婆書きの最中であったことはまことらしい。

陸奥みちのくの相良──相良ミチ子さんとは、キミのおばあ様かな」

「!」

 冬陽が口を抑える。

 図星らしい。

 博臣はこっくりうなずき、つづけた。

「オレの父と、わずかばかりだが縁があったらしい。きっとお声がかかるだろうから憶えておくようにと言伝てを預かっていた。この写真とともに」

 写真には、五十路手前の雲水と品のある老女が肩を並べて、縁側に腰かけ笑顔で西瓜を食べるシーンが写っていた。雲水の顔は朗らかに口が開いている。きっと声を立ててわらっていたところを納められたのだろう。となりの老女も、カールがよく映えるくっきりとした顔立ちをくしゃりと潰してわらっていた。写真隅の日付には一九九九年とある。

 じっくりと写真を見つめる冬陽は、ほう、と胸の奥に溜まった空気を吐き出した。

「祖母です──この写真の家は、岩手の、相良の本家ですわ。あそこの庭でむかし西瓜が生っていたのをおぼえています。まさか、……こんな早くにたどり着くなんて」

「でも博臣さん、なぜ分かったのです。わたしたちまだなにも来訪の意図をお伝えしておりませなんだのに」

「そこの愚息が」

 博臣の視線が、いつの間にか恭太郎の背後で正座をしていた将臣に注がれた。斯くいう息子は微動だにせぬ。

「教えてくれたよ。わずかに東北訛りの相良という方がお見えした、と」

「まあ」

「この息子は便利なことに、いろんなことをおぼえている質で。いつぞや先代から言い渡されたものがありませんでしたっけ、と。そう言われて思い出したんだ」

「将臣さんったら、あのひと言のご挨拶で訛りまで聞き取ってしまったのですか。冬陽さんなんて、関東暮らしが長いから訛りなんかほとんど残っておりませんのに」

「……お役に立てたようでよかったです」

 と、父の前だからか妙にしおらしい態度の将臣は、曖昧に微笑んで閉口した。


 改めて神那から、話が伝えられた。

 相良冬陽の祖母ミチ子が亡くなり、葬式導師を務めていただきたい旨である。相良家がなんたるものかという話を省けば、こうも単純な話だったかと恭太郎はぼんやりおもった。早々に飽きたので畳に横になりたいが、恭太郎のことを『出来た弟』と信じる神那の前では憚られる。チラと将臣を見る。この友人は背筋を真っ直ぐ伸ばしたまま微動だにしない。心の声も、聞こえない。恭太郎は将臣の袖をちょいと引っ張って、変顔を向けた。意味はない。

 将臣は、シベリア凍土並みの冷たい視線で一瞥すると、すぐに自身の父へと視線を戻す。向こうの話題はすでに、今後についてどうするかという方へ移行していた。


「葬儀社と相談して、一応このまま明後日夕刻に葬儀を行なえる手筈にはなっております。火葬は済ませてしまったのでお通夜をせずに一日だけ。もし宝泉寺さんがダメだった場合は、葬儀社が手配するお寺様でやってもらう予定でしたから。相良の親戚にも声はかけておりますのでその辺りは問題ないかと」

「では明後日の昼過ぎにでもおうかがいしよう。のちほど、詳細をお教えください。──将臣しょうしん

「はい」

「お前も来なさい。準備を」

「はい」

 と、将臣は上体をわずかに前傾させた。

 恭太郎がエッと声をあげる。

「おまえもお葬式でなんかするの? 坊さんじゃないだろ?」

「得度式は六つのときすでに済ませてある。つまり、身の上は僧侶なんだよ」

 と言うと、彼はサッサと部屋から出ていった。長い時間正座をしていたにもかかわらず、痺れたようすはまるでない。恭太郎はほぉん、と鼻の下をのばしてその背を見送った。

 横では、神那が冬陽へ、葬儀出席の意を告げている。

「ご親戚以外で参列する方はいらっしゃるの? 遺言書に、葬儀参列者は最小限に留めるよう書いてあったのでしょう。わたしが行ってもよいものかしら」

「大丈夫です。祖母はあの家に固執していて、余所の人を入れたがらなかったのですが、母曰く、祖母が信頼を置いていた三家は大丈夫だろうとのことでした。むかしにご縁のあった……宝泉寺のご住職と、藤宮の皆さまともうひとつのおうち──そちらは長らく連絡もとってはおりませんけれど」

 恭太郎はすかさず手を挙げた。

「なら僕は? 僕ならいいですよね!」

「まあ。恭太郎さん」

「葬式ではなにかと男手がいるでしょう。話を聞くにあまり男性はいなそうだし、藤宮家として相良には大恩があるそうではないですか。それに──」

 恭太郎はちらと博臣を見た。

「僕なら、将臣のお手伝いも出来ますから便利です」

「それはたのもしいな」

 と、博臣が喉奥でわらった。

 この男は読めない。が、なんとなく男手をこき使おうと考えているのは分かった。冬陽もまた、恭太郎ならば招くにも問題あるまいと踏んだようだ。ホッとした顔で、

「ぜひ。心強いです」

 とうなずいた。時だった。


 恭太郎の耳がとらえた音があった。足音。寺院ゆえ参拝客の多い宝泉寺にて、いちいちそんな音に気を取られる恭太郎ではないが、今ばかりは無視できなかった。なぜならこの足音、ぜんぶで三つが固まっているわけだが、うちふたつの足音に聞き覚えがあったからである。

 なんで?

 いったい何が。

 嗚呼、近づいてくる──。


「まアさーおみイー」


 調子の外れた大音量で聞こえた声。

 ──ついさっき会ったばかりの、古賀一花である。

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