第5話 相談事

 まあ、と神那の声に悲壮の色が混じった。

 どうやらこの人のよい姉は、亡くなったと告げられた人物に心当たりがあるらしい。よくよく話を聞くと、恭太郎は知らなかったのだが、相談者の生家である相良家とわが藤宮家とは、なかなかの交流があったのだそうである。神那が幼いころのことゆえ、神楽や恭太郎は知らずとも当然らしいが、とかく神那は此度亡くなったという冬陽の祖母にはよくしてもらった記憶があるのだとか。

 恭太郎は首をかしげた。

「薙刀道場で知り合ったのじゃないんですか」

「ぐうぜんに再会したのですよ。十年くらい前、冬陽さんが道場に入ってくださって」

「いえその──それも、神那さんが通われているというのを聞いて、私も入ろうとおもったのです。神那さんのことはすこしだけですが、遊んでもらったお姉さんって記憶していたものですから」

 と、すこし恥ずかしそうに冬陽は言った。

 

 ふたりから語られる昔話を要約すると次のようなものだった。


 藤宮家と相良家のあいだに縁ができたのは恭太郎たちの祖父の世代。当時大東亜戦争只中にあった日本では、昭和二十年の三月に起きた東京大空襲の影響で祖父の弟妹たち──恭太郎からすれば大叔父、大叔母にあたる──が岩手県遠野町あたりに集団疎開をした。相良家もまた陸奥の山深いところにあり、当時十歳だったという冬陽の祖母ミチ子が、疎開してきた学童たちと縁を結んだ。そのなかに、藤宮家の子どもたちもいたという。

 当時はまだ財閥とは程遠かった藤宮家の子どもたちに対し、当時から村の名士と名高い大地主であった相良家はたいへんによくしたという。というよりも、単純にミチ子と殊更仲良くなったのが藤宮の子であったにすぎないが、戦時中でありながら周囲に隠れてこっそりと食事の提供もしてやったのだとか。

 ちなみに恭太郎たちの祖父正太郎は、特別年少兵に志願したために、当時十七歳で特攻隊員として自身の出番を待っていたが、出番が来る前に終戦を迎えたため飛ばずに済んだそうだ。このとき彼が神風に乗っていたならいまの藤宮家もないのだから、運命というのはわからない。

 さて、終戦後になって子どもたちから話を聞いた正太郎が、弟妹たちが世話になった礼をしたいと手紙を送り、それから相良家と藤宮家とのあいだで、文通交流がはじまったのだそうである。

 それも、時の流れとともにいつしか途絶えていたが、二十一世紀になってすぐ、七十歳を超えていた正太郎が孫を連れて相良家へとやってきた。自身の生い先が永くないとおもってのことだったのだろうが、その際に当時九歳だった神那と七歳だった冬陽が出会った──。


「なんだ、祖父上つながりだったわけですか」

「正しくは大叔父様、大叔母様たちなのですけれどね。でもけっきょく、一番恩を感じていらしたのがじい様でしたから、縁を切らさず繋いでくださったのでしょう。それで冬陽さんは、あの日わたしたちが訪問したことを覚えていてくださっていたのですか」

「ええ。あの頃はもう、相良は名ばかり地主にすぎなくて、藤宮のおうちがとってもご立派でいらしたから。孝太郎さんも神来さんも、神那さんも──みなさん品がよくていらして、なんだか自分とはちがう世界から来た方たちなんだわって、子どもながらに思っていました」

 と、冬陽ははにかんだ。

 ──会ったのは一回こっきりか。

 恭太郎は無意識のうちに首を左にかたむけている。この異常な聴覚のなかで、もっとも異常と言えるのはここにある。とくに左耳。通常の声音の奥から聞こえる音がある。

 音、なのである。

 『人心の声』だと人は言う。そうなのだろうと恭太郎もおもう。

 しかしそれは声でもあるが音でもある。

 おそらくは感情の音なのだろうとおもっている。

 人の心は時として、言葉にできない情を抱くことがある。

 もやもや。ぐるぐる。ざわざわ。ざくざく。

 この聴覚と長らく付き合ってきて分かったのは、人の情というのはそれなりに共通しているということ。さらには情の種類は無限にあるということも。

 寺などは大みそかに除夜の鐘を打ち鳴らし、百八の煩悩を払うというが、百八どころではない──と、恭太郎はひそかにおもっている。だからといってそれらをリスト化することは一生ないだろう。人の情はほとんどが向き合うには醜いものが多すぎる。

 ──憧れたんだな。

 と恭太郎は首をもとにもどした。

 憧れた──と冬陽から声が聞こえたわけではない。ことばの裏に憧憬の音を聞いた。恭太郎はこうして、総合的に人心の声を聞いている。

「中学にあがる頃に上京して、なかなか友人が出来ない私を見かねて、十七歳のときに母が教えてくれたんです。薙刀道場に神那さんが通っていらっしゃるって」

「それで道場まで訪ねてくださったんですね。でも、どうしてわたしが道場に通っていると知っていらしたのかしら」

「正太郎さまがお手紙で近況を寄越してくだすったそうです。神那さんとはいちばん年齢も近かったですし、神那さんがいるなら私もやってみたいって、言ったんです」

 うふふ、と笑い合うふたりの淑女たちを前に、恭太郎は欠伸をひとつした。

 恭太郎は飽きている。

 話がちっとも相談事とやらにたどり着かないからである。しかしあんまり退屈なすがたを見せると神那が悲しむだろうとおもった恭太郎は、あわてて欠伸をかみ殺す。

 神那がそれで、と話題を変えた。

「ミチ子おばあ様はいつ?」

「一昨日です。使用人の方がその日に発見されたそうで、お布団のなかで静かに息を引き取っていたそうです。前日までは元気だったそうですから──人間というのは、分からないものですね」

「そうだったの──それは、座敷わらしさんも悲しんでらっしゃるでしょうね」

 といって眉を下げる。


 ──座敷わらし。


 恭太郎がちらりと冬陽の方を見る。

 じつは先ほどから気になっていた単語がある。彼女のなかにずっと渦巻く不穏な感情と寄り添うように併存するこのことば──。

「わらしもり」

 おもわずつぶやいた。

 冬陽がハッと顔をあげる気配がする。代わりに神那がこっくりとうなずいた。──気配がした。

「ってなんです? 姉上」

「相良のおうちには代々、童子守というお役目があるそうです。あそこの家には座敷わらしが住んでいらして、その子のお世話をするのですって。ね、冬陽さん」

「え。ええ──」

「さっきね、イッカさんがいらしたときに、そもそも座敷わらしっていったい何かしらという話になったので、博臣のおじ様に聞きに行こうかという話をしていたのですよ」

「ああ。どの書籍よりもくわしく教えてくれるでしょうね」


 ──浅利博臣あさかがひろおみ

 東京・宝泉寺の現住職である。宝泉寺は藤宮家、とくに恭太郎にはなにより身近な場所である。高校時代からの友人浅利将臣の生家であり、盆や正月になるとなにかと寺の作務を手伝わされる、第二の実家ともいえるほど馴染みがある。

 恭太郎は、彼ほど聡明な男を見たことがない。

 歩く辞書と揶揄される将臣すら、彼と並ぶと未熟者に成り下がる。ふだんは飄々と軽口を叩くことも多いが、一度説法モードになれば将臣の父にふさわしい知識家なのだ。

 それで、と冬陽は畏怖の念を胸中に抱えたまま口をひらいた。

「今日は母が向こうに行って、火葬を済ませる予定になっているのですけれど」

「お通夜はなさらないのですか?」

「あの地域では、火葬を先にするのだそうです。ああいう山奥ですから昔は、人が亡くなってもすぐには参列者も集まることが出来なかったので、先に遺体を火葬にしてからゆっくりとお葬式をしていたのですって。その名残がいまも残っているんだとか──」

「そう。お葬式はいつごろか、もう決まったんですか? わたしも出来たら参列したいのですけれど」

 という神那の問いかけに、冬陽の心情で音がふるえた。

 ──本題だ。

 と、恭太郎はおもった。

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