第8話 邂逅
「ああ、久しぶりだねアニマ――」
彼女は私に一瞥すると、帽子のつばを掴みながら駆け足でマナの方へと詰め寄った。
「――キミも、久しぶりだね」
「……」
「ダンマリかい? 酷いねぇ実に酷い」
イトリは両手を広げて大げさに溜息を吐いた。
しかしマナは表情すら変えずに黙ったままだった。
「まあいいや。 アニマ、彼女はどうやら私と話しがしたくないらしい」
「二人は面識があるのですか?」
「以前何度か彼女の夢にお邪魔したことがあってね」
そう言うとイトリはマナに視線を向ける。すると彼女はあからさまにそれを逸らした。
「……まあね」
マナが心底嫌そうに答えた。いつも明るい彼女がこんな態度をとっているのは意外だった。もしかしたら彼女があの魔女であることを知っているのかもしれない。
「なるほど……」
二人のギスギスした感じを見る限りその関係は良いものとは思えなかった。
「それにしてもどうして貴方がここに……?」
「ちょうど僕は画廊でこの夢を見ていたんだ。そしたらキミたちが困ってそうだったからね、来てしまった!」
イトリが大げさに両手を広げる。
来てしまった! って、そんな軽くて良いのだろうか。
「それにあの時約束しただろう? 診療所の手伝いをするって」
「……画廊から見ていたんですか⁉ でも画廊はあの時崩れたはずじゃ……」
一月前の夢では、確かにあの画廊は地震のような揺れの後、建物中に亀裂が走り、崩れていった。
「ああ、確かにあの時画廊は崩れたさ。 キミを追い出すためにね」
「……?」
首を傾けた私に、館長は滔々と話し出した。
「キミは知らないかもしれないが、あの時外部からの接触によりキミの意識は覚醒させられたんだ。 当然、夢の中にある画廊は夢の中にいる人だけが入る事が出来る。 崩壊、あれは一種の自浄作用だ、意識が浮かび上がったものを追い出すためのものだ。 だから君が去った今、画廊は綺麗さっぱり元通りさ」
「な、何となくわかりました…… それにしても私の意識が外部から覚醒されたってどういうことですか?」
「はあ、キミは本当に質問してばかりだな…… 少しは自分の頭を使って考えたまえ。 その問いは次会う時までの宿題にしておくよ――今は目先の問題を追うんだ」
そうだ、私達は今エミリーから受けた仕事をしている真最中だ。
「……あの人の言う通り。 行こう、アニマ。 時間が惜しいよ」
「えっ…… うん。 イトリさん、何かわかったら私達に教えてください! 寮の302号室に来てください」
「ああ、分かったよ」
マナは腕を掴むと私を引っ張るように校舎に向けて歩き出した。
「――最後まで僕を視界に入れないんだな、マナ」
すれ違い際に、館長はそう独り言のように口にした。
*
夢に沈んだ人を覚ますには、居心地の良いその夢から今すぐにでも出ていきたいと当人に思わせる事が必要だ。とんでもない悪夢を見せる事が一番効率は良いが当人の苦しみは計り知れない。
一つ大事なことは、夢に沈んだ人は皆共通して例外なく、無意識化で現実を捨てる選択をする程に追い詰められていると言う事だ。
私の診療所は、そんな心の傷を癒すことを第一に対話をベースにした活動を続けている。
「――とにかく、不本意だけど私達はセネカと接触を図るためにこの学校の生徒に扮する事が必要だよ ……わかった、アニマ?」
私達は食堂でパンを頬張りながら、今後の作戦を練っていた。
「今日の時間割や私達のクラスが書かれたメモ、筆記用具から鞄まで身の回り一式がなぜか部屋に置かれてたからな……」
あの後、セネカに接触しないよう気をつけながら一旦部屋に戻った私達の前にそれらは丁寧に机の上に置かれていた。そしてその部屋の表札は見事に私たちの名前に変わっていた。いくら何でも都合がよすぎる。
「まあ、夢の中だし…… なんでも、ありなんじゃ ……もぐもぐ ……ないかな?」
「こら、食べながら話するな」
「いたた…… だってこんな時くらいたらふく食べておきたいんだもん」
「えぇ…… 悲しいこと言わないでよ……」
仕事が終わったらたくさん食べ物を買っておこう……
「それにしても、生徒に紛れ込むなんてできるの? 寝る前の事覚えてる?」
メアリーと共に寮の部屋を目指していた時、私達は道行く生徒とすれ違うたびに彼女らの注目を集めていた。間違いなくこの女装がその原因だが、いくら何でもありな夢の中でもこれが突き通せるとは思えない。
しかしマナは随分と余裕そうだった。
「さっきの館長って人が言ってけど、人が沈んでしまうような夢には自浄作用があるんだ。 つまり、夢に適さない人を排する仕組み。 どうやらアニマは目覚めさせられたから夢の崩壊という形でそれが働いたみたいだけど――っぷぷ」
もう耐えきれないと言わんばかりにマナは急に笑い出した。
「?」
「――まだ眠ってる私達は現在進行形でそれが働いてるんだよ、夢への順応が。 ほら、鏡貸してあげるから見てごらん」
「こ、これは……!」
手鏡を受け取った私は驚きの余り立ち上がった。そして静かな食堂に椅子が地面に擦る音が響き渡った。周りの生徒の視線が一気に集まる。
だって驚くに決まってるじゃないか! 鏡に映る私は、髪の色は同じだが、その毛質は細く柔らかくなっていて、何よりもその下の顔が全くの別人になっていたからだ。そしてその骨格は何処から見ても男のものじゃなかった。
何だこの綺麗な肌は! 伸びたまつ毛は! 微妙に膨らんだ胸は‼
女装はしていた、しかし体まで変化させた覚えはないぞ⁉
混乱している私を慌ててマナは座らせて、声を潜め話し始めた。
「ちょっと、始める前から注目集めるようなことしないでよ!」
周りを見渡すと皆が私達に向けて視線を向けていた。
「こ、コホン。 ごめんあそばせ……」
適当に周りに一礼して席に着いた。
「ご、ごめん。 でもこれは流石に驚くよ…… マナは何も起きてないのか?」
「――今のところね……って私に起きるわけないでしょ!」
頭をズコンと殴られた。
君も大きな声出してるじゃないか……
「いたた……」
「むむ、変に美少女だから殴ると罪悪感があるわね…… だけど、ふふっ……大事な所は私が勝ってるわね」
マナは全く変化の無かった私の胸部を見てそう言うと、勝ち誇った顔をした。
「何男の胸と競り合って喜んでんですか……」
「う、うるさい! とにかく今はセネカさんの覚まし方を練りましょう」
彼女は食器を横に寄せ、寮の部屋に置かれていたメモ、そしてなぜか新聞を広げた。
「……このメモにかかれた時間割を見るに、私達はこのカラデール女学院の一年生になっている」
「確かセネカさんは二年生だったよね? 接触は難しくないか……?」
私の問いにマナは首を横に振った。
「アニマが着てる制服の胸ポケット……そう、その海鳥が描かれたピンバッジを見てみて。 それは私達、一年生の証。 このメモには丁寧にそう書かれている。 ――そして私の記憶が正しければ、さっきすれ違ったセネカさんのピンバッジも同じものだった」
「待って、確かセネカさんはエミリーさんと同じ二年生じゃ……?」
「そう、そうなの。 でも考えてみて、ここは夢の中。 現実とは地続きじゃないの」
「だとするとここは一年前の記憶ってことか……?」
「たぶんそうだと思う。 見て、この新聞の表紙」
彼女が指した新聞には今からちょうど一年前の年度が書かれていた。なるほど、ここが一年前という仮説はどうやら正しそうだ。
「でもどうして今じゃなく一年前なんだろう?」
マナは首を傾げた。
一つ確かなことがある。それはこの夢が現実から羽を伸ばした想像力の産物、空想型の夢ではなく、自身の記憶を基礎とした追憶型の夢であるという事だ。
だから私はマナの疑問に確信をもって答える事が出来た。
「――それはセネカさんが、一年前の、この一月に、戻りたいと心から願ったからだ」
私はカップに残った紅茶を飲み干した。
「私達が眠る前、メアリーさんはこう言っていた。 彼女が一年前から変わったと。 これは決して偶然ではないと私は思う。 事実、セネカさんがこうして追体験をしている事から、そのきっかけが、今の時間軸において起こったと言えるんじゃないかな」
「そういえば確かに一年前からって言ってたわね…… なるほど、確かにアニマの言う通りかもしれない」
マナは両手にあごを乗せたまま、ゆっくりと頷いた。
「――となると、やる事はただ一つだね」
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